月の七変化


※雨丸中の制服捏造

苗字さんとは中学からの知り合いで、同じ高校へ進学した友人のうちの一人だ。のほほんとした雰囲気の女子で、初めて話したのは入学して数日が経った放課後だった。

まだ部活すら始まっていない頃で、僕は突然降り出した雨を睨みながら下駄箱へ向かっていた。雨の予報は無かったし、普段なら鞄に入れている折りたたみの傘は、数日前に使用して家に置きっぱなしだった。靴を履き替えて昇降口の扉に近付く。タオルを被り、走って帰るつもりだった僕が鞄の口を開いたときだ、

「あ、同じクラスの子だ」

唐突に声をかけられた。振り向くと見覚えのある女子生徒が立っている。名前は思い出せないけれど、彼女の言う通り同じクラスだ。大人しい印象だった彼女に話しかけられるとは思っていなかったので、僕は多少驚いた。何を言われるのかと待っていた僕から視線を外して、彼女は鞄の中から折りたたみ傘を取り出して広げた。

「ばいばーい」

軽く手を振って横を通り過ぎ、歩いていくその背を見送る。
音を立てて開いた紺色の傘がくるりと回った。ただ挨拶をされただけか。

「……」

鞄からタオルを取り出して頭の上に乗せる。雨は決して強いわけではないから、家に着く頃にびしょ濡れってことはないだろう。

雨が少し弱まった頃を見計らい外に飛び出す。スピードを緩めずに校門を出たところで、「あれ」と声が聞こえ顔を向ける。紺色の傘の下でこちらを見上げる女子と視線がかち合った。気にせず会釈でもして走り去れば良かったのに、なぜか足取りが重くなってしまう。そんな僕の頭上に傘を傾けて濡れないようにすると、彼女は口を開いた。

「傘ないって、言ってくれれば良かったのに」

僕は何も答えずに黙り込んだ。名前も知らないクラスメイトにそんなこと言う筈ない。親しくもない女子と相合傘なんてして気まずい空気を吸うぐらいなら雨に濡れて帰る。「それじゃあ」と行って駆け出そうとした僕を呼び止めて、彼女は鞄を開いて何かを探し始めた。「あった」と言って取り出されたのが桃色の折りたたみ傘で僕は目を丸める。

「ちょうど人に貸してた傘が返ってきたんだ。はい」

手渡された紺色の傘の持ち手を握る。彼女は桃色の傘を、空に向かって広げるとその下に移動した。

「ばいばーい」

数分前と同じ台詞を言って歩いていくその背を、今度は僕が呼び止める。不思議そうにこちらを見上げる彼女に小さくお礼を言うと、とろけそうな笑顔を浮かべて「どういいたしまして」と言った。

それをきっかけに少しずつ話すようになり、気付いた頃には彼女のことを目で追うようになっていた。授業中にしょっちゅう目を閉じたり、体育の時間に小さく欠伸をしていたり……。何をしていてもぼんやりしている苗字さんの纏う空気を、僕は案外気に入っていた。

自分の気持ちに気付いたのは、確かその年の、秋の初め頃だ。移動教室で同じ班になって、ずっと苗字さんを気にかけている自分に気付いてもしかして、と思った。

視聴覚室で陳腐な恋愛映画を見て、泣きそうになっている苗字さんにハンカチを貸した頃には、きっと好きになっていたと思う。

一度気持ちを自覚してから苗字さんと話すたびにぎこちなくなった僕を、クラスメイト達はにやにやと笑みを隠さずに見ていた。山口いわくずっと前から気付かれていたと言われて顔を歪めたのはよく覚えている。クラスどころか学年中に知られていて、苗字さんと並んでいるとどこに行っても嫌な視線がまとわりついてきた。それは進級して彼女と別のクラスになってからも変わらず、教師すら微笑ましそうに見てくるから本当にやめてほしかった。

それも半年が経つ頃には慣れて、むしろ「なんで当事者の苗字さんが気付かないんだよ」と苛立ちすら覚えていた。「相変わらず仲良しだね」なんて揶揄う声に「でしょ〜」と照れもせずに返す苗字さんを見下ろす。少しぐらい動揺してもいいのになんて考える僕に、苗字さんはあどけない子供のように笑うものだから何も言えなくなる。

「月島くん、また大きくなったねえ」
「苗字さんは相変わらず小さいね」
「これでもゆっくり成長してるんですよ」

おっとりした話し方と落ち着いた声が耳に届く。山口が言っていた「人間空気清浄機」という表現がぴったりだった。部活で嫌なことがあったりして気が滅入っている時に、苗字さんと話すと疲れが吹き飛んだ。

苗字さんは結局卒業するまで僕の気持ちに気付くことはなかったし、僕も特別な行動を起こすことはなかった。早い段階で志望している高校が同じだと知っていたし、恋人じゃない距離感が居心地良かったのだ。




中学の卒業式、山口が撮ってくれた苗字さんとのツーショット写真は、母親の手で写真立てに入れられ手渡された。母親に好きな人がバレるなんて恥ずかしいどころの騒ぎでは無かったが、特に揶揄うでもなく微笑むだけだったので無言で受け取り部屋へと引っ込んだ。しばらく机の隅に置いていたけれど、顔をあげるたびにセーラー服の苗字さんと目が合い、何も手につかなくなってしまったので数日後には引き出しに仕舞った。