月の七変化2


「おーい。月島くん、山口くん」

烏野高校の入学式。山口と二人並んで学校への道を歩いていると遠くから呼ばれて顔を向ける。

「お、お、おおはよう苗字さん!」
「おはよう、いい天気だね」

どもる山口にゆったりとした優しい笑顔を浮かべる苗字さんの格好を、頭のてっぺんから足先まで何度も視線を往復して確認した。三年間見慣れたセーラー服ではなく、黒のブレザーに赤いリボン、グレーのスカート。少しだけ見えるベージュのセーター。あー、これは……。

眼鏡を外して手の平で顔を覆う。

深くため息を吐いて何事も無かったように眼鏡をかけて「おはよう」と挨拶を返した。「眠そうだね」と僕の密かな葛藤を知らずに、微笑ましそうに言う苗字さんをじっと見下ろした。

「……制服、似合ってるんじゃない?」
「ほんと? 良かったあ。二人はあんまり変わらないね」
「お、同じ学ランだしね」

僕が振り絞って口にした褒め言葉に嬉しそうに笑う苗字さんに、山口は少し焦ったようだった。別に気にしてない。どれだけこっちがストレートに好意を仄めかす言葉を投げかけたところで、華麗な天然スキルで躱されてしまうのだから。

その後『満員電車で好きな子と密着』、という朝から刺激が強すぎるハプニングに見舞われつつ、学校へ到着した。クラスは苗字さんが5組、と離れてしまったけれど、棟が同じだからまだ良かった。

「ばいばーい」

何回聞いたか分からない、気の抜ける言葉に手を振った。スカートの裾をひらひらと翻し廊下を歩くその背を見送る。横を通りかかった名前も知らない男子生徒が「あの子可愛くね」と呟いたのが聞こえて思わず固まる。その視線の先を見ると、5組の扉の前で深呼吸している苗字さんが居た。は?

「同じクラスじゃん、良かったな」
「よっしゃ!」

ガッツポーズをして横を通り過ぎるその二人組の背を強く睨む。後ろで山口が「ツ、ツッキー?」と震えた声で僕を呼んだけど気にしていられなかった。思えば中学の三年間、苗字さんにちょっかいを出す奴は一人も居なかった。あれは僕の好意が周囲に知られすぎていたせいだろう。でも入学したばかりのここでは誰も僕の気持ちを知らない。見守る人間も、援護射撃をしてくれる人間も山口以外は居ないのだ。

「ほんと、サイアク」

この距離感が居心地良い、なんて呑気なことは言っていられなくなった。自分の教室に入って自席につき、スマホで苗字さんとのトーク画面を開く。「友達は選びなよ」と一言送りつけて返事を待つ。名前の読み方や身長を聞いてくるやつの相手を山口に任せて通知が来るのを待った。

スマホが震えて視線を落とす。相手は苗字さんで、「可愛い女の子と友達になれた〜」という一文と、小躍りするクマのスタンプが送られて僕は眼鏡を外して顔を覆った。はー、もう、なにそのスタンプのセンス。「良かったねツッキー!」なんて心底嬉しそうに言う山口の言葉に、素直に「うん」と返してしまう程気が緩みまくってしまう。

「なになに、彼女?」

隣の席の少しチャラそうな男子生徒がスマホを覗いて言った。普段なら鬱陶しいとしか思えないその揶揄いの言葉さえ嫌にならない。彼女だったらどれだけいいか。

「まだ彼女じゃない」

眼鏡をかけてから、苗字さんに「よかったね」と返事を送る。するとすぐに既読がついて、その二文字にすら心臓が高鳴るのだからどうかしてる。

「!?」

送られてきたツーショット写真に硬直する。横にいる女生徒が苗字さんの言っていた友達なのだろうと認識しつつ、満面の笑みでこちらを見る苗字さんにしか目が行かない。思わず口元を手で抑えてしまう。勢いで可愛い、と打っていて、慌てて文字を消した。しばらく文面に悩んでから「仲良くするんだよ」なんて親目線のよく分からない返事を送った。案の定苗字さんは「お父さんみたいだね」という返信を送ってきたので頭を抱える。お父さんになりたいわけじゃないんだ。

「月島めっちゃ恋してんねー」

チャラ男に視線を向けてやっと気付いたが、クラス中の視線が自分に向けられていた。しまった、全然気付いてなかった。山口は呑気に「ツッキーは中一のころから苗字さんのことが好きなんだよ!」なんて素直に答えるものだから、途端にクラス中の雰囲気が変わった。

「えー! 超一途じゃん!」
「苗字さんって言った? 何組? どんな子?」
「つっきー可愛い〜 応援するわ〜」

君たち初対面だよね、と言いたくなるほど意気投合するクラスメイト達に戸惑う。クラスメイトの質問に山口が一個一個丁寧に答えていくのを「黙れ山口」と止めさせると、チャラ男が口を開いた。

「いやいや、今のうちに釘差しとけって。苗字さん可愛いし、好きになるやつが出てくるかもよ」

周囲に聞こえないようにそう言われて考え込む。……中学の時にその環境に助けられていたこともあり、しばらく黙り込んでから口を開いた。

「5組の苗字さん、僕のにする予定だから、ちょっかい出さないでよね」

僕の一言に静まり返ったと思えば、男子は雄叫びをあげて女子は黄色い悲鳴をあげた。吃驚して目を丸める僕に、チャラ男が心底楽しそうに椅子の上で笑い転げる。こ、こいつ……。

「いやあー月島おもしれー」
「……」
「……ごめんって。俺、5組に知り合い居るから伝えとくよ。他の男子にも上手く話しとく」

苗字さんのことを可愛いと言っていた二人組を思いだし目を細める。まあ、それは助かるけど……。

教室に入ってきた担任らしき教師が、クラスの盛り上がりように驚いたように固まっていた。どこからか聞こえた女子の「月島の恋バナで盛り上がってましたー!」なんて要らない一言のせいで、再び教室が騒ぎ始める。他クラスに聞こえたらどうするんだよ、と睨んでいるとスマホが小さく震えた。

机の下でそっと開くと苗字さんからで、「4組すごい盛り上がってるね」なんて言われたものだから机に突っ伏す。お願いだから、肝心な言葉は聞こえていないことを祈る。