喪失(五条)


2007年、九月。

昼間の鬱陶しい喧騒が消えた男子寮は静まり返っている。
術師には珍しいほどに根明だった後輩の死、
それに続いた親友の離反。

「……」

五条悟は自室のベッドの上で脱力した状態で寝転んでいた。天井の木目を意味もなく見上げて、意味もなく指先に力を入れて、

意味もなく、住人の居ない隣室に意識を向けた。

部屋の主は帰ってこない。

居場所が分かれば今すぐにでも会いに行って、問いただすというのに。なんの手がかりもない。行動の真意すら掴めない。


普段なら眩しくもなんともない月光が、夏の日差しのように思えた。逃げるように背を向けて腕を瞼に押し付ける。くそ、と声に出したつもりが漏れ出たのは震えた空気だけだった。






カタ、

部屋の外から小さな音がして飛び起きる。完全に寝入る直前に耳に届いた小音に、六眼を凝らして部屋の外を伺う。

そして目に入った呪力は見覚えのあるもので、だけど自分が一番望んでいた呪力ではなくて、五条は自分の筋肉が脱力していくのが分かった。落胆、なのだろうか。それもよくわからない。

重い身体を引きずって(体重変わってねえのに、なんでだろ)なんて心の中でぼやきながら部屋の扉を開ける。そして隣室の扉の前でぽつんとつっ立っている子供を視界に入れた。唯一の身内が病で入院したことを機に、高専に預けられることになった子供。心眼と天眼の抱き合わせという、ある意味自分よりも特異な存在。

「なにしてんだよ、おまえ」

無意識のうちに声は低く冷めた音になったが、子供は怯えすら滲ませることなく、包帯に巻かれたその目を五条へと向けた。ぐるぐると何重にも重ねられた包帯では、目の前の景色すら分からないだろう。だが五条は知っている。少女の持つ特殊な目が、包帯すら透かしてこちらを見ていることを。

目には見えないものを見通す瞳を持っていても、夏油傑が帰ってこないという事実は見えないのだろうか。

(いや、それは俺も同じか。こんな目があるのに、あいつが変わってしまったことに気付かなかったんだから)

「一緒に寝ようと思って」
「は?」

下に向けた視線を再び子供へと移す。子供が小さな、大人の両のてのひら程の大きさの枕を持っていることに、五条はようやく気付いた。思いがけない子供の言葉に思いっ切り顔を歪める。

「聞いてねぇのかよ、傑のこと」

子供は何も答えずに小さな枕を抱きしめる力を強めて、ただ五条を見上げていた。そういえば、と昼間見た光景を思い出す。夜蛾が、夏油が帰ってこないことを疑問に思った子供相手にうまく説明できないのだと言って頭を抱えていたことを。結局言ってねえのかよ。チッと思わず出た舌打ちは静かな廊下に思いのほか響き渡って、それがやけに身を竦ませるものだったから、五条は口を固く結んだ。

灰原が死んだときでさえ、こいつはその意味をよく理解していなかった。

なぜ帰らないのか、どこにいるのか。賢いこいつは言葉にすることはなくとも行動で示していた。気付けば灰原を探すように二年の教室を覗いて、一人で居る七海の後ろ姿をじっと見つめていたから。

―――もう二度と会えないことを説明したのは誰だったか。俺じゃない。硝子でもない。……そうだ、傑だった。灰原は遠くに行ってしまってもう会えないのだと、直接的な表現を避けて言った傑に、子供は泣くのを我慢するように口元を引きつらせていたっけ。

「……」

お前がいなくなったことを、誰がこいつに説明するんだ。


「一人で寝れねぇのかよ、ガキだな」

バカにして笑って俺をじっと見て、子供は小さく「悟くんは一人で寝れる?」と言った。あ? バカにすんな。俺はずっと一人で寝てきたし、これまでの人生、親とも一緒に寝たことねえわ。傑と徹夜でゲームして気付いたら二人で雑魚寝していたことはあったが、これからはそれも無くなる。

「余裕だわ、お前も一人で寝れるようになれよ」

一緒に寝てくれる奴はもう居ないんだから。何故かこの言葉だけは声に出すことができなくて、結局突き放すようにして五条は自室へと戻った。

それから少しして、子供が静かに部屋を離れていく気配を確認して目を閉じる。大丈夫だ、高専の施設内であればすぐに駆け付けられる。そもそも心眼のお陰で危機察知能力が人並み外れている子供なら、強引に攫われたりすることはないだろう。自分に言い聞かせて五条はまぶたをきつく閉じた。意識を奪われたようにして眠りに落ちたとき、脳裏によぎったのは子供を抱えて楽しそうに笑っていた同期達の姿で、数時間後に起きたとき五条は心苦しくてたまらなかった。