「明日ねえ、お姉ちゃんとコスメ買いに行くんだぁ」
「……なるくんと? 二人で?」
「えっ? うん。そうだけど」
「へぇ」
 亜希としては何気ない発言だった。例のごとく登校時に交わす他愛もない会話の一つだと、そう思って口にした。
 だというのに、泉の周りの空気がざわりと揺れ動くような感覚を覚え、亜希は目を瞬かせる。
「泉ちゃん、どうかしたの?」
「何が?」
「えっ? いや、だって……」
「言いたいことがあるならはっきり言えば? そういうの、チョ〜うざぁい」
 言いたいことがあるならはっきり言ってほしいのはこっちの方だ。なんて、声を上げることができたらそうしていただろう。残念ながら彼女がそうすることはなく、結果、彼を不機嫌にして終わりだ。
 それまでの流れを鑑みれば、泉は嵐と亜希が二人で出かけることを快く思っていないと取れるのだが、それ自体初めてのことではなく、都度こうして泉に報告している日々だ。
 だからこそ、彼が不機嫌になる理由がわからない。
「……から」
「えっ?」
「俺も行くから」
 泉の言葉に今度こそ亜希は絶句する。なんせ想像すらしていなかったのだ。
 確かに泉は多少過干渉気味な部分があり、度々亜希も悩まされている。そこに含まれる感情に愛だの恋だのといったものはない。しかし、兄が抱くものにしてはあまりにも度を超えている。
 自分を恋愛対象として見ているのではないかという淡い期待を抱いては、打ちのめされて。兄だと思わなくてはと距離を置いては、無遠慮に詰められる距離に困惑する。
 先の発言より何も言わなくなった亜希に対し、泉は半眼でため息をつく。それも、態とらしいまでに大きいものだ。
「なに、問題でもあるわけ?」
「やっ、ない! ない、けど……お姉ちゃんにも聞かなきゃ」
「聞かなくてもわかるでしょ?」
「いいっていうとは思うけど、流石に礼儀ってものがあるでしょ。泉ちゃん、親しき仲にもだよ?」
 それくらい、わかっているくせに。そんな反論を飲み込んで、亜希はカバンから携帯を取り出し操作する。送ったメッセージにはすぐに既読がついて、可愛らしいスタンプで了承の意を得られた。
 嵐らしい、女子よりも女子なその返信に表情を緩めれば、いかにも面白くないと言わんばかりの泉が「ちょっと」と声をかける。
「なるくんは? なんて?」
「いいって」
「その言い方、生意気〜」
「他になんていえばいいの」
 困ったように眉を下げて笑う亜希に、泉はフンと鼻を鳴らして以降口を閉ざす。
 長年の付き合いはあれども、やはり泉は分かりづらい。なんと声をかけるか悩んでいたら、あっという間に分かれ道だ。
 週末。いつもならば口にしないはずの言葉を口にできるのが嬉しくて、亜希は先ほどまでの微妙な空気も気にせずに笑顔でそれを口にする。
「泉ちゃん、また明日ね」
「はいはい。楽しみなのはいいけど、その締まりのないバカみたいな顔はなんとかしなよ〜?」
「ひどい!」
 頬を膨らませる亜希なんて見えもしないように、すぐにまた背を向ける泉を彼女はいつものように、ただ見つめる。
 それでもやはり翌日の予定があるおかげで心はどこか弾んでいて、早く明日になればいいのにと待ち望むのだ。

「泉ちゃんってば、アタシたちのお出かけを邪魔するなんてひどいじゃない」
「はぁ?」
「せーっかく、亜希ちゃんと二人でお出かけだったのに」
 スタジオにて、態とらしく嵐がさめざめとした様子で泉に文句をつける。いつものように少しおどけた口調だが、彼の目は泉の真意を探るべくやや鋭い。
 散々亜希から話を聞かされている分、彼の行動はやや不可解に思えたのだ。表立って行動することはないと思っていたのだが。
 そんな嵐の視線をうざったそうに、泉は最低限の返事のみで済ます。それがまた、嵐にはいつもと違って映る。
「泉ちゃんったらどういう風の吹き回し? せっかく女の子同士の楽しみなのに」
「別に。俺が居たらまずいことでもあるわけ?」
「大アリよォ! 女子の花園に男子が混ざり込むなんて」
「はぁ? チョ〜うざぁい」
 うんざりした様子の泉に、嵐は目を瞬かせる。基本的に他人にあまり干渉しない彼が、こうして過干渉を貫く人物は嵐の知る限りただ二人だ。
 そのうちの一人とはいえ、今までここまでのことをしていただろうか。……理由はわかっている。たぶん、本人に自覚がないのだとしたら知っているのは嵐だけだろう。
 あえて蜂の巣を突くように、もしくは藪蛇を突くように、嵐はくすりと笑って「あら?」と声を上げる。
「泉ちゃん、もしかして嫉妬?」
「はぁ? なんでそうなるわけ? なるくん、頭でも打った?」
「失礼しちゃうわねェ。でも、そう。あくまでも泉ちゃんはそうなわけね」
「……なにが言いたいわけ?」
「べっつにぃ〜? ふぅん……」
 頭のてっぺんからつま先まで、まるで品定めでもするかのように視線を動かす嵐に、泉はうざったそうにため息をつく。
 もう一度、口癖になってしまった言葉を口にすれば嵐は笑って「あら、ごめんなさい」と返す。そこでようやく、その場に満ちていたスタジオに似つかわしくない雰囲気が霧散した。
 ――まったく、素直じゃないんだから。
 大切に思っているくせに、当人にそれが伝わりづらいのは彼の性格からだろうか。呆れながらも嵐は思考を巡らせる。彼はきっと、彼女に好意を抱いている。どの種類かはまだ測りきれていないが、あの過干渉はそれだ。そもそもそうでない限り、毎朝肩を並べての登校など許すはずがない。
 だからこそ、許せないこともある。大切に思っているならば、なぜ突き放すような物言いをするのだろうか。彼なりの愛し方だといえば聞こえはいいが、相手を傷つけても気にしないなんて嵐にとっては理解ができない。
 明日、久しぶりに三人で顔を合わせることになる。それによって、今後の出方を考える他ない。なんといっても自分は――。
「……なんてね」
「何か言ったぁ?」
「なんでもないわよォ」
 うふふ。と笑いながら、嵐は先ほどよりもいくばくか機嫌の悪そうな泉に「いつも通り」を心がけながらちょっかいをかけるのであった。