楽しみだったはずのショッピングは、残念ながら重苦しい空気の中で終了となった。とはいえ、亜希は目的のコスメを買うことができた。
 ……どころか、気づけば彼女の手の中には嵐、泉両者からのオススメが数点ずつ、ショッパーに収められた状態で握られていた。
 誕生日じゃなければ祝うようなことがあったわけでもない。そんな状態で、理由もなくプレゼントをもらうことは流石に気が引けた亜希だが、最終的に泉の「こっちのメンツを潰さないでもらえる? 言われないとわからないわけ?」というきつめの一言で渋々ながら好意に甘えることとなった。
 尚、普段は亜希の味方をしている嵐も、「あら、泉ちゃんったら」と咎めるような声を出しながら引く気は無いように微笑む。つまり、亜希は退路を断たれたも同然だった。
「んー、困ったな……」
 欲しかったものを、好きな人たちにもらったことはとても嬉しいことだが、どうしても申し訳なさが先行してしまう。何かお返しができればいいのだが。
 なんて考えていても時間は過ぎるばかりで、朝の少ない時間はじりじりと登校時間に近づいていく。昨日の二人の妙な空気も相まって、どことなく顔を合わせづらいのが現状だ。
 三人で出かけることも、何かもらうことも別に初めてのことではない。なのにこの気まずさはどこから来るのだろうか。
 いっそ、登校時間をずらしてしまおうか。別に約束しているわけではないし、何の問題もないはずだ。
「亜希? 時間はいいの? いつももう出る時間じゃない」
「今日は大丈夫」
 持て余した時間を使うため、タブレットでニュースサイトに目を通す。世間で何があったかを知る程度なら、これだけで十分だ。
 なんて、彼女が適当な記事を斜め読みしていたその時。こんな朝っぱらに似つかわしくない(というか彼女の家ではだいぶ珍しい)インターホンの音が響いた。
 あらあら。と、のんびりとした母親が玄関に向かう。この来客が長引いたら遅刻しそうだな。などとどこか他人事のように亜希は玄関へと意識を向ける。登校時間は遅らせるが、遅刻はしたくない。
「あら? 泉くんじゃない!」
 驚いたような母親の声に背筋が凍る感覚を覚え、亜希は一人身を硬くする。
 なぜ、彼が自宅まで足を運んだのだろうか。今までは自分が半ばまちぶせるような形で彼と登校していたはずだ。それを迷惑に思うことはあっても、歓迎はしていなかったはず。
 意識を玄関へと向けるも、かすかな話し声が聞こえるだけで彼が何を言っているのかまではわからない。母親が、楽しそうに笑う声が聞こえる、ただそれだけ。
「亜希ー! 泉くんが来てくれてるわよー!」
 母が自分を呼ぶ声が頭痛を引き起こすが、ここで時間を浪費しては後でなにを言われるか分かったものではない。既に文句を言われるであろう点が一つあるのだ。
 亜希が慌ててカバンを掴んで玄関へと向かえば、そこにいた泉が目を細めて口元だけで笑う。「遅かったね」の声が、決して笑っていない目が、彼女の恐怖を煽る。
「いってきます」
 母親の「行ってらっしゃい」という声を、背中で聴きながら玄関のドアを閉め、亜希はバクバクとうるさい心臓をそのままに泉の隣に並ぶ。
 訪れたのは沈黙だ。いつもは楽しい通学路も、今はどことなく拷問のような雰囲気だ。その原因を作ったのは亜希自身だし、そう思っているのも多分彼女だけなのだが。
「いっ、泉ちゃ……珍しいね、うちまで来るなんて」
「亜希が来なかったからでしょー? どういうつもりなわけ?」
「ど、どうって……別に約束してたわけじゃ……」
「はあ?」
 事実を口にしただけなのに、睨まれてしまった。
 彼のルーチンワークを崩すことは許されないという意味なのか、それとも別に意味があるのか。状況が違えば悶々と考えるところだが、今はそれどころではない。
 目の前の泉は明らかに怒っている。彼女にわかるのはその事実だけだ。
「……ごめんなさい」
「……ふう。まあどうせ亜希のことだからわかってないかもしれないけど。よく出来ました」
 ふ、と表情を和らげて目を細めた泉に、亜希はほっと胸をなでおろす。
 たとえわかっていなかったとしても、彼はそれを正解だと言ったのだ。突き放されないように、置いていかれないように。彼女は手探りで答えを探す。
「いい? アンタはちゃんと、こうしていつも通りにしてればいいわけ。何を考えてるのかは知らないけど、それを許可なく崩すなんて許されないことだから」
 わかった? と確認されて亜希はブンブンと音が聞こえそうな勢いで首肯する。
 置いていかないで。これ以上距離を広げないで。この気持ちが叶わないのなら、せめてそばにいることくらいは許してほしい。彼女の頭の中にあるのはただそれだけだ。
「ほら、早く行くよ。あんたのせいでいつもより遅いんだから」
「うん、ごめんね泉ちゃん」
 急に機嫌を好転させた彼を不思議に思いながらも、亜希はその隣に並ぶ。
 なぜ、今朝はあんなにも気まずかったのだろうか。お返しならば、今すぐに渡さなくてはいけないわけではない。生じた後ろめたさはどこからきたものだろうか。
 彼女はまだ知らない。それが、先日の嵐と泉の間に立たされた時の妙な緊迫感からくるものであるということを。
 それが、いつもよりも近い位置にいた両者への感情の揺らぎからくるものであることを。
 訪れた変化がどう動くかなんて彼女には……ましてや泉、嵐の二人にだって予測など、できるはずがないのだ。