「亜希ちゃん、お姉ちゃんは心配よォ〜」
 悩ましげな表情に、ため息を交えながらその言葉を口にする彼は、自らの頬に手を添えて彼女を見据える。
 亜希は、そんな嵐に苦笑を浮かべながらも「急にどうしたの」と言葉を返す。
 先日のお礼にと、巷で評判のクッキーを手に彼の撮影が終わるのを待っていた彼女は、促されるままに彼と喫茶店へと足を運んでいた。
「だぁ〜って、亜希ちゃんてばいつもわがまま一つ言わないじゃない」
「そんなことないけどなあ」
「あら、やっぱり無自覚だったのね」
 わざとらしく肩を竦めた嵐に、亜希はやはり苦笑を浮かべる。彼はそういうが、亜希としてはそれなりにわがままを言っているつもりだ。少なくとも、嵐には迷惑ばかりをかけてしまっている気がする。
 ……というのに、当の彼がこう言うのだから困ってしまう。別に、わがままを言えなどとは一言も言われていないのだが、どうしてもこの場の空気的にはそのことを責められているように感じてしまう。
 たぶん、彼が口にしているのは彼女が"好きな人"に対して取っている態度についてだろう。
「私、結構わがままだよ?」
「あら、アタシたちのわがままに付き合わされてた子の言葉じゃないわねェ」
「あはは」
「もっとわがままを言って欲しかったんだけど」
 ダメねェ。と、伏し目がちに視線を落とす彼の色気に不意に胸が高鳴った。鳴上嵐という男は、意識しているのかはわからないが、唐突に暴力的なまでの色気を纏うことがある。そして、今がその時であるらしい。
 慣れているとはいえ、美しいものは美しい。乱れた心音をごまかそうと言葉を探す亜希を見て、彼はふと微笑みながら言葉を続ける。
「お姉ちゃんがなんでも聞いてあげるわよォ」
「なんでもって」
「悩んでることがあるんでしょ?」
 むしろ、あれほど分かりやすく泉とやりあった手前、何もわからないなんてことがあっては困る。
 先の言葉と繋がっていないようで繋がっているそれに、亜希はポツリと言葉を落とした。
「さすがはお姉ちゃん」
 ショッピングの後、色々と考えた。あの、板挟みのような状況と、それ以降家に迎えに来るようになった泉のことを。
 そう。迎えに来るようになったのだ。あの男が。それが嬉しいと思う反面、「何故?」と言う気持ちが彼女の中で日に日に大きくなっていった。
 素直に喜べばいいのだ。好きな人が、わざわざ家まで迎えにきてくれるようになったのだから。なのに、訪れるのは疑問ばかりで素直に喜べないのはどうしてか。
「あのね、最近泉ちゃんが迎えにきてくれるの」
「あら、よかったじゃない……っていう顔じゃないわねェ」
「そうなの。私、泉ちゃんのことが好きなはずなのに……」
 眉を下げて俯く亜希に、嵐は困ったように笑いながら頬に手を当て、「下を向いてちゃダメよ」と優しく諭す。
 そんな嵐を見る亜希は、「でも」とか「だって」とか、言葉になりきれなかった音をただ発するのみで、自分すらも何が言いたいのかよくわからなくなっていた。
 そんな彼女に、嵐はあくまでもいつもの通りに、茶目っ気を含んだ声色で「それじゃあ」と口にする。
「他を見てみるってのはどうかしら」
「……他?」
「ええ。そう。亜希ちゃんはずっと泉ちゃん一筋だったわけでしょう?」
「うん」
「だから、他のコを見てみるってのはどうかしら」
 突然の提案に、亜希はしばし目を瞬かせる。他の男を見てみるなんて、考えたこともなかった。ただ、問題が一つ。
 ただでさえ昔から泉、泉と全ての基準をただ一人に置いていた上に、当の泉の根回しにより、話しかける、または話しかけられる異性などただの一人も存在しない。
「で、でも、私男の子と知り合いなんて他にいないし……」
「あら、大変。亜希ちゃんってば忘れてることがあるわよォ」
「えっ?」
「ア・タ・シ」
 片目をつむり、そう口にする嵐は口調はあくまでもいつも通りだ。しかし、纏う空気が普段のそれとはまるっきり違う、言うなれば「男」のそれへと変わっていた。
 見慣れているはずのその人の顔が、いつもと違って見えるのはどうしてか。それを考えながらも、亜希は言葉を口にできずにいた。
 頭の中は言葉の洪水がごとくパニック状態で、「何故」とか、「どういうこと?」とか、泉に抱いていたものとはまた違った疑問の言葉が浮かんでは消える。
 そんな彼女の混乱を知ってか知らずか、彼はクスリと笑って、またいつものように柔らかな口調で言葉を紡ぐ。
「なあんて、ね。びっくりしたかしら?」
「お、お姉ちゃーん」
 脱力したように亜希は声を落とす。
 あくまでも冗談。冗談なのだ。だから、不意を突かれてこんなに心臓がうるさいのも、きっと彼の顔が、あまりにも綺麗で格好良かったから、うっかり流されかけてしまっただけなのだ。
「とはいえ、よ。あまり考えすぎちゃダメ。どうせ泉ちゃんのことだもの。思いつきで行動してるだけに決まってるわ」
「だよねえ。はー……ほんと、泉ちゃんのそういうところ、困っちゃう」
 いまだにうるさい心臓をまるっきり無視をして、亜希はそう口にする。
 それからのち、二人で「泉がいかにひどい男か」という愚痴大会になったのだが、それはまた別の話だ。