別離と邂逅

はまちゃんとの一週間は本当にあっという間で、彼の優しさにはずいぶん救われ、自然に笑みが浮かぶほどには心を許すことができた。初対面の男性、それにアイドルである彼と一緒に暮らすなんて、初めは不安しかなかったけれど、そんなものは気付いたら無くなっており、今は離れるのが少し悲しくもある。

「今日の夕方、神ちゃん家に送ってくな」
「うん……」

2番目は神ちゃんだった。それはもう決まっていることだし、昨日の夜に荷物(といっても着替え程度だが)もまとめたし、わかっているはずなのにあまりにも現実味がなくて不思議な感覚だった。まさか、もう少し一緒にいたかったなんて思う日が来るなんて。

机を挟んで向かいに座る彼は、私が作った昼食をいつもよりゆっくり食べる。素直に美味しいと伝えてくれる彼に料理を作るのは本当に楽しかった。

「また、釣り行こな」

ふにゃりと笑ってそういう彼に、私もうんと頷いて見せる。釣りは初めてだったけれど正直すごく楽しかった。ぜひもう一度行きたい。
そうだ、別に今生の別れじゃない。会おうと思ったら会える人なのだ。私が生きている限り。
そう、生きている限り。

ああ、やっぱりずるい男。
私に直接的ななにかを言ったわけじゃないのに、こんなにも引き止める力を持っている。なんだかそれがまんまとしてやられたような悔しさがあり、私はつい「洗濯毎日してよ?」と意地悪なことを言ってしまう。そんな言葉にも彼は笑って「静久がずっとおってくれたらええんやけどなぁ」と言う。ちょっとドキッとしてしまうのが嫌だった。
あくまで私は死に損ないの一般人。彼らにとっては責任の対象なだけであって、そういう思いは一ミリも存在してはいけないんだ。私もそこは割り切らないと。そう決心してみても、あと6人もいるのかと思うと少し自信がなくなった。




「ほんまにありがと」
「いや、それ私のセリフ」

私を車で神ちゃんの住むマンション前にまで連れてきてくれたはまちゃんはシートベルトを外して笑った。私もシートベルトを外しながら答える。なんではまちゃんが私に感謝の言葉を告げるのかいまいちわからない。救われたのは全部私の方だ。

「いやーもう、料理とか、ほんまに美味かったし」
「いやいやいや、そんなことないって、全然。……まぁ、ありがとう」
「神ちゃんはそういう家事炊事もちゃんとできる男やから!心配せんでもいいよ」
「あ、できるんだ……」

それはむしろ困る。私はお礼のつもりで家事炊事を請け負ったわけだし、その手段が使えないとなると居づらくなってしまわないか不安だった。それに、神ちゃんって挨拶の時からなんだか冷たかったような気がする。

「ねぇ、はまちゃん」
「んー?」
「神ちゃんって人見知り?」
「ん?いや、昔は結構そやったけど今はそうでもないで」
「あ、そうなんだ。……じゃあ、私にだけなのかな?」
「どうしたん?」
「いや、なんでもない」
「えー、気になるやん…」
「いや、ほんと、大したことじゃないし」

そう?とはまちゃんは訝しげに首を傾げた。そうだよと頷いて私はドアノブに手をかける。はまちゃんも同じタイミングでドアを開いた。

「カバン持った?携帯持った?」
「ん、大丈夫。……携帯ごめん」
「あー、ええよ別に」

今私のポケットに入っている携帯は、「ないと不便やろ?」とはまちゃんが買ってくれたものだった。代金の請求は全部はまちゃんに行くらしく受け取れないと断ったのだが、買ってまったんやから受け取ってと渡された。連絡先にははまちゃんとその経由で教えてもらった彼らのものしかない。まともなやり取りははまちゃんとしかやっていないけれど、彼らのファンの人からしたら発狂ものなのだろう。…なくすわけにはいかない。

「まぁ、神ちゃんやでよっぽど大丈夫やと思うけれど、嫌になったらすぐに帰ってきてええから」
「その時に汚いってことのないようにね」
「へっへっへ……任せろ」

はまちゃんは微妙に眉を寄せて曖昧な声音で視線を泳がせる。これは任せられなさそうだ。でもそうやって会える口実ができるのは嬉しいから今は分かったと笑っておく。

「よし、なら行くか」

私はマンションに向かって歩き出す彼の背中を追いかける。無駄に男らしいとこも結構好きだったり。




「じゃあ、よろしく。またね、静久」

そう言ってエレベーターに消えていくはまちゃんを見送って、私は改めて次の家主の方を向く。神山智洋くん、通称神ちゃん。彼の髪色は以前の赤色から茶色に変わっていた。

「えっと、1週間よろしく、神ちゃん」
「よろしく、静久ちゃん」

適当に挨拶を済ませて部屋に入っていく彼についていく。「お邪魔しまーす」と中に入ると本当に綺麗に片付けられており、自分の出番のなさに悲しくなる。何かないかとあたりを見渡すと、「恥ずかしいやん」と照れたように笑われた。

「いや、掃除も洗濯もちゃんとやってあるなって思って…」
「ん?あー、僕はちゃんとやるタイプやなぁ。はまちゃんとこ大変やったやろ?」
「この1週間は私がどうにかしたんだけれど、これからのこと考えると不安だなぁ」
「家事炊事やってたん?」
「うん。お礼…のつもりで」
「なるほど。いいな、そういうの」
「いや、でも、神ちゃんできるみたいだし、他のことで……」
「僕、静久ちゃんのご飯食べてみたいよ?」

まっすぐな瞳で見据えられてどきりとする。彼は3秒ほどじーと私を見つめてからハッとした様子で目をそらした。

「あ、ごめん、なんかいきなり変なこと言って」
「う、ううん、全然。嬉しいし…」

リビングのソファに座るように促されたため腰を下ろすと、神ちゃんはほんまに?と首を傾げる。なんだか動きの一つ一つが可愛く見えた。

「うん。別に料理が上手なわけじゃないけれど……それでもよければ…作るけど……」
「まじ!?めっちゃくちゃ嬉しい!!」

彼は目を細めて笑う。笑うと目がなくなるんだとどうでもいいことに気づいてしまって余計恥ずかしくなる。

「じゃあ…お願いしようかな」
「うん、わかった」
「改めまして、これからよろしく」
「私の方こそ、よろしく」

ぎゅっと握手を交わして私たちは笑い合う。同い年だからだろうか、一瞬で距離が詰まったような気がする。抱いていた不安もとても小さいものとなっており、むしろこれからの生活を考えると少し楽しみになっている自分もおり、1週間前の私に教えてやったらどんな顔をするだろうかとそんなことを思った。