鈍感と緊張

神ちゃんの家にお世話になって6日目。明日の夕方にはもうここを出ているのだと思うと不思議な感覚だ。そんなことをぼんやり考えながら朝食後の皿洗いをしていると、今日はオフだという神ちゃんがひょっこりと顔を出す。

「どうしたの?」
「いや、今日これから予定とかある?」
「んーん。普通にいつも通りご飯作って買い物行ってーって感じだけど」
「OK。じゃあ、今日は出かけよう!」

あっけらかんと言う彼は私が洗った皿を食器乾燥機に次々入れていく。「もしかして急かしてる?」と聞くと、彼は一瞬肩をびくりと震わせて「だってはよ行きたいねんもん」と本音を言ってくれた。

「はいはい。すぐ洗います」
「あーうそうそ、いつも丁寧に洗ってくれてありがとう」
「大丈夫、すねてないから」
「ほんまに?」
「すねてたら投げ出してる」
「あー投げ出しそう……」

すねてこじれた結果、自分自身を投げ出そうとした女なのだ。本当にどうしようもないことがあったら逃げるし投げ出す。人それぞれだろうけれど、私は我慢してもあまりいいことがないみたいだし。

「でも、いきなりお出かけなんてどうしたの?」
「いや、やっぱり行っときたいとこがあってさ」
「ふーん?まぁ、その言い方だと詳細言いたくないみたいだし聞かないけれど……」
「うわー、察しが良くてほんまに助かるわ……」

私の人生の半分が察しだったのだから、そこは任せていただきたい。二人でそんな他愛もない話をしながら食器を一つずつ片付けていく。

皿洗いが終わってからすぐに、ちょっと気合いを入れてメイクをして、はまちゃんに買ってもらったワンピースを取り出す。彼の趣味で買ってもらったため、結構ガーリィな感じだ。服はこれと、動きやすいTシャツスウェットしかない。……いや、あと死のうとした時のスーツがあるのだが、それはカバンの奥で眠っているし、今の所着る予定はない。

「おまたせ」
「ん、いこか」

私を玄関前で待ってくれていた彼は相変わらずオシャレだ。今日はそんな彼の隣に並ぶのかと思うと緊張してしまう。それに……バレないようにうまくやらないと。今更彼がアイドルということを失念していたなんて絶対に言えない。




「来たかったところってここ?」
「せやで」

神ちゃんはこちらを一切振り返らずにハンガーの列をかき分けていく。彼に連れてこられたのは女性もののセレクトショップだった。ここは今着てるワンピースとは正反対なモード系の服を扱っているようだ。店内もモノクロでシックにまとめられており、平日の午前中ということで人は少ない。お陰で神ちゃんものびのびと服を探せるようだ。

「まさかレディースとは思わなかったなぁ。何か贈り物?」
「え、ほんまに言うてる?」

手持ちがない私は服を買えないのだが、こういう店に来るのはやっぱり楽しくて何着か手にとってはコーディネートを考えてみる。何気なく投げかけた質問に神ちゃんがハンガーを動かす音がピタリと止まった。不思議に思いそちらを向くと、彼が目を丸くしながらこちらを見ておりどきりとする。

「え、なに?どうしたの?」
「ほんまのほんまのほんまに言うてる?」
「何が何が?まって、何が引っかかった?」
「贈り物?って部分!」
「え?まさか自分で着るわけじゃ…」
「んなアホな!」

食い気味のツッコミに「だよね」と胸をなでおろす。別にそういう偏見はないのだけれど、ユニセックスならまだしもこんながっつりレディース物を着る趣味をいきなり見せられたらたまったものじゃない。よかった…と呟くと、神ちゃんは呆れたようにため息をこぼした。

「なん、もう、鈍感なん?」
「え?」
「どう考えたって静久ちゃん用やろ?」
「…………へ?」

彼は少し頬を染めて照れ臭そうにそう言った。申し訳がないが、私の中ではどう考えても私用にはならなかった。しかしそう言われると一気に意識してしまって私の顔も熱くなっていく。

「そ、そっか!私用だったんだ…!!ごめん気付かなくって…!!」
「いや、もう全然ええんやけどさ…。気付いてないとは思わんかった」
「申し訳ない…」
「ええよ、ええよ。言ってなかったのは僕の方やし…」

彼は体ごとこちらを向くと、こほんと呼吸を整える。頬を紅潮させたまま真剣な顔で見つめて来るその視線に少し惹かれた。

「改めて。…静久ちゃん、僕が選んだ服を着てください」
「そ、そんなかしこまる!?」
「一旦ここはね」
「あー………よろしく、お願いします?」

こんなところで何してるんだろうと思いながら彼の言葉に答える。すると神ちゃんは目を細めて笑ってくれて、なぜか頭の中で「一目惚れやねん」と言う彼の声が何度も響き渡った。そんなつもりないのに、変に緊張してしまう。その緊張を悟られたくなくて、私は踵を返してバッグが並ぶコーナーに急いだ。

「バッグみるん?」
「え、何でついてくるの!?」
「だって、静久ちゃんをコーディネートするんやで?近くにおるのがベストやろ?」
「そ、それは確かに…」

「そうだけど…」と小さい声でこぼすと、彼は「せやろー?」と頬を緩める。

「っ…!!」

だからその笑顔が心臓に悪いんだって、伝えるのは何だかやるせなくて、私は彼に気付かれないように息をつく。