風のような笑顔
風のような笑顔
久々に町に出た。
普段は畑仕事ばかりで町に出ることはないため、やけに町の雑踏が耳に響く。だけど私よりも千寿郎の方が嬉しそうで、辺りをきょろきょろ見渡しながら町を歩いていた。
「兄上、見てください!」
「ああ、これは何だろう」
「わあ、すごい」
あっちに行きこっちに行き、千寿郎は自由奔放に歩き回るため、私は千寿郎と手を繋ぐことにした。放っておいたら確実に迷子になる。
「コハル姉ちゃん?」
「手、あったかいね」
「うん!」
最初、千寿郎は手を繋いだことに驚いていたが、私が笑いかければ千寿郎もはにかむように笑い、私の手をぎゅっと握り返してきた。
千寿郎は母親の記憶がほとんどない。それから、お父さんが剣を振るっていたころの記憶も。
だからきっと、親と手を繋いでもらった記憶もないのだ。それ故に、私が手を握るといつもこうやってはにかみながら、でも嬉しそうに私の方を見てくるのだ。
「どれ、千寿郎。俺とも手を繋ごう」
「兄上?」
「ほら」
杏寿郎は千寿郎に手を差し出す。千寿郎は少し戸惑ったあと、杏寿郎の手を握った。千寿郎の右手は私の左手に、左手は杏寿郎の右手に繋がれる。
「ふふ」
「なあに、千寿郎?」
「だって、兄上もコハル姉ちゃんも、手、あったかい」
千寿郎は手をぶんぶんと振りながら、軽快な足取りで歩いている。その横顔は年相応の無邪気なもので、私は何だか胸が締め付けられる思いをした。
千寿郎は普段は家に一人きりだ。正確にはおじさんもいるが、おじさんはいつも寝ていて千寿郎の相手をしているとは思えない。唯一の兄弟である杏寿郎は鬼殺隊として一年の殆どを旅しているから、千寿郎は実質一人で暮らしているようなものだ。
「あらあら、睦まじい親子だねえ」
考え事をして歩いていたら、すれ違いざまに野菜売りの御婆さんが言った。
私は反射的に「違います!」と叫ぶように言っていて、杏寿郎はと言えば豪快な笑いを漏らしていた。
「俺とコハルがめおとに見えたようだな」
「め、めおと!? ちょっと杏寿郎、そういう冗談はやめてよ」
「兄上とコハル姉ちゃんは結婚するのですか?」
「違うよ、違う、千寿郎!」
私だけが動揺していた。
千寿郎はなぜだか輝くような目で私を見ていたし、杏寿郎は声を上げて笑い出す始末だ。何がそんなに可笑しいのだろうか。腹が立って私は杏寿郎の頬を思い切り引っ張った。
「痛い、コハル」
「痛くしてるんです」
「離してくれ」
「もうあんな冗談言わないでよ?」
私は杏寿郎の頬を引っ張っていた右手を離す。
私の左手は相変わらず千寿郎の手を握ったままで、杏寿郎もまた、千寿郎と手を繋いだままだった。
私と杏寿郎の間に立たされた千寿郎は、私たちのやり取りを見て、言った。
「兄上とコハル姉ちゃんは仲が良いのですね」
「は? 千寿郎、何言ってるの……」
「ははっ、そうだな、俺とコハルは仲がいいんだぞ?」
否定する私、肯定する杏寿郎、間に挟まれる無邪気な千寿郎。
心底おかしそうに笑う杏寿郎の笑顔は、いつも通りのはずなのに、この時の私にはなぜだか風のような透明感を感じていた。
目に見えない風のような、すがすがしい笑顔に。
170606