父のような笑顔

父のような笑顔



一日中町を歩いても飽きることはなく、だが千寿郎はやはりはしゃぎすぎて陽が暮れるころには眠ってしまっていた。今は杏寿郎の背中に担がれて、すうすうと寝息を立てている。

「ずいぶん楽しかったみたいだね」

「そうだな。俺も偶にしか帰ってやれないからな」

杏寿郎は背中に担いだ千寿郎の方を見て、愛おしそうに目を細めた。まるで母親がするような顔だった。それだけ杏寿郎は、千寿郎を大事に思っているのだろう。

「千寿郎には俺がいるとはいえ、俺よりも可哀そうな立場にいるからな。それでも千寿郎には情熱をもって生きていってほしいと思っている」

いや、母親ではなかった。父親のような笑顔だった。
杏寿郎は千寿郎をそれはもう大事に思っている。それは私もずっとそばで見てきたからわかっていた。
だけど、実際にこの二人がどんなやり取りをしたかと訊かれたら、それは解らない。
杏寿郎と千寿郎はどちらも男なので、男にしかわからないやり取りも存在するのだと思う。そういう点では、私はこの二人の絆のようなものには入れないのだ。元より、本当の兄弟である千寿郎と杏寿郎の間に、私が入り込む隙など無いのかもしれないが。

「コハルには感謝してる」

「え、何急に」

「いや。千寿郎は本当にコハルのことを母親のように思っているからな。千寿郎はコハルの前だと甘えてばかりだ」

「ええ、杏寿郎にだって甘えてるじゃない」

「俺に対するものとコハルに対するものは種類が違う。もしや気づいてなかったか?」

「うっ……そりゃあ、気づいてるけど。でも結局私は本当の兄弟でも母親でもないし」

私は何だか照れ臭くなってしまって月が浮かぶ空を見上げながら答えた。すると杏寿郎も私につられるように夜空を見上げて、言った。

「俺にもコハルのような母親がいたらと思ったことがある」

「え……?」

「いや、大した意味はないが。母上は素晴らしい人だったからな。それでも俺も、時々千寿郎のように誰かに甘えたくなることがあったというだけの話だ」

「え……杏寿郎が?」

俄かに信じがたい話だった。杏寿郎はしっかり者で兄貴肌で、寂しいという素振りも見せたことがなかったからだ。
杏寿郎の横顔を覗き見る。空を見上げた横顔は月明かりに照らされていてもよく見えない。
金色のきれいな髪も瞳も、すぐ隣にいるはずなのによく見えないのだ。

「コハル……?」

「……何?」

「いや。何でもない」

私の視界を曇らせた涙がぼた、ぼたと地面に落ちる。
杏寿郎はそんな私の涙を見て見ぬふりをして、只ひたすらまっすぐ前をみて足を動かしていた。

杏寿郎にはこの涙の理由なんて、解りきっているに違いない。私はどうやったってこの兄弟の空虚を埋めることは出来ないのだ。こんなに近くにいるのに、私は何の役にも立たないのだ。



170606