その瞳はとても眩しくて
高嶺の花だと噂されている女の子と、初めて会話をした日。
それは黄瀬にとって初めての出来事が続いた日だった。
猫を抱きかかえる彼女を家まで送り届けたあと、勇気を振り絞ってメールアドレスを聞き出した。
入学してからは周りに集まる女子から聞かれることが当たり前で、自分から聞くなんて初めてのことだった。
ただアドレスを聞くだけでこんなにドキドキするのか、ということも初めて知り、次からは聞いてきた女の子にはもっと優しくしてあげよう、などと調子のいいことを思ったりもした。
「またね」という彼女の言葉が、こんなにも嬉しいということ。
マンションに入っていく彼女を見送る間、胸がきゅっと苦しくなること。
後ろ姿が見えなくなった瞬間に、早く会いたいと焦がれること。
なにもかもが、初めて出会う感情だった。
ずっと、掠れた風の音が聞こえていた。
冷えた日々の中で聞こえるその音を、忘れさせてくれる存在に、出会えた気がした───。
*
あの日以来、黄瀬は浮かれていた。
つい最近始めたモデルの仕事も順調で、公私ともに順風満帆とはこのことかと、ここ数日の黄瀬は若干周りが引くぐらい上機嫌で過ごしていた。
弾む気持ちを抑えきれなくて、仕事用に買ったスケジュール帳に、ハートマークを描いた。
彼女と出会った日付を囲むように描かれたハートを見て、思わず頬が緩む。
時間や場所が書かれているだけのシンプルなスケジュール帳の中に、ひとつだけ目立つマーク。
気がつくとその手帳と、携帯電話の待ち受けを見てはにやけて、はっとして口もとを手で隠す、というのを繰り返していた。
つい見てしまう携帯電話には、彼女と出会ったきっかけの、猫の写真が待ち受けにされていた。
黄瀬にとっては幸福の黒猫だ。
優衣のメールアドレスも、メールはしないからという理由で最初は断られたのだが、「猫の写真が欲しいから」と言ってなんとか手に入れたのだった。
彼女はアドレスを教えてくれた後も、ズボラだから連絡事項がなければメールはしない、と淡々と話した。
しかし、毎日おはようとおやすみのメールを送れば、無機質ながらも返してくれた。
猫の様子を聞けば言葉多めに教えてくれるし、最後には必ず『ねこ可愛い。』とつく彼女のメールは、黄瀬にとって最高の癒しアイテムになっていた。
(オレ、優衣っちのこと好きなんだなー)
自覚すればするほど彼女への思いが膨らむ。
ふと気付けば毎日、優衣の姿を探し、目で追いかけている自分がいた。
しかし弾む気持ちの中で、少し引きずるような重たい気持ちも持っていた。
学校ではなかなか話せないでいたのだ。
普段見る彼女は、初めて話した日にも目の当たりにさせられた、人を寄せつけない雰囲気をずっと纏っていた。
なんとかそれを壊せないかと話しかけようとしても、スルリと躱されてしまう。
そして彼女は、いつもひとりでいた。
それは目で追うようになってから気付いたことだった。
あんなに好奇心旺盛だと主張する目を持っていて、皆からも注目を浴びているのに、なぜ何にも興味がないような振る舞いをしているのだろうか。
噂と違ってノリよく話すし、なによりあんな笑顔を見せる子なのに、と黄瀬は不思議に思っていた。
(もっと笑顔が見たいんだよなー……)
どうすればもっと彼女のいろんな表情を見ることができるのだろう。
でもこうやってうだうだと考えていても何も変わらない。
そう自分を奮い立たせ、黄瀬は携帯電話を開く。
ポチポチと教師の目を盗んで打ち込んだ内容を確認して、そっと最後のボタンを押した。
(送信完了、と)
*
『ネコに会いたいっす!』
授業中、ポケットに入れていた携帯電話が震えたのに気づき、取り出してみればたった一言だけのメールが届いていた。
先日メールアドレスを交換をした相手からの唐突なメールに、優衣はそっとため息をこぼした。
毎日送られてくる何気ないメールは、短期間のうちに日常に溶け込み、いつしか愛猫を語れる貴重な存在となっていた。
しかし今日一日、学校に来てからというもの、優衣は胸の内にモヤモヤが広がっていくばかりだった。
初めて合ったとき、最初はつい距離を取ろうとしてわざと嫌われるようにと失礼な言葉を選んでしまったのは自覚していた。
「あっ」と声をあげた彼と目があったとき、彼が黄瀬涼太だとすぐに分かったからだ。
常に周りに人が集まっている人物と接触して、もしこれを噂されたら面倒だな、と思わず警戒した優衣は、彼には人のせいにするような嫌な人間として映ればいい、そう思ったのだ。
しかし、なぜか懐かれてしまった。
彼から悪意は感じられなかった。
むしろ優衣の立場にたって言ってくれた彼の言葉は、素直に嬉しかった。
そして、彼もまた、名前で呼び合うことを提案してくれた。
────『名前を呼ぶことは距離を近づけると思わないか?』
いつか赤司が言ったように、名前で呼ぶということは思いの外、ぐっと距離が近くなる感覚があった。
赤司や青峰、そして黄瀬と、彼らに出会ってからの自分は、ちゃんと前に進めているような気がして心が軽くなるのが分かった。
でも、今日になって、彼と関わることに不安を覚えるようになった。
朝から噂されている黄瀬は、きっとさらにたくさんの人が周りに集まることになるだろう。
このまま関わることで、昔のように黒い好奇の目に晒されるのでは、という不安が拭えず、今の状況を心地よく思えなくなった。
中途半端に関わってしまったのがよくなかったのだ、もう彼からのメールはなるべく返信しないようにしよう。
そう決めた矢先のメールで、優衣はため息をこぼしたのだった。
『はい。どうぞ。』
メールには添付ファイルを表すアイコンが付く。
それは今朝撮ったばかりの、愛猫の写真だ。
彼の願望にはこれで応えたことにしてほしい、と思いながら送信する。
しばらくして、また携帯が震えた。
『かわいい!会いたい!』
簡潔に希望だけを伝えるメールに、優衣はやはりか、と溜息をつくしかなかった。
あの日、猫の世話を手伝うと彼は言っていた。
どうやらあの時の、家に行く宣言が実行に移されようとしているらしい。
どうしようかと逡巡するが、一度すれば気が済むかもしれない、と思い返事を打ち込こんだ。
『今日、見に来る?』
送ってから手伝ってもらうことの内容を考えていなかったと気づくが、何なりとあるだろうと携帯を閉じる。
その後、何度か存在を示した携帯は、放課後に昇降口で待ち合わせるという内容を伝えたのを最後に震えなくなった。
放課後、授業中の優衣の様子に気づいていた赤司が、声をかけてきた。
「あまり感心しないな」
「……ですよね。(教室にいるだけでも褒めて欲しいくらいだけど)」
優衣は心のうちでぼやき、「すみません」とだけ言葉にした。
赤司は優しく目を細め、仕方ないな、という風に小さく息をついた。
「今日は部活には来ないのかな」
「あ、うん。家に人が来ることになって」
「そうか」
「今日は帰るね、また明日」
「ああ、また明日」と返す赤司に軽く手を振り、優衣は教室を後にした。
青峰にもマネージャーを勧められて以来、優衣は積極的に見学に行くようになった。
猫の世話もあるため毎日とはいかなかったが、少しでもバスケ部の空気に馴染みたいと思い、何度か赤司とともに体育館に足を運んだ。
そのため、赤司は放課後になると「今日は?」と聞くようになったのだ。
優衣の体調や家のことなどを優先してくれる赤司に甘えながら、マネージャーになるには家のことをどうにかしなければ、と優衣はここのところ思案していた。
そちらの方が、悩んでいる時間が長かったからだろう。
優衣は朝から抱いていた不安を、うっかり忘れてしまっていた。
昇降口へと近づくにつれ、大きくなる黄色い声。
優衣はその光景を見て、
(ああ、そうだった)
と、思い出した。
そこには朝から女子の間で噂になっていた人物。
いつもより一層キラキラさせている、“モデル”の肩書きをつけた黄瀬だった。
彼を囲む女子の群れは、彼が載っていた雑誌の話で大いに盛り上がっていた。
「黄瀬くん!雑誌みたよ!」
「黄瀬くんがモデルとか似合うよねー!」
「雑誌もかっこよかったけど、でもやっぱり生の方がかっこいいー!」
数々の黄色い声を浴びながら笑顔を振りまく彼の横顔を見て、優衣は目を伏せた。
鞄から携帯電話を取り出すと、メールを打ちながら靴を履き替える。
『先に出とくね。』
パタン、と携帯電話を閉じて一息つく。
群れを避けながら昇降口を出ると、すぐに呼び止められた。
「優衣っち!なんで先に出たんスか?」
優衣は呆れた様子を隠すことなく表情に出して答えた。
「私はお邪魔になるかなって思って」
すると黄瀬の表情は不機嫌なものになり、先ほどよりも低い声が響いた。
「……なんで?」
「みんなもっと涼くんと話したいだろうし」
「だからって、なんでそんなこと思ったんスか?」
「思うのは勝手でしょー」
なぜこの男は周りの視線に気づかないのか、と優衣はため息を零すとひとり歩き出した。
周りに視線を流せば、女子達があからさまに自分に敵意を向けているのが分かる。
邪魔だと言わんばかりの無言の重圧が、優衣を足早にさせる。
「邪魔じゃないっスよ!オレは優衣っちと話しがしたいんス!」
「いいよ、私にファンサービスしなくても。家覚えてる?私、先に帰ってるから」
歩く足を止めることなく振り返り、黄瀬を一瞥すると優衣はすぐに背を向けた。
しかし黄瀬はそんな優衣の腕を掴み、「待って」と引き止めた。
振り返ると、熱を帯びたような、強い眼差しを向けられていた。
「優衣っちは、オレのファンなんスか?」
「……失礼かもだけど、違うね」
「じゃあ、話してたってファンサービスにはなんないっスよね」
「んー……そうなるねぇ」
「それにオレも、優衣っちにファンサービスなんかしたくないんスよね」
眉をひそめながら黄瀬はそう言い放った。
苦しそうな彼と視線がぶつかり、優衣は目の色を失わせた。
“見た”ら分かる、彼が本気でそう述べたのだと。
「残念。ファンじゃないから黄瀬クンに嫌われちゃったねー」
おどけるように告げて、彼の手からするりと離れると、踵を返した。
やはり人と関わるのは面倒だ、それが最初に浮かんだ感情だった。
重たくなった足を動かし、前に進む。
しかしすぐ、身体が何かに引き寄せられるように、後ろに動かされた。
───それは、一瞬の出来事だった。
力強く引き寄せられ、振り返った、その瞬間。
(彼の手が、わたしを引き寄せたのか)
頭の片隅で、まるで他人事のように呟く自分がいた。
逸らすことができない、力強く光を放つ、彼の黄色い瞳。
それは、心のどこかで憧れを抱いていた瞳なのだと、ゆっくりと落ちてくる感覚。
優衣は茫然としたまま、彼の言葉を全身で受け止めた。
「違う。オレは優衣っちが好きだから、そんなことしたくない」
その 瞳 は とても 眩 しくて
───あの時のわたしには眩しすぎた、君の輝く黄色い瞳。
ずっと、変わらず、いつだって、
まっすぐに、わたしを見ていてくれたんだね。
−−−−−−−−−−−−−−−
乙女モード全開の黄瀬氏
2018/05/07(2013.01.10)
(
Clap!)
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