君だけを見つめる
たった一瞬見えたもの。
それは眩しいくらい強い光を放つ、黄色い瞳。
いつも笑顔でいる彼とは違う、真剣な表情。
今、身体で感じてわかるもの。
それは背中に回された手から伝わる、小さな震え。
そして、
耳元で鳴り響く、駆け抜けるような胸の鼓動。
───『違う。オレは優衣っちが好きだから、そんなことしたくない』
(……ああ、そっか)
だからファンサービスはしたくないと言ったのか。
なんて他人事のように思う自分と、今は違うだろうと突っ込む自分がいることに、優衣はひとり苦笑した。
「苦しいよ」
そっと零すように伝えると、彼は慌てた様子で優衣の肩を掴んで引き剥がした。
顔を上げると、強張った表情の彼と目が合う。
すると、途端に頬を赤らめ、黄瀬は顔を隠すように勢いよくしゃがみ込んだ。
その姿を見てようやく状況を把握した優衣は、瞬時に周りに意識を向けた。
さすがは校内で日々噂されているふたりだ。
昇降口から離れてはいるが、校門も出ていないのでそれなりの人数から注目を浴びていた。
しかしふたりのただならぬ雰囲気を察してか、どのか生徒もふたりを中心に距離をとっており、どうやら会話までは聞き取れていないようだった。
「……わかった。とりあえず、今日はやめよう」
優衣は静かにそう言うと、しゃがむ黄瀬の肩に手を乗せる。
しかし黄瀬が動く様子はなく、それは大きな独り言のようになった。
(これは……どうしよう)
小さく息をつき、優衣は控えめに彼の名を呼んだ。
「……リョウ」
優衣の声に、黄瀬はぱっと顔を上げる。
「やっと顔上げた」
驚いた表情を見せる黄瀬と目を合わせ、優衣はなるべく穏やかに、優しい口調で言葉を紡いだ。
「お世話、手伝うって言ってくれてたね」
「……言ったけど」
「でもそれは約束したわけじゃないから」
「……?」
これはこの後のことを想定して、念のため、と思って出てきた言葉だった。
黄瀬は小首を傾げるだけで何も言わず、続きを促すように瞬きをした。
すうっと息を吸うと、優衣は子どもに優しく言い聞かせるように、落ち着いた声で話した。
「だから、約束破ることになるとか、気負わなくていいから。気にしなくて、いいからね」
「それって……」
「気まずい雰囲気でお手伝いとか、イヤじゃない?」
黄瀬は気付いただろう。
言外に断りを告げられたことを。
優衣はなんて言おうかと逡巡した結果、そう言うしかなかった。
いつもなら直球で一言、「ごめんなさい」と言って終わるのだが、黄瀬にはそれが出来なかった。
彼の思いを無下にしたくなくて、彼を傷つけたくないという思いが振り払えず、初めて遠回しに断りを述べた。
言葉の意味がわかったのだろう。
黄瀬は一瞬眉をひそめると、苦しそうな表情で立ち上がった。
「そんなこと……気まずい雰囲気なんか作らないんで!お手伝いしに行くっス!」
「無理しなくていいって」
「ムリなんてしてないスよ。それに、“男に二言はない”って言うじゃないっスか!」
「……それ、約束した時に使うもんだと思うけど」
「そもそも約束したじゃないスか」
「だから約束はしてないよ」
「したっス!じゃなくてもオレは行きたいんスよ!」
「えー……それもうワガママだよ?」
途端に始まった言い合いの末、優衣は呆れ顔を浮かべた。
釘を打ったつもりだったのだが、それを物ともしない切り返しに思わずため息をつく。
「『自分に正直に』ってのが、オレの座右の銘なんスよね」
なぜか勝ち誇ったような言い方をされ、優衣は言葉を失った。
恋愛感情があるないの話ではなく、彼のルールを持ち出されたら反論などする気にはならない。
ならば、と黄瀬を見上げる。
優衣も『自分に正直に』、思いを言葉をした。
「……気持ちには、応えられないよ?」
「思うのは勝手なんで」
しかし間髪入れず彼はそう言い放ち、したり顔を浮かばせた。
『思うのは勝手でしょー』と最初に言ったのは優衣だ。
自分もそれを使った手前、何も返せず言葉に詰まった。
黄瀬は満足気に笑い、
「じゃあ、早く行くっスよ!」
と、笑顔で言うと、優衣の手をとって歩き出した。
*
優衣と出会ってから新しく知ることばかりの黄瀬だったが、優衣の家に足を踏み入れてからも、初めて知ることと驚きの連続だった。
まず、優衣が新築の高級マンションでひとり暮らしをしていた、ということ。
玄関を上がってまっすぐ続く長い廊下と、そこに並ぶ扉の数を見た黄瀬は、無意識に「広いっスねー」とぽつりと零していた。
そして先を歩いていた優衣が消えていった部屋、廊下の突き当たりにあるリビングダイニングルームに続いて入ると、「わあっ」と声をあげた。
そこは白を基調としたスタイリッシュな家具が置かれ、吹き抜けが広さを強調する開放的な空間だった。
しかしその部屋はきれいすぎて、あまり生活感がないな、と足を止めると「ひとりには広すぎるよー」と言う声が聞こえてきたのだ。
「……あれ?ひとり暮らしスか?」
「うん」
「お医者さんだって言ってたお父さんは……」
「京都にいるよー」
「えっ、遠いじゃないっスか!」
「あ、でももうひとりじゃなかった」
そう言って彼女がリビング横にある引き戸を開け放つと、賑やかな洋室が現れた。
「あっ!」
「こちら、同居人です」
微笑みながら優衣が紹介したのは、黄瀬と優衣が出会うきっかけとなったあの黒猫だった。
大きなゲージの中で所狭しと動き回る猫と、「ただいまー」と優しい声で話しかける優衣を見て、黄瀬は頬を緩めた。
ここは猫用として使われているのだろう。
洋室の床に散らばった猫用のおもちゃが、彼女が猫中心の生活を送っているのだと窺わせる。
「そういえば、まだ名前決まってないって言ってたっスけど……」
「ああ……もうね、クロでいいかなーって」
「へ?」
「とりあえず仮の名前で呼んでたの」
次に驚いたのは、黄瀬が幸福の黒猫と愛でていた猫が、安易に『クロ』と名付けられようとしていたことだった。
黄瀬はメールで何度か名前を聞いたが、その都度『まだ決まってない』と言われていた。
その裏では仮の名前として『クロ』と呼ばれていたらしいことに、黄瀬は慌てて言葉を濁しながらそれを止めようとした。
「それなら、オレも一緒に考えるっスよ!ね、だから他のにしないっスか!?」
「そう?じゃあもうちょっと考えようかなー。とりあえず今は、クロね」
「名前ないと困るしねぇ」と呑気に言い放つ彼女に黄瀬は苦笑した。
仮にも自分にとって幸福の猫なのに、と黄瀬はその名があまりにも安直すぎることを心の中で嘆く。
(優衣っち……さすがにそれはセンスってやつが……)
そしてそのクロには、半月も経っていないのに一回りも大きくなっていたことに驚かされた。
木から降りられず優衣に助けられたあの子猫が、今はぴょんぴょんと部屋中の棚から棚へと動き回っている。
そんなクロとしばらく遊んでいた黄瀬は、ふとクロからいい香りがすることに気がついた。
「ネコっていい匂いするんスね」
「あーどうだろう。クロは一回お風呂にいれたからかなー」
「え、ネコって水とか大丈夫なんスか?」
「雨の日でもネコバスは走るよー」
「え?え?」
彼女は思っていた以上に、会話が雑だということも知った。
その後も、クロはキャットタワーに登ったり降りたり、ねずみ型のボールを投げたら全力で突進したりととても活発で、黄瀬はクロと広いリビングと洋室を行ったり来たりして遊びまわった。
「───お世話してくれてありがとう」
その声でひと息つくと、いつの間にか窓からは優しい西陽が差し込んでいた。
「オレなにもしてないっスよ!」
「え?クロと遊んでくれたじゃん」
「いや、遊んでただけで……」
「遊び相手するのだって、お世話のひとつだよー」
ダイニングテーブルの横に立つ優衣はそう言うと椅子を引いて、そこに座れと言うように手で促す。
その仕草を見て立ち上がり、テーブルに目を向けた黄瀬は目を丸くした。
何よりも驚いたのは、お世話してくれたお礼だと言って、テーブルにはたくさんの食事が用意されていたことだった。
並ぶ手料理のなかにオニオングラタンスープを見つけ、それには驚きを超えて心を奪われた。
家に着くまでの間、何気なく会話のなかで伝えた黄瀬の好物だった。
黄瀬は抱きついてしまいたい衝動に駆られたがなんとか自制して、携帯電話を取り出すと、数々の手料理を写真に収めた。
「レンジ使って短縮しちゃったから美味しいかは分んないけど……」
「めちゃくちゃ美味しいっス……!!」
彼女が作った料理はどれも美味しくて、綺麗に食べきった黄瀬はソファに腰掛け余韻に浸っていた。
「こちらもどうぞ」と言って出された紅茶も美味しく、黄瀬は一緒にソファで寛ぐクロを撫でながら、穏やかな時間を過ごしていた。
自分でもまだ言うつもりのなかった告白は、遠回しではあったがあっさりと断られた。
言ってしまったと自覚した直後、恥ずかしさのあまり取り乱した記憶がさらに恥ずかしくて、黄瀬の中にいたたまれない思いがこみ上げてくる。
けれど、彼女は変わらない態度で自分と接してくれている。
振られようと、もう話したくないと言われようと、好きな気持ちをもう抑えるつもりはなかった。
そう思っていたが、やはり拒絶されなかったことはとても嬉しかった。
傍にいてもいいと言葉にして言われたわけではないが、それを許してくれた。
好きだと伝え続ければ、もしかしたら振り向いてくれるかもしれない。
そう思って黄瀬は自分自身を鼓舞していた。
しかし彼女は、言葉ひとつで黄瀬の心を落ち込ませる。
「クロ、涼くんになついてるねー」
洗い物を終わらせた優衣がソファを覗き込み、そう言うとクロを挟んで黄瀬の反対側に腰かけた。
黄瀬はその言葉に一瞬で目の前が暗くなった気がした。
隣で寝転がるクロを撫でようと伸ばされた、彼女の手が視界に入る。
黄瀬はとっさにその手を掴んで、優衣の視線を絡め取る。
「優衣っち。名前、さっきみたいに呼んでほしいっス」
呼び方が戻ったことに気付き、やるせなさが募った。
なかったことのようにされた気がしたのだ。
もしかしたら、彼女の態度はそういう意味だったのか、とまで勘ぐってしまう。
必死な物言いがそうさせたのだろうか、優衣の顔は少し困惑したような表情を浮かべている。
(違う、そんな顔させたいわけじゃない)
自分の発言に後悔と情けなさを感じ、黄瀬は目をそらした。
「嫌だったら、ムリにとは言わないけど……」
そう言ってゆっくりと手を放し、温度のない空気に触れた瞬間。
「向き合うことは、大切だって言われたから……」
指先に触れる、僅かな温もり。
ぱっと顔を上げて彼女を見る。
ぶつかる視線は力強く、でもそこに拒絶はなかった。
その目を見て、思わず息を呑む。
あの小さく輝く光を宿す目が、今はまっすぐに黄瀬を見つめていた。
「好きって言ってもらって、嬉しかったのは初めてだったんだよ」
「……え?」
「“私”じゃない“私”を好きだという言葉しか、聞いたことがなかったから」
「どういう、ことっスか……?」
「なんとなくだけどね、君は“私”を好きだと言ってくれたって分かったから、嬉しかったの」
切なそうに笑う彼女の顔は、初めて見るものだった。
告げる言葉の意味は、宙をつかむようなもので。
だけどぼんやりと心の中では、その言葉を理解していた。
“上辺だけしか見られていない”。
黄瀬自身もそう思うことは多く、それは黄瀬の中で蓋をしている感情だった。
「応えられるかはやっぱりわからないけど、君という人を信じてみたいって思うよ」
目の前には、穏やかな声色で、ふわりと笑う彼女がいた。
───大丈夫だよ、と伝えたかった。
君を裏切ったりはしないと。
君を、笑顔にしたいだけなんだと。
「とりあえず、友達になりたい、リョウと」
「モチロン!もう親友っスよ!」
「女子じゃないんだから、簡単にそんなこと言うのはやめよっか……」
呆れた顔で、でもその中で小さく微笑みを浮かべる彼女に、黄瀬は優しく笑い返した。
(オレはずっと、)
君 だ け を 見 つ め る
───ねぇ、
オレはいつか
小さな輝きを放つ、君のその目を
もっと光でいっぱいにしたいんだ────。
−−−−−−−−−−−−−−−
ヒロインの家広すぎ問題
2018/05/13(2013.01.10)
(
Clap!)
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