胸走り火に焼ける心




中間テストの結果が張り出され、とある教室ではどのクラスよりもその話題で持ちきりになっていた。
各教科の上位二十名だけが張り出される順位表の一位と二位を、そのクラスに在籍するふたりが独占したからだった。

そのふたりは教室の一番後ろ、窓側の席に横並びに座り、涼しげな顔をして本を読んでいる。
手に持つものは、かたやバスケットボール解説書、かたや詰め将棋問題集。
試験期間中もずっと平然とした態度で過ごしていた彼らに、クラスメートたちは感嘆の声を上げた。

「すげーな、赤司。オール満点で総合一位だって」
「白藤も総合二点差で二位だろ?ほぼ満点じゃん、すげーよ」
「可愛くて頭も良いって、ますます高嶺の花って感じだよなー……」

そんな周りのざわめきを気にすることなく、彼らは目の前の本に集中している。
たが、実際には優衣の表情はいつもより僅かに曇っていた。











その理由は、遡ること二週間───。

中間試験を次週に控え、バスケットボール部は他の部と同様に、試験期間前の部活動が休止となった。
部活がなくなったことにより見学もなくなった優衣はこの日、いつものようにひとりで帰宅するつもりだった。

終礼が終わった教室で帰る支度をしていたら、ふと視線を感じて隣の席に目を向けた。
すると、赤い目をした彼と目が合ってしまった。

「せっかくのオフだ、一緒に帰ろう」

そう言った赤司に、

(“せっかく”のオフならもっと有意義な時間にあてたらいいのにー……)

なんて思いながらも「わかった」とだけ返して、ふたりは一緒に教室を出た。

たしかに帰り道は同じ方向どころか優衣の家まで同じ道なのだから、一緒に帰ってもおかしくはない。
しかし彼にとっては試験前とはいえ貴重なオフだろうし、優衣としても好ましいタイミングではなく、色々な意味であまり気が進まなかった。

そして、廊下を歩いていると周りの反応が視界に入り、優衣はすぐに後悔した。

少し前に黄瀬と付き合っていると噂になった優衣は、「次は赤司くん?」「えーっ、二股ってやつ?」などとそしるような言葉を向けられていた。
これは確実に隣を歩く彼にも聞こえているだろう。
優衣はため息を零し、横目で赤司を見た。

「ねえ、たぶん一緒にいない方がいいと思うんだけど」
「それで最近、見学にも来ていなかったのか」
「分かってたくせに……」

優雅に歩く彼は、「そうだな」と零すと小さく微笑む。

「昨日も別々に行こうとしていたから、避けられているのは分かっていたよ」
「やっぱり体育館前で一緒になったの、わざとだったんだ」

昨日、というのは、三日ぶりに見学に行った日だった。
朝のうちに行くことを伝え、終礼が終わると足早に教室を出て先に体育館へと向かったにも関わらず、いつの間にか追いついた彼に呼び止められた。
お互いに何でもない素振りをしていたが、紫原が来なければ、きっとそこでこの話になっていたのだろう。

「オレのことを気遣ってくれているのかな」
「んー、気遣ってるっていうか……面倒じゃない?噂に巻き込まれるの」

優衣がため息混じりにそう言うと、隣を歩いていた赤司はぴたりと足を止めた。



「所詮、噂は噂だ。真実かどうかも分からないものを語る口に興味はないな」

いつも穏やかな彼が、珍しく少し強い口調で言葉を放った。

優衣と目を合わせていたが、彼のその口ぶりは周囲にいる人間に言い聞かせるようなものだった。
事実、彼は大きい声を出したわけでもないのにその声は遠くまで通るような声色で、周りにいた生徒はみな閉口した。



静けさだけが残ったその空間で、赤司だけが穏やかな微笑みを浮かべていた。

「オレは常に正しいことを選択している。優衣、お前のそばにいることもそうだ」

「友人の隣を歩いてはいけないのか?」と目を細める彼に、「ダメじゃないけど……」とぽそりと返す。
優衣は赤らむ頬を隠そうと、そそくさとその場から離れるように歩き出した。

(よくもまあそんな恥ずかしことを……)

赤司は優衣のことをよく知る人物ではあるが、だからといって優衣の肩を持つようなことをわざわざ人前で言うとは思ってもみないことだった。
これは“嬉しい”ことなのか、それともただ“恥ずかしい”だけなのか、自分の感情に自信が持てない優衣は熱を持つ頬の意味を思いあぐねていた。

すると後ろから、愉快そうな声が聞こえた。

「そう難しく考えるな」
「…………君はなんでも分かるんだね」

足を止め、じろりと見るように振り返ると、少しばかり口の端を上げる赤司と視線がぶつかった。

「それとも、オレに離れて欲しかったのかな」
「ズルい言い方……」

いつかは心の中で呟いた言葉を、今日は溜め込むことなくため息と一緒に吐き出した。

その様子を横目で見ながら、彼は颯爽と優衣を追い抜き歩いていく。
彼の後ろ姿はどこか楽しそうで、きっと先ほどよりもその顔は笑っているのだろうと感じながら、優衣は赤司の後を追いかけた。

ふと、先ほどよりも自分の足取りが軽いことに気づいた。

憂鬱な気分に引きずられていたのに、彼の一言でそんなものは簡単に払拭されていた。
やはり嬉しかったのだ、と、胸の中ですとんと落ちた。

昇降口までたどり着く間も囁き声は聞こえたのだが、優衣はもう気にすることはなかった。





「一緒に帰るのは久しぶりだな」

学校を出てしばらく歩いたところで、赤司は徐に口を開いた。
優しい声でそう言った彼を見て、あれ、と優衣は首をひねった。

普段、部活の見学は全体練習までで、自主練習は見ずに帰っていた。
だから赤司と一緒に帰るのは、思い返せば最初の見学の日以来のことだった。

しかし、いつも隣の席にいるからだろうか、久しぶりという言葉に違和感があった。
休憩時間などにたわいのない話を少しするだけなのに、日常に彼がいるのが当たり前のようになっている。
けれど実際にはゆっくり話すことは滅多になかったんだな、と今更ながらに気づく。

「そういえば、そうだったねぇ……」

「そっかー」と呟く横で、目をそばめて優衣の様子を見ていた赤司がそっと口を開いた。

「……そろそろ、マネージャーになる覚悟は出来たかな」
「それねぇ……(やっぱりそれか……)」

一緒に帰ろうと言われたとき、優衣はこの話題になるだろうと予測していた。
少しでもバスケ部の空気に馴染みたい、そう思って見学に行っていたのだから、もちろん前向きに考えていた。
しかし、二階から見ているというその距離感が、優衣の心情を表していた。
どうしても大勢の人と関わることが怖くて、なかなか一歩が踏み出せなかった。

そしてもうひとつ、優衣を足踏みさせる理由があった。

「オレとしては是非マネージャーになって欲しいところだが、優衣はひとり暮らしだからね」
「え?」
「あまり無理も出来ないだろうから、もしマネージャーになる気が少しでもあるのなら、オレから監督やキャプテンに優遇措置を取ってもらえるように進言することも出来る」
「そんな……」

突然の提案に優衣は目を丸くした。
優衣が躊躇っているもうひとつの理由は、まさにそれだったのだ。

彼はここまで考えていたのか。
いや、きっと分かっていて見学をさせていたのかもしれない。
本格的に部活に参加することになった時のことを考えて、学業と部活と家事とを優衣が両立できるように、そのための様子見のつもりで見学をさせていたのだろう。

(そこまで拘るのか……)

彼が傍にいさせようとしていることは確かなのだと思い知る。
そして優衣自身も、彼らの傍にいたいと思うから、前に進もうとしていた。

「実は、そのことなんだけど……」

優衣はここ数日、マネージャーになるために時間の使い方を試行錯誤していた。
それは家を出てから一度も連絡をしていない、父親との約束があったからだった。











優衣が仕事人間と呼ぶ父親は、一人娘の優衣にも興味がないような人だった。
母親がいなくなってからは話すこともほぼなくなり、使用人たちに世話をしてもらい育てられた優衣にとって、父親と過ごす家は居心地のいい居場所だとは言えなかった。
躍起になって家事なども自分でこなすようになったため、使用人たちも優衣のことには手を出さなくなり、学校でも家でも孤独を強く感じるようになっていった。

───最初から誰もいなければ、孤独だなんて思うことはない。

家庭内のいざこざが筒抜けになっている地元にも、大好きだった母親がいない家にも未練はなく、優衣は東京の学校に進学することをあっさりと決めた。

優衣の父親は「ひとりで生活など出来るものか」と鼻で笑った。
許しもしないが反対もせず話を流した父親に落胆しながら、優衣は黙々と進学の準備を進めた。
すると、父親はいくつかの条件を守れるならひとり暮らしを認めてもいいと言い出した。

『学業を疎かにしない、試験は常に五位以内でいること』
『長期休暇には京都に帰ってくること』
『定期的に使用人に様子を見に行かせるから、その時は必ず部屋を見せること』
『家事も全てひとりでこなすこと、泣き言は言わない』

これらの条件が守れなかった場合はすぐ京都に戻す、という父親の言葉に、優衣は「約束する」と首を縦に振ったのだった───。





「なるほどね。それも踏み切れない理由ということか」

前を見据えたままの赤司が小さく頷く。
その横顔を見ながら、優衣はため息混じりに言葉を続けた。

「使用人が見にくるのも抜き打ちだから、気が抜けなくてねぇ……」

ひとり暮らしに慣れてきたな、というタイミングで猫を飼い始め、部活の見学にも行くようになり、正直いまの生活は優衣にとってギリギリだった。

「お父さん、最初は使用人をひとり連れて行けって条件出してて……わたしそれ、断っちゃったの。そんなのなくてもできるって言っちゃって」
「今さら言えない……ということかな」
「まあ、そういうことですね」

監視目的だろうと思い突っぱねた結果、ならばと最後の条件が追加されてしまったのだ。
今になって使用人がいればと後悔しても時すでに遅し。
あの時の優衣には、傍にいたいと思える人たちに出会えるなんて思いもしないことだったのだから仕方がないが、父親に助けを求めることもできず、優衣は自分ひとりでこなして行くしかないのだと腹を括るしかなかった。

赤司が『覚悟は出来たか』と言ったが、そんな大層なと思う反面、実際にこれからのことを考えると、その覚悟というものは必要不可欠なものだった。

「自分でなんとかするしかないし、まあそのうち慣れるかなって」

しかしこうして結論を口にすると、自分の浅はかさに苦笑せずにはいられなかった。
「でも迷惑かけたくはないからなー……」と、結局うじうじと悩んでいることも吐露すると、静かに話を聞いていた赤司が口を開いた。

「提案があるんだが」
「さっきの優遇措置ってやつ?それはありがたいんだけどねー」
「ああ、それは最終手段にしよう。優衣のことだから、中途半端に関わるのはいやだろう?」
「よくお分かりで。そりゃあ、やるならちゃんとしたいしねぇ」
「それなら、使用人を雇う方がいい、ということだな?」
「そうだけど……え?なに?」
「いや、そういうことならオレの家から使用人を紹介することもできると思ってね」
「……は?」

さも当たり前のように提案してきた彼に向かって、優衣は思わず頓狂な声を上げた。

「いやいや、それはダメでしょう」

すぐ冷静になってその提案を止めるが、なぜか彼はさらに突拍子もないことを言い出し優衣を困惑させた。

「家事はひとりで、という約束を違えることになるのなら、オレから優衣の父親に話をつけよう」
「え、いや、そこまでしなくていいから。それなら自分で連絡するって」
「しかしそれで『泣き言をいったから』と京都に連れ戻されては元も子もない。やはりオレが……」
「いや待って!そこはわたしなんとかするし、ちょっと落ち着こう、征、ね?」

矢継ぎ早に提言しては事を進めようとする赤司をなんとか制して、優衣はひとり頭を抱えた。

(なんかこれ、よくない流れになってるよね……?)

赤司を見れば、ニヤリと口元を歪めている。

「そうか、と引き下がっては面白くないな。優衣、勝負をしようか」
「ナンデショウ……(面白くないとはなんだ、面白がってわたしで遊ぶなっ)」

きっと心の声はだだ漏れになっていただろう。
それでも一応、優衣は顔を引きつらせながらも本音がこぼれないように耐えて答えた。

「オレとしては、優衣に心苦しい思いをさせたくはない。だからオレの方で全て対処しよう、というのがオレの意見だ」
「……ふーん。(さっき面白くないって……)」
「そう睨むな」

笑いを噛み殺したような表情で赤司はそう言うが、優衣からしてみれば面白いわけがなく、むっとした顔で口を尖らせることでその感情をあらわにする。
だが、そんな抗議は彼に届くはずもなく、目を細めて彼は続ける。

「優衣としては、嫌ではあるが自ら助けを求めるほうがいい。 オレたちの意見は分かれた。それなら、次の試験で上位を取った方の意見に従う、というのはどうだろう?」

軽く首を傾げて、彼はそんな勝負を持ち掛けてきた。











結局、試験結果を発表されたその日、赤司は優衣の実家の電話番号だけを確認すると、

「優衣はなにも気にすることはない。そうだな、学園祭が終わったら正式に入部する心づもりでいてくれたらいいよ」

そう優しく言って、優衣の頭をそっと撫でて帰っていった。
後日、「これから週三日、彼女が来てくれることになった」と赤司が連れてきたのは赤司家に長く仕えているという女性だった。
父親からも家を出てから初めての電話があり、「部活をするそうだな。赤司くんを支えてやりなさい」とよく分からないことを言われて、優衣はこの一連の流れに大いに戸惑った。

「ねえ、なんでここまでするの?」

困惑する優衣は赤司にそう聞くのを止められなかった。
しかし彼はその問いには答えず、反対に優衣に問いかけてきた。

「覚えているか?」
「……なにを?」
「前に家でも言ったんだが……教室で初めて話した時のことだ」

彼は目を伏せ、緩やかに微笑むと、声を落として言葉を紡いだ。

「初めて会ったとき、優衣は“わざと”見ないようにしただろう?」
「あー……」




「オレと初めて目を合わせた時、白藤は途中から色のない目をしたな」
「やだなぁ、そんな死んだ魚の目みたいな言い方……」
「あれはわざと、だろう?」




そういえば初めて家に来た時にも、そんなことを言われたな、と思い返す。
それはあまり触れて欲しくない記憶だ、と優衣は曖昧に返事をした。
しかし彼の言葉は、そんな優衣を掴んで離さない。

「優衣は最初からオレに興味を持ってくれていたのだと、オレはそう判断したんだが?」
「……どうだったかなー」

視線を明日の方に向けてごまかそうとしても、彼に通用するはずもなく。

「優衣」
「……なに」

あの時のような、真っ直ぐと射抜くような赤い双眸で、彼は言い放った。








「オレから離れられるなんて、思わないことだな」












胸 走 り 火 に け る












ざわざわと騒ぎ出す胸のなか。
熱を持ってその存在がわたしに伝える。

君はこの言葉を、ずっとわたしの心に残していたんだ。





それはまるで
消えない火傷の跡のように──────。







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グイグイ攻める赤司さん
謎の力で外堀を埋めていく赤司さん
2018/06/14

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