青葉の風が囁く帰路で




「新しいマネージャーだ」

体育館に集まった部員の前で主将がそう紹介すると、その場は一瞬でどよめきが起こった。
紹介された彼女は端的に名前だけをを述べると、すっと頭を下げた。
気軽に声をかける者もいれば、「高嶺の花って噂の……」と思慕するように呟く者もいる。

その中でひとり、緑間だけが顔を歪ませていた。

周りと色の違う表情を隠すように、彼はそっとメガネに触れるが、その指の隙間から覗く視線は鋭い。
下げていた頭をゆっくりと戻した彼女と目が合った瞬間、消し去ろうとしていた一ヶ月ほど前の記憶が鮮明に蘇り、緑間の心はえも言われぬ感情に包まれた。

マネージャーとして入ってきたのは、以前街で緑間を振り回した人物、白藤優衣だった。

得体の知れない人物だが、あれが自由な人間だということは分かる。
あの飄々とした態度で、周りの人間をいつも振り回して生きてきたのだろう。
そんな印象を持つ緑間は、彼女に人のサポートが出来るなんて到底思えなかった。

それに、バスケの知識など持っていそうにないのに、いきなり一軍のマネージャーが務まるのだろうかという懸念もあった。
一軍のマネージャーは、主に経験者や知識のあるものがなるというのが決まり切っているようなものだったからだ。
全国クラスの帝光中バスケ部のレギュラーを支えるとなれば、それなりの知識を兼ね備えていなければ務まらないだろう。

桃井から説明を受けている彼女をしばし見つめていると、緑間のその様子に気付いた赤司が声をかけた。

「緑間、どうかしたか?」
「いや……」

緑間はなんでもないと伝えようとしたが、はたと気付く。
元々連れてきたのは赤司だ。
ならば知っているのではないか、とその懸念を彼にぶつけた。

「白藤はバスケの経験があるのか?」
「いや、経験者ではないよ」
「ではなぜ、一軍のマネージャーなんかに……無知ならば三軍のマネージャーをさせればいいのだよ」

優衣に振り回された経験のある緑間は、あからさまに嫌悪感を露わにした。
そうとは知らない赤司は緑間の様子に一瞬瞠目したが、いつもと変わらない声色でその問いに答えた。

「オレがそうするように言ったんだ」

その言葉に次は緑間が目を見張らせた。
普段と変わらない表情ではあるが、どうやら彼女に入れ込んでいる様子の赤司に眉を顰める。

「それに、彼女も彼女なりに努力しているからね。見学の期間に知識は入れているよ」
「しかし……」
「仮に無知だろうと、彼女ほどオレ達に必要な存在はないと思うがな」

緑間がどうにか苦言を呈しておこうと口を開くが、赤司はそれを制するように遮って話を続ける。
少しだけいつもより強い口調で述べた赤司に目を向けると、彼の口元は小さく弧を描いていた。

「……どういう意味なのだよ」
「そのままの意味だ。緑間なら、すぐに分かるだろうね」

その言葉は、その後の練習中に緑間の意識をしっかりと優衣へ向けさせることとなった。






全体練習が終わり、黙々と自主練習をしていた緑間は、ふいに手を止めると深く息をついた。
練習中、赤司の言葉のせいでいやでも優衣へと視線がいってしまった。
色めきだつ周りと自分はさして変わらないような気がして、その溜息はためらう事なく出てきた。

「しあわせが逃げちゃうよー」

突然、あの独特な間延びした声が近くで響いた。
もう一度出そうになった溜息を飲み込み、声の主を一瞥する。

「自主練おわり?なら、タオルどうぞ」

相変わらずの無表情を携え、彼女はタオルを差し出してきた。
視界の端に現れたそれを受け取ると、「お疲れさま」と優しい声で労いの言葉をかけられた。

彼女はいつも無表情だが、彼女の声は心地よい透明感のある声で、その声色を優しいものに変えて労わってもらうのは悪くないものだと感じた。
気付けば、緑間は優衣に声をかけていた。

「やっていけそうか?」
「へぇ……気にかけてくれるんだねぇ」

優衣の声のトーンが僅かに上がったことに気付き、緑間は彼女に視線を向けた。
思い掛けず出てきた発言に彼女も驚いたらしい。
珍しく無表情を崩し、その顔は意外だと言わんばかりの表情を浮かべている。

「……バスケの経験などないのだろう」
「そうだねぇ」
「それによってオレたちに迷惑がかからないかという心配をしているのだよ」
「なるほどー。まあ、そうならないように務めるよ」

咄嗟に、意思とは反した言葉だと言い訳するように吐き出されたそれに、優衣は平然と言葉を返した。
無表情に戻ったことで少し言いすぎたかと思ったが、彼女はいつもその顔のためどう捉えたのかは分からなかった。

実際のところは、彼女は初日とは思えない働きぶりを見せていた。
もたつくこともなく、むしろ今までもよりも環境が整ったようにも感じた。
どちらかというと今日は自分のほうが周りに迷惑をかけていることに、緑間は若干苛立っていた。

「ねえ、緑間くん」

今日の自分の不調を思い返していると、徐に優衣が口を開いた。

「なんだ」
「位置がいつもと違うね」
「……なんのことなのだよ」
「左手の位置。いつもと違うよ」

そう言われ、ふと今日の練習中につきまとっていた違和感がやっと分かった気がした。
緑間は黙ったままゴールポストに向かうと、自主練習を再開した。











「緑間くん、そろそろ閉める時間なんだって」

無心でシュート練習に励む彼に、優衣はそっと声をかけた。
その声に反応し手を止めた緑間が振り返る。

「ミドリン、早く終わらせてー!もう閉めなきゃ怒られちゃう!」

その場に残っていたのは、いつも最後までいる赤司や青峰、そしてマネージャーの桃井だった。
桃井の声に緑間が少し慌てた様子で片付けると、全員で体育館を出て鍵を施錠する。
「お疲れ」とそれぞれが挨拶する中、事務室に鍵を返しに行くという桃井を呼び止めた優衣は、自らその仕事を買って出た。

「桃井さん。鍵の返却、わたしが行くよ」
「え、でも……」
「職員室に用事があるの。同じ方向だし、気にしないで」
「そうなの?」
「うん。だからみんなは先に帰っていいよ」

そういって優衣が手を差し出すと、「それじゃあ……」と桃井は遠慮を残しつつも鍵を手渡しお礼を述べた。
そのやり取りが終わると、次は緑間が優衣を呼び止めた。

「遅くなったのはオレが原因だ。何か言われたときのためにオレも行くのだよ」
「……そう?じゃあ、一緒に行ってもらおうかな」

優衣は僅かに微笑むと、彼らに背を向けて歩き出した。





───静まり返った校舎。
鍵の返却場所である事務室へ向かう廊下には、ふたりの足音だけが響いていた。

すぐ横から、すうっと息を吸う気配を感じて、優衣は隣に意識を向けた。

「……どうして違うと分かったのだよ」

それは、廊下の先の暗闇に溶けて消えてしまいそうな、そんな不安定な声に聞こえた。
彼のプライドが許さなかったのだろうか。
それでも聞いてくれたのだからと、優衣はなるべく丁寧に答えようと口を開いた。

「いつも“見て”いたから」
「……見ていた?」
「徹底した高得点稼ぎは見てて楽しくてね」

訝しげな声で質問を重ねる彼を横目で見ながら、優衣は少しだけ歩調を緩めた。
その様子に気付き緑間も歩みを緩め、小さく咳払いをする。

「バスケは点を取り合うゲームだ、それを狙うのは当たり前なのだよ」
「でもスリーポイントって難しいものなんでしょ?サクサク決めちゃうなんてかっこいいよねー」

そう話す優衣の口調は、いつもの話し方だった。
しかしそれが気になったのか、緑間は呆れたようにそれを指摘した。

「……白藤、棒読みなのだよ」
「やだ、ごめん。人と話すの、慣れてないっていうか、苦手というか……」

優衣にとってこの癖を指摘されるのは初めてのことで、なんと答えたらいいのかと戸惑った。
こうした間延びした言い方は、人と距離を取るようになってからのことで、最初はわざとしていたがいつの間にか染み付いてしまっていたことだった。
人と関わらないようにしていると指摘されることはなかったが、いざ突っ込まれると返答に困り言い淀んでしまった。
そんな優衣の横で、緑間が足を止めた。
優衣もつられて立ち止まり、彼の横顔に視線を向ける。

「無理に褒めなくていいのだよ」
「……んー、すごいとは思ってるんだよ?」

優衣は困ったような声で答えるが、その表情が変わらないせいか緑間は溜息をついた。

「相変わらず人をからかうのが上手いな」
「そんな風に捉えるなんて……心が荒んでるのね、真太郎くん」
「……はやり馬鹿にしているだろう」
「それは穿ち過ぎってやつですよ」
「お前はすぐ減らず口をたたくんだな」
「えー、さすがに悲しくなってくるなー」

優衣は苦笑混じりに言うと、「んー」と小さく唸るような声を出して頬を掻く。
どうにも彼にとって、自分の印象はあまり良くはないようだ。
最初の、あの街で出会った時、彼を巻き込んだことが影響しているのだろうか。

たしかにアレは迂闊だったよなー、と優衣は思い返すと小さく息をついた。

街で緑間を見かけた時、優衣は本当は彼と関わるつもりは全くなかった。
しかし彼の方から声をかけてきて、ちょうどいい、と思ったのは確かだ。
物の見事にうまく躱すことができて、緑間にお礼をしなければと思ったのも嘘ではない。
けれど緑間と直接会話してみると、優衣の中の好奇心がひょっこりと顔を出してしまった。
直感で、面白そうな人だと感じたのだ。

そのあとは興味本位で価値観のすり合わせをして、それが一方的だというのは自覚していた。
大概の無茶を彼は受け入れてくれるのではないか、という見立てもあったし、実際に彼は優衣の奔放さを受け入れてくれた。
お兄ちゃんとかいたらこんな感じだったのかなぁ、なんてのんきに思いながら、優衣はそうして彼に甘えすぎてしまったことを少し反省していた。
だから今日、目の前で苦しんでいる彼に、手を差し伸べたくなったのだった。

困った素振りを見せる優衣に、緑間はひとつ咳払いをしてメガネに触れた。

「それで、さっきの答えは、見ていたとはどういうことなのだよ」
「ん?そのままだよ。見学の時から君のシュートは何度か“見てた”から、普段のフォームを覚えてたってだけ」
「……フォームの微々たる違いまで分かるのか?」
「だから、“見てた”んだって」

きっと彼からしたら全く答えにはなっていないだろう答えを伝えると、やはり怪訝そうな表情を向けられた。
そんな顔を向けられても、そうとしか答えられないのだが、と優衣はまた困った様子で頬を掻いた。

「お前は、“妹のような存在”だな」
「あれ?緑間くん、やっぱり妹いるの?」
「ああ、いる……が、やっぱりとはどういうことなのだよ」
「いや、勝手にね、お兄ちゃんいたらこんな感じかなって思ったりしてて」

タイムリーな話題だな、と思いながら答えると、緑間は鼻で笑いながら答えた。

「ふん。お前のような妹は願い下げだが、今日のかに座は“妹や弟のような存在に振り回される”と言っていた。俺の場合はお前のことかもしれないと思ってな」
「……アァ、おは朝ね」

なるほど、と呆れを隠すことなく優衣は相槌を打つ。
しかし実際に振り回されているのだと本人の口から言われると、些か不本意だなと思わずにはいられない。
優衣は確認するように問いかけた。

「そんなに振り回してる?」

しかし、そう質問しながら緑間の方を見ると、彼はひどく顔を歪めていた。

「自覚がないとは……」

ボソリと零された言葉に、優衣はさすがに破顔する。
自覚があって言ったのだが、彼はだいぶ純粋らしい。
緑間を見れば、呆れた様子で大きな溜息を吐き出していた。

「白藤は自由すぎるのだよ」
「やだなぁお兄ちゃん。妹なんだから名前で呼んでよー」
「なっ……!お前はっ、そういうところを言っているのだよ!」

言葉を文字通り受け取る緑間に、優衣はからからと笑う。
元々関西人なのだから、ちょけてしまうのはもう許して欲しい、などと楽観的に構えていたら、ここで反撃とばかりに緑間が口を開いた。

「早く行くのだよ、優衣」

そう言って歩くスピードを早め、すたすたと歩いて行く。
一瞬あっけに取られた優衣だったが、すぐにあとを追いかける。
反撃に出たつもりが自分にもダメージがあったのだろう、赤らむ耳がそれを物語っている。
くつくつと笑い声を零しながら、優衣は緑間の制服の裾をちょん、と引っ張る。

「真おにいちゃーん。置いてかないでほしいなー」
「……っ!お兄ちゃんと呼ぶな!」
「ははっ、じゃあ待ってよ真。事務室通り過ぎてるよー」

その言葉にぱたりと立ち止まった彼は、赤い頬のまま優衣を一瞥すると、「鍵の場所を教えといてやる」と言ってひとり事務室へと入っていった。

「……優しいおにいちゃんだなぁ」

廊下に残された優衣がぽつりと零した独り言は、思っていたよりも優しい声色で。
自分のなかで、思いのほか彼を気に入っているのだな、と知り、くすぐったい気持ちになる。

廊下のどこかの窓が開いているのだろうか。
穏やかな暖かい風が優衣を包み込んだ。












の 風 が く 帰 路 で












「職員室に用事があると言っていなかったか?」

事務室を出てからまっすぐ帰ろうとする優衣に緑間は問いかけた。

「ん?用事なんかないよ」
「……嘘だったのか?」
「ああ言ったら、桃井さんも気を使わずに任せてくれるでしょ?」
「なぜそんなことを……」
「んー?真が聞きたそうにしてたから、きっかけ作ったつもりだったんだけど……余計だった?」

僅かに口元を緩め、したり顔を浮かべる彼女に緑間はなにも言い返せなかった。
周りを振り回す人間だと思ってはいたが、まさか手のひらの上で転がされていたとは……。

しかし最初の頃よりころころと表情を変える姿に、悪くないと感じる自分がいることに気付き、緑間は眉間に皺を寄せた。

「素直になったほうがいいと思うよ?おにいちゃん」

その様子をどう捉えたのだろうか、彼女は楽しそうにくつくつと笑う。
悪びれもなく自由に振る舞うその姿は、なぜか憎めない。
曲がった根性をもっていようとも、彼女を妹のようだと捉えたからだろうか。
無表情でいるよりもその愛らしく笑う姿に心地良さを感じ、自分も随分と懐柔されたものだと笑みがこぼれる。

「扱いにくい妹ができたのだよ」

右手でメガネに触れると、その手で穏やかな表情を隠した。







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突然デレる緑間さん
2018/10/17(2013.02.03)

Clap!


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