夕闇に浮かぶやさしい横顔
旧館校舎の屋上。
午前中にしとしとと降っていた雨は上がり、午後からは太陽が顔をのぞかせた日の放課後。
黒子は人知れず、弾んだ気持ちでその場所に佇んでいた。
ここから見る夕暮れの景色を、黒子は特別気に入っていたのだった。
目前に広がる、夕焼けに染められた街。
それは徐々に色を変え、姿を消すように夕闇に溶け込んでいく。
この儚く移りゆく景色が好きで、今までにも何度かこの場所に足を運んでいた。
柵に手をかけてじっとその景色を見つめていたが、ふと扉が開く音がして視線を外した。
「あれ、黒子くんだ」
振り返ると、扉を開け放ったまま佇んでいる人物と流れるように視線が絡まった。
「ちょっと遅かったなー。黒子くんも見に来てたんだね」
「……はい」
普段から人に気づかれる質ではない黒子は軽く動揺した。
しかし、その人物はいつもそうだった。
どこにいようとも、当たり前のように自分を見つけて、自然に話しかけてくる。
人に認識されないことが多い黒子にとって、そんな存在はたったひとりだけだった。
「夕焼け、きれいだった?」
「とても綺麗でしたよ」
「そっか。残念」
口ではそう言いながらも、少し穏やかな雰囲気をまとい問いかけてきた優衣に、黒子は笑顔を向ける。
彼女がその唯一の存在だった。
「図書室でしか会わないから、こんなとこで会うとは思わなかったよ」
「ボクもここに白藤さんが来るとは思ってもいませんでした」
ゆっくりと歩を進めながら会話をする彼女は、黒子と同じ図書委員だった。
委員会で集まった時も必ず、優衣は自然に黒子と会話をするような人物だった。
それはただの業務連絡なのだが、大半の生徒が黒子に気付かず連絡事項を伝えない中で、彼女だけがそれをやってのける。
彼女は周りの人と変わらず自分がそこにいることに気づいてくれる。
そんな優衣を不思議に思う反面、心の片隅で嬉しさを感じていた。
「この場所はあまり人気のない場所だと思っていたので」
優衣が自分の元に向かってくるのを眺めながら、黒子は言葉を続けた。
今までこの場所で他の生徒に会ったことはなかった。
だから誰も知らない、絶好の穴場スポットだと思っていたのだ。
「旧校舎の屋上は初めて来たの」
彼女もよく来ているのだろうか、そう考えた瞬間、そんな疑問を感じとったのだろう。
彼女はいつもは新校舎の屋上によくいるそうで、でも今日の夕焼けは、なんとなく旧校舎の屋上から見てみたいと思ったのだと教えてくれた。
「旧校舎の屋上が開いてるのも驚いたけど、開けたら君がいるからまた驚いたよ」
そう言って小さく微笑む彼女は、先程と変わらず穏やかな空気を纏っていた。
普段校舎ですれ違う時の、人を寄せつけないような雰囲気よりも、今の方が余程彼女に似合うな、と感じる。
「昇ってこーい」
「朝になれば昇ってきますよ」
「反対からね」
「そうですね」
彼女は黒子の隣までくると、役目を終えて沈んだ太陽に向かってぼやいた。
そんな無茶を、と苦笑混じりに口を挟めば、彼女は少し恨めしそうに返事をするものだから、黒子はまた小さく笑いながら答えた。
「黒子くんも夕焼け空が好きなの?」
「はい。とくにここから見える景色は大好きです」
「奇遇だねぇ。わたしも夕焼け空が大好きなんですよ」
そう言って控えめに笑う彼女は、柵をつかむと乗り上げるようにしてその柵に身を預ける。
「乗り上げたら危ないですよ」
その姿を捉えた黒子は、すっと彼女との距離を詰めた。
しかし優衣は気にすることなく、寄りかかったまま小さく言の葉を紡いだ。
「今日の夕日は見たかったのになー」
消え入りそうなほどか細い声は、静まり返った屋上で溶けこむように響いた。
「どうしてですか?」
「帰り道で見たときに、ここで見たら絶対きれいだと思って走ってきたの」
「そうだったんですね」
不本意そうに話しているが、それでも彼女は柔らかい表情をしている。
こんな顔もするのか、と黒子はその表情に見入っていた。
すると優衣は、鮮やかな夕映えが残る空に向かって、徐に手を伸ばした。
「間に合わなかったなー」
「せっかく走ってきたのに、残念ですね」
「本当だよー」
彼女は拗ねたような言い方をして、伸ばした手で宙をつかむ。
「……ホントにね。また、報われなかった」
不意に優衣の声色が変わった気がして、黒子は彼女の手から顔へと視線を移す。
「いつも、報われない」
そう呟く優衣の表情は、ひどく淋しげに見えた。
彼女は何を抱えているのだろうか。
いつも無表情でいる彼女からは、拒絶や無気力を感じることは多かった。
しかし、今のように淋しそうに見えるのは、初めての事だった。
「いつも、ですか……」
何があったのかと聞くことは躊躇われた。
今となりにいる彼女は、あまり見せることのなかった控えめな笑顔を先程から見せてくれていたのだ。
いつもの、拒絶を含んだ空気を纏わせるようなことはしたくなかった。
彼女が本来纏っているものだと思われる、先程の穏やかな雰囲気に戻したかった。
黒子はただ優衣の言葉を繰り返すだけに留め、視線を暗い空へとなげる。
するとうわ言のように、彼女はこぼした。
「そう、いつも……がんばったって、報われない」
その言葉は、鋭利な刃物のように黒子の心に突き刺さった。
自分の前に立ちはだかる壁の存在を、彼女は知らない。
それなのに、見透かされているような感覚を覚えたのは、それが自分の中でくすぶる言葉だったからだろうか。
───『がんばっても報われない』?
本当にそうだろうか。
でももしかしたら、そうなのかもしれない。
自信のない心の中で、思考が勝手に会話する。
だけど、それでも信じたい。
小さな可能性でも、諦めたくない。
「そうでしょうか?」
ただ、自分を奮い立たせるためにその言葉は出てきた。
だがそれは少し優衣には攻撃的な言葉となって届いたのだろう。
「……黒子くんは、努力が報われたこと、あるの?」
優衣は少し眉をひそめると、黒子にそう問いかけた。
声にかげりを感じ取り、彼女の方へと視線を戻す。
絡まった視線の先にある彼女の目は、力強く射抜くような目だった。
(そんなつもりじゃ、なかったんですけどね……)
拒絶を見せる彼女から、目が離せなかった。
そうさせるつもりはなかったのに、と小さく息を吐く。
届かないものに必死に手を伸ばすことの辛さを知っている。
どこまでがんばったら届くのか分からず、終わりの見えない道を延々と走り続ける。
いつまでか続くのか分からない。
それでも自分は言い聞かせているのだ。
まだやれると。まだがんばれると。
自分を信じて言い聞かせる。
「僕は今、努力をしているところです」
真っ直ぐと優衣を捉えて、黒子はそう力強く伝えた。
頑張り続けてきたのは、自分が後悔したくないから、彼女もそうなんじゃないだろうか。
彼女の目を見ていて、そう感じた。
優衣の拒絶を示すような目の奥から、小さく輝く光りが見えた。
それは何かを求めるような、何かを掴もうとしているような光り。
諦めた時、きっとこの光りがなくなるような気がした。
彼女もまた、足掻いているのではないだろうか。
「……そう」
小さく返事をすると、彼女は視線をそらし暗闇に染まった街の景色を眺めはじめた。
その横顔は憂いの色がにじみ、黒子は口を閉ざした。
彼女にも、自分の力で自分を信じて欲しいと思うと、安易にがんばれなどと言いたくなかった。
それに、他人にがんばれと言われた所で、どうにかなることではない。
今何を言っても、彼女の望む言葉にはならないだろう。
それでもその燻る感情を、背中を、少しでも押してやりたいと思った。
「あるようで、やっぱりないものだったんだ」
目を合わせることなく、彼女はそう呟いた。
「……なにがですか?」
「乗り越える力が私にもあるかなって。そう思って走ってみたけど、そんなの、気のせいだったみたい」
ゆっくりと問いかけた黒子の言葉に、優衣は吐き捨てるように答えた。
一瞬、泣きそうな顔をした彼女の表情はすぐにいつもの無表情に飲み込まれていった。
「それでも、僕は努力します」
「すごいね。わたしはちょっと辛いなー……」
「……じゃあ、僕のあとに続いてください」
「……え?」
「一人より、二人のほうが心強いです。それに、歩いていくのもいいと思いますよ」
「……二人で?」
「はい。僕は、途中で足を止めたりしませんから」
それは真っ直ぐとその背中を見せていくのだと、言外に伝えた。
言葉で背中を押してやることができなくても、自分の行動でその足を進めさせることができたらいい。
合わさる視線が、光に満ちた気がした。
「黒子くんの名前、テツヤだっけ?」
「そうですが」
突然、優衣は黒子の名を問いかけた。
何かと思いながら素直に答えると、彼女は小さく微笑みを浮かべ口を開いた。
「そっか。だから君は強いのかな」
「関係あるんでしょうか」
「鉄って強いんだよ。そんでさ、君は道を示してくれるの。轍もテツって読むでしょ?」
満足そうに問いかける彼女は、さっきまでの冷たい空気をまとってはいない。
黒子も小さく口元を緩めた。
「……テツ、うん、いい名前だね」
「優衣さんも、素敵な名前だと思います」
「そんなこと初めて言われたよ」
「僕もです」
そう言って、二人は小さく笑い合った。
もうほとんどの生徒が帰っているだろう校舎は、その姿を誇示するようにライトアップされている。
空よりも明るくなった校舎の、しかしその光が届かない屋上で、二人は夏を知らせる暖かい風に身を委ねながら街を見下ろした。
「また、今日みたいな夕焼け見られるかな」
「見られますよ」
「……でも、やっぱり今日の景色をテツだけが見たってずるいなぁ」
少し膨れっ面で彼女はそうぼやき、黒子はそんな子供っぽい優衣に思わず目を丸くした。
「あ、いま馬鹿にした?」
「してません………けど、ちょっと驚きました」
「どうせ子どもっぽいとか思ったんでしょ」
そう言うと、優衣は膨れっ面を図星だろうと言わんばかりのしたり顔に変えた。
いろんな表情は、きっと彼女の本当の姿なのだろう。
穏やかな雰囲気も、やはりとても良く似合う。
「否定はしません。でも……」
「でも?」
「そんな優衣さんも、優衣さんらしくていいと思います」
夕 闇 に 浮 か ぶ
や さ し い 横 顔
「わたしらしい、か……」
そう呟いて、優衣はこの空間の心地良さに瞳を閉じる。
自然と口元が綻ぶのを感じ、心に広がった暖かい気持ちを反芻するように胸に手を当てる。
隣を見れば、やさしい瞳と視線が合わさる。
呼吸が重なる。
今は、彼の言葉に甘えて、後ろを歩いて行こう。
いつかこの心地良さを、隣で感じられるように、
今は─────。
−−−−−−−−−−−−−−−
ゆっくりでもいい。
目の前を道を進んでみよう。
(黒バス10周年おめでとう*)
2018/12/08(2013.01.19)
(
Clap!)
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