暗闇の中でも映える赤




その日、優衣は自宅であるマンションの一室から出ることを躊躇っていた。
単純に気分が乗らなかったというのもあるが、昨日の学校での出来事が大きな原因だった。
思い出してはため息をつく、というのを起きてから何度も繰り返していた。

「……よーし、お休みしよー」

間延びした言い方で吐き出された声は、誰もいない空間にやたらと響く。
優衣は履いていたローファーを脱ぎ捨てると、颯爽と部屋へと戻っていった。











春の陽射しが心地よい昼下がり、賑やかな休憩時間のことだった。
騒いでいた男子生徒の輪の中心からそれは大きな音を響かせ、教室は一瞬にして沈黙に包まれた。
音がした方へと目を向けた周りの女子は軽く悲鳴を上げ、男子数人は大丈夫かと声をかけながらその中心へと駆け寄っていった。

どうやら盛り上がった男子の一人が椅子に立ち上がり、その周りにいた生徒がふざけて彼を押したようだった。
バランスを崩した男子生徒は倒れ、共に倒れた椅子が大きな音を響かせたのだった。

(何してんの……)

半ば呆れながら優衣は読んでいた小説に栞を挟むと、徐に立ち上がりその呆れた様子を隠すことなく音の元へと近づいた。
しばしの間、足を抱えて小さく呻く生徒をじっと見据えると、また一歩近づき口を開いた。

「足、捻ったんだよね?」
「え?あ、あぁ……」

優衣は普段、自ら進んでクラスメイトに話しかけることはない。
男子生徒たちが高嶺の花だなんだと遠巻きに見ているそんな彼女が、いきなり声をかけてきたのだ。
倒れた男子生徒は突然のことに驚き、声を裏返らせながらその問いに対し首を縦に振った。

優衣は小さく息を吐き、教室に置いてある救急箱を取るとその蓋を開けた。
教室の数も多く校舎も広いこの学校には、各教室に最低限の救急セットが置いてあった。
優衣は消毒液や絆創膏をかき分けハサミとテーピング用のテープを取り出すと、中心にいた生徒の前に立ち靴下を脱ぐように促した。

「簡単な処置しかできないから、保健室にはちゃんと行ってねー」

そう言いながらしゃがみ込むと、彼の左足を持ち上げきれいにテーピングを施していく。
テキパキと動くその手元は、素人目から見ても安定感のある施術だった。
しかしその顔は無表情で心配している素振りもなく、目は射抜くように彼の足元を捉えている。

「君、剣道とかしてたの?」

突然の質問に、テーピングを施された生徒は呆然とし、周りの男子生徒たちも目を丸くした。
だがその周りの様子を気にすることなく、優衣は続けた。

「とりあえず、膝はすぐに病院で見てもらった方がいいかもねー」

「前に見た時と違うから……」と最後に続いた消え入るような小さな声は、きっと目の前の生徒にしか聞こえなかっただろう。
男子生徒は首を縦に動かすだけで応えた。
「んじゃ終わりー」と暢気に言うと、優衣はまたテキパキと道具をしまい救急箱を元に戻した。

「早く保健室いかないと、授業始まるよー」

そう言って優衣は教室の扉を開けた。
すぐに出ようかと思ったが、どうにも心残りがあり足を止め振り返る。
怪我をした生徒の隣に立つ男子生徒に視線を飛ばすと、小さく息を吐いて、声をかけた。

「謝りたいなら、とりあえず保健室に連れてってあげたら?」

少し困ったような表情を浮かべて言うと、そのまま教室を後にした。
優衣はテーピングを施している間、ひとり落ち着かない様子で立っていた男子生徒が気になっていたのだ。
余計なお世話だろうと思うが、なんとなく背中を押してあげたくなった。
それに、どうせすでに大きなお世話をしてしまっているのだからいいだろう。

教室を出ると足早に保健室へ行き、保健教諭に事情を説明して病院へ連れて行く手筈を整えてもらう。

(なんか、戻りにくいなー……)

優衣は保健室を出ると、その足をどこに向けるか悩み始めた。



一方、教室では普段と違う優衣の姿を前にクラスメートたちは静まり返っていたが、彼女の姿が見えなくなると次第にざわつき始めた。
騒然とした中、同伴を促された生徒はバツが悪そうに怪我をした生徒を立ち上がらせると、小さく謝った。
そして気になっていたことを問いかけた。

「お前、剣道部入ってたっけ?」

よく一緒にいるので違うことを知っていたが、思わず確認した。
すると彼は首を小さく横に振り、ゆっくりと口を開いた。
小学生の頃から剣道をしていたが、六年生の時に膝を痛めて中学では部に入らなかったのだと言う。
剣道をしていることも膝を痛めていることも、中学では誰も知らないことだった。

「なんであいつ、分かったんだろう……」

彼の呟きは、賑やかになった教室に溶け込んでいった。

────その教室でひとり、今までの光景を愉快そうに見ていた人物がいたが、それには誰も気付くことはなかった。






(結局、サボってしまった……)

終礼も終わり少し時間の経った教室の前で、優衣はひとり項垂れていた。
その場で立ち尽くしたまま屋上でサボっていたことを悔やんでも、時間は返ってこない。
大半の生徒はもう部活に行っていたり帰宅している時間だ。
優衣は軽く息を吸い込み目の前の扉を開けた。
人が残っていると嫌だな、と思いながら中を覗くと、教室にはひとりの生徒がいた。

それは優衣の席の隣に座る、赤い髪の男子生徒。

優衣は鞄を取るために自分の席へと歩きながら、彼の背中にちらりと目を向けた。
背中越しに見えた彼の手元には将棋の本があった。

(将棋部……?)

スポーツをしている人だと思ったのに…と、つい先日、彼を“見た”ときのことを思い出す

「白藤は、人をよく見ているんだな」

一瞬、息を止めてしまった。
彼の存在を気に止めた瞬間、彼はそれを分かっていたかのように声をかけてきた。

普段は隣の席だが、優衣から話しかけたこともなければ、彼から声をかけられた事もないただのクラスメートだ。
しかも問いかけるでもなく、そうと知っていると言っているような言葉だった。
確か赤司といっただろうかと彼の名前を思い浮かべながら、徐々に思考を移していく。

(さて、シラを切ろうかどうしようか……)

赤司を一度”見た”時、自分の目を見ているような錯覚を起こした覚えがある。
その目には悪意など何もなかったから、いつものように興味がなくなるのだと思っていた。

だがその時は、いつもと同じようにはならなかった。

初めて、自ずから”見る”ことを止めた。
自分と同じような、もしくはそれよりもタチが悪いものかもしれない目だと感じた。
彼と目を合わせて良いことはないような気さえしたのだ。
だからなのか、彼に対して若干の苦手意識が優衣の中にはあった。

本から顔を上げた赤司と目が合う。
口許は軽く弧を描いているが、目が笑っていなかった。
まるで全てを自ら話さなければ逃さないとでも言っているかのように感じた。

「特別そんなこと、ないと思うけどねー」

これはどうしようかと逡巡していたことも、きっと彼は見透かしているのだろう。
彼にはなんのことかと言っても無意味だと直感した。
それならと、シラを切ることもせず肯定もしないという返答を選んだ。
早々に切り上げて帰ろうと机の上に置きっぱなしにしていた小説を鞄に入れる。

「そうか、なら言い方を変えよう」

しかし、その返答では満足を得られなかったのだろう。
本を閉じる気配を感じて視線を向けると、彼はもう冷笑さえも浮かべてはいなかった。

「よく気がついたな」

──────この人、ずるい。
思わず、優衣は心の中で零していた。

それはどれを指すのかととぼけることも出来るが、単に全て解っているのだと言われているに過ぎない。
どんな答えを用意しても、辿り着く先は核心に触れることになるのだろう。
逃げ道を塞いで詰めていくのが好きなのかなぁ……、なんて暢気な思考になるのはお手上げの証拠だ。
これは彼の思うままに進むしかない会話だった。

(ニガテなタイプだなあ……)

優衣は肩をすくめると、ゆっくりと赤司の方へと体を向け、それを伝えるかのように全身で拒絶を示した。

「勘だよー」

優衣は与えられた台詞を吐き出すように、感情なく言葉を紡いだ。
間延びした言い方は普段からする優衣の癖ではあるが、この感情のない言い方はわざとするものだった。
突き放そうとしたり拒絶をあからさまに示すために、優衣はわざとそんな言い方をした。
しかし赤司は嫌な顔をするどころか、くつくつと笑い始めた。

「白藤は面白い子だな」
「…………は?」

その口振りは幼い子どもに対して言うような言い方で、優衣は茫然とした。

(……こいつほんとに同い年?)

嫌な気持ちが増幅された気がした。
出来ればこれ以上、彼とは話をしたくない。
だがそんな優衣の気持ちとは裏腹に、彼は言葉を続ける。

「どうやら白藤は“目がいい”ようだな」

なんでも見抜いているような言い方に、優衣は眉をひそめた。
不意に襲いくる、どこまでも追いかけてくるような感覚に、足が竦む。

そんな様子に構うことなく、彼は赤い双眸で優衣を捉えたまま話を続ける。

「何も”見ない”ようにもしているみたいだが……」

一瞬、息が詰まるような感覚に襲われた。
彼の言葉を聞き、なるほど目の前で不敵に笑うこの男は本当に全てお見通しなのか、と思い知る。

「そうだねー。いいかどうかって言われると、いいのかもねー」

人の気も知らないで、という思いを隠し先の言葉にだけ適当に相槌をうつ。
間延びした声は更に拒絶をさらけ出し、後の言葉をなかったかのように流した。

「どうして……何も”見ない”ようにしている?」

しかしその拒絶はこの人物には意味がなかった。
平然と詰め寄ってくる彼はそこはかとなく愉快そうに笑う。
優衣としてはなぜ彼に詰められているのかと逆に問いたい。
その気持ちを抑え、逸らしていた目を再び赤司に向けた。

「……見る気がなくてね」
「見たくても見れない、の間違いじゃないのか?」
「……なにそれ」
「そうやって拒絶するような目をしながら、何を観察している?」
「………」
「白藤のそれは、矛盾でしかない」

目が合った瞬間だった。
触れるどころか簡単に核心をつく言葉を、被せるように言った彼に、一種の恐怖さえ感じた。
頭の中では危険信号なのだろうか、よく分からない音が鳴り響いた。
目を逸らせと、逃げろというように響く。

しかし、優衣の身体は動かなかった。

(そうか、彼は絶対支配者なんだ)

人は落とし所が見つからないと、無理やりにでも納得させようとするんだな、などと他人事のように思った。











「はぁ……」

昨日のことなど考えたくもないのに、思い出しては吐き出されるため息。
とりあえずあれこれ言っても仕方のないことだ。
お昼まで寝ようと思い直し、リビングに戻りソファーに制服のまま身体を埋める。
だが瞼を閉じても、あの赤みを帯びた目と未だ目を合わせているような錯覚に陥った。





────『オレなら色を映してやれる』





不意に、最後の言葉が鮮明に反芻された。

あれは重い身体をなんとか動かし、彼の横を通り過ぎようとした瞬間だった。
手首をつかまれ振り返ると、赤司は愉快そうに笑いながらあの目を真っ直ぐ向けてそう言った。

(どういう、意味、だったんだろう───)

もう一度目を閉じてみても、また浮かぶあの赤い眼。












暗闇の中でも映える












どんな暗闇でも、きっとあの赤はよく映えるのだろう。
小さく苦笑を浮かべ、そのまま睡魔が来るのを待った。

あの時つかまれた手首が、まだ熱を残されていたかのように、熱く感じた。







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よく喋る赤司さん
2018/03/18 (2012.12.09)

Clap!


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