その赤は温もりを




───なんでこうなったんだろう。

思い返してみても、なぜ彼を部屋に招いたのか自分でも不思議だった。
逃げても意味がないと思っていたのもある。
しかし昨日のことで何か仕返ししてやりたいという気持ちもなかったわけではない。

食事をすすめたのだって、彼の動揺する姿が見たかったからなのだが、しかしそれは見事に返り討ちにあってしまった。
どんな抵抗をしても、きっと彼には敵わないのだろう。

でも、彼が部屋に上がった時、一緒に食事をすると言った時、少し心が弾んだことに気付いた。
食事中のまったりとした空間もとても心地よかった。
もしかしたら誰かと食事をしたいと、無意識に思っていたのかもしれない。
仕返しどころか、不本意ではあるけれど、思いがけず素直になっていたのかもしない……。

優衣はぬるくなった紅茶をすすりながら、先ほどまでの時間を思い返していた───。











人が向かいに座り、そして一緒に食事をするということは、優衣にとって久しくないことだった。
正直、落ち着かないだろうと構えていた。
しかし案外そうでもなかったことに優衣は驚いていた。

彼の持つ雰囲気のおかげなのだろう。
流しているだけのテレビの音も、時々彼が呟く美味しいという言葉が響くのも、この空間そのものが心地よく感じられた。

「誰かと食事するのって、久しぶり」

そのせいか、告げるつもりのなかった言葉が口をついて出た。
少しの間の後、彼はその言葉に反応した。

「ひとり暮らしはいつから?」

先程赤司が言っていた聞きたい事とは、本当に優衣自身のあれこれだったのだろう。
昨日のような精神攻撃もあるのかと思っていたが、そんな様子は見当たらない。

「中学入ってからだけど、親は仕事人間でねー。もうずっとひとりみたいなもんだよ」

さほど構える必要はないだろうと、暢気にそう答えた。
すると彼の顔が一瞬歪んだ。

「そうか。両親は今どうしているか聞いてもいいか?」

本当に一瞬だったその表情は、また元の顔になり質問を続けた。

「父親は京都でお医者さんやってるよ。小学校は、わたしも京都にいたの」
「京都か」
「うん。あと母親はいないよ」
「……そうか」
「あ、気にしないで?よくある話だし」
「いや、悪かった……そうか。しかし東京にはなぜひとりで?」
「えー……苦労を知りたくて?」
「……なぜ疑問形なんだ」

呆れたような彼に、「分かんない」と笑いながら答えた。
彼の空いたお皿にサラダを盛りつけながら、思考は彼から自身のことへと移っていった。

(……こんな身の上話、初めて人に話した)

片親だということ、京都にいたこと、父親が医者だということ……。
この家にひとりで来た優衣は、どれも人に話すつもりはなかった。
そもそも京都にいた時だって、家の話は誰にもしなかった。
母がいなくなってからは───。

「苦労は多かっただろう」

サラダを取り分けたお皿を受け取りながら、彼は優しい声色でそう言った。

(……困ったな、彼は優しい人?)

どんなつもりで言ったのかは分からないが、いとも簡単に涙腺を刺激されるとは思わなかった。
たった少し赤司から意識を離していただけだったのに、彼の言葉に受け身が取れなかった。
心臓に悪い人だと心の中で悪態をつき、一瞬崩れかけた表情をなんとか立て直し言葉を返す。

「わたし、苦労知らずの箱入り娘らしいから」

それは自嘲気味に声を震わせ、空気に溶けこんでいった───。






食事を終えた優衣と赤司はソファに移り、並んでケーキを食べていた。

淹れたての紅茶はなぜこんなにほっこりするのだろう。
そんなことを思いながら今日一日を優衣は振り返った。

昼過ぎに起きて買い物に出かけ、スーパーで食材を吟味し、無心で料理に没頭した。
途中で電話がかかってきて、クラスメートがプリントを届けにいくからと高揚した副担任の声を聞いて我に返った。
またやってしまったと後悔していたら来たのは彼……。

振り返って今現在の状況までくると、不思議な気持ちだった。
作りすぎた料理をタッパーに詰める作業がなくなったから良しとしようか。
そう納得しかけて気付く。
そうだ、なぜ隣に赤司が当たり前のようにいるのだろうか。

(おかしい、わたしが今日サボったのってこの人のせいじゃなかったっけ……?)

そもそも料理に没頭したのだって、昨日の出来事が原因だ。
何も考えたくないと思うとやってしまう癖で、いつも後悔するほど大量の料理を作ってしまう。
だが、その後悔を救ってくれたのは件の人物……。
腑に落ちないが、人のせいにするのもよくない。
しかし心の靄は晴れず、思わず八つ当たりを込めた言葉を吐いた。

「赤司くんは、なんでも分かってるんだねー」

彼はしばし無言でケーキを食べていたが、一口紅茶を啜ると口を開いた。

「白藤は、よく観察しているんだな」

その言葉に優衣が口をつぐんだ。
そうだ、彼は聡い人間だった、と気付いても後悔先に立たず。
今この一瞬の駆け引きにも負けた。

「……もう癖みたいなもん。無意識にしちゃうんだよ」

降参とばかりにそう述べ、身体をソファに深く沈めた。
彼を舞台に押しあげようとしたつもりが、自分が引きずり出された。
さすがに八つ当たりで彼に挑むのは無謀だったかと自分に呆れながら、優衣は話し始めた。

「わたしはね、悪意がこわいんだ───」

食事の時にした箱入り発言に、彼は顔をしかめ何か聞きたそうにしていた。
だが優衣はさらりと話題を変えて、何もなかったことにしてしまった。
それを話すと、観察し始めたキッカケを教えることになるからだった。











京都の家である父親の実家は、それは豪邸だった。
小さい頃はたくさんの友達を招いて、家でよくホームパーティーのようなものを開いていた。
まだその頃は母親もいて、豪華な料理をいつも用意してくれていた。
友達もたくさんいて、いつも世界がキラキラしていた。

でも、母親がいなくなってからだった。
優衣の周りから、皆がすっと離れていった。
『豪華な食事があったから』『親に仲良くしろと言われていたから』、そんな言葉が優衣の耳に流れこんできた。
それが悔しくて、自分自身を見てもらうためになんでもひとりでするようになった。

実際は優衣の家庭内で起った諸々の事情を察した親たちが、子供たちに距離を取るよう促したのも原因だった。
しかしそうとは知らず、優衣はがむしゃらに努力した。
そして元来器用だったこともあり大概の事はやってのけた。
でもそれは、優衣を支えることにはならなかった。
教員などの大人たちの行動が、悪循環を引き起こしたのだ。

白藤家は代々医師の家系で、財産家だということは有名だった。
自校の悪評が立たないようにと優衣に近寄る大人たちの下心は、子供ながらに感じ取っていた。
それを拒絶していても、周りからは金持ちで可愛いから助けられていると妬みを買った。
たくさんの努力も、すべて自分の力だとは認めてもらえなかった。
ズルをしているのだと言われ、元々の八方美人も手伝い媚を売っていると疎まれ、努力してもなにも報われなかった───。






「───自分を保つために、あることないこと喚くのは仕方ないと思う」

別に自分が特別だなんて思ったことはない。
顔がいいと言われても、顔は個性だろうという考えしか持ち合わせていなかった。
何が良いとか悪いとか、人ぞれぞれの価値観だし、どう思おうとそれも個性だ。
でも人はその価値観を共有したがる。
そして自分を保つために何がしかの行動で優位に立とうとする。
それが出来なければ、対象物を無理やり下に貶すのだ。
例えその内容が虚言であろうとも。

「わたしも自分を守るために、人を観察するようになったしね」

”観察”というのは、人の心情心理を読み取ることだった。
自分に対して注がれる悪意や下心に、必要以上に関わらないように。
人との距離を保つために、自己防衛のために人をよく”見る”ようになった。

すると赤司は小さな声で、「そうか」と一言呟くと、紅茶を揺らしながら続けた。

「白藤が見ているのはそれでなのか」

さすがに理由までは分からなかったからだろう、納得したという表情を浮かべている。
優衣が紅茶をすすると、彼はそのまま確認作業のように問いかけてきた。

「視野が広いな。もともと目がいいのか?」
「まあ、うん……」
「後ろまで見えていそうだと感じたが」
「ないない。気配に敏感なだけだよ。さすがに見えない」

優衣は苦笑いしながら答える。
しかし赤司は真面目な表情のまま、さらに続ける。

「そうか。だが、見たものを記憶しているんだろう?」
「え……あ、うん。なんでか、視界に入った人は忘れられないの。一度見たら覚えてる」
「それで違いを比べているのか」
「うわー……わたし、本当に君が怖い」

自分の行動を的確に告げられることに慄きながらそこまで伝えると、彼はくつくつと笑う。
そして問いのような、独り言のような言葉を呟いた。

「記憶の中の表情と見比べているのか……」
「あれ、そこは読み違えたみたいだねー」

思わず優越感に浸って指摘したが、赤司を見れば同じような表情をしていた。
今更持ち合わせる感情ではなかったと気付きその気持ちを投げ捨てる。
あからさまな彼の誘導尋問というやつにまんまと引っかかってしまったのだ。

「むしろ表情を見ていると言うよりは……」
「お察しの通り、目の動きとかだけじゃなくて、全身だね。行動を起こそうとする筋肉の動きをぜんぶ観察してるよ」

赤司の言葉を遮り、ため息混じりに尋問に答える。
表情だけでは読み取れない些細な変化も見逃さないようにと、対象人物の癖や全身の変化をみているのだと説明した。

「だから昨日みたいなことが起こったのか」
「うん……。(何この人、本当に怖いんだけど……)」

返事をしつつ心の中で怯えていようとも会話は続く。
彼はクラスメートが剣道をしていたことに気付いたのには驚いたらしい。
あれは単純に、左足の裏の爪先だけやたら皮膚が厚かったのを見て推測したのだと告げる。

「本当によく見ているんだな」

すると感嘆をもらすように彼はそう言った。

動きや状態をみることは、優衣にとっていつからかすべて無意識にしてしまうことだった。
肌の色の変化でも感情や体調を判断できるし、声色や触れて感じ取る体温でも違いを観察していた。
それを伝えると、赤司は少し驚いた態度を示した。

「そこまで見るのか」
「悪を排除するためにね」
「本当は人が好きなのにか?」
「……君のことは嫌いになりそうだけど?」

優衣は眉をひそめながら答えた。
すると彼はまた喉を鳴らして笑う。

「あんなに好奇心に満ち溢れた眼をしていれば分かる。あれは興味と執着の眼だ」

彼が優しく伝えたその言葉に、自分の仮面を剥がされたような衝撃を覚える。
そんな眼をしていたのかと思うと、動揺するのと同時に、自分の中で小さな希望が生まれた。

「意識して見ないようにもしているんだろうが……」

しかし流れるように紡がれる彼の言葉に、耳を塞ぎたくなった。
昨日の再現ならば、きっともう次は自分を保てなくなる気がした。
おずおずと彼の横顔に視線を向けると、彼と目が合う。

「そうやって、オレと初めて目を合わせた時、白藤は途中から色のない目をしたな」
「やだなぁ、そんな死んだ魚の目みたいな言い方……」
「あれはわざと、だろう?」

笑ってごまかそうとしても、やはり無意味だった。
彼はあの赤い双眸で、優衣を捉えたまま言い放った。

「そんなに人は、信用出来ないか?」








───こんなにも、泣きたい気持ちになるのはいつぶりだろう。
まるで全てを見透かしているその言葉は、するどく核心をついた。

そうだ、いつからか“人自身”に興味を持てなくなった。

どんな人かと見るのだから、本当は興味があったはずなのだ。
なのにいつしか悪意や自分に害がないと分かると、なんの感情もわかなくなった。
赤司のときは、彼の目が気になったにも関わらず無理やり自分から断ち切った。
自分でも原因は分かっていた。

人を、信用出来なくなってしまったから。

人は裏切るものだという固定概念が気付けば脳内に住み着いていた。
人と関わることに無頓着になり、そのうち無関心でいることにも慣れてしまった。
それでも無意識に人を“見て”しまうこの目を、彼は好奇心に満ち溢れた目だと言った。

自分はまだ、人を好きでいることが、人に興味を持つことが、出来るというのだろうか。
そう思うとちっぽけなプライドも捨てて、泣きついてしまいたい衝動に駆られる。

「───ねぇ、どうやって、色を映してくれるの?」

それはすがるような思いだった。
すると彼は、とても優しい表情で優衣の頭を撫ぜた。
そして触れたその手は、不意に、力強く優衣を引き寄せた。

突然のことにどうしたらいいか分からなかった。
気付けば彼の吐息が耳元で聴こえ、目の前には赤い髪が広がった。

彼の温もりを感じながら、彼の言葉が耳元に優しく響く。
優衣はその導くような迷いのない言葉に、気がつけばゆっくりと頷いていた───。








「オレのそばにいればいい、優衣」












そ の は 温 も り を












全てを見透かす彼は、本当に色を映してくれるのかもしれない。

彼の温もりに触れて、そう思わずにはいられなかった。







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男前な赤司さん
2018/03/31 (2012.12.09)

Clap!


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