心の隅に君が灯る




「バスケットボールに興味はあるか?」

優衣の家から帰る間際、赤司は優衣に問いかけた。
それは知っているかと聞かれたような気がして、ルールなど詳しく知らない優衣は首を横に振った。

「……ない」
「そうか」

一言だけで答えると、赤司も素っ気ない返事をした。
だが何かを考えている素振りもあり、触れないほうがいいだろうと優衣もそれ以上は口を開かなかった。
無言のまま、せめてマンションの下までは見送ろうと思いサンダルに足をかけた。

「見送りはいい」

しかしその行動を制するように、目の前にすっと赤司の手が差し出され止められた。
目を合わすと小さく口元を緩めた赤司は、「また明日」とだけ言い残し玄関の扉を閉めた。






翌日、登校した優衣は教室の入り口の前で立ち尽くしていた。
いつものように彼は隣の席にいた。
席替えなどしていないのだから当たり前なのだが、なぜ隣なのだろうかと優衣は小さくため息をついた。

いつもと変わらずそこに座っている彼は、優衣の目の前に立ちふさがる壁をいとも簡単に飛び越えてきた。
そんな彼に優衣が思わずすがりつくような姿をさらけ出したのはつい昨夜の話。
あの時からもやもやとした気持ちが残り、どうも違和感が拭えない。

どんな風に彼の隣で過ごせばいいのだろうかと逡巡していると、忙しなく人が行き交う廊下で立ち止まってしまった。

「白藤さん、だよね?入らないの?」

不意に後ろから声をかけられた。
振り返るとすらっと背の高い女子生徒が首を傾げていた。

「あ……ごめん、邪魔だね」
「全然気にしないで!それよりずっと立ち止まってたけど、大丈夫?体調悪い?」

優衣の身体を気遣う目の前の女子生徒は、クラスメートではなかった。
だが、名前は知らないが一応記憶にある顔だ。
長い廊下に連なる教室のひとつ、確か自分の教室とは真反対の教室で見かけたはずだと思い出す。

「……そんなことないけど」
「本当?白藤さんってもともと色白いけど、今日はなんか青白いよ?」

そう言うと彼女は優衣よりも少し高い背を丸め、顔を覗き込むように屈んだ。
そんなに変化が現れているのかと思うと、優衣は余計に教室に足を踏み入れにくくなった。
これでは赤司に気まずさを感じていることがバレてしまう。
一瞬サボろうかという思考が働きかけたが、なんとか頭を振り追い払った。
逃げているように思われるのも嫌だし、自分も逃げるようなことはしたくなかった。

「大丈夫」

自分に言い聞かせるように優衣はその言葉を吐き出した。
「ありがとう」と付け加え、教室に足を踏み入れる。
すると彼女は後ろから優衣ではない名前を呼びかけた。

「赤司くん!」

驚いて振り返ると、彼女は優衣に笑顔を向け、爽やかに言い放った。

「赤司くん、部活が一緒だから知ってるの。何かあったら彼に頼ったらいいよ」
「……そう。(……残酷な優しさをありがとう)」

心の中で毒吐きながらなんとか平常心を保ち、どうしてクラスメートではない彼女がここにいるのかを把握する。
優衣は後ろに人の気配を感じてまた小さくため息をついた。

「桃井。どうしたんだ?」
「部活のことで用事があったんだけどね」
「ミーティングのことか?」
「あれ?知ってたんだ。ならいいの!」
「そうか」
「それとね、白藤さん体調悪そうだし、赤司くん気にかけてあげてほしいなって思って」
「……優衣、体調が優れないのか?」

瞬時に終わってしまった部活の話は、存在を隠すことはできなかった。
さらっとその場から離れようとしていた優衣は赤司の視線に捉えられる。
絡まる視線は様子を探られていることを十分に伝え、優衣は目をそらして仕方なく口を開いた。

「大丈夫だよ。朝弱いだけだから」
「あれ?赤司くんと白藤さんって仲いい感じ?」
「席が隣なんだ」
「そうなんだ!じゃあ安心だね!」

「無理しないでね」と続けると、桃井は颯爽と教室から離れていった。
なにが安心なんだと心の中で嘆き、桃井の背を見送る。
不本意な形で赤司と言葉を交わした優衣は、彼を一瞥すると黙って机に向かった。

「気にするな」

席につき、鞄から愛読書を取り出した時だった。
隣に座った赤司は呟くようにそう言った。

昨日のことを言っているのだろうか。
だとしたら、やはり気まずさを感じていることなど彼は分かっているということだ。

「赤司くんにはかなわないなー」

自嘲するように言葉を返した。
気にするなと言われても、あんなに人前で取り乱したのは初めてのことだった優衣からしてみればそれは容易なことではない。
そうさせた張本人の彼は飄々としているが、それが余計に恥ずかしさを募らせ、顔を合わせづらくなる。
そしてその羞恥心がふつふつと湧いてくると、また言い知れぬ違和感がつきまとった。

(なんだこの感じ……)

違和感に優衣が僅かに眉をひそめると、赤司は目をそばめて口を開いた。

「昨日のことを言ってるんじゃない」

ため息混じりに、その言葉は発せられた。
隣を見れば彼の様子はいつもと変わらない。
だが、優しい言い方のはずなのにその声にはたしかに呆れが入っていた。

(あれ、わたしが悪いの……?)

呆れた様子でため息なんかつかれたら、悪いことをした気になる。
でも、なぜ自分が悪いことをした気にさせられているのかがピンとこない。
そもそも昨日のことでなければ何を気にするなと言うのか。
そう思っていることもお見通しなのか、赤司は優衣を一瞥すると、口元を緩め言葉を続けた。

「ああ、すまない。呆れている訳ではないよ。ただ、ひとつのことにだけ目を向けるのはどうかな」
「ひとつのこと?」
「ああ。どうして優衣は気まずさを感じているんだ?」
「え……それは……」

また彼は言いにくいことをあっさりと問いかけてきた。
優衣はさらに気まずさを感じながら、それでも答えた。

「昨日のことが……恥ずかしくて、ですね……」

思わず敬語になり、目を逸らしながら答える。
そんな優衣の動揺も気にせず、赤司はさらに言葉を続ける。

「そんなものは人として当たり前にある感情だ。自分の情けない部分を見られたら羞恥心が生まれる」
「……うん」
「その感情を持つことを、気にすることはないと言っているんだ」
「……ああ、なるほど」

もやもやとしたものはこれだったのか、と心の中でひとりごちる。

昨夜から拭えずにいた言い知れぬ違和感は、焦燥感だ。
今までは傷つくことが嫌で、自分の感情にも蓋をするようにしていた。
人と関わらずにいたから、人に自分の感情を見せることもしなかった。
そんな優衣にとって、赤司の前で、人の前で自分の感情を曝け出すことは不安でしかなった。
そしてその不安というものは特に蓋をしていた感情で、内心に焦りが生まれた。
溢れ出てきた気持ちをどうすればいいか分からず、自分でも持て余していたのだ。

「人と関われば、自分の感情とも向き合うことになる」

落ち着いた穏やかな声音で、赤司が言葉を紡ぐ。
彼へと視線を戻すと、その赤い双眸は真っ直ぐ優衣を見つめていた。

「感情を持って人と関わる時、どうすべきなのか。そんなのは関わってみなければ分からないだろう?」

至極当たり前のことなのだが、優衣は今までそれをしてこなかった。
してこなかっただけで、当たり前のことだから赤司の言っている意味は分かる。

(分かってはいるんだけどねー……)

分かっていてもどうしたらいいか分からないのだから、と優衣はもやもやとする気持ちを未だ持て余す。
どうやら人の感情には敏感に反応する割には、自分の感情には相当疎いようだと、優衣は自嘲した。
そんな優衣の様子を見て、赤司は小さく頷くと変わらない声音で言った。

「そうだな。ゆっくりでいいから、人と向き合ってみるといい」
「……うーん」
「難しいことはない。まずは、オレを名前で呼ぶというのはどうだ?」

彼は平然とした態度で言い放った。
冗談を言っているようには見えないが、もしかするとこれはおちょくっている可能性もある。

「えーっと……?征十郎くん、と、呼べばいいの……?」

優衣は恐る恐るその提案に乗ってみた。

「ああ、好きに呼ぶといいよ」

満更でもなさそうに彼は頷く。
優衣は「わかった」とだけ答え、これは本気だったのかと内心慄いていた。
向き合うことと名前を呼ぶことに繋がりも見出だせず、なぜ彼がそれを提案したのか分からなかった。
しかし、意味のないことはしないであろう彼が、提案したのだ。
これは意味のある行為なのだろうと、優衣は固い頭をさらに固くしていた。
すると隣に座る彼は、くつくつと笑い始めた。

「何もそれほど難しいことは言っていないだろう」
「いや、そうなんだけど……」
「呼んでほしいだけだ。それではだめか?」

優しそうに目を細めているが、確実にその口元は歪んでいる。

「征十郎くん……ながい。めんどくさい。征でいい?」

これはやはり、少なからずからかわれていると察した優衣は投げやるように言った。
そんな反応でも、赤司は満足そうにそれを了承する。

「優衣が呼びやすいものでかまわない」
「……これ、向き合うことになるの?」
「名前を呼ぶことは距離を近づけると思わないか?」
「距離、ですか……」

優衣はふと先日出会った、下の名前で呼び合う人物を思い出した。
たしかに彼とは他の人よりも同じ空間にいることが心地良いと感じる。
だがそれは彼のノーテンキさがさせるもののような気もするが……。

「まあ……そうかもしれないねぇ」

屋上で出会った空色の彼を思い浮かべながら相槌を打つと、「そうだ」と赤司が思い出したように声を上げた。

「それと、もうひとつ」
「……なに?」

まだ何かあるのかと少し構えて彼を見据える。
すると赤司は口元に軽く弧を描きながら言った。

「放課後、屋上で呆けているくらいなら部活を見に来るといい」
「なっ……」

なぜそれを知っているのかと問いたくなったが、優衣は口をつぐんだ。
授業をサボるのも屋上だが、放課後にもよく屋上に行き、景色を眺めることが多かった。
空色の彼を思い出した後に赤司が『屋上』と言ったのは偶然だろうが、思わずそのタイミングの良さに優衣はまたも慄いた。

彼は思考まで読めるのか、どこまで自分のことを把握しているのか……。
考えても答えは出ないので、そこには触れずシンプルな質問を返すだけにした。

「部活って……征の?」
「ああ。バスケ部だ」

昨夜の帰り、彼が唐突に放った単語はそういうことかと得心する。

「なんでまた?」
「覚えてないのか?」
「……へ?」

素っ頓狂な声を上げ、記憶を呼び起こすが分からない。
だが赤司はそんな優衣の様子に呆れるでもなく淡々と真顔で続ける。

「昨日、オレは言ったはずだが」

いつでも真っ直ぐと向けられる赤い双眸は、いつも優衣を捉え、離そうとしない。
この眼は凶器だ、と優衣は頭の片隅でぼんやりと感じた。
離すことが出来ないまま赤司を見つめていると、ゆっくりと、彼の口元が弧を描く。








「オレのそばにいろと、言っただろう?」












心 の 隅 に












赤い双眸は優衣だけをくっきりと映す。

(──────やっぱり、彼の眼は凶器だ)

優衣は自然と熱を帯びる頬を隠すように、赤司から目を逸らした。







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怒涛の赤司さん√でした
2018/04/05 (2014.04.15)

Clap!


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