夕焼けを映す君の目
「ねえ、征」
この日最後の授業が終わり教科書を片付けていると、隣から声をかけられ赤司は視線を移した。
「行ってみるよ、バスケ部」
先日、放課後が暇なら部活に来いと言ったが、結局「家事が忙しいからムリ」と素っ気なく返されその話は終わっていた。
それがどういう風の吹き回しだろうか。
赤司は視線を絡ませ様子を見ていたが、しばらくして口を開いた。
「一度部室に顔を出すから、そのあと迎えにくる。一緒に行こう」
そう言って、僅かに微笑を浮かべた。
彼女の瞳の奥から、あの小さな光が見えた。
興味がないと言ったバスケにどうやら興味を抱いたらしいと知り、気分が高揚するのを感じる。
自分が唯一好きでしているバスケを、彼女も好きになってくれるかもしれない。
いや、好きになってもらう。
そのために、誘ったのだから───。
「でもバスケのこと詳しくないし……途中で帰ったらごめんね?」
「いや、帰りは送ろう。退屈に感じたら本で時間を潰しているといい」
赤司は机の上に置かれたままの優衣の愛読書を一瞥すると、柔らかい声で答えた。
言外に飽きるかもしれないと伝えた彼女は、申し訳なさそうに本を鞄にしまう。
「……とりあえず、掃除行ってくるね」
そう言って彼女は離れていった。
その後ろ姿を見ながら、赤司は思考を巡らせる。
これは強く惹きつけないと、また離れてしまうかもしれない。
自ら色を求め近付いてきたのに、さらに引き寄せようとしたら離れていった彼女だ。
今また自ら近付こうとしているが、あの様子ではまた不安定なまま離れるかもしれない。
まるで猫のような、そんな気まぐれな彼女を、どうやってそばに居させようか……。
なにがきっかけかは分からないが、彼女が僅かでも興味を抱いたというのならこのまま引き込んでしまいたい。
そう思いながら、赤司は窓の外を見やった。
春の終わりを匂わせる暖かい風が、ゆったりとカーテンをなびかせ、赤司の身体を通り抜けるように優しく吹いた。
*
放課後、練習着に着替えた赤司とともに体育館へといくと、優衣はそのまま二階の観覧席へと連れて行かれた。
「ここで見ているといい。全体が見えるほうがいいだろう」
「他の見学っぽい子、下で見てるけど」
「あれは正式の見学ではないからね」
「え?」
「優衣はマネージャーになるために見るのだから、観覧席にいて構わないよ」
「……ん?あれ?わたしってマネージャーになるの?」
「ああ、なってもらうよ」
「……」
有無を言わさぬというように妖美に微笑む赤司を見て優衣は閉口した。
これはもう何を言っても無駄だと感じ、大人しく椅子に座った。
この男の、この慎ましやかな表情で人を追い込む姿は、なぜこんなにも優雅なのだろうか。
(やっぱり、わたしとんでもない人に関わっちゃったんじゃ……)
優衣はどこを見るでもなく、宙に視線を漂わせた。
なぜかは分からないが、優衣がマネージャーになるように彼は考えているらしい。
以前、バスケは興味ないと答えたのに一体なにを見出したというのだろうか。
疑問に思いながらぼんやりとコート上を眺めていると、不意に見慣れた青色が視界に飛び込んできた。
「基礎練は退屈かもしれないが、最後の練習試合では、退屈させないよ」
隣から赤司の声がして、ハッとした。
すぐ視線を戻して「うん」とだけ頷くと、彼は練習が始まるからと踵を返した。
その後ろ姿を目の端に映しながら、優衣の意識はコート上にいる青い髪の少年に引き寄せられていた。
ウォーミングアップをしている姿でさえ、屋上で出会う時とは打って変わって、生き生きとしている。
彼は本当にバスケが好きなのだと知り、優衣は途端に胸が締め付けられるような苦しさを感じた。
いままでと全く違うその姿から、目が離せなかった。
───『バスケやってる時が一番楽しいな』
脳内で彼の言葉が再生される。
どうしてか、取り残されたような感覚に陥った。
キラキラと輝くあの澄んだ目で「バスケが楽しい」と言った彼の姿が、脳裏に焼きついている。
楽しくて、大好きで、大切なもの……どれも自分にはないものだからだろうか。
(楽しい、かぁ……)
僅かな嫉妬が絡みつく感情が胸につかえたまま、彼らの練習風景を眺めた。
基礎練習とやらは、内容的にはたしかに退屈だった。
しかしスポーツをまともに見てこなかった優衣は何もかもが新しく、面白く感じた。
というのも、バスケ部員それぞれの筋肉の動き、呼吸の乱れなどが、手に取るように分かるのが面白かった。
どちらかというと、赤司が期待していろという風に言った最後の練習試合の方が、その点では面白みはなかった。
ルールなどが全くわからない優衣は、最初は笛が鳴るたびになぜ今鳴ったのだろう、なぜ中断されたのだろうと気になり、記憶とのすり合わせをしながらの観戦になりあまり集中できなかったのだ。
しかし、後半になって出てきた彼らの動きに、優衣は目を見張った。
敵チームの間を縫うように赤司がボールを投げる。
どこに投げても必ず味方の手元にいくボールは、赤司の器用さを見せつけるようだった。
だが、どんなボールでもすくい上げ、どんどん点を取っていく青峰も、まるでボールの意思を操っているのではないかと思わせるほどだった。
なにより、思っていた以上にふたりが楽しそうにしていたことに、優衣は心が揺さぶられた。
他にも、ゴールの下で微動だにしないのに、敵チームのボールを叩き落とすやたら背の高い生徒や、何度も遠くからボールを投げて、その都度なぜか三点を加算させる生徒にも驚かされた。
結局赤司の言った通り、練習試合を最後まで食いるように見た優衣は、見ていただけだったというのにどうしてか疲れていた。
部活の終わりを告げる挨拶の声が、広い体育館いっぱいに響き渡る。
ふと顔を上げると、散り散りになった部員の中に見慣れた青い彼を見つけた。
優衣の視線に気づいたのか、たまたまなのか、青峰も顔を上げふたりの視線がしっかりと交わる。
(あっ───)
お互いが口を開いた瞬間だった。
他の部員に声をかけられた青峰から、その視線は外された。
この距離でなにか話せるわけではなかったが、彼の後ろ姿を見ながら、なぜか残り惜しく感じた。
赤司も青峰も、基礎練習では辛そうだったが、練習試合の最中はとても楽しそうにしていた。
彼らのその高揚感だけで走る姿を見て、優衣自身も心を動かされた。
気付けば一生懸命、彼らの姿を追っていた。
───わたし、あの場にいたいと、彼らのそばにいたいと、一瞬でも思ったんだ。
心のなかでストンっと落ち着くのが分かった。
高鳴る胸の鼓動が、身体中に響きわたる。
本当に今でもずっと求めていだのだと、思い知る。
赤司の言うように、『興味と執着』がいつまでも自分の中に燻っていたのだと。
きっと今、わたしはあのコート上に立って、駆け寄って、彼らと話がしたいんだ───。
茫然としていると、不意に視線を感じて我に返った。
視線を感じる先に目を向けると、そこには赤司が立っていた。
目が合った彼は、一瞬どことなく不機嫌な雰囲気を漂わせているように見えたが、優衣が首を傾げる前にその表情を優しいものに変えた。
(そういえば、帰りは送ってくれるって言ってたっけ……)
優衣は鞄の中の携帯電話を掴むと、赤司に見えるようにそれを引き上げた。
彼は頷くと、すっと視線を外し動き出した。
きっと部室で着替えてくるだろうから、外にいるとメールを入れて待っていよう。
優衣はカバンを持って静かに席を立った。
体育館に向かう途中で交換した、メールアドレスを開く。
『お疲れ様。体育館の外で待ってるね』
送信ボタンを押すと、優衣はゆっくりと階段を降りた。
*
「征は本当になんでも見えてるんだね」
部活が終わり部員たちが自主練習を行う中、赤司はひとり抜けて優衣を約束通り自宅まで送っていた。
優衣の言葉に少し間を開けて、口を開いた。
「……そうだな、周りが見えていないとできないポジションだからね」
その言葉に次は優衣が微妙な間を作った。
「…………ポジション」
優衣が眉をひそめて小さく零した言葉をなんとか拾う。
その言葉の意味をふと考えて、赤司はなるほどと納得した。
「興味がないと言ったのは、ルールを知らないという事だったんだな」
教室で「詳しくない」と言っていたが、そもそも知らなかったのだ。
赤司が腑に落ちたようにそう言うと、優衣もバツが悪そうに、
「だって、やったこともないし、ちゃんと見たのも今日が初めてだったんだよ」
と言って少しだけ口をすぼめる。
「あるかないかで言うと、興味なかったんだよねー」と独り言のように呟いた。
それ以上彼女が言葉を続けることはなく、赤司は代わりに口を開く。
「だが、少しでも興味を抱いたから、今日は来たんだろう」
「まぁそうなんだけど……」
「……誰か知り合いがいたのか?」
赤司は努めて冷静にこの言葉を吐き出した。
優衣が自分ではない誰かに目を奪われているのは、分かっていた。
「まぁ、うん。青峰くん、だっけ」
それが、青峰だということも。
「彼と話したことがあってね。それで、彼がバスケ、楽しいって……」
優衣はか細い声でそう言うと、不意に立ち止まる。
赤司は一歩前へと進んでから、振り返ることなく足を止めた。
「征も、ダイも……すごく楽しそうだった」
聞きなれない名に思わず顔をしかめる。
きっと名で呼び合う仲なのだろうと、ふたりの関係を想像して、心のなかの灯火が揺れた。
「いいなぁ、って、ちょっと思ったよ」
赤司はゆっくりと振り返り優衣と視線を絡ませる。
その目はどこか寂しげではあったが、彼女は夕陽に溶け込むような穏やかな表情をしていた。
練習が始まってしばらく、優衣の様子に多少ではあったが違和感を感じた。
すぐに落ち着いたようだったが、その後、彼女が意識を向けているのが自分ひとりだけではないことにもすぐに気が付いた。
練習が終わり観覧席の彼女を見たとき、それがどこに向いているのかを痛感した。
彼女の目に映る色は、ひとつだけでいいと思っていたのに───。
しかし、青峰がいなかったらきっと優衣は自ら来ることはなかっただろう。
違う手段を考えてはいたが、それをせずに済んだことには感謝すべきだろうか。
だが、彼女はまたスルリと離れようとする。
「マネージャーのことも考えたけど、でも、やっぱりそれは無理そう」
青峰もそこまで引き込むことはできなかったかと覚る。
「人を支えるとか、自分にできると思わない」
「そうか」
赤司は小さく頷くと、ゆっくりと歩き始めた。
少しして後ろから彼女の足音が聞こえる。
彼女は猫のように気まぐれで、近付いたと思うと離れていく。
けれどまた今日のように、彼女の方からおずおずと歩み寄ろうとするのだろう。
もっと近付かせたい。
いや、近付かせる──────。
「それでも、優衣はマネージャーをすると言うよ」
つっと立ち止まり振り返る。
不意のことに優衣はぶつかりそうになり足を止めた。
手を伸ばせばすぐ触れられるのに、きっと彼女はすんなりと手を解くだろうその距離に焦ったさを感じる。
優衣は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにその顔を怪訝そうにさせて「なにそれ、予言?」と言うとひとり歩き出した。
(予言でも、信頼でもない。これは決定事項だ)
心のうちでつぶやくと、今度は赤司が優衣の少し後ろを歩く。
「ルールが分かれば、もっと興味を持ってくれるのかな」
「どうだろうねぇ」
「いや。今日見に来たということは、もう興味がないという訳ではないか」
「どうだろうねぇ」
彼女はのらりくらりと、適当に相槌を入れる。
「少しでも気になったことがあったなら、なんでも聞いてくれ」
「えー……じゃあ、なんで一点ずつじゃなくて二点ずつ加算されるの?」
「…………そこからか」
赤司は苦笑を漏らしながら呟いた。
簡単に説明していると、気づけば彼女はすぐ隣を歩いていた。
真剣な眼差しを向けて聞く彼女の眼には、あの光が宿っている。
その眼を見ると、自分の中で抑えられている感情が高ぶるのが分かる。
この眼をもっと見ていたいのだと、この眼にもっと色を付けたいのだと。
彼女の光は、赤司のせき止めていた感情を溢れさせようと駆り立てる。
「征は、バスケのことだと、話をしてるだけでも嬉しそうだね」
徐に優衣は笑った。
そっと優しく、彼女自身も嬉しそうに、そう口にした。
「嬉しそう、か」
「うん。楽しそうっていうより、なんか嬉しそうだよ?」
「そうか……」
赤司はその感情を指摘されるまで自分でも気がついていなかった。
嬉しい、という感情は久しく感じなかったものだ。
心のなかの灯火が穏やかに温かくなるのが分かる。
「優衣が少しでも興味を持ってくれたからだろう」
「……そんなことで?」
彼女は首を傾げ、どこか可笑しげに零した。
そんな彼女に、絡みつくような視線を投げて、赤司は告げた。
「オレが好きなものを、優衣も好きになってくれるのかもしれないと思うと、オレは嬉しいよ」
いつのまにか赤く染まる帰り道。
燃えるような夕焼けが、彼女の眼を赤く染め上げていた。
夕 焼 け を 映 す 君 の 目
小さな灯火は、その姿を大きく変えようとしている。
夕焼けに赤く染まるその目に、この姿を焼き付けようと、それは赤々と燃え上がる。
また、若葉の香りが混じる暖かい風が、赤司の身体を通り抜けるように優しく吹いた。
(オレはお前を離す気はないよ、優衣───)
彼女を照らすだけだった小さな灯火が、飲み込むような猛炎に成り代わろうとするのを、赤司はただ静かに感じ取っていた。
−−−−−−−−−−−−−−−
情熱的な赤司さん
2018/04/20
(
Clap!)
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