葉桜の季節に
大型連休で賑わう街、雲ひとつない空の下で、彼はふと足を止めた。
陽射しの強い、夏のようなその日。
しかしまだ、時折冷たい風も吹くような、そんな季節───
葉 桜 の 季 節 に
朝から行われた部活は夕方に終わり、緑間は本を求め少し足を伸ばして大きな書店へと立ち寄った。
そして気に入った本の続編を手に入れ、少し気分のいい帰り道。
前から歩いてくる人ごみの中で、彼は見知った顔を見かけた。
「ちょーかわいくね?」
「芸能人かな……」
「ちょい、お前声かけてこいよ!」
「え!?ムリだって!」
「じゃあオレ告ってくる!」
周りの雑音は彼女の耳にまで届いていないのだろうか。
道の真ん中で男たちの視線を一身に集めた彼女は、飄々と歩いている。
あれは確か、白藤ではないだろうかと記憶を辿る───。
つい先日、彼女は突然現れた。
部活が始まる前、更衣室で主将と話す赤司が「見学させたい生徒が……」と言っているのが聞こえた。
わざわざ主将に伝えるとは、と疑問に思っていたら、赤司に連れられて来たのはあの女子生徒だった。
周囲が色めき立つのを感じ耳を傾けていたら、学校一可愛いと噂され高嶺の花と呼ばれる、白藤優衣という人物なのだと知る。
赤司に二階の観覧席に案内される彼女は終始無表情で、たしかに顔立ちはいいかもしれないが……とあまりいい印象を受けなかった。
だが、その後の練習試合の最中。
不意に見上げると、彼女と視線がぶつかった。
身体が勝手に立ち止まり、目が離せなかった。
射抜くような力強い目の奥に、小さく光る好奇心の塊が見えた気がした。
あの光りは執着心でもあるのではないか。
そう思うのに、無表情の彼女から放たれる雰囲気は終始、拒絶だ。
小さな光を持つ目にそれは似合わず、あまりにもちぐはぐな彼女の様子に、目をそらせなかった。
笛の音が鳴り響き、はっと我に返った。
彼女はもう目を合わせることはなく、ただひとり、空気に溶けこむように試合風景を眺めていた。
───あの違和感を感じた目は今、何も色を映さないような、力のない目になっている。
光を灯さないその目は、ひどく彼女に似つかわしくないものに思えた。
「付き合ってください!」
道の横から現れた男は、彼女の前に立ちはだかるとそう唐突に言い放った。
「ごめんなさい」
そしてさも当然というように返事を述べた彼女は、止めた足をまたすぐに動かした。
流れるような会話に男は項垂れている。
それを見て、すぐに彼の連れだろう男たちが彼女を取り囲んだ。
「友達からでもいいじゃん」
「メアドだけでも教えてやってよ」
「てかオレとデートしない?」
またしても歩みを止められた彼女は、無表情のままだが心なしか困っているように感じた。
「白藤」
気がつくと緑間は彼女の名を呼んでいた。
しかし、呼んでからはたと気付く。
彼女は自分のことを覚えていないのではないだろうか。
あの時は一軍だけだったと言えども、観覧席とコート上の離れた距離で、たった一度目を合わせただけだ。
思わず声をかけたが、この群がる男どもと一緒にされては困りものだと緑間は眉をひそめた。
「あ、やっと来たー」
ところが彼女は抑揚のない声でそう言うと、緑間のもとに駆け寄り、流れるように手を繋いできた。
「なっ……!なにをするのだよっ!」
「いいじゃん、カレカノなんだからさー」
咄嗟のことに動揺を隠せずにいると、彼女はさらりと言ってのけた。
「ほんと照れ屋だよねー」
あまりにも棒読みなそれは確実に嘘だと分かるだろう。
だが、彼女は無表情のまま、緑間にとどめの一撃をさした。
「ねぇ、真?」
緑間は途端に赤面するのを認識し、繋がれていない手でメガネを触り顔を隠す。
どうしてか自分の中のよく分からないプライドが、負けじと反撃しろと自分をけしかけた。
「……早く行くのだよ、優衣」
「うん、行こっかー」
しかし精一杯の反撃はさらっと流された。
彼女は何となしに満足そうな雰囲気を漂わせ、緑間の手を引いて歩き出した。
来た道を引き返すことになっているのだが、それは今気にすることではない。
後ろで悪態をついてくる男どもの声もすり抜けていく。
繋がれた手を見つめ、緑間は呆然としたままただ歩くだけだった。
しばらくすると、無表情だった彼女は徐に口を開いた。
「ありがとう、緑間くん」
同時に、繋いでいた手をするりと離した。
どこか愉快そうにお礼を述べた彼女に色々と問いただしたいことはあったが、まずは率直な疑問を口にした。
「なぜ名前を知っているのだよ」
「ああ、それだよ」
優衣は視線だけを動かしそう述べた。
それ、と言われたものは部活用のスポーツバッグに付けていたネームプレートだった。
なるほど、とひとりごちて優衣を見ると、彼女は小さく口の端をあげて言葉を紡いだ。
「お礼、させてね」
それは否を受け取らない言い方だった。
お伺いを立てられたら気にするなと拒否を示すことも出来ただろう。
もちろん、緑間は聞かれたら拒否することを選択していたし、押し問答になっても引く気はない。
だが彼女は、その押し問答の末に言い放つべき台詞を、さらっと最初に言ったのだ。
それは緑間の意見をたやすく飲み込ませた。
「オレが必要ないと言ってもするのだろう」
「理解が早くて助かります」
優衣はかしこまった言い方で小さくお辞儀をすると、「緑間くん、やっぱり優しい人だね」と続けた。
(もしかすると、オレが声をかけることも分かっていたのか……?)
なんとなくだが、そんな気がした緑間はそれを確認しようと口を開こうとした。
「じゃあ、行きますかー」
だが、それは彼女の呑気な声に遮られた。
「……どこへ行くのだよ」
「そうだねぇ。えーっと……どこだろうね?」
優衣は緑間を見上げる。
とぼける彼女に溜息が出そうになったが、ふと、今日のおは朝占いでハプニングも楽しむといいと言っていたことを思い出す。
『求めるもの』が手に入ると言っていた。
飛び抜けて求めるものはないが、あるとすれば明日のラッキーアイテムだ。
帰宅したら母親があったと言い出すのではないかと淡い期待に思いを馳せる。
ならば、彼女に出会ってからのこの想定外の出来事は楽しむこととしよう。
「お礼をしてくれるのだろう?」
「そうそう、だから欲しいものとかないー?そんな高いのは買えないけど」
「欲しいものか、それなら……」
早速ここでか、とはやる気持ちを抑え、緑間はちらりと手元に目を落とした。
つられて優衣も緑間の手元の"それ"に視線を送る。
「……ねぇ、そういえばさっき何の本買ったの?」
そして何事もなかったかのように話を変えられた。
緑間は話をそらされたことにムッとしたが、優衣のさも見ていたかのような発言の方が気にかかった。
彼女と出会ったのは書店を出て少し歩いてからだったはずだと記憶を思い返す。
「……なぜ知っているのだよ」
「そこの本屋さんから出てくるの、見えたから」
それ以外にないだろうと言わんばかりの優衣は、緑間が先ほど立ち寄った書店を指さす。
いつの間にか近くまで戻ってきていたその書店に目を向け、ふと疑問を抱いた。
続けて彼女は、店頭で書店の袋を鞄にしまうのが見えたとも言い、緑間はその言葉に驚きを隠せなかった。
もっと前から彼女の視界に入っていたというのか。
その事実が信じられず、先ほど彼女がいた辺りに視線を投げる。
意識して見れば視界に入る距離ではある。
しかし部活で一度見かけただけの人物を、それと認識するのは難しいのではないだろうか。
そもそも、緑間はずっと前を向いて歩いていたのに、逆の立場ではまったく気がつかなかったのだ。
「……よく俺だと分かったな」
「ここは道がまっすぐだからねー」
優衣は先ほどいた所を一瞥するだけで、首を傾げて緑間の言葉を待っているような素振りを見せる。
それ以上の説明はなさそうな様子に、仕方なく質問に答えてやることにした。
「気に入っている作家の新刊なのだよ」
「……へぇ、だれ?」
すると、優衣は身を乗り出して問いかけてきた。
その反応に一瞬身構えたが、緑間は優衣を見てふとあることに気がついた。
初めて目を合わせた時に見えた、好奇心に満ちた光りが、彼女の目に小さく輝いていた。
しかも今は、拒絶の中から現れたわけでもない。
僅かに気分が高揚するのが分かった。
この目のほうが彼女に似合う、そう感じながら、彼女の問いに答えた。
そうするとまた、優衣はその控えめに光りを放つ目を向けて問いかけてきた。
「その人の作品、まだ読んだことないの。おもしろい?」
「面白いかどうかは人それぞれだと思うが、オレは面白いと思ったから読んでいるのだよ」
「ふーん……いい価値観だね」
「……なにがだ」
そしてなぜか価値観を褒められ、緑間は反応に困った。
だが彼女はさらに緑間を持ち上げる。
「君、ステキだと思う」
「なっ……いきなりなんなのだよ!」
「もっと君のこと知ってから、お礼させて」
「なぜそんな必要がっ……」
「よし、とりあえず本屋さんへ行こう」
対処しきれずにいると、彼女の被せ気味の言葉に押され口を閉ざす。
優衣はそのまま書店へと歩き出した。
(なんだ、あれは……)
緑間は呆れてその場から動けずにいた。
するとひとり歩く彼女に、また一様に周りの男が目を向ける。
相変わらずその視線をひらりひらりと躱すように優衣は歩いている。
自由というか、マイペースというのか、表現できない人種というのか……。
つかみどころがない人間とはこういうタイプの事を言うのだろう、と落とし所をつけ、緑間も足を踏み出した。
その後は彼女のペースに巻き込まれ、緑間はひたすら翻弄された。
書店に入ると、平積みされた本の中から気になる本を手に取る彼女に、これは読んだことがあるのかといちいち問われ、あると答えれば次は感想を問われる。
というのを、なぜか何冊も繰り返し付き合わされた。
次は次はと矢継ぎ早に聞かれるため、緑間もさすがに疲れたのだが、そんなことには素知らぬふりの彼女は、人の意見を聞くと満足してすぐ違う本に手をかけて質問を繰り返した。
彼女の自由さはそれだけではなかった。
優衣は目を離すとすぐにいなくなった。
興味を示したものに一直線に向かってしまうのだろう。
気を抜いて目を離すと、彼女は自分が求めたもののところへと移動しているのだ。
広い店内をぐるぐると探してやっと見つけると、また質問が繰り返される。
「いろんな本を読んでるんだねぇ」
と感心したように呟くと、気が済んだのか「じゃ、ゲームセンターにいこっか」と言い出しひとり出口へと向かった。
呆気に取られた緑間は、溜息をつきつつ彼女に続いた。
道を歩いている最中も、優衣は気になるものがあるとそれの元へとふらっと動き、姿を消した。
後ろを歩いていると思って振り返ると、大概いないのだ。
そしてひとりになった彼女の周りには必ず誰かがいた。
それはナンパであったり何かのスカウトであったり様々だった。
先ほどはなぜかサインを求められていた。
「白藤、隣を歩いてくれないか」
思わずそう言わずにはいられなかった。
後ろを歩かれるといなくなったことに気付けずに進んでしまう。
それを避けたかったのだが、その意図は彼女に届いているのだろうか。
「あー……ごめん、人と歩くことに慣れてなくてねー……」
優衣は間延びした言い方で、力の抜けていくような小さな声でそう言った。
すっと隣を歩き出した彼女は、何人かの男たちに渡されたものを細かく千切っている。
「……なにをしているのだよ」
「最近、個人情報とかうるさいでしょ?人力シュレッダーしてるの」
スカウトの名刺や携帯番号が書かれたメモであろうものが、全て小さい紙切れとなる。
ゲームセンターに着くと、その紙切れたちはあっさりとゴミ箱に捨てられた。
「いいのか?」
「んー?」
「白藤は、好意を寄せられて嬉しくはないのか」
「好意っていうものがよくわからなくてねー」
そう静かな声で呟くと、優衣はキョロキョロと辺りを見回す。
しばらくして、クレーンゲームがいくつか並ぶコーナーへと足を向けた。
「緑間くんは、それ好きなの?」
軽く振り返り、優衣が視線だけをよこしてそれと呼んだものは、先ほど見事にスルーされた、手の中のもの。
有名遊園地のメインキャラクターであるネズミのキーホルダーだった。
「これは今日のラッキーアイテムなのだよ」
「……らっきーあいてむ?」
若干、怪訝そうな表情を見せた彼女が、足を止める。
「おは朝の占いで、今日のかに座はこれを持つといいと言っていたのだよ」
「毎日、そのラッキーアイテムっての持ち歩くの?」
「人事を尽くして天命を待つ。これは人事のひとつなのだよ」
「……ふーん。理系肌だと思ってたけど、意外と運命論者?」
今度はあからさまに眉をひそめながら彼女は問う。
その様子は小馬鹿にしているような気がして多少腹が立ったが、緑間はなんとか冷静に答えた。
「人事を尽くせば自ずと結果はついてくるのだよ」
「……うん、なるほどー。だからここまで付き合ってくれてるんだねー」
次は緑間が眉をひそめた。
物分かりがいいという言葉では済まされないだろう。
全てを分かったと言外に伝えるような言い方に、緑間は閉口する。
「プライドが高いだろうから、さすがにどっかで怒るかなって思ったんだけどな」
「…………」
「怒られなかったのは、占いのおかげでしょ?」
黙っているのをいいことに、彼女はそう続けた。
首を傾げ、悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「……わざとだったのか」
「全部がそうって訳じゃないけど……気を悪くさせてごめんね」
「謝るくらいならするな」
僅かに怒りを滲ませるような言葉に、その声を発してから気づく。
続ける言葉がみつからず、メガネに触れると「……なのだよ」と変に付け加えて目を伏せた。
そんなつもりじゃなかったと伝えようかと逡巡していると、優衣はゆっくりと歩き出した。
「……この辺は初めてでね。前に住んでたとこと全然違うから、いろいろ気になっちゃって」
「なんて言い訳だけどねー」と言って一台のクレーンゲームの前で立ち止まった。
「引っ越してきたのか?」
「うん、四月から」
「そうか……それは、オレも悪かったのだよ」
「謝んないでよー。歩く時に人がいるってのに慣れてないわたしが悪いの」
「……さっきも言っていたな。それはどういう意味なのだよ」
彼女は先ほども、力のない声でその言葉を零した。
コイン口にお金を入れる後ろ姿を見て、きっとあの光はいま消えているのだろうと感じ、もの寂しい気持ちを抱く。
「そのままの意味だよー」
飄々と、彼女は呟いた。
やはりつかみどころがない人物だと実感して、自然とため息がこぼれた。
「知ってる?ため息は幸せが逃げちゃうんだってー」
そう言いながら、彼女の手元は先程から始めたクレーンゲームのコントロールバーをカチャカチャといじっている。
背を向ける彼女と、ガラス越しに視線が絡まる。
「逃げた分の幸せ、取り返しましょうか」
その声が聞こえた瞬間、彼女が動かしていた機械が難なく箱の中のぬいぐるみを掴んだ。
「よし、完璧な四方固め」と呟くと、取り出し口の前にしゃがみ込む。
「得意なのか?」
「ううん、テレビで達人の技見ただけ。初めてしたよ」
平然と述べると、落ちてきたぬいぐるみを緑間の前に差し出した。
「でっかい方が人事を尽くしてるように思うんだけど?」
緑間の目の前に現れた大きなぬいぐるみは、今手に持っているキャラクターの女の子の方だった。
可愛いリボンをつけて、白いウェディングドレスを着たネズミのぬいぐるみと目が合う。
「これは……」
「あれ、男の子のほうじゃなきゃダメだったとか?」
「いや……大丈夫だ。これは明日のラッキーアイテムなのだよ」
緑間はラッキーアイテムがないと知人から借りたり譲ってもらうことがあるが、今日のも部活の際にマネージャーがたまたま持っていたキーホルダーを借りたのだ。
おは朝で明日のアイテムはネズミの女の子の方だと聞きどうしようかと悩んでいた。
しかも、『ウェディングドレスを着ているほうが効果は抜群』と言っていたのだ。
それがまさかこんなところで手に入るとは思っていなかった緑間は、人知れず目を輝かせた。
「お礼、できてよかったよ」
控えめに微笑む彼女は、「じゃあ、帰ろっか」と言いゲームセンターを出ると、手を振ってそのまま帰っていった。
───青嵐に吹かれながら、緑間は彼女の後ろ姿を見つめて呆然と立ち尽くしていた。
得体のしれない人物が運んできた『求めるもの』をテーピングだらけの左手に携え、反対の手でメガネのエッジに触れる。
(理解できん……)
なんでも分かったような言い方をする彼女を、逆に理解できる者はいるのだろうか。
沸き起こる形容しがたい感情に眉をひそめると、駆け抜けるように吹く風が、緑間の背中を押した。
波打つように新緑が揺れる、その音だけが、耳に残った。
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振り回される緑間さん
2018/04/23 (2012.12.30)
(
Clap!)
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