「おっと…まだ微妙な関係だったか」
配膳を終え杉元さんとキロランケさんの間に立ち尽くす中、泳がせた視線が炉を挟んだ先で先生とぶつかった。ほんの少しの気まずさを誤魔化そうとへらりと笑いその場に腰を下ろした私へ、ぬくもり溢れる微笑みが返される。
「嬢ちゃんはどうだ?いい人はいるのかい?」
「いやあ、恥ずかしながら今は自分のことに手いっぱいでして…」
「恥じることなんざない、思慮深くてしっかり者の娘さんだ。いつか嬢ちゃんがその気になった時には引く手数多だろうよ」
「、あ、ありがとうございます…」
小樽の町やコタンでも、私が未婚でいわゆる年頃の女性だと知った人たちからしばしば上がったこの話題。
どんな言い訳を並べても大抵は忠告されたり考えを改めるようアドバイスをもらうのがお決まりの流れであるが、それらが善意からきていることは理解している。
だから今回だって同じだろうと思っていたのに、返ってきたのは肯定と褒め言葉。嬉しいやら恥ずかしいやら、ひとまずお礼を述べて今度は照れ隠しに目を泳がせたところ、ちょうど玄関兼物置のモセㇺから現れた気配に気が付いた。
「あ、白石さんおかえりなさい」
「うぃ〜っ」
見事な千鳥足で入ってきた手元には、既に栓の抜かれた大きな徳利。朝食の後から姿を見ないと思っていたら、丸一日町でお楽しみだったらしい。
今日も泥だらけで戻ってきた杉元さんたちを盗み見た私の視線に気付くことなく、白石さんは徳利をキロランケさんに押し付け谷垣さんがいたスペースに崩れ落ちてしまった。どうしたものかと考えるより先に、隣からふと花のような香り。振り向けばキロランケさんが徳利の中を覗き込んでいて、扱い方からそれなりに中身が残っていることを察する。白石さん、町でどれだけ飲んできたのやら。
こちらを見た柔らかな灯りが照らす深く美しい色と目が合った。いたずらめいたその輝きにピンときて徳利を受け取ろうとした手には空っぽの湯呑みが渡され、そこにあれよあれよという間に透明な液体を注がれて戸惑う。有志の方々に片付けていただくつもりだったのに、まさかのお相伴。まさかの一番手。
周囲を見回しても私への不快感を示す顔はなく、厚意と恐縮の狭間で戸惑ううちにとうとう一部から促すように頷かれ、結局頂戴することにした。
鼻を近付け強まった酒気の中には、柔らかな花と米の香り。この旅でビールやトノトを口にする機会に恵まれたけど、お米から作ったお酒は久々だ。
「いただきます」と呟き一口飲み下すと、カッと焼けるような熱が喉を流れた。強烈な芳香がくらりと頭を揺らし、まろやかな甘みが口の中に広がる。
見た目も味も香りも洗練されていて、だけど確かに感じる小さな懐かしさ。これは…白石さんが夢中になってしまう気持ち、少し分かるかもしれない。
ビールやトノトとはまた違った魅力を堪能していたら、もともと控えめな量だった湯呑みの中身はあっという間に空になってしまった。名残惜しい気持ちを抑え、すかさず次を入れようとするキロランケさんにやや強気に食器を交換してもらい、今度こそ徳利を手に入れた。キロランケさんにお酌を返しながら、視界の端で蠢く影に声をかける。
「白石さん、お夕飯間に合ってよかったです。何から召し上がりま
……先にお水を用意しましょうか」
「のむぅん…」
「はーい。杉元さんもお酒いかがですか?」
「ん、もらおうかな」
「はい。キロランケさん、次は杉元さんにお願いします」
「おう」
湯呑みと徳利の行方を2人に託して席を立つ。呂律の回らない言葉を唱え続ける白石さんの投げ出された足を避け勝手場へ向かい、置いてあった椀へ水を汲む。
白石さん随分酔っているけど、夕食を勧めても大丈夫かな。谷垣さんとインカㇻマッさんが戻ってくるまでにもう少ししゃんとしてもらわないと。
……あの2人、お互いのことをどう思っているんだろう。インカㇻマッさんが谷垣さんに特別な好意を持っていることは間違いないはずで、谷垣さんもさっきはチカパシの提案に乗らずとも、インカㇻマッさんとの関係を訂正はしなかった。それでもサヨを渡さなかった理由は2人が先生の言うように“微妙な関係”だからなのか、それともあの朝の海辺でインカㇻマッさんが告げた言葉を、谷垣さんが
──やめよう。私が考えるべきことじゃない。
いらぬ詮索を始める前に無理やり思考を断ち切り、椀を手に振り返った。
「あ」
「こいつ谷垣ニㇱパのご飯食べてるっ!!」
***
「なまえ、チタタㇷ゚まだあるぞ」
「んん〜、でももう料理もお酒もたくさんいただいて、そろそろサヨを食べようと思っててぇ」
「それじゃあ大きくなれないっ!お前は寒さに弱いんだからもっとたくさん食べろ!脂肪は!!生きる!!力だッ!!」
「そうなんですけどぉ、動きにくくなっちゃうからぁ」
「キロランケニㇱパァ!!」
「ほらなまえ、いい子だから口開けろ。あー」
「うう、太るぁあー…」
頬に押し付けられる硬いモノから身を引くより早くキロランケさんに捕まり、赤らんだ顔のアシㇼパさんが差し出すチタタㇷ゚がたっぷり盛られた匙を受け入れる。なんだかんだ言っておきながら味と鮮度を堪能し椀に残った液体を喉に流し込めば、たまらず至福のため息がこぼれた。
「なまえさんもアシㇼパさんも少し飲みすぎじゃない?先に休んだら?」
「えぇ〜?どうしましょうかアシㇼパさーん?」
「もっと食べろ」
「うぁむ」
一杯で終わるはずだったお酒。ところが杉元さんと土方さんによるトンネルの開通先とそこにいた人物についての話が終わると方々から二杯目三杯目をお声掛けいただき、遠慮はしつつもせっかくのご厚意なればと勧められるがままに頂戴していていたら、気付けばこんなことに。
私もアシㇼパさんもこれだけ出来上がったのは札幌以来だけに、杉元さんが心配する気持ちは分かる。とはいえ今のところアシㇼパさんに札幌の時以上の体調の変化はなさそうだし、私も適量をやや過ぎた自覚こそあれ、頭がたくさんふわふわしていてとてもいい気分である。へへっ。
もちろん食後の後片付けにもきちんと取り組みますよ!と杉元さんの向こうに座る大叔母様へ笑いかけたら、少々困った様子で優しい笑みを返してくださった。言葉を交わさずとも伝わってくる、私たちへ心を砕いてくださっている気配。だーいじょうぶだいじょうぶ。アシㇼパさんも既に徳利の中身に興味はなさそうなので、もう少しすれば眠気がやってくるだろう。
「お水汲んでこようか?」
「むぐ…いえ、自分で行けますっ」
「ほんとぉ?」と杉元さんは疑わしげに眉を寄せたけど、無理には止められなかった。「こけるなよ」なんて言いながら立ち上がるために手を貸してくれたキロランケさんにお礼を告げて、横になったままボーッと炉を眺めている白石さんの足をまた避けて勝手場へ。軽く濯いだ椀を冷たい水で満たし一気に飲み干せば、刺激のない液体が体中に染み渡っていく。
「ッデェッ!?」
「……?」
三杯目を注ぎ終えたところで、背後から濁った悲鳴。振り返ると足を抱えて悶える白石さんを背景に、アシㇼパさんの半開きの目に捕まる。
「口開けろぉ…」
「まあまあ、まずは座りましょうアシㇼパさん」
首の据わりがやや心許ないアシㇼパさんの背中に手を添えるも、床に転がる白石さんが通行を妨げる。今度こそアシㇼパさんが足を取られては危ないので通り抜けは断念して、回ってきた飲み物に興味を持った結果早々に寝入ってしまったチカパシと、そんな彼を連れてひと足先に寝所を借りている別のチセへ退席したインカㇻマッさんがいた空席
──先生の隣に移動した。
ちなみに谷垣さんも当然のように2人と一緒に戻っていったし、家永さんと永倉さんも本日は疲れが肌と目に出たとのことで既に休んでいる。
「先生、お隣よろしいでしょうか?」
「ん?おう来い来い」
「ありがとうございます。さ、アシㇼパさんこちらへどうぞ」
「ヒック…チンポ先生チタタㇷ゚どうぞ」
「ありがとよお嬢」
差し出された匙を素直に受け入れ「うまいうまい」と頷くほんのり赤ら顔の先生を見つめ、大きな瞳に喜びと自信を滲ませるアシㇼパさん。そんな微笑ましい光景をアシㇼパさんの隣で眺めていたら、咎めるような眼差しをじろりと向けられる。
「なまえもチタタㇷ゚もっと食べろ」
「その前にアシㇼパさんもお水どうぞ」
「むぅ」
水入りの椀と空いた手を差し出すと、アシㇼパさんは自分の手持ちとすんなり交換してくれた。受け取った椀で顔の半分を隠しながらごきゅっ…ごきゅっ…と奏でられる命の音に、ついつい感情が漏れ出てしまう。
「んふ、んふふふ…!」
「いい塩梅に酒が回ったなぁ。そら、もっと飲め」
「いえそんな、今日はもう十二分にいただきまし
──えと、じゃああとすこーしだけ…」
杉元さんの忠告がぱっと脳裏に浮かんだものの、先生からのご厚意とお酒の誘惑に流されて湯呑みを受け取ってしまう。恐れ多くも頂戴したお酌を早々に十分ですと動作で伝えて、予定より少しだけ多めの量を三口で飲み干した。
満足のため息を吐く私を見下ろして、先生の目が細まる。
「嬢ちゃんは随分とこの酒が気に入ったみたいだな。札幌でも飲ませてやるべきだったか」
「その節はごちそうさまでした!ビールもカレーもとっっても美味しかったです!今日は久々に飲んだお米のお酒に感動してしまって…!」
「この安酒でか?」
「ふむ、一度良い酒を呑ませてやらねばな」
「こんなに美味しいのにもっと上が!?」
思わず身を乗り出した私に、先生を間に挟んで座る土方さんから余裕を湛えた微笑みが返された。土方さんセレクトのものすごいお酒について想像しようとしてみたけど頭がぽやぽやして何も思いつかなかったので、とりあえず先生の手に湯呑みを返してお酌を返す。
「けっ。勝手に人の酒飲んでおいてケチつけんなよ、水増ししてねえんだからなそれ。あとで買って返せよなぁー」
「ねる。シライシ上着かせ」
「やだよ俺が寒ぃじゃん!!」
いつの間にか身体を丸めて抵抗する白石さんの半纏を剥ぎ取ろうとしているアシㇼパさん。踏ん張りの利いていない足元で半纏を引っ張る白い背中へ、上着の帯を解きながら呼びかける。
「アシㇼパさん、私の上着を使ってくださいな。さっきから少し暑かったんです」
「…んー…」
緩慢な足取りで近付いてきた肩に上着をかければ、胸元から生えた両手が衿を手繰り寄せる。そうして崩した私の膝へ頭を乗せると、アシㇼパさんはかろうじて開けていた瞼を完全に閉じた。
時折微かに聞こえる深い呼吸音と、それに合わせて上下する身体。じんわりと腿から広がる熱に、身体の芯までポカポカ温かくなる。
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