んー……確かに、その気でいてもらえるうちに白石さんにお願いするのも悪くないかなあ。酷いことはしないでくれるだろうし、知らないこともたくさん教えてもらえそうだし。
それに初めては大抵痛いっていうから、それならあんまり大きくな」
「えっ」

思考に突如割り入ってきた声。誰が何に向けたのか確認しようと顔を上げたら、視界に飛び込んできたのは再びこちらを凝視する目、目、目、目。

「?……あっ」

数拍を置いて失態に気付き素早く手で口を塞ぐ。
が、時既に遅しと一瞬でクリアになった思考は悟っている。

さーっと引いた血の気が腹の底から込み上げてきた何かとぐにゃぐにゃに混ざり合い、頭のてっぺんまで一気に突き抜けた。
突き刺さる視線に全身の産毛を逆立て息を殺すことしかできず、いっそ破裂してくれたほうが楽になれそうな焦燥感と羞恥心で再び眦が濡れていく。

「処女」
「シッ!あ、やべっ」

小さくても確かに聞こえた呟きと慌ててそれを窘める声が囁かれた瞬間、頭の中で何かが切れた。

「しょじょだったらなにか問題でも!?」
「んぁ?」

羞恥を怒りに変え睨みつけた先には、激しく首を横に振る夏太郎さんと虚空を見つめる尾形さん。寝ぼけ眼で頭を上げようとするアシㇼパさんの髪を撫で引き留めながら、大声を出した自分とそのきっかけを作った要因たちへの苛立ちが積もる。

「…あー、まあご立派なお家だと結婚するまでは〜なんて話もざらだし、お固い家のお嬢さんならその年でもいくらかいるんじゃねぇの?いけるいける」
「お固い家のお嬢さんじゃなかったら?」
……俺、今晩空いてるぜ?」
「そうですかお一人でどうぞ」
「クーン」

もぞもぞと起き上がったアシㇼパさんの肩に上着をかけ直しながら、キメ顔白石さんの余計なお世話をピシャリとはねつける。白石さんに今の私を肯定してもらえなかったことにさらにモヤモヤが込み上げて、幼稚な八つ当たりと分かっていてもチクチク言葉が止まらない。

「ね、ねぇなまえさん…?」
「殿方にとっては比較的気軽に楽しめる娯楽ですものね〜。この歳で経験のない私は大層奇怪な生き物に見えるでしょうとも。どーぞ笑うも憐れむもお好きになさってくださいな」
「そんなことしな」
「でもこっちはそう甘い考えだけで受け入れてばかりもいられないんですよ。後に残るのは一時の愉楽と達成感だけじゃないんです。それなのに、それなのにみんな早くしなさい早くしなさいって…!」
「なまえさんそろそろ休もう?ね?」
「我々はねえ!“やればできる”という言葉の重みをもっと理解するべきなんですよぉ!」
「そーだなまえ、考えてばかりいないでいっぺんやってみろっ!」
「お願いアシㇼパさんまだ寝ててッッ!!」

せっかくアシㇼパさんが賛同してくれたのに杉元さんに大声で割って入られた。何やら私に優しく言い聞かせようとしていたみたいだけど、どうせまた品がないとか言われるのだろうから知らんぷりをする。

多くの縁に恵まれ今の生き方を選んでくることができた私だけど、この先もずっとこんな幸運が続いていくとは思えない。似た境遇の女性たちの多くが選ばざるを得なかったように、生きるために自分の身体を他人の欲を発散する道具として提供することも十分あり得る未来だろう。そしてその時には、新たに覚悟しなければならない物事も多い。

私個人や、承知で事に及んだ相手との問題だけで済むならまだいい。でもそうでなければ、始まりの場所を選べなかった何の罪もない命を巻き込むことになる。それもきっと、あまりにも身勝手な結末で。

いつかを見越せば一定の配慮があるうちに経験しておくべきと思えども、あれやこれやと考えてはいつも決心を先延ばしにして、そのうちどんどん受け身でいられる機会は減っていって。
心の端でずっと感じていた、自分の選択への焦りと迷い。それを口にしてどこかスッキリした気持ちで、再び横になったアシㇼパさんの髪をそっと撫でる。

……そういえば。以前樺戸監獄の囚人たちが潜伏していたコタンを出立する際、杉元さんは女性たちの期待に応えようとする先生に「責任取れるのか?」って言ってたっけ。今思えばあの言動にも、杉元さんの実直な人柄が出ていたよなあ。杉元さんみたいな人となら、この不安も少しは和らげることができるのだろうか。
──なーんて。そういう誠実な人は、そもそも私みたいな人間を相手になんてしないのだけど。


渦巻く思考に振り回されていると肩を引き寄せられ、促されるまま身体を預けた。程よい弾力と温もりに包まれていると棘だらけだった心がしなびていくのが分かって、鼻の奥につんと感じた痛みに唇を尖らせる。

「わかってはいるんですよぉ…?いざって時のことを考えるなら、さっさと済ませておいたほうがいいって。でも誰にお願いすればとか、後で起きるかもしれない色々について考えたら、どうしても尻込みしちゃってっ…」
「おいキロランケ次は動くなよ」
「信頼できる方となら…と思っても、お願いしたところで杉元さんみたいな方には断られちゃうだろうし…」
「どわっ!?おいどこに足突っ込んでんだ杉元!!」

遠くキロランケさんの怒声を聞きながら言い訳ばかりの自分が嫌になって俯いていたら、肩から移動した大きな手が私の頭をぽんぽんと撫であやした。見上げた先には感じ入った様子で頷く先生のお顔。

「嬢ちゃんは本当によくよく物事を考えてる。
たしかに男にしかわからねえ男の苦労があるように、男には分からない女の苦労ってもんもあるんだろうなあ。それでも柔肌で俺を癒してくれるご婦人たちにはいつも感謝の気持ちでいっぱいだ」
「せんせい…!」
「だがそんな聡明な嬢ちゃんなら、時には一歩踏み出す勇気が必要なことも分かるはずだ。頭を使いすぎて足がすくんじまっている時なんかには特に、な」
「…ふみだす、ゆうき……

アシㇼパさんもさっきそんなことを言っていたっけ。敬愛する2人からの言葉を胸の内で咀嚼していると、次第にそうなのかもしれないという思いが強くなる。

自分の身体を相手の気分で扱われることとか、気付く頃には既に手遅れな感染へのリスクとか、もしもの時に私が決めなければならない命への責任についてとか。怖いものはやっぱり怖い。
でもこんなに真正面から私を受け止めようとしてくれる方に相手を務めてもらえる機会なんて、もうないかもしれない。
おずおずと先生の顔色を窺う。

……じょうずにできなくても、おこのみじゃないところがあっても…いやになったり、しません…?」
「初心者に自信をつけさせるのは先達の役目だ。最後まできっちり付き合うぜ」
「んっ…」

大きな手で包み込むように腰骨を掴まれ、慣れないこそばゆさと背徳的な感覚に私の中の何かがぐらりと揺らぐ。ちょっと待てとブレーキをかけようとする心から一歩踏み出して、私を飲み込まんとする熱い瞳に小さくうなず
「やめておきなさい」


耳を傾けずにはいられない、余情ある声が室内に響く。
方々の目が一斉に向けられる中で悠然と湯呑みを傾け終えると、土方さんは威厳と理性を湛えた鈍色に光る瞳を私へ向けた。

「牛山を相手にするのは、まだやめておきなさい」
……はい…」

頭に真水をかけらる感覚とはこのことか。鈍い頭でも自分の浅はかさを指摘されたことは理解できて、すっと心が凪ぐ。

「おい土方水差すなよ」「さっさと町に行ってこい。どうしてもと言うなら素面の時に口説き落としてみせろ」なんて続く先生と土方さんのやり取りを眺めていたら、腰に感じていた圧力がぱっと消えた。

「なまえさん今日はもう寝て。片付けは俺がやっておくから。オイ今日はもう解散だ解散、全員さっさと寝床に戻れ」

先生の腕をぞんざいに手放しそう宣言するや否や、眠るアシㇼパさんを抱き上げる杉元さん。嫌なんて言えない圧を感じながらも、最後にささやかな抵抗を試みる。

「サヨまだ食べてない…」
「じゃあ早く食べて。ほらこっち」
「まったくどいつもこいつも…」

呆れたようにぼやく先生の声を聞きながら、アシㇼパさんを抱えた杉元さんに腕を掴まれて促されるまま立ち上がった。


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