道中崖から落ちた白石さんを四人で捜し回り、ようやくコタンで保護されていた脱獄王を回収し再出発した私たちは、予定よりかなりの日数をかけて茜空美しい札幌に到着した。

馬を含めた全員に疲労の色が見える中、まずは札幌に来た目的であるキロランケさんのお知り合いの鉄砲店へ、元工兵のキロランケさんが扱う火薬や杉元さんの銃の弾を調達しに向かった。
昔も今も銃を積極的に扱う予定のない私には縁遠い店で、鉄砲店には小樽で一度しか入ったことがない。
見慣れてきた猟銃から扱い方も分からないような形状の物まで数々の品が並ぶ様子に驚嘆しながら、随分いろんな種類ができたんだなぁと改めて感心する。
ふと横を見ると明らかに威力重視の銃を手に取り構えているアシㇼパさんがいて、「アシㇼパさんかっこいい〜」と感想を述べたら「アシㇼパさんそんなのさわっちゃダメだよッ!なまえさんもその気にさせない!」と杉元さんに怒られてしまった。正論過ぎて返す言葉がない。

店主さんの話によると今は札幌で催し物があり、ほとんど宿が空いていないらしい。でもすぐに近所に若い女将が一人で経営している宿があることを思い出してくれて、素早く食いついた白石さんの勢いに任せて物は試しと足を向けることになった。


西洋風の宿"札幌世界ホテル”の女将家永さんは、噂通りとても美しい人だった。
洋装に身を包んだ姿は華奢な印象を与え、微笑みを浮かべる口元の黒子が蠱惑的な魅力をより引き出している。出会った瞬間速攻でアピールを始めた白石さんの態度にも納得だ。

そんな白石さんの後ろからそっと観察していたら、ふと家永さんと目が合った。一瞬見開かれた目を細めて艶やかな笑みを向けられて、どきりと胸が音を立てる。傾国傾城の笑みの前では性別なんて些細なことなので致し方ない。

「お部屋ご案内致します。ただ、生憎一人部屋か二人部屋しかご用意ができず…」
「あ、じゃあ私一人部屋でお願いします」
「え〜っ、俺も一人部屋がいい!」
「金のないやつは黙っていろ白石」
「ひどいッ!」

暗に部屋割を確認する家永さんに、さっさと進言する。アシㇼパさんの話を聞く限り、アシㇼパさんには私より杉元さんといてもらったほうが安全そうだし、そうなると残るは女一の男二だ。
事情を知らない白石さんから一瞬不満の声が上がったもののアシㇼパさんに一言で伸されてしまい、家永さんが階段を上がり始めるとそのままそそくさと付いていった。かなり彼女に夢中らしい。

ホテルの内部はかなり入り組んでいて、下手をすると一階に降りるのにも苦労しそうだった。最初に二人部屋二つに案内され、最後の私は家永さんと二人廊下を進む。

「札幌へは観光ですか?」
「いえ、買い物です。今日で済んだので明日には立つ予定ですが」
「そうですか…。では、今晩は当ホテルでゆっくりとお休みください」

狭い廊下で横並びになれば、時折感じる家永さんの視線にやっぱりどうにも胸がドキドキしてしまう。いくら美人だからってこんなに緊張するものかなぁと自問していると、到着した部屋の中に促された。

「それでは失礼致します……あっ」
「うゎっと…!」

案内のため先に部屋に入っていた家永さんが私の横を通り抜けようとした際、バランスを崩して倒れ掛かってきて、咄嗟に横向きのまま受け止めて自由に動く方の腕で家永さんの体を支えた。洋装の所為か存外重さを感じ、嗅ぎ慣れない化粧の匂いが辺りに満ちる。
ドキドキが頭を支配する中、すぐに離れてくれるかと思って動かずにいたら、肩に寄り掛かったままの家永さんがすうっと私の背中に手を回してきたものだからぎょっとして体が硬直する。

「綺麗な髪……柔らかく靱やかで毛先まで艶があって、こんなに指通りが良くて。まるで絹糸のよう…」
「あ、ありがとうございます…?」

すぐ耳元でうっとりとした声音が囁き、自分の心臓がバクバクと早鐘を打つ。

「それにこれは……ふふ、失礼しました」

そう言うと家永さんはすっと姿勢を正して、「では、ごゆっくりお休みください」と一礼して部屋から出て行った。私は返事もできないまま、騒ぐ鼓動が収まるのを待ち続けた。

なんなんだろう、この気持ち。



気持ちが落ち着くのを待ってから一階に降りると、アシㇼパさんと杉元さんとキロランケさん、それからとても体格の良い洋装姿の見知らぬ男性がいた。
集合が遅くなり経緯は分からないけど、男性が杉元さんを甚く気に入り夕飯をご馳走してくれることになったらしい。連れの私たちまでお相伴にあずかることになり、随分と気前のいい男性の背中を追う。

「あれ、白石さんは?」
「知らん」

じゃあいっか。



向かった西洋料理の店で食卓に給仕の女性が並べた料理を見た瞬間、一気に心が弾む。

「わっカレーだ…!」
「なまえさん、食べたことあるのか?」
「はい!あんまり辛いのは食べられないですが」

うきうき気分のまま杉元さんの問いに答えると、少し考えるように顎に手を添えた。

「辛い…?まあライスカレーが食べられるような家ってことは、良いとこのぼっちゃんだったのかね」
「うーん、そんなことなかったと思いますけど…」

杉元さんの所見には曖昧に返して、皆で食べた食堂のカレーを思い出しながら目の前にあるカレーをふっくら炊かれたご飯と一緒にスプーンですくう。ふとアシㇼパさんが気になり顔を上げると、案の定しかめっ面でカレーを凝視していてついつい目を細めてしまう。

「オソマ…」
「アシㇼパさんそれ食べてもいいオソマだから」
「食べてもいいオソマ…?」

結局勇気をふり絞って一口食べたアシㇼパさんはカレーを大変気に入ったらしく、「ヒンナすぎるオソマ…!」と悶絶していた。料亭内にアイヌの言葉が分かる人がいないことを祈るばかりである。
私もスプーンを口に運べば、記憶に残るカレーとは少し違うけど懐かしい香辛料の香りが鼻を抜けた。これはこれでとても美味しい。

夢中で食べていると男性が「びーる」を注文した。聞きなれない言葉に興味を持って顔を上げると、出てきたのは茶色の硝子瓶に入った液体だった。当然のように瓶から直接飲み始めた男性の向かいで杉元さんがコップに注いだそれは金色に透き通っていて、底の方から次々に湧き上がる小さな泡が液体の表面を厚い層になって覆っている。
それを美味しそうに飲む男性陣を観察していたら、私の席からも向かいになる男性と目が合った。

「どうしたボウズ、飲め」
「えっと…それは何ですか?」
「おいおい、ライスカレーを知っててビールを知らんのか?酒だ酒」

そういって男性は勝手に私の横にあった空のコップにビールを注いでいく。

「あの、私お酒はちょっと…」
「酒は飲まんと強くならんぞ」
「いえ、飲めなくはないのですが、どうにも陽気になってしまって…」
「そのために飲むんだろうが。じゃんじゃん飲め」
「そうだぞなまえ、好き嫌いせずにちゃんと食え。私はオソマ食べたぞ」
「そーだそーだ」
「好き嫌いじゃないんだけどなぁ…」

男性との押し問答に割って入ってきた口の周りをカレーで汚したアシㇼパさんの一言と、食に関してはアシㇼパさん全肯定人間になるらしい杉元さんからの野次に申し開きをしつつも、まあ確かに一理あるなと思い試しに一口舐めた途端、思いっきり顔をしかめてしまった。

「…口の中がビリビリする…」
「慣れだよ慣れ。一気に飲んでみなって」
「…引いても知りませんからね」

にやにやからかう様に助言してきた杉元さんを軽く睨み付けてから、覚悟を決めて黄金色の液体を一気に喉に流し込んだ。


***


「知ってるか?札幌のビール工場を作った村橋久成っていうお侍さんはな……函館戦争で土方歳三と戦った新政府軍の軍監だった」
「キロランケさんっビールください!」
「ああ、今頼んだから少し待ってろ」
「土方の野郎……戦争に負けたのは悔しいが奴の作ったビールは美味いってよ」
「土方歳三が?」
「もしも生きてりゃそう言うだろうなって話よ…ガハハハ」
「キロランケさんビールまだですかねぇ!」
「なまえさん飲みすぎじゃない?」
「なにをぅ?」

話にあまりついていけずとりあえずビールを飲み続け、結果すっかり出来上がった私に予想通り若干引いている杉元さんを睨み付ける。酒を勧めたからには最後まで付き合うべきではないのか。こちとら絶好調だぞ。

「ま、自分の飲める量を知るのも良い経験だろう。潰れたら俺が運んでやる」
「わーい!」

話の分かるキロランケさんに何杯目かのお代わりを注いでもらっている間、杉元さんが男性の額の瘤を懸命に取り外そうとするアシㇼパさんを慌てて止めている様子を見物する。あーおもしろい。

「お嬢ちゃん、いい女になりな。男を選ぶときは…チンポだ」
「あっはっは!」

アシㇼパさんに優しく語りかけた男性の発言に腹を抱えて笑う。多分後で素面になったらドン引きすると思うけど、今はとにかく面白くてしょうがない。

「チンポは海で見たけどぉ、なんか……フフ」
「男は寒いと縮むんだよ?伸びたり縮んだりするの。知ってる?アシㇼパさん」
「へぇー」
「俺が嘘ついてるみたいな反応するのやめてなまえさんッ!」

五秒で忘れそうな豆知識に素直な感想を述べただけなのに、必死の形相で噛みついてくる杉元さん。そもそもなんでそんな必死にアシㇼパさんに弁明しているんだこの人は。

「大きさの話じゃないぜ〜?その男のチンポが”紳士”かどうか…抱かせて見極めろって話よ」
「そのとーり!!」
「ふふ、ふふふふふ…!!」

男性の発言に深く同意するキロランケさん。もうなにが面白いのか自分でも分からない状況が面白くてふわふわしながら笑っていたら、ふと男性陣からの視線を集めていることに気付いた。三者三様の視線の中、ひと際居心地の悪いなんだか背中がゾワゾワする視線を送ってくる男性にとりあえずへらりと笑い返す。

「ボウズ、お前ホントに男か?」
「…えぇ〜?なんですか藪から棒にー」
「いや、もったいねぇなぁと思ってよ。そのままあと五年もすれば相当良い面した女になっただろうに……」
「あっはっは!!つらだけ!!あっはっはぁ!!」
「ちょっとなまえさんなんで俺叩くのぉ?」

左隣の杉元さんの肩をバッシバシ叩く。別に加減しているつもりもないのに、杉元さんは迷惑そうにしつつもけろりとしている。やはり筋肉は強い。筋肉があれば万事解決。


宴も酣な中、男性の一声でチンポ講座は終わり、全員でホテルに戻った。部屋に戻る前に厠に向かった男性とは一階で分かれてそれぞれが部屋に戻り、私も部屋に入って早々に寝台へ倒れ込んだ。

「んー…」

心身の疲れと満腹感のお陰か、さっそく瞼が重くなる。
いけない、このままでは眠ってしまう。これだけ大きな町ならこの時間でも開いている湯屋があるだろうし、お酒を飲むとしばらく眠りが深くなるから、いざという時すぐに起きられるように仕掛けもしないといけない。

頑張れ私!もうひと踏ん張り!!と気合を入れて上半身を起こした途端、甘い匂いを嗅ぎ取った。異様に強く漂う匂いに着物の袖で口と鼻を覆うとした時にはもう手遅れで、不自然にくらりと思考が鈍り体の力が抜ける。

あ、これまずいかも。

そこで意識は途切れた。


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