ふっと浮上する感覚。
ぼんやりした意識の中で肩や首に負担を感じて、そっと手指や足を動かしてみる。頭上にある腕は下ろせないし曲げた脚は自分の尻の下にあるようで、うまく身動きが取れない。

「やぁあああ!!」
「っ!?」

突然間近で聞こえた野太い悲鳴に一瞬で意識が覚醒し、ガバリと顔を上げる。

「あぁぁああなまえちゃんやっと起きた!助けてぇえ!!」

先ほど夕餉を御馳走してくれたあの先生が、仰向けに拘束された白石さんの乳首を舐めしゃぶっていた。

「……」
「ちょっ、なんでまた寝ようとしてんの!?」
「やだ…見たくない……早く目ぇ覚めて…」
「現実だってばぁ!!いででっ、乳首が取れるッ!やああッ!!」
「助けてアシㇼパさぁん…」
「俺!!まず俺を!!助けて!!」

白石さんがなんか叫んでいるけど、幸いなことに目を瞑ればすぐにまた意識が朦朧としてきた。
若干不愉快なBGMの中うとうとと舟を漕ぎ出し再び深い眠りにつきかけたところで、不意に手首が解放されて前のめりに倒れかけた肩を掴まれた。

「ほらっ起きろ!!早く逃げるぞ!!」
「……くさい」
「うるせぇそっちも酒クセェんだよ!!」
「いでっ」

涙声の白石さんに思いっきり頭を張り手で叩かれて、ようやく頭が少しずつ回り始める。
すぐさま天井の仕掛けをこじ開けにかかった白石さんに再び急かされて、若干ふらつきながらも立ち上がり近くに放置されていた自分のマキリと短刀を回収していると、先生が白石さんの寝ていたどう見ても金属製の台を持ち上げて扉をガンガン殴り始めた。ちょっとまだ頭が回ってないみたい。意味が分からない。

「先生、天井から抜け出せそうですよ」
「女将女将女将女将女将女将ッ」
「ダメだ性欲で我を忘れてる。早く出るぞッ」
「えー、でも先生が…」

一応の非常事態に放っておいていいものかと躊躇していたら、先に天井の抜け穴から出ていた白石さんが顔だけ覗かせてこちらに手招きする。指示されるがまま足場をよじ登れば、こそこそと耳元で話し始める。

「おいおい、さっきの俺の話聞いてなかったのか?」
「一切」
「あれ、囚人!前に話した不敗の牛山!」
「うしやま…?」

その言葉に試しに記憶を手繰り寄せてみたものの、聞いたことがあるようなないようなでいまいちピンと来ない。

「とにかく、俺たちだけじゃ太刀打ちできねぇ!とりあえず杉元呼ぶぞ!」

そう言った白石さんの顔が消えた直後部屋中に響き渡った轟音に振り返ると、とうとう自力で扉をぶち破った先生が見えた。確かに私にはどうしようもなさそうなので、さっさと視線を戻してうまく力が入らない中なんとか抜け穴をよじ登り、白石さんの後を追いかけた。


入り組んだ廊下を走る背中を追って行けば、やがて記憶にある場所に出た。白石さんは一足先にアシㇼパさんたちの部屋の前にたどり着いていて、地下の様子と女将が入れ墨の囚人であったと伝えている。

「…え、囚人?家永さんが?」
「そうだよ!同物同治とかいうのを信じて患者を殺してたジジイだ!」
「えぇ…?」

同物同治。たしか体の悪い幹部を治すには同じ場所を食べれば良いという薬膳の考えだったはずだ。
普通は動物の内臓や形の似た植物を食べるわけだけど、話の内容から察するにどうやら家永さんはそれを文字通りに実行してしまったらしい。

──あ。
ということは、家永さんの私へのあの態度は獲物の品定めだったわけだ。得体の知れなかった相手の行動と自分の感情に明確な答えが生まれて、そこだけはちょっと安心した。

……ん?今最後に白石さんジジイって言った?
……うーん、どうにもまだ頭がうまく働いていないみたいだ。参ったなあ。

走っている間にほぼ覚醒したはずの頭の不具合に困惑していたら、「白石!!女将が逃げたぞッ!」と部屋の中から杉元さんの声が聞こえた。

「なまえちゃんはここにいろ!杉元、なまえちゃん置いてくぞ!薬盛られたみたいで抜けきってねえ!!」

そう言って走り去った白石さんが曲がり角に消えてすぐに、扉を開けて杉元さんが顔を出す。

「なまえさん、大丈夫か?薬の影響は?」
「はい。少しぼんやりして体に力が入りにくいですけど、この具合ならすぐに回復すると思います」

話しながら部屋の中に促され、寝台の上にすやすやと寝息を立てているアシㇼパさんを見つけてほっと胸を撫で下ろす。杉元さんの話では甘い匂いを嗅いでから強い眠気が襲ってきたそうなので、それなら私と同じで時間が経てば回復するだろう。

安心したのもつかの間、建物内のどこかから大きな爆発音が聞こえてきた。すぐに杉元さんと一緒に廊下に顔を出すと、廊下の奥から家永さんがこちらへと走ってくる。そしてその奥の壁を突き破って現れたのは、相変わらず話の通じなさそうな先生。

「こちらのお客様も入れ墨の囚人でございますよおお!!“不敗の牛山”さまですッ!!」

家永さんの言葉を聞いた瞬間「アシㇼパさんを頼む」と呟いた杉元さんは、廊下に躍り出て先生に掴みかかりそのまま二人で別の部屋の壁をぶち破って消えていった。壁が薄すぎるのか二人が頑丈すぎるのかはもうどっちでもいいと思った。

一方、廊下に一人残った家永さんに視線を戻せばばっちり目が合い、執念じみた視線を向けられる。

「せめてあなたの頭皮とあの子の眼球だけでもっ…!!」

そう言って、どこから取り出したのか針のようなものが付いた器具を構えて向かってきた。
日中あれだけ戸惑っていた鼓動が今は驚くほど凪いでいて、部屋に入り込まれないようにこちらも廊下に飛び出し彼女に走り寄る。首筋へ突き出された腕を対角の手で弾き飛ばし、もう一方の拳で白い頬を思い切り殴り飛ばした──が、やっぱり違和感の残る腕にうまく体重を乗せきれなくて、廊下に転がった家永さんはすぐに起き上がりきっとこちらを睨むと走り去ってしまった。一瞬追いかけようかと思ったけど杉元さんの言葉を思い出し、部屋の中に引き下がる。


ホテル内からは相変わらず破壊音が聞こえてくる。きっと杉元さんと先生がそこにいるんだろう。やがてもう一度爆発音。天井や柱が危うげな音を出し始めたのでよろけながらもなんとかアシㇼパさんを抱えたところで、「おい、無事か!?」とキロランケさんが部屋に飛び込んできた。

「なまえ、ここにいたのか。部屋にいなかったから荷物だけ持ってきたぞ」
「ありがとうございます。すみません、アシㇼパさんをお願いできますか?薬か何かで眠り込んでしまっているみたいで」
「わかった」

代わりに自分の荷物を預かり、アシㇼパさんと杉元さんの荷物も抱えて二人で廊下に出たところで、慌てた様子の杉元さんが現れた。

「二人とも!!荷物を全部まとめろッ!!」

地下は火の海だ!!と続ける杉元さんがアシㇼパさんを抱えなおし、手の空いたキロランケさんに荷物を半分持ってもらって急いで出口に向かう。
階段を降り始めたところで背後からバタバタと足音が近づいてきて、振り返ればこれまた必死の形相の白石さん。

「爆薬を袋ごと火の海に落としちまったッ!!」
「は」
「ええ?」

意味を完全に理解する前に今度は立っていた階段が急に斜面になり、訳も分からないまま全員で滑り落ちる。一階についたところで前にいたキロランケさんの背中にぶつかり止まることのできた私と違って、そのまま突き当りの壁にぶつかった白石さんの頭に金盥が振ってきた。杉元さんの「何なんだこの仕掛けは!?」という独り言に心の中で全面同意しながらも、とにかく立ち上がって全員で玄関へ向かう。

そして建物から出た直後、背後から物凄い音と衝撃に襲われた。徐々に煙が晴れてみれば、ぼろぼろになりながらも全員が生還していてほっと肩の力が抜ける。

「チンポ先生は?まだ出てきてない!」

いつの間にか起きていたアシㇼパさんの声に背後を振り返った瞬間、なんとか形を保っていた建物が崩れていく。
「チーンポ先生え〜〜ッ!!」というアシㇼパさんの叫びとともに、ホテルは完全に崩壊してしまった。

「チンポ先生…」
「ハンペンだろそれ……」
「どっから出てきたんですかそれ…」

拾ったハンペンを大事にしまうアシㇼパさんに、家永さんの夕飯の残りだったんだろうかと心底どうでもいいことを思う。
人目が集まってきたことに気付いたキロランケさんの一言で一時撤退することになり、先生と家永さんの生存確認は明日改めて行うことになった。野宿確定の瞬間である。

とりあえず、お風呂入りたい。


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