──さあ、締め付けはきつくはありませんか?」
「はい。家永さんありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ昨晩はご馳走様でした」
「え?」
「ええ」

寝台に腰掛ける私を見下ろしたまま、すっと目を細める家永さん。言葉の意味を考えようとしたけど巻き直された包帯の下で傷の痛みがどんどん強まるので、すぐに断念してしまった。少し眠って頭の中はすっかり元通りと思っていたけど、やっぱりまだ本調子ではないらしい。

「次は腹部の傷を確認しましょう。ご自分で前を寛げることはできますか?」
「あ、はい」

医術に精通している家永さんは、重症者の診療を名目に監視付きで私たちとの接触が許されているらしい。昨晩杉元さんとインカㇻマッさんを治療したのも家永さんで、今はまだ絶対安静なインカㇻマッさんの経過観察のついでに私の傷も確認してくださっている。
本当はインカㇻマッさんのそばを片時も離れたくないだろうに、谷垣さんは私たちの治療が終わるまで部屋の外で待ってくれている。だから今部屋の中にいるのは私たち3人と、扉のそばに立つ2人の兵士の計5人。一人は私が目覚めた時からずっとここにいる見張りの兵士で、その隣に立つ家永さんをこの部屋へ連れてきたもう一人の兵士は、明朝に鶴見中尉の背後で控えていた人物だ。
見知らぬ男性2人に見張られたまま殺風景なこの部屋で肌をさらすことに抵抗はあるけど、仕事をしているだけの彼らに文句を言える立場ではない。腹部の傷を避け緩く結ばれていた細幅の帯を解いて見覚えのない着物の合わせを広げると、こちらも全く記憶にない腰巻だけを身に着けた下半身が露になる。……落ち着かないと思っていたら、やっぱり。
誰が着替えさせてくれたのか定かではないが、やはり文句を言える立場ではない。むしろ胸の晒し布がそのままだったことに小さく安堵しつつ広げた着物で気持ちばかり扉からの死角を作り、包帯の下にあったガーゼが傷口から剥がれる感覚に眉を顰めながら、すりたての墨から紡いだような黒髪に浮かぶ光の輪を見下ろす。なんだか家永さんの髪、初めて会った頃よりきれいになった気がする。

「こちらも出血はほぼ止まっていますね。……ですが、どちらも傷跡は残るでしょう。頭部は髪で隠せますが、こちらは…」
「はい、承知しています」

色々と思うところはあるけど、どれも今家永さんに吐露する必要はない。神妙な面持ちの宣告にためらいなく返した私を見て家永さんは小さく頷くと、再び視線を手元へ落とし、いくらか朗らかな調子に変えて続ける。


「とはいえ、銃弾が骨や内蔵を傷付けずに貫通したことは間違いなく幸運です。完治はしばらく先になりますが、安静にしていれば傷口はすぐに塞がるでしょう」

そう。鶴見中尉も言っていた通り、私の腹を貫いた一撃が深刻な事態に至ることはなかった。確かにあのまま捨て置かれていれば、やがては命の危険もあっただろう。でも結果として杉元さんやインカㇻマッさんのように半死半生の目には会わなかったわけで──

「我ながらこの程度で気を失うとは情けない限りっ…」
「おやおや。周りの殿方を基準にしていてはこの先苦労しますよ」

打たれ弱い身体でもやられる前にやればいいと一撃必殺を突き詰めてきた弊害を痛感する。谷垣さんはお尻を撃たれてもキロランケさんの力を借りて歩いていたし、杉元さんなんて撃たれても顔面を引き裂かれてもすぐに次の行動に移っていたのに。
家永さんの言う通り自分は彼らと同じ土俵に立ててすらいないと分かっていてもその差に落ち込んでしまう。


「さあ済みました。もう身繕いしていただいて結構です」
「はぃ…すみません、ありがとうございました。
──……?」

長く落ち込む間もなく終了した治療にお礼を伝えた直後、建物のどこかで良く通る人の声が上がった。穏やかとは言えない声色に何かあったのかと意識を壁の向こうにやればすぐにこちらへ近付いてくる複数の気配がして、家永さんを連れてきた兵士の目配せに頷いた見張りの兵士が扉を開けた途端に喧騒が飛び込んでくる。

「おい貴様ッ勝手に出歩くなと言っとるだろうが!」
「杉元!?待て今はっ」

どこか聞き覚えのある怒声に続いた谷垣さんの焦り声が途切れた直後、部屋に飛び込んできた塊を見て息を呑む。

見慣れた逞しい背格好、元気に生え伸びた少し癖のある髪。それに何より、顔にある大きな傷と力強い二つの瞳。
いつもの服装じゃないけど。着物から出ている全身包帯だらけだけど。見間違えるはずがない。
そこには生きた杉元さんが立っていた。

「っ!杉元さっ…え?ま、はっ、ぃん゛ッ!!」

松葉杖で両脇を支えた満身創痍な姿も相まって鼻の奥に痛みを感じたのも束の間、部屋に押し入った勢いそのまま荒々しく杖先で床を殴りながらこちらに突き進んでくる姿に困惑が感動を上回る。その間に私の目と鼻の先に辿り着くや否や伸ばされた手に持っていた衿を掴まれ、そのまま寝台に乗り上げてきた杉元さんに押し倒されそうになり咄嗟に布団へ両手を突いて上体を支える。
「きぇッ!?」と鳥か何かが鳴いた気がしたが、不意に力を入れたせいで走った腹部の激しい痛みに瞬時に思考を奪われてしまった。私に半端に覆い被さるようにして止まった杉元さんに強い力で着物を引き寄せられ背中を打ち付ける事態は避けられているものの、大きく開いた着物の中を凝視する鋭い眼光から目を逸らすことができない。殺しきれなかった短い呼吸で痛みをやり過ごしながらその気色を窺っていると、真一文字に閉ざされていた唇がおもむろに開く。


「尾形なんだろ」

抑揚のない声にひゅっと喉が引き攣る。緩慢に持ち上がりこちらを捕らえた双眼は、窓から差し込む光に照らされ爛々と輝く。その中心にある瞳孔の底知れぬ昏さをこの人に見るとは思いもしなかった。

「尾形に撃たれたんだろ?なまえさん、なあ」

私を通してここにはいない“彼”へと向けられる無理やりに抑え込まれた激しい怒り。問いかけに答えなければと思うのに喉まで込み上げてきた言葉を音にすることはできず、いたずらに開閉を繰り返すだけの口。そんな私を見下ろしていた唇が薄ら口角を上げながら開き、は、と吐き捨てられた吐息にどっと後ろめたさが溢れ、とうとう耐えきれなくなって視線を伏せる。


「そこまでだ杉元佐一。なまえ嬢から離れるように」
「…あ?」
「見ての通り彼女も重傷だ。これ以上の負担をかけるようであれば然るべき処置を取る」
「……」

重い沈黙。やがて衿を握りしめていた拳を解きながら杉元さんの身体がゆっくりと離れていき、開けた視界に部屋の現状が示された。
声で分かり切っていたがやはりそこには鶴見中尉がいて、扉のそばには相変わらず見張りの兵士と家永さんを部屋に連れてきた男性、そして思い切り首を明後日の方向へと捻じ曲げている鯉登少尉。その不可解な行動に疑問を抱いた直後原因が自分にあると気付き、急いで衿を手繰り寄せ上体を起こそうとしたところで鶴見中尉に片手で制される。

「そのまま横になっていなさい。月島、布団を整えて差し上げろ」
「はっ」
「俺がやる」
「勘違いをするな。お前を部屋から出したのは感動の再開をさせるためではない」

地を這うような声による宣言を意にも介さず鶴見中尉が言い切ると、杉元さんは私を見たままピタリとその動きを止め、少し間を置いてから口をつぐんだまま床に転がる松葉杖を拾い上げた。そこでようやく杉元さんの容態に気が回り声をかけようとしたけど、それより早く私の視界を遮る人影。鶴見中尉に“ツキシマ”とどこかで耳にした名前で呼ばれた彼は「失礼」と短く発すると、私の背中と膝裏に腕を差し入れて容易に寝台に横たえ直し、顎が隠れるまで布団を掛けて扉のそばへと戻っていった。その背中を追いながらチクチクした視線を感じて目線をずらすと、こちらを睨みつける鯉登少尉と目が合う。
……やはり旭川でのことが原因だろうか。この様子では第七師団とは一時休戦となるようだし、一応謝罪をしておいたほうがいいのかなと考えているうちに、かなり手狭になった部屋で人々がインカㇻマッさんの横たわる寝台の周囲に集う。変わらず苦しげな呼吸を繰り返している彼女の様子に、先ほど診察を終えた家永さんに容態を訪ねた際返された「彼女次第です」という言葉を思い出す。

「インカㇻマッ。私の声は聞こえているか?」

滑舌の良い声に反応して、天を仰ぐ睫毛がふるりと震えた。しかし瞼が開くことはなく、代わって蚊の鳴くような吐息がはいと応える。

「アシㇼパの身の安全のため、我々は早急に次の手を打つ必要がある。酷だが昨夜の顛末についてもう一度話を聞かせてもらいたい」

考えないようにしていた現実が一気に押し寄せ胸を押し潰す。杉元さんと離れ離れになった今、アシㇼパさんは一体どんな気持ちでいるのだろう。白石さんは一緒だろうか。ああ、だけど早朝の鶴見中尉の言葉通りなら、彼女にはキロランケさんが付いてくれている。彼が一緒ならこれ以上の不幸がアシㇼパさんに降りかかることはないはずだ。
渦巻く不安をなんとか取り繕った私の耳に、鶴見中尉の次の言葉が突き刺さる。

「まずは先程のおさらいからだ。
昨夜君を刺したのはキロランケだったね」



***




淡々と確認される事項は、どれもこれも夢物語のようで。いつかの朝の海と同じ感覚に浸り逃避しようとする頭を引き止めながら、冷たい鶴見中尉の声と荒い呼気に混じるインカㇻマッさんの言葉をなんとか咀嚼していった。

インカㇻマッさんもアシㇼパさんも、正門の屋根の上から全てを見ていたのだ。庁舎裏まで杉元さんが連れ出したのっぺら坊は間違いなくアシㇼパさんの父親、ウイルクさんその人だった。だけどそのウイルクさんが突如どこからか放たれた兇弾に斃れ、次いで一緒にいた杉元さんも撃たれてしまう。取り乱すアシㇼパさんを皮切りにその場が混乱に飲み込まれる中、直前のキロランケさんの不審な動きを糾弾しようとしたインカㇻマッさんに気付いたキロランケさんはアシㇼパさんを連れ出すよう白石さんへ指示し、そして──

「あんな狙撃ができるのは尾形百之助しかいねえ。撃たれた瞬間…あいつを感じた」

杉元さんの確信を持った言葉に、昨晩の記憶が繰り返される。
見張り櫓の上に登っていった尾形さん。眩い光が照らす漆黒の夜空に響いた銃声。そして直後に聞こえたアシㇼパさんの──ああ、いやだ。
認めたくない。考えたくない。でもそれを声にできるほど純真じゃない。

杉元さんとウイルクさんを撃った狙撃手についての証言を終え、インカㇻマッさんが大きく息を吐いた。浅い呼吸を繰り返す苦しげな横顔を伝う幾筋もの汗に、やはり相当に無理をしていたことが窺える。

──ご苦労。後のことは任せて治療に専念するといい。
では我々は先ほどの部屋で今後について話をするとしよう」

インカㇻマッさんに労いの言葉をかけると席を立つ鶴見中尉。その場にいた人々がそれに続こうとする気配に我に返り、声を上げながら上体を起こそうとする。

「あの、私もっ…!」
「おや、無理をしてはいけない。君もしばらく休みなさい」

柔らかだけど決して逆らうことを認めない毅然とした言葉に、自分が今しがた聞いていた話題の蚊帳の外にいることを突きつけられる。なんとか考えを改めてもらうための言い分を探そうとする私へかけられる、別の声。

「なまえさん」

耳に馴染む声におのずと顔を上げる。入ってきた扉へ向けられた包帯だらけの痛々しい横顔。その目が見つめる先に、私はいない。

「大丈夫、待ってて」

そう言って、杉元さんは鶴見中尉たちと一緒に扉の向こうに消えていった。部屋に残ったのは私とインカㇻマッさんと、見張りの兵士。再び閉ざされた扉の向こうで足音が徐々に遠のいていく。そうして静まり返った部屋の中、すぐに体重を支えられなくなり枕に頭を沈める。眼の前には、静かに苦しみに耐えるインカㇻマッさん。

状況は何も変わっていないはずなのに。どうしようもなく、この場に取り残されたことを実感した。


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