翌日、朝から白石さんとキロランケさんの馬が一頭見当たらず全員で探していたところ、昨日の女性── インカㇻマッさんを連れて苫小牧の競馬場に向かったことが判明した。札幌で大負けしたばかりなのに今度は占いで一山当てようとする浅慮に、その場に白々しい空気が流れる。本っっ当に懲りない人である。
「仕方がない、白石を連れ戻しに行こう」
乱用禁止のストゥを極々自然に携えたアシㇼパさんが犬か猫の話でもするように言い放ち、特に誰も異を唱えることなく出立した。
競馬場までの道中、ついでにキロランケさんに競馬について教えてもらった。神社や宮中で催される競馬(くらべうま)とはやっぱり少し毛色が違うようで、馬券の種類や買い方まで教えてもらってしまった。
「どうせなら1レース観ていくか?いろんな馬がいるぞ」と楽しげに続けたキロランケさんは、賭け云々よりも純粋に馬が好きなんだろう。日ごろの彼の馬たちへの接し方でそれはなんとなく感じていた。
苫小牧競馬場は想像以上に賑やかで、ようやく人混みから見つけた白石さんはなんだか人が変わっていた。絵に描いたような小物に成り下がった態度から、順調に勝っていることが伝わってくる。
アシㇼパさんのストゥを脛に受けてもお構いなしにインカㇻマッさんと占いを盲信する白石さんの姿に説得する気が失せかけていると、馬を眺めていたキロランケさんが「次に勝ちそうなのは3番か4番だな」と呟き彼に視線が集まる。馬の調子や気持ちを観察しただけで見抜き、小さな頃から馬と一緒に育ったと微笑むキロランケさんの様子に、先ほど馬上で感じた馬への愛情が間違いでなかったことを確信した。
結局またしてもインカㇻマッさんの一言で即座に馬券を買いに行ってしまった白石さんと、同時にふらりと姿が見えなくなってしまったキロランケさんをその場で待つ。
白石さん、どうしてくれようか。こんなちょっとした中毒とか依存に近い状態になってしまっていると、無理矢理引き離したところでまたすぐに戻ってきてしまいそうだ。
……だめだ。考えるのが面倒で暴力で脅す選択肢しか思い浮かばなくなってきた。
一旦落ち着くためにほくほく顔で戻ってきた白石さんを視界から外したら、向こうから見慣れない恰好の男性がこちらに近付いてきているのが見えた。
かなり体格が良く人目を惹く男性の精悍な顔にはやけに見覚えがあって、まじまじと見ていたら目が合った彼が手を挙げた。その瞬間、頭に浮かんだ人物と男性の表情が重なって、え、と小さな声が出る。「なまえさんどうかしたか?」と横から聞こえる杉元さんの声にも反応できずにいる間に男性は私たちのすぐ近くまで来ると、「オイ」と他の人たちに声をかけた。
「お前ら俺に賭けろ」
髭をそって後ろ髪を縛ったキロランケさんは、思わず見とれてしまうくらい男前だった。
いや、普段から滅茶苦茶男前だけど。見慣れないもみあげとか顎の線とかいつもより目立つ下睫毛の長さとか、ついつい見てしまう。ふと横を見れば、インカㇻマッさんも心なしか頬を赤らめてキロランケさんを見上げている。
「どうしたなまえぼんやりして。惚れたか?」
「……うぇ?惚れ…え?」
杉元さんと白石さんに随分さっぱりした顎を撫でられながら、キロランケさんが愉快そうにこちらを見下ろす。一瞬何を言われたのか分からなかったけど、すぐにからかわれたのだと気付いて、仕返しも兼ねて杉元さんたちと一緒にキロランケさんの顎を触らせてもらった。すべすべしてる。
なんでも最終レースで勝敗の不正──八百長をするはずだった騎手が逃げてしまって、キロランケさんが代わりに最終レースを走ることになったらしい。詳しい事情は説明されなかったけど、人の都合で馬の勝ち負けを決めることにいろいろと思うところがあったのかもしれない。いつもと変わらない表情から静かな熱を感じた。
「というわけで最終レース3番の馬に乗る。儲けたきゃ賭けろ、俺が勝つぜ」
そう言って帽子を被りなおすキロランケさんはやっぱりかっこいい。目の保養とはこのことか。
賭けてみたいのは山々だけど、さっき通りがけに見た馬券の販売所はかなり賑わっていた。最終レースなら尚更混み合うだろうから、キロランケさんの晴れ舞台までに戻れない可能性が高い。残念だけど馬券は諦めて、今回はキロランケさんの勇姿を目に焼き付けることにした。
一方、白石さんは完全に占いに目がくらんでいて、再びインカㇻマッさんに占いを頼んでいる。「3番は勝たない」とインカㇻマッさんが告げたところで、アシㇼパさんが白石さんに「もうそこまでにしておけ」と忠告する。
占いとは判断に迷ったときに必要なものであり、私たちの迷いのない旅には占いは必要ないと諭すアシㇼパさんの言葉に、昔同じことを教えてくれた恩師を思い出した。
「シラッキカムイは6番が勝つと示しました」
「6番ですね?全額賭けてきます!」
「えいっ」
「ぶべッ!!」
だが銭に目が眩んだ白石さんには響かなかった。
駆け出した白石さんに足を引っかけて転ばせれば、杉元さんが逃げ出さないように掴みかかる。「爆薬の金くらい残しておけッ!」と競馬を楽しむこと自体は止めていない優しい杉元さんの言葉にも耳を貸さないで、白石さんは持っていた札束を全てインカㇻマッさんに託してしまった。葡萄色の着物を追いかけるアシㇼパさんの後に続こうとしたら「なまえは杉元と白石を見張っていろ!」と言い渡されてしまい、立ち止まる。杉元さんと一緒にの意味なのか、二人まとめての意味なのか一瞬考えたけど、まさかこ後者のわけあるまいと後ろを振り返ったら、いつの間にか杉元さんが綺麗に白石さんを組み敷いていた。やっぱり私いらなかったのでは?
「杉元!!お前はカネが必要だから北海道に来たんだろ?いくら必要なんだ?金二万貫じゃないだろ!?」
とりあえず近づこうとした途端に聞こえてきた白石さんの言葉に、思わず足が止まる。
「命なんかかけなくても稼ぐ方法が目の前にあるじゃねえかッ!!」
ああ、そうか。
杉元さんも白石さんも、お金が欲しくてアシㇼパさんに協力している。ここで目的が達成できるなら白石さんの言う通り、二人はアシㇼパさんと一緒に危険な旅をする必要なんてないんだ。
もしそうなったら、アシㇼパさんはどうするんだろう。
旅は続けるのかな。
キロランケさんは一緒に着いてきてくれるかな。
──もしもの時には、私一人でどこまであの子を守れるだろうか。
「必要な額のカネが手に入ったから“いち抜けた”なんてそんなこと……」
続々と湧き上がるたらればの渦に溺れる中、不意に聞こえてきた杉元さんの声にはっと我に返る。興奮沸き立つ人々の喧騒の中で、杉元さんの静かな声は不思議なほどによく聞こえた。
「俺があの子にいうとでも思ってんのかッ!」
ゆっくりと耳になじんだその言葉に、胸の奥がじんわり暖かくなって、なんだか泣きそうになる。
谷垣さんがフチさんにコタンを出て行くと告げたあの時と、同じ気持ちが湧きあがった。
杉元さんは、最後までアシㇼパさんの旅を見届けようとしてくれている。
杉元さんがどんな目的で金塊を探しているのかは分からないけど、ただ真っすぐにアシㇼパさんを想ってくれているその言葉が、とても嬉しかった。
それからすぐに、最終レースを報せる声が上がった。
開放された白石さんが6番の馬に激励を送る中、私は教えてもらった3番の馬とキロランケさんを探す。見つけたキロランケさんは周りの人々と並ぶことで体格の良さが際立っていて、障害物もなく純粋に馬の早さと持久力を競うこの競馬では、白石さんの言う通り確かに不利に思えた。
レース開始早々、他の馬の陰に隠れた瞬間3番の馬一頭だけが出遅れてしまい、思わずあっと声が漏れてしまう。ところがキロランケさんは突然馬上で中腰になり、観客がどよめくなか、どんどん前方の馬を追い越し順位を上げていく。
そして多くの人間が息を呑んで見守る中、最後の最後でキロランケさんの乗った馬が先頭に躍り出てそのままゴールを走り抜けた。
「すごい…すごい、キロランケさんすごいです杉元さん!」
「おお…ほんとすげえな……」
会場が熱狂につつまれる中、興奮が治まらずに思わず横にいた杉元さんの外套を引っ張る。あまりの衝撃に語彙力のない感想になってしまったけどそれは杉元さんも同じだったようで、似たり寄ったりな言葉が返ってきた。
「杉元、なまえ、やっと見つけた」
「アシㇼパさん、おかえり」
「アシㇼパさん!キロランケさんがすごかったんですよ!…… アシㇼパさん?」
しまった空気読み忘れた。子どものようにはしゃいでアシㇼパさんに駆け寄るも、反応の薄い彼女に我に返る。よく見るとアシㇼパさんは紙札の束を持っていて、それをじっと見ている。会場内の至る所に落ちている紙と同じ模様が描かれているから、たぶんこれが馬券なんだろう。
「…あのキツネ女、買った馬券の一枚だけ3番を一等に予想していた」
「え…?」
アシㇼパさんの言葉に、はてと首を傾げる。馬券を購入したのがインカㇻマッさんなら、全額6番につぎ込む話だったはずだ。何かの手違いで3番の馬券が紛れ込んだとは考えにくいけど、その行動をした彼女の意図が一切わからない。自分の占いが外れた時の保険のつもりだったんだろうか。
答えの見つかる気配が一切ない疑問について考え込んでいたら後ろから声をかけられて、振り返ればいつもの着物姿に戻ったキロランケさんがいた。
「うわっ!もうヒゲ生えてる」
杉元さんの言葉通り、さっきはすべすべだったキロランケさんの顎にはゴマをまぶしたように髭が生え始めていた。好奇心を抑えられず、杉元さんに便乗してそっと触れたら指先から、ジョリジョリと未知の感触が伝わってくる。
「……!!」
「なんか今日のなまえさん、お酒入ってないのにやけに元気だね」
「なまえはあれで人見知りなところがあるからな。私と二人の時はだいたいあんな感じだ」
「えっ、その話もっと聞かせて…?」
「……」
アシㇼパさんの言葉とほわほわした杉元さんの視線に急に恥ずかしくなって、そっと手を引っ込める。気を付けていたのに落ち着きのない地が出てしまっていた。恥ずかしい。
あと前に一度訂正したはずだけど、どうも杉元さんは私とアシㇼパさんの関係性を勘違いし続けている節がある。どこでアシㇼパさんに迷惑がかかるか分からないし、もう一度伝えておいたほうがいいかもしれない。
モジモジモヤモヤしていたら、キロランケさんにぽんと頭に手を置かれた。慰められていると受け取ろう。
「白石は?」
「あそこでぶっ壊れてる」
杉元さんの指さす先には一人幸せそうに踊っている白石さんがいた。
「置いていこう。勝手にコタンへ戻ってくるだろ」
アシㇼパさんの一言に全員が頷いて、そのままその場を後にした。帰り際杉元さんに換金してもらった馬券はなんと37円もの金額になって戻ってきて、十二分の資金となり旅を再開できることになった。
同時にこのことを白石さんには黙っていることも、満場一致で決定したのだった。
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