五人の気持ちと声が一つになる中、若山さんは冷静だった。
持っていた弾丸をこちらに向かって投げ、それを杉元さんが受け取る。そのまま森の中に走っていく若山さんを先のヒグマが追いかける姿を見ていたら、家の奥からバキバキと木の裂ける音が聞こえてきて、振り返ると奥の部屋からヒグマが荒い息を吐きながら現れた。
「下がれアシㇼパ!!」と声を張りマキリを構えるキロランケさんと一緒に、短刀を抜いてアシㇼパさんの視界を遮らないように一歩前に出る。
その間に素早く弾を銃に込めた杉元さんがヒグマを撃った。悲鳴を上げながらも斃れることなく杉元さんとの距離を縮めるヒグマに、杉元さんも狼狽えることなく弾丸を撃ち込み続ける。
「オレは不死身の杉元だッ!!」
ついには目前で立ち上がったヒグマの口に直接銃を突っ込み発砲するも、そのままヒグマの腕は振り下されて鋭い爪が杉元さんの顔を裂く。
「杉元ッ!」と叫ぶアシㇼパさんの声が背後から聞こえる中、それでも杉元さんはヒグマの口内に発砲し続け、とうとう三発目の弾丸を撃ち込まれたヒグマは動かなくなった。
尻もちをついたままの杉元さんにアシㇼパさんが駆け寄る様をじっと見つめる。あれだけヒグマに命を脅かされても決して引かなかった杉元さんの姿に、敬意と同時に寒気を覚えた。
死の恐怖に飛び込み活路を見出す。きっとあれが杉元さんの不死身と呼ばれる強さの由縁なのだろう。私には絶対に真似できないことだ。
ヒグマが壊してしまった戸に防塞を作るため、キロランケさんの指示で急いで畳を剥がしていく。
バタバタと畳を運びながら聞こえてきた悲鳴に視線を向ければ、顔面血まみれの杉元さんが仲沢さんの生尻を叩いていて思わず二度見した。
あっ、仲沢さんのお尻ももんもんすごい!でもさすがに直視できない!
親分親分と泣きながら若山さんを呼ぶ仲沢さんからは、本当はどれだけ若山さんのことを想っているのかが痛いほど伝わってきた。
さっきまでの喧嘩だって、きっと大好きだからこそ相手の裏切りに傷付いて、自分の痛みの分だけ傷付けようとしてしまっただけ。
杉元さんもさすがに言いすぎたと思ったのか、もう泣くな、あの親分ならきっと大丈夫だ、と仲沢さんに声をかける。優しい。
私もキロランケさんに畳を渡して、仲沢さんのそばで屈んだ。
「仲沢さん。若山さんを助けに行くためにも、今はとにかく自分たちが生き延びましょう」
「うるさいこの雌猫ッ!!親分の裸舐めるように見やがって!!」
「あっはいすみません」
慰めるつもりで肩に伸ばした手は、敵意剥き出しの仲沢さんにベチンッ!と叩き落とされた。だってもんもんもっと見たかったんだもの。杉元さん表情の抜け落ちた顔をこっちに向けるのやめてくれないかな。
そうこうしている間に壊された戸の応急処置が進み、次は杉元さんの顔の傷を治療するために台所から鍋を引っ張り出す。
アシㇼパさんが人肌に冷ましたヒグマの油を杉元さんの顔に塗りたくり、杉元さんには油が少し固まるまで上を向いて大人しくしていてもらう。
それを見ていた白石さんが油の匂いに誘われてか、ヒグマの肉を食べようと言い出した。さっきはあれだけ動揺していたけど一周回って落ち着いてきたのか意外と余裕そうだ。
「私は食べられない……このヒグマはそこの男を殺したウェンカムイだから」
そう言ってウェンカムイへの然るべき処置を説明するアシㇼパさんのお腹からは、獣の唸り声のような音が聞こえてくる。
「アシㇼパさん……
このヒグマは爪も目も全部あるだろう?殺したのはこのヒグマじゃないよ?他の2頭だよ?オレ近くで見たから間違いないもん」
「えぇ〜?ほんとにぃ〜?ほんとにぃ〜?」
杉元さんとアシㇼパさんのやり取りを聞きながら、ヒグマの肉を切り分けるためにマキリを抜いた。私はよく見てなかったから何も言えないし、アシㇼパさんが良いならそれでまったく問題ない。
それでもニリンソウがないから…ともはやフリとしか思えないためらいを続けるアシㇼパさんに、何かこしょこしょと耳打ちする杉元さん。
途端に喜色溢れに溢れた表情で振り返ったアシㇼパさんを見て、ごそごそと置いてあった背嚢を開く杉元さん。そこにはぎっしりと詰まった──
──どっちだこれ?
ニリンソウを沢山摘んできたと誇らしげに報告する杉元さんの隣から覗き込む。時期的に仕方ないけど、葉の部分だけでは私には即座に判断できない。
「…本当にニリンソウ摘みました?」
「え?アシㇼパさんに教わった通りの葉っぱだけ集めたけど?」
「あ、いや実はですね……」
「杉元……!!これはニリンソウじゃないぞ」
ニリンソウとよく似た植物について説明しようとしたら、先にアシㇼパさんが杉元さんの集めた植物がスㇽク──トリカブトであると見分けてくれた。
よく見ると少しニリンソウも混ざっていて、改めて見分けの難しさを実感する。
でも、これは好都合かもしれない。
そう思ってちらりと見たアシㇼパさんと目が合って、二人で頷き合った。
「先に準備しておきます」と告げて、アシㇼパさんがこれからすることを全員に説明する間に、台所で鍋の湯を沸かし直しつつ鍋を探す時に見つけた擂鉢を引っ張り出す。
トリカブトは根の部分の毒性が一番強いとされているけど、葉にも茎にも十分致死性のある毒がある。アシㇼパさんが言うには春先は特に葉の毒が強いそうだから、きちんと処理すれば残りのヒグマと戦う手段になり得る。
必要な道具を用意し終えたら、後はトリカブトの扱いに一番馴れているアシㇼパさんに任せる。
それにしても──
「杉元さん、アシㇼパさんに背嚢の中を見せたのが料理中じゃなくて良かったですねぇ…」
「ほんとにね…」
心底善意からの行動だからこそ、悲しい結末にならなくて本当によかった。
そんなくだらない話をしている間に手際よく葉を泥状に練り上げたアシㇼパさん。それから毒の強さを確認する方法について説明が終わると、私を含めた四人が無言で顔を見合わせた。
「……」
「いやなんでッ」
誰よりも先に覚悟を決めた顔で一歩前に出た杉元さんに思った言葉がそのまま口から出てしまった。
「…私がやります」
「え、でも危険だし…」
「よりにもよって大怪我してる杉元さんにはさせられないですよ……。大丈夫です、前にも同じ方法で試したことありますから」
「すみませんが舌縛ってください」と縛りやすいようにできる限り舌を出して、擂鉢と一緒に見つけていた糸を差し出す。
……が、杉元さんが動く気配がない。早く済ませてほしくて手元から視線を上げると、揃いも揃って真顔でこちらを凝視する三人と目が合った。
「……やっぱ俺がやる」
「なんへ?」
「いいから早く舌しまって」
急に声の低くなった杉元さんに何となく逆らう気になれず、乾き始めていた舌を引っこめる。
「なまえちゃんなまえちゃん、オレ縛ろっかぁ?」
「よかったな白石、俺の舌縛らせてやるよ」
「やあぁん…」
ニヤニヤと近づいてきたかと思えば、杉元さんに糸を押し付けられて顔をしかめる白石さん。私への日頃の鬱憤でも晴らすつもりだったんだろうか。
ふと、突き刺さる視線を感じてそちらを向く。
「親分に色目使ったら許さないんだからぁッ!」
「なんで?」
結局、本当に杉元さんが毒の強さを確認してくれた。「ほっへ!」と冷や汗を流しながら訴える杉元さんにもう一つの毒の確認方法を説明するアシㇼパさん。ごく少量とはいえ居た堪れなくなって、マキリの背で杉元さんの舌先の毒をこそげ落とした。毒性は充分そうだ。
農具から手製の槍を作り白石さんの飴ちゃんで毒薬を固定すれば、万全とはいかないが戦いの準備は整った。
さあ、ここからが本番だ。
確実にヒグマに木槍を突き刺すために投擲は力のある杉元さんにお願いし、私はキロランケさんと一緒に次の槍を持って控える。
ヒグマをおびき寄せるために手を合わせてから従業員さんの亡骸を勝手口の窓の下に置けば、食事に気付いて寄ってきたヒグマに杉元さんの投げた槍が突き刺さる。続けてもう一本打ち込もうとしたところで、頭上からの板の軋む音が聞こえてきた。
「嘘だろ?もう1頭が二階に侵入してきたぞッ!」
「なまえ槍をよこせッ、戸を開けるんだ!」
「はい!」
キロランケさんに持っていた槍を渡し、白石さんたちと一緒に玄関を塞いでいた大型のカラクリのようなものをどかす。
「シライシ馬を連れていけ!!」
「私行きます!」
白石さんに後を任せて、馬の一番近くにいた私が外に誘導する。
ずっとバタバタしていて確認する余裕がなかったけど、恐らく今日ヒグマに襲われていた子をキロランケさんたちが保護したんだろう。この非常事態に興奮しているようだけど暴れることなく着いてきてくれて、そのまま先に外に出た白石さんとアシㇼパさんを追う。
家から少し離れた時、遠くから人を乗せた何かがこちらに向かってきているのが見えて、目を凝らせば乗っているのがダンさんと若山さんであることはすぐにわかった。見たことのない車輪のついた鉄の塊の上で、見たことはないけどなんだか物騒な気配のする物を構えた若山さんが、まっすぐな目でこちらを見据えていた。
「姫〜ッ!!」
姫!?
思わず後ろを振り返る。若山さんの刀を胸に抱いた仲沢さんが、「おやぶぅん!?」と顔を輝かせて愛しい人を呼んだ。
その間に殿を務めてくれていたキロランケさんが、ヒグマに追われて飛び出してくる。杉元さんの声でキロランケさんが伏せると若山さんの手元から無数の弾丸が息つく間もなく放たれて、全身を撃たれたヒグマはそのまま地面に倒れた。三百年も過ぎるとこんな物が生まれてしまうのか……とあまりの出来事に今ひとつ現実味が湧かないまま思う。
「まだ一頭いるぞ!!」という誰かの叫びにもう一度家の方を見ると、先ほど杉元さんが槍を投げ刺した最後のヒグマが近づいてくる。
「乗れッ!」
「ほら、がんばって走って!」
ダンさんの操る鉄の塊に乗る前に、ずっとそばにいた馬に先に行くよう促す。一人遅れて車に走り寄れば杉元さんと白石さんが引っ張り上げてくれて、ぎゅうぎゅう詰めで座る場所もないので二人の前に足を伸ばして扉に腰掛ける。お尻は痛いけどヒグマを振り切るまでの辛抱だ。
目の前には幸せそうに寄り添う仲沢さんと若山さんがいて、なんとなく心が軽くなる。それぞれ愛の考え方は違うけど、お互いが相手を大切に想っていることは私にも分かった。
その時、反対側の扉に立てかけられていた若山さんの刀が振動で車から落ちてしまった。一番近くにいた仲沢さんが気付いて体を乗り出した時、車全体が大きく揺れた。一瞬体が浮いて後ろ向きに外に放り出されそうになって、咄嗟にダンさんの腰掛けの背を掴んでなんとか踏み止まったものの、体勢を戻したところで若山さんと仲沢さんの姿がなくなっていることに気付いた。それから目を見開いて後方を見ている白石さんと杉元さんの視線に促されるように顔を向けると、ヒグマに食いつかれる仲沢さんと、そこに駆け寄る若山さんの姿があった。
何かを考える前に車から飛び降りようとしたら腕を引っ張られ、振り向けば杉元さんが私の腕を掴んでいた。
「もう間に合わねえ」
その言葉を聞いたら扉に置いた足をどうすればいいのか分からなくなって、そのまま杉元さんに腕を引かれて空いた席に腰掛けた。それから、再び背後を振り返る。
駆け付けた若山さんに覆いかぶさったヒグマがその腹を裂き、それに動じることなく若山さんは腸を溢しながらヒグマに切りかかる。最後に背後から刀を突き立てられたヒグマは、よろよろと少しの距離を逃げて斃れた。「勝ちやがったよあの親分…」という白石さんの呆然とした呟きは、大きな唸り声を上げて走り続ける車の上でも不思議とよく聞き取れた。
やがて私たちを乗せた車が止まり、全員が無言で最期を迎える彼らを見る。
声は聞こえない。でも、二人ともとても穏やかな表情で相手を見つめている。
そして寄り添いそっと互いの手を握りしめながら、夕日に照らされた二人は動かなくなった。
「皮剥いでくる」
車から降りた杉元さんの言葉に、返事はなかった。
← /
top /
→
home