ゆうばり 苦うばり 坂ばかり ドカンとくれば 死ぬばかり

可愛らしい声で聞こえてきた歌の内容に思わず顔を向けると、道の端で遊んでいた子供たちの何人かと目が合った。咄嗟に笑顔を繕えば悪意ない興味の眼差しが返ってきて、ここぞとばかりに近付く。

「こんにちは」
「……アイヌ?」
「突然話しかけてごめんね、初めて聞く歌だったから気になっちゃった」

否定も肯定もせず話題を逸らした私の言葉に一番近くにいた女の子が「いいよぉ」と明るく返してくれて、他の子供たちも会話に加わろうと集まってきた。その純真さがちくりと良心に刺さったが、今は気にしないことにする。


ダンさんの情報を頼りに辿り着いた夕張は、話の通り炭鉱を中心に栄える町だった。山間の町は先程の歌の通り斜面が多く、近くで見上げたら首が痛くなりそうな背の高い煙突からは常に煙が昇っている。

「ねえねえ、何しにきたの?」
「ちょっと探し物してるんだ。この辺りに、本とか古物を扱ってるお店ってあるかな?それか、変な物とか珍しい物を扱ってるお店」
「んーとね、古本屋ならこの道まっすぐ行ったところにあるよ」
「ねえねえ、わたし違うお店知ってるよ!」
「おれも!おれも!」
「わあ、教えて教えて」

坂の先を指差しながら我先にと一斉に説明を始める子供たちの姿に目を細める。わからない。

結局ゆっくり一人ずつ説明してもらって、結果古本屋と古物商を一件ずつ教えてもらえた。あと怒るとものすごく怖いお爺さんの家も何故か教えてくれた。近寄らないでおこう。

きゃっきゃっとはしゃぐ様子が可愛くて、できればもう少しここにいたいけど、本来の目的を見失うわけにもいかない。

「教えてくれてありがとう。遊んでたのに邪魔しちゃってごめんね」
「いーよ!じゃあね!」

背中を向けて歩き出せば、またすぐあの歌が聞こえてきた。意味を理解していないのか、あまりにも死が身近にあるのか。どちらもなのかなあ、とぼんやり考えていると、道の先に見慣れた二人を見つけて小走りで近付く。

「アシㇼパさん、キロランケさん」
「ん、なまえか。何かわかったか?」
「いえ、まだなにも……。さっきから通りすがりの方には話もちゃんと聞いてもらえないので、これから本や珍品を扱う店を探してみようかと思ってます。もしかしたらあの本と似たようなものがもう一冊くらい外に出てるかもしれません」

人の皮で作られた本が盗まれた家にある、奇妙な入れ墨の彫られた皮。探し物があまりにも特殊すぎて、聞き込みはかなり難航していた。私に関してはそれ以前の問題なのだけど、今それを気にしていても仕方がない。

「わかった。俺とアシㇼパはもうしばらくこの辺りにいる。ところでなまえ、杉元と白石を見なかったか?」
「……あれ?二人ともさっきまでその辺りにいましたよね?」
「ああ。一緒に行動しているなら問題ないと思うが、見つけたら声をかけておいてくれ」
「はい」
「なまえ、知らない奴について行くんじゃないぞ」
「はい」

キロランケさんに続いてアシㇼパさんにも大きく頷いて、教えてもらった一番近い古本屋に向かった。


夕張については勿論のこと、初めて見る鉱山について私が知っている知識はほとんどなくて、日高からここまでの道中、何かと世話を焼いてくれたのは意外にも白石さんだった。

「やれやれ、なまえちゃんはものを知らないなあ〜」なんて小馬鹿にしながらも、知らないことを伝えれば分かりやすくかつ面白く教えてくれる白石さんの存在はとてもありがたかった。
話を聞いているうちに意外と幅広い知識を持っていて機転が利くこと、囚人としての罪の殆どが何度も繰り返した脱獄によるもので、アシㇼパさんがのっぺらぼうに合うための重要な鍵だということも知って、道中一番印象が変わった人だった。

あと、時々率先して作ってくれるちょっと凝ったご飯が知らない味だったり懐かしい味だったりして楽しい。
この前のカワヤツメのうな重、また食べたいなあ。ウナギのうな重も久しぶりに食べたいなあ。


***


「人の顔みたいな表紙の本?そんな気味の悪いもの、取り扱ったことないねえ」
「そうですか……お時間ありがとうございます」

「珍品好きの知人が欲しがっている本がある」と回った店は、残念ながら全て徒労に終わってしまった。
あの本が大手を振って出回っているとはとても思えないけど、念のため大衆向けの本屋も探してみようか。今更だけど、ダンさんのところで本の中身を確認しなかったことが悔やまれて仕方ない。正直あれに触るという考えが抜け落ちていた。

とりあえずアシㇼパさんたちに報告に戻ろうと来た道を戻りかけた時、山の方から何かが爆発したような音が聞こえた。
何事かと顔を上げたけど、そういえば白石さんが鉱山では硬い岩盤を破壊するために爆薬を使うと言っていた。周りの人も気にしていないようで、きっとこれのことだろうと納得して歩き出そうとした時、もう一度破壊音が聞こえてきて、思わず足を止める。
さっきより音が大きい。坑道なんて狭い場所であんな規模の爆発を扱うのかと疑問に思った瞬間、今度は地響きと共に山が揺れた。

一瞬地震かと思うほどの揺れに戸惑っている間に、周囲にいた人々がざわざわと道の真ん中に集まり山を見上げながら「こりゃかなりでかいぞ」「大非常か?」と口にしていて、何も知らない私にもただ事ではないことが分かる。

とにかく一度アシㇼパさんたちと合流しようと先ほど二人と別れた場所へ向かいかけて、足を止める。

“杉元と白石を見なかったか?”

頭に浮かんだ先ほどのキロランケさんの言葉が、何故か妙に引っかかった。
大丈夫。炭鉱に杉元さんと白石さんの用事なんてない。頭ではそう思うのにどうしても脚が動かなくて、結局少し躊躇ってから予定していた方向とは別方向に走り出した。

人々が見ているひと際大きな黒煙が昇っている場所ではなく、細い煙がかすかに見える、比較的麓に近い山の斜面に向かう。

炭鉱での火災時に取られる消火方法は坑道の密閉で、それは坑道内に残された人々の救出よりも優先して行われる。余談として聞いていた白石さんの言葉を、記憶の中から引っ張り出す。

皆が見ている大きな煙は、きっと主たる坑道の出入り口から昇っているんだと思う。だったら空気の流れも大きくて優先的に封鎖される場所だろうから、今から行ってもきっと間に合わない。それなら賭けにはなるけど、換気のために作られた比較的優先度の低そうな横穴を探した方が、中の様子を確認できるかもしれない。


家と家の隙間を通り抜けて屋根を渡り歩き、省略できる道はとにかく省略しながら走り続ける。
辿り着いた山の斜面には、大人は相当屈み込まないと通れなさそうな人工的に補強された狭い横穴があって、中から黒煙を吐き出していた。

木々の向こう、決して遠くはない距離から人の声が聞こえてくる。早くしないとこの横穴も塞がれてしまう。乱れた呼吸を整えながら入り口を覗き込んでみたものの、元来の暗さと煙でまったく奥が見えないし、煙たさに思わず咳込んで襟巻で鼻と口を覆う。中に入り込むのはかなり厳しい。
無駄なこととは分かっていても二人の名前を呼ぶために息を大きく吸い込んだ時、中から「おーい!」と聞き覚えのない男性の声がした。

「まだ塞がないでくれッ!すぐに出る!」

その宣言通り、間もなく暗闇の中から男性が一人腰を屈めて出てきた。恰好からして恐らく炭鉱夫だろう。続けてもう一人似たような身形の男性が現れて、二人で地面に倒れ込んで荒い深呼吸を繰り返す。久しぶりの新鮮な空気を味わっているところに申し訳ないけど、間を置かずに声をかけた。

「これで全員ですか?」
「いや……あと一人、兵隊さんがいた、と思う……途中ではぐれたかもしれんが……」
「……」

息も絶え絶えに返してくれた言葉にちらりと横穴を見れば、丁度三人目が出てきたところだった。真っ黒に汚れた外套に付いた頭巾を目深に被り袖で口元を覆っていて顔は見えないけど、炭と煤だらけの服は間違いなく軍服だ。顔を背けるためにもう一度炭鉱夫たちを見る。

以前キロランケさんに教えてもらった話だと、北海道の兵隊といえば陸軍第七師団だけどその中でもさらに細かい隊の編成があって、鶴見中尉が率いているのはそのうちの100名程度らしい。つまりこの人が金塊を探る鶴見中尉の隊の人間とは限らないし、たとえそうだったとしてもまだ顔の割れていない私ならここで問題になることはまずないだろう。とはいえ、顔を見られずに済むならそれに越したことはない。

これでは目の前の二人に杉元さんと白石さんについて尋ねるのもやめた方がよさそうだ。騒ぎの大きな方角から何人かが足早にこちらへ向かってくるのが見えて、焦燥感に駆られながら空を見上げるとまだいくつか山の中腹辺りから細く黒煙が昇っているのが見えた。

「どのあたりの横穴が一番最後に塞がれるか分かりますか?」
「あー……絶対ってわけじゃねぇが、あの辺りかな……?」
「ありがとうございます」

指先が示す場所はそれなりに距離が離れていて、焦りが募る。形ばかりのお礼を告げて教えられた場所へ向かうために勢いよく地面を蹴った。

「やめておけ」
「ぐぇっ!?」

二歩目を踏み出す前に突然首元を絞められて、潰れた声が喉から飛び出す。襟巻を引っ張られた衝撃で続けざまに顔が強制的に真上を向いて、両手で項を覆い声も出せずに激痛に悶える私に、飄々と背後から語りかける声は続く。

「中はガスが充満している。今出て来ていなければもう手遅れだ」
「っ!」

聞き覚えのある声の正体に気付いた瞬間、同時に引き抜こうと手を伸ばした短刀の柄はそれより先に大きな手に鞘ごと握られてしまった。

「大人しくしておけ。今お前をどうこうしている暇はないんでね」
「……」

一瞬帯から下げたマキリを引き抜くことも考えてから、結局言われた通り手を引いた。私がマキリも持っていることをこの男は知っているはずで、なにより今運良くこの状況から抜け出せたとしても、この用心深い射手の存在をアシㇼパさんたちに報せつつ全員で無事に逃げ切る自信はなかった。

両手を肩の高さまで上げてゆっくりゆっくり後ろを振り返れば、瞳孔が分からないほど真っ暗な瞳と目が合った。

「よお、アイヌの小僧。短い間に随分日本語が達者になったなあ?」

そう言いながら頭巾の下から出てきた顔には、両顎に左右対称の傷跡。
数か月前に小樽のコタンで谷垣さんを襲った男の一人──尾形が、長い前髪を後ろに撫で付けながら口の端を上げてこちらを見下ろしていた。


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