「……ガンバリマシタ」
「そうか」

苦し紛れに吐き出した台詞はあっさり流されて、私の襟巻を掴んだまま木材を持った人々が走ってくる方へと歩き出す尾形。当然私も後に続くことになって、慌てて襟巻を掴んで拒む。

「ちょ、ちょっと待ってください、私人を探していて…!!」
「杉元と白石だろ。炭鉱の中で見た」
「!!離してください、閉じ込められる前に見つけないと!」
「だからさっきも言ったろうが。中にいるならもう手遅れだ。
とはいえこの程度でくたばってはくれんだろう、あの不死身の化け物は」

「白石は知らんがな」と淡々と話す尾形は結局私の襟巻を離すつもりはないらしい。
言ってることは正しくてもどうしても後ろ髪を引かれる思いで向かう予定だった先を見ていると「いいから来い」ともう一度襟巻をぐっと強く引かれて、前のめりに倒れかけながら仕方なく歩き出した。扱いが完全に躾のできていない犬へのそれである。



そのまま互いに無言で歩き続けてやがて辿り着いたのは、救助された人々や野次馬でごった返している坑道の出入り口らしき開けた場所だった。
騒動が起きて一番初めに密閉されたと思っていた大きな穴は何故か今さらせっせと板で塞がれていて、訳も分からずそのそばを通り過ぎる。

その出入り口から比較的近い場所で、炭鉱で働く人々とは明らかに様相の異なる集団に視線が向く。それはアシㇼパさんとキロランケさん、それから後姿だけでも分かる、札幌であった先生──不敗の牛山と呼ばれていた彼だった。

そしてその足元に座り込んだ、見慣れた軍帽と坊主頭。

「っ!!杉もグェッ!?」

思わず駆け出したものの、未だに離してもらえていなかった襟巻によって再びカエルの断末魔が口から飛び出した。絞められた場所が悪く咽せ込んでいる間に、一番近くにいた牛山さんがこちらを振り向く。

「しょうがねえ、そいつら連れてついてこい」

その牛山さんに向かって言い放ち、私の襟巻きを掴んだまま尾形は面倒そうに髪を撫で付けた。

「なまえっ!」
「… なまえ?……おい、お前アイヌでもないのか」
「ゲホッ……」

私に気付いたアシㇼパさんの声に応えようと顔を上げたと同時に、背後から明らかに苛立ちを孕んだ声が聞こえて再び顔を下に向ける。誰か助けて。

「お前はたしか鶴見中尉のとこの…なんで牛山と?」
「……」

杉元さんの問いに、尾形は何も返さなかった。もしかしたら既に杉元さんの態度に若干の違和感を感じているのかもしれない。

「あ?無視かよ。……おい、とりあえずその手離せ」
「…ふん」

そんな尾形の態度に苛立ちを隠すことなく杉元さんが噛み付いて、すぐに襟巻きが軽くなり解放されたのが分かった。背後を警戒して襟巻を喉元に手繰り寄せつつ、杉元さんと白石さんに走り寄る。

「杉元さん、白石さん、ご無事で何よりです…!」
「まあ、なんとか……それよりなんでなまえさんがあいつといるんだ?」
「お二人を探していたら捕まりました」
「…気を付けろ。あいつはもともと鶴見中尉の手下だった野郎だ」

声を潜めて告げられた杉元さんの言葉に、無言で頷いた。初対面でないことを知っているのは、今この場には私と彼しかいない。


それから杉元さんと白石さんの回復を待って、全員で尾形の後に続く。

道中、杉元さんに今回の経緯を教えてもらった。町中で見つけた鶴見中尉の部下を尾行したところある建物の中で刺青人皮の贋物が作られていた気配を見つけて、慌ててその部下と職人らしき男を追っていたところで炭鉱の爆発に巻き込まれてしまったそうだ。
けろりとした様子で話してくれる杉元さんの話を聞きながら、その前を歩く白石さんがいつもと比べて妙に静かなのが少し気になった。先程の尾形の台詞によれば坑道内は有毒なガスが発生していたようだし、まだ本調子ではないのかもしれない。二人ともかなり危険な状況だったことを再認識して、本当に無事で良かったともう一度胸を撫で下ろした。


賑やかな町の中心から離れるにつれて建物はまばらになり、やがて若葉色の異国風の建物が現れた。入り口横には“江渡貝剥製所”と書かれている。

建物に入った瞬間、廊下や扉の奥の部屋のあちこちに佇む動物たちに出迎えられて思わず声を漏らす。微動だにしない彼らが看板にも書かれていた通り日高のダンさんの牧場で見た剥製と同じものだと頭では理解できたけど、生前の姿をそのまま切り取ったような出来映えは見れば見るほど本当に血が通っていないのか疑わしくて、あちこち見回していたら頭から血を流して倒れている軍服姿の男性を見つけてしまいそっと視線をそらした。あれは剥製じゃなさそうだ。

そのまま先頭を歩く尾形が廊下の先にある扉の中へ入り、アシㇼパさんに続いて入った部屋の光景を見た瞬間、息が止まる。

「贋物は…おそらくこの6体の剥製を利用して作られた」

狭い部屋の中、それぞれに一点を見つめたまま動かない6人の男性。全員首と二の腕の半ばからへその上までの皮膚が切り取られていて、まるで揃いの服でも着ているかのようだ。
その奥で顔色一つ変えずに両手を広げて彼らを紹介して見せる尾形の姿が、この部屋の異質さを際立たせていた。

「何てこった気色悪い…」

殆どの人間が絶句する中牛山さんが口にした言葉が、恐らくここにいる生きた人間たちほぼ全員の代弁だろう。

「剥製屋の坊やが死んでいるのは確認した。月島軍曹は屈強な兵士だ…坑道から月島軍曹の死体が出なければ、6枚の贋物が出回ってしまうことを想定しなければなるまい」

尾形の台詞から察するに、その“ツキシマグンソウ”という人物が杉元さんと白石さんが追っていた鶴見中尉の部下だろう。剥製屋の坊やというのが、刺青人皮の贋物の製作者ということか。

「ジジイは呼んだか?」
「もうすぐ来るはずだ」

話について行くために出てくる情報を急いで整理していたら、突然尾形が牛山さんに確認を取った。

「贋物か本物か……」

また人が増える気配を察知したところで、不意に背後の廊下から良く通る声が聞こえてきた。振り返れば、部屋の入り口に立つ人影。

「この忘れ物がどっちなのか…判別する方法を探さねば」

そこには猫と刺青人皮を腕に抱えた、一人の老人が立っていた。


老いの皮を被った血気盛んな武将。
一目見た瞬間そんな印象を持った。
長い白髪と顔に刻まれた深い皺は、彼が間違いなく相応の時を生きたことを表している。けれど体の中心に真っ直ぐ一本の芯を通したような立ち姿や、洋装の上からでもわかる適度な筋肉の付いた体躯、それになにより、穏やかな表情の中心で異質にギラギラと輝く力強い眼差しが、彼の齢を不確かなものにさせていた。
一方、その腕に大人しく抱えられている猫は個性的な模様がとてもかわいかった。目つきも悪くてとてもかわいい。


「ジイさんあんた……」

杉元さんが口を開いたのと同時にアシㇼパさんに近付けば、瞬時に炯眼で射抜かれて思わずぎくりと体が固まる。

「見覚えがあるような……どこかであったかな?」

穏やかに聞こえるその声とは真逆に、両手はしっかりと肩にかけた銃に回されている。そばにいたキロランケさんが私ごとアシㇼパさんを庇うために遮るように手を伸ばす。

警戒が続く空気の中、次に言葉を発したのは炭鉱からここまで沈黙を貫いていた白石さんだった。

「いや…!!会ったことがあるわけねえ。こいつは……土方歳三だぞ」

その言葉を聞いた瞬間、杉元さんの肩から銃が下ろされた。老人の手から離れ軽やかに床に着地する猫に一瞬目を奪われてしまい急ぎ視線を戻せば扉の横に立つ牛山さんの目がすっと細められたのが見えて、同時に感じた背後の尾形の気配に咄嗟にキロランケさんとの距離を縮めて間にいるアシㇼパさんを挟み込む。

「久しぶりだな?白石由竹。お友達を紹介してくれんのか?」

その場にそぐわない気軽さで白石さんに話しかける老人。どうやら面識があるらしい。白石さんの名前初めて聞いた、なんて今はどうでもいいことが頭に浮かんだ。

「ひょっとして…キロランケの村に来たってのはこのジイさんか?」
「…そうだ」

二人のやり取りで、出立前にコタンで聞いた話を思い出す。
キロランケさんのコタンに現れた、アシㇼパさんの和名を知っていた老人。つまりこの老人はアシㇼパさんのお父上──キロランケさんの推測ではのっぺらぼうと接点があったことになり、網走監獄から脱獄した囚人の一人ということになる。
時折視界に入る猫は、この緊迫した空気をものともせず部屋の中をフンフンと嗅ぎ歩いている。男の子だった。

そのまま杉元さんは続ける。どうやら杉元さんはこの土方という人物を以前から知っていたらしい。
「のっぺらぼうはほんとにアイヌかな?」との問いがのっぺらぼうの正体がアシㇼパさんのお父上であるかを確かめる言葉であることは理解できたけど、アイヌに武器を持たせる、独立戦争、蝦夷共和国などという次々と出てくる言葉の意味が分からず只々話の流れを見守っていると、私とキロランケさんの間を割ってアシㇼパさんが一歩前へ出た。

「私の父は……!!」
「手を組むか、この場で殺し合うか。選べ」

瞬間、老人の眼光がひと際鋭いものになり、アシㇼパさんの言葉を遮り腰の刀に手をかけた。同じく杉元さんが銃に手をかけたのに合わせて短刀の柄を掴む。

──グギュルルル──

さらに老人の背後から、もう一人別の老人が現れた。こちらは年相応の雰囲気こそあるものの、この場で顔色一つ変えずに話に入ってきただけでただの老人でないことは十分察せた。
ふと気配を感じて視線を下げると、部屋の中を探索していたはずの猫が私の足元に座り込んでじっとこちらを見上げている。目が、目が足りない。

二人目の老人は刺青人皮を買い取ると続けた。その金で故郷に帰り家族を作り静かに暮らす道もある、と。

「のっぺらぼうに会いに行って確かめたいことがある。それまでは金塊が見つかってもらっちゃ困る」

──グルルッ、コロコロコロッ──

杉元さんは迷いなくそう言った。

「会いに行くだって?」
コロコロ
牛山さんが口を開く。
コロコロコロコロコロッ
コロコロッ
「なあに?コロコロって!」
「私が何か作りましょうか?」
「家永生きてた!!」

誰もが気づかないフリをしていたであろうアシㇼパさんのお腹の虫の声に杉元さんがとうとう声を上げ、間髪入れずに札幌ぶりの家永さんがお元気そうに食事の提案をしてきた。

「ナーン」
「あっはいただいま」

とりあえず色々と有耶無耶になったところで、ちょっとだけお尻を上げて催促してくる声に甘えて尻尾の付け根をさわさわさせてもらった。猫ちゃんかわいいね。


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