夕張から月形へ向けて一足先に出立した私たちは、第七師団の追跡への用心として人の気配を避けて山中を移動していた。

先頭のアシㇼパさんに杉元さんと牛山さんが続き、私はその後ろを歩く。
協力関係になったことで大変頼もしい存在になった牛山さんだけど、札幌の料理店とホテルでの言動の数々はかなり強烈に記憶に残っているため、視界にあまり入らないように移動中はできるだけ牛山さんの後ろをキープしていた。
もちろん牛山さんにも好みはあるだろうし、こんな色気のかけらもないやつが女だとわかったところで何も問題はないと思うけど、念には念を、だ。世の中いろんな趣味の人がいるし、今はとにかく面倒毎は極力避けたい。お陰様で今のところはひ弱な小僧として気さくに接してもらっている。

それから、問題はもう一つ。

「おい、さっさと歩け。邪魔だ」
「いっ……すみません」

谷川に出て視界が開けたので周囲を確認するために歩みを遅くしたら、最後尾を歩いていた尾形さんに突然ふくらはぎを軽く蹴られて倒れそうになった。咄嗟にふんばりながら反射的に謝罪を口にして、これ以上追い打ちをかけられないようにそそくさと牛山さんとの距離を縮める。

「なまえさん、どうかしたかい?」
「いえなんでも」

こちらの声が聞こえたのか、牛山さんの向こうから杉元さんに声を掛けられる。余計な喧嘩に繋がりそうなので首を横に振りながら朗らかに返せば、あまり納得はしていない様子だけど再び前方を向いて歩き出した。

夕張を出た当初は前方への警戒をアシㇼパさんと杉元さんに任せて、私は最後尾で後方の確認を務めるつもりでいたものの、いざこの珍道中が始まってみればここまで最後尾を歩くのは常に尾形さんだった。何度かその背後に回ろうとしてみたけどその度さっきのように雑に拒否されてしまうので、結局そのまま後方の警戒は尾形さんにお願いすることにした。この人が慎重な性格で兵士として優秀なのはもう十分理解しているし、小樽の件で追跡を振り切った実績もある。


そのまま見つけた川沿いに進んでいると、アシㇼパさんが数羽のヤマシギを見つけた。銃で仕留めようとする尾形さんをアシㇼパさんが止めて、全員分の食糧調達のためにくくり縄を仕掛けることになった。

「それじゃあ、私はあっちに仕掛けてきますね」
「ああ」
「気を付けてね」
「はい」

アシㇼパさんと杉元さんに声を掛けてから、二人とは少し離れた場所に罠を仕掛けるために移動する。そんなに針金の持ち合わせは多くないけど、月形までまだ先は長いし沢山獲れて悪いことはないだろう。

気楽な単独行動に足取り軽く歩く中、ふと背後に人の気配を感じてちらりと背後を振り返る。

「……」
「……」

なぜか尾形さんが後ろをついてきていた。

「……なにか?」
「別に」

先程ヤマシギを撃とうとしてアシㇼパさんに止められたからか、返事はいつも通りでもなんとなく少し機嫌が悪い気がする。それか、アシㇼパさんの後ろでそれを至極愉快そうに見ていた杉元さんの様子が面白くなかったか。どうも杉元さんは本当に尾形さんが気に入らないらしい。

どちらにせよ私にはどうしようもないので、尾形さんのことは気にしないことにした。そもそも谷川での一件のように何故か私にだけ妙に当たりがきつい尾形さんと、必要以上に関わるつもりもない。はっきりした理由は分からないけど、小樽での件を引きずっているなら相当根に持つ性格だと思う。


結局、まだまだ未熟だけどなるだけヤマシギが集まりそうな場所を選んで私が罠を仕掛ける間、尾形さんは少し離れた場所で暫くそれを眺めていたかと思えば途中で先に戻って行ってしまった。何がしたかったんだあの人。


***


そして翌朝。予想に反して2羽しか捕まらなかったヤマシギに機嫌を悪くしたアシㇼパさんが、杉元さんと羽根を毟っているところにドサドサと3羽のヤマシギを落として見せた尾形さん。「散弾じゃないのによく撃ち落としてこれたもんだ」と感心する牛山さんに胸をそらして小鼻を蠢かす。

「アシㇼパさんに無理だって言われたからムキになっちゃってさ…ハンッ」
「杉元は銃が下手くそだから妬ましいな!」
「別に!!」

それを気に入らない杉元さんが負け惜しみのように嫌味を言うけど、獲物が増えてご機嫌なアシㇼパさんの言葉に図星を突かれたのか羽根を毟る手に力が入っている。

そんなやり取りを少し離れた場所で突っ立って見ていると、不意に顔を上げた杉元さんと目が合った。

「……あれ?なまえさん、もしかしてヤマシギ1羽しか取れなかった?」
「……」

私の手元を見ながら悪意の欠片もなく尋ねてきた杉元さんの言葉通り、私の成果は右手に持ったヤマシギたった1羽だけだった。

今朝方一人いなくなった尾形さんを放置して罠の回収に移動中、進行方向から聞こえてきた銃声に慌てて駆け付けた先には、撃ち落としたヤマシギを拾う尾形さんがいた。
そしてそのすぐ近くに仕掛けていた私のくくり罠には、銃声に怯えて懸命に逃げ出そうとするヤマシギが一匹。
そう。この男、人の仕掛けた罠のすぐそばで銃を使っていたのである。

昨日私の後ろを付いてきた理由は、恐らく杉元さんに邪魔されずにヤマシギのいそうな場所を効率よく確認するためだったんだろう。
ヤマシギは夜行性だし、別に今朝尾形さんが近くで銃を撃たなくったって、私の罠の結果は変わらなかったと思う。恐らくは。多分。きっと。
頭では分かっていてもそれでもなんだか腑に落ちないままちらりと尾形さんを見たら、後ろめたさなんて微塵も感じていない目と目が合って音もなく鼻で笑われた。いや確かに銃の腕はすごいよ?すごいけどさあ。

「なまえ〜、お前もまだまだだなあ。今度一緒に罠の仕掛け方おさらいしようなあ?」

ふてくされている私にアシㇼパさんが生暖かい視線を向けてくる。一緒に罠を仕掛けることは大歓迎だけど、違う、違うんですよアシㇼパさん。



「チンポ先生、ヤマシギの脳みそです」

落としたヤマシギの頭からさらに下顎を外して、アシㇼパさんがそっと牛山さんに差し出す。当の牛山さんは戸惑いを露わにして、先にアシㇼパさんからもらった脳みそを啜る私と杉元さんを横目で見ている。

「チンポ先生脳みそは嫌いか?」
「食っていいものなのかい?それ……」
「なまえに杉元ぉ?ヒンナだよな?」
「ヒンナです」
「ヒンナヒンナ!!」

それぞれ箸と指でほじくり出して、文字通り骨の髄まで食べ尽くす。本当に脳味噌の中でもかなり美味しいと思うのだけど、慣れないものに抵抗があるのも仕方ないと思う。
でもアシㇼパさんにつぶらな瞳で見つめ続けられた牛山さんは、恐る恐る脳味噌を指ですくって口に運んだ。いい人。一方尾形さんは特に躊躇することもなく「いや俺はいらん」とアシㇼパさんに断っていた。ぶれないなあ。

肉は丸ごとチタタㇷ゚してオハウに入れることになり、チタタプㇷ゚未経験の牛山さんと尾形さんの調理をお湯を沸かしながら眺める。アシㇼパさんに教わって素直にチタタプチタタプと呟きながらヤマシギを刻む牛山さんを見ていると、大人の女性に見境がないだけで根はいい人なのかもしれないと思えてくる。囚人だけど。

それからアシㇼパさんに交代するように指示されて、こちらも大人しくまな板の前に移動した尾形さん。黙々と肉を叩く尾形さんをすぐ横で監視していた杉元さんがチタタプ言ってないとアシㇼパさんに告げ口して、子供に接するようにアシㇼパさんが尾形さんにチタタㇷ゚と言わない訳を尋ねるも、無言を貫いてタシロと銃剣を動かし続ける尾形さん。数日前の命のやり取りが遠い過去のことのように思えるほど長閑な空間である。そして私の中で杉元さんと尾形さん意外と仲良い説が浮上してきていた。杉元さんが一方的に尾形さんに絡んでいるだけな気もするけど。

「なまえ、こっちに来い。次はお前だ」
「はーい」


全員でチタタㇷ゚したヤマシギのオハウは、肉に臭みもなく脂が多くてとても美味しかった。脳味噌に顔をしかめていた牛山さんもこちらはお気に召したようで、尾形さんも黙々と咀嚼している。

ヤマシギ美味しい美味しいと食べ進めていると、アシㇼパさんがヤマシギとクマゲラのカムイの恋の話を思い出した。ちょっと前までよく見ていた切ない瞳をした杉元さんに促されて、アシㇼパさんがその話──「ヤマシギの恋占い」を教えてくれた。
アシㇼパさんの澄んだ声で謡われる物語を聞き終えて、「なんてカワイイお話…」と豊かな表情を浮かべた顔で視線を交わす杉元さんと牛山さん。その言葉に同意を込めて頷いて、アシㇼパさんの口元に付いたやたらと大きなつみれの欠片を取りながら声をかける。

「それに面白いお話ですね。オオウバユリを上手に彫り上げたほうがヤマシギで、山菜取りをしていたから女性。恋人は舟を彫っていたからクマゲラの男性ってことですね」
「そうだ。クマゲラを私たちはチㇷ゚タチカㇷ゚──舟を彫る鳥と呼ぶ。この話に出てくる舟は木彫りだけど、他にも積丹の海で乗ったイタオマチㇷ゚(板綴舟)とか、狩で取れた大きな獲物を運ぶための樹皮で作るヤㇻチㇷ゚(木皮舟)なんかがある」
「へえ、木の皮で舟が作れるんだ」

杉元さんの言葉に、私も初めてヤㇻチㇷ゚を見た時に同じように感心したのを思い出した。
まだ乗ったことがないイタオマチㇷ゚にも、いつか乗る機会ができたりするのだろうか。私の知っている木の舟とどんな違いがあるんだろうか。そう考えていたらどこかの海でアシリパさんと杉元さんとイタオマチㇷ゚に乗っている景色が思い浮かんで、自然と口元が緩んだ。



「そういえばずっと聞きそびれてたんだけど、なまえさん上着と鉢巻替えた?」

食後の休憩を終えて余ったチタタㇷ゚を焼いたものを葉で包んでいると、火の始末をしていた杉元さんに話しかけられた。
一瞬なんのことかと考えて、そういえば夕張から上着と鉢巻を裏返したままだったことを思い出す。

「え?……ああ、剥製所が襲われた時に裏表逆にしたんです。アイヌの人間が一緒に行動していると思われない方がいいかなと思って」

「ほら」と戻す必要性も特になくてそのままにしていた上着の袖を少し捲って内側の模様を見せれば、「あ、ほんとだ」と杉元さんが近づいて来て確認する。

「変わった着物だね」
「フチさんに教えていただきながらがんばりました。前に話したように私ここ数年の生き方がちょっと特殊で、初めてお話しする方には何かと違和感を持たれる事が多くて。でも相手の方と異なる文化の見た目をしていると、色々と勝手に解釈していただけるので説明が省けるんです。
とはいえアイヌの方々のご迷惑にはなりたくないので、だったらその時都合の良い方を着ておこうかな、と思いまして」

もともとは敵の目を欺くために使う変わり衣の術だけど、今の使い方を掻い摘んで杉元さんに説明すれば「なるほどね」と納得してくれた。苦労して作った分、普段は気に入っている文様のある方を表にすることが多いけど、今は目立たないこちらの方がいいだろう。
でも、それを横で聞いていたアシㇼパさんが口を開く。

「いや…私はもう積丹で杉元といるところを見られている。一緒に行動していることは既に知られていると思う」
「え、積丹にもいたんですか第七師団」
「ほらおいで嬢ちゃん、また肩に乗るかい?」
「乗る!!」
「あらら…」

初耳の情報について詳しく話を聞こうとしたら、先に準備を終えた様子の牛山さんに少し離れた場所から声をかけられてアシㇼパさんはすぐさま行ってしまった。
それにしても本当に懐いてるなあ。チンポ講座の何がそこまでアシㇼパさんの琴線に触れたんだろうか。

アシㇼパさんに倣って「そろそろ行くか」と歩き出した杉元さんの後に続こうと、私も荷物を持って歩き出す。

「お前はここだ」
「イ゛ッ」

が、一歩踏み出したのは体だけで、がくんと首がそって数日ぶりの衝撃がうなじに走った。思わず漏れた奇声を聞いた杉元さんがこちらへ振り返る前に急いで一歩後退して体勢を直し、目が合った杉元さんに笑顔でなんでもないとアピールする。不思議そうな顔が再び前方を向いたところで笑みを消して、この状況への面白くなさを隠しきれないまま背後を振り向けば、私の髷を掴んだまま大きく目を見開いて驚きを露わにしている尾形さんがいた。うっわ珍しい。でもびっくりしたのはこっちなんですが。

「……なにか?」
「……」
「……あの、そろそろこの引き止め方やめていただきたいんですけど…」
「……」

あくまでも喧嘩腰にならないように努めて声を掛けてみたものの、返事どころか反応もない。

「……とりあえず、手、放していただけませんか?」
「……」

諦め半分で最後にお願いしてみたら、意外にもすんなり髪から離れていく手。お礼を言うべきなのか悩んでいる間もじっと私の背中を見続ける視線に耐えきれなくて、結局そのまま放置してアシㇼパさんを肩に乗せた牛山さんの背中に続いた。ほんと、よくわからない人だなあ。


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