「アシㇼパさんをどこへやった!!」

鼓膜が痺れるほどの怒声に、チセにいる全員の視線が杉元さんに注がれる。声はかなりの範囲に届いただろうから、これ以上この事態に気付いていないふりを続ける必要はなさそうだ。

互いに相手の出方を窺う中、最初にその空気を打ち破ったのは杉元さんにぶん殴られた男だった。

「俺のひと声で外にいる仲間があのガキの喉を掻き切るぜ!お前ら武器を捨てろッ!」

タシロを抜きながら言い放たれた脅し文句に、私が動揺する必要はなかった。
辛うじて最後までセリフを言い切ったその口には次の瞬間杉元さんによってキサラリが奥深くまでねじ込まれ、そのままの勢いに任せて首がへし折られた。

「ひと声出せるもんなら出してみろッ!」と続けられた声に突き動かされて壁に立て掛けてあった杉元さんの銃を奪い取ろうとしたエクロクさんの背中を、素早く尾形さんが撃つ。ついでに相手を嘲るあたりにさすがの余裕が窺える。

「銃から目を離すな一等卒ッ」と元上官らしさが垣間見える叱責とともに尾形さんが杉元さんへ回収した銃を渡し、窓の外から不意打ちを仕掛けてきた男たちを牛山さんが相手取ってくれている間に、私も立て掛けていた矢筒と弓を回収する。

銃を受け取りすぐさま一人入り口から飛び出した杉元さんの後を追いかけようとしたものの、死角で待ち伏せしていた男二人をいともたやすく返り討ちにする姿を見て、そばにいても邪魔になるだけだと早々に悟る。

「杉元さん!女性は無理矢理協力させられているだけです!」
「判断が遅いグズ」

「アシㇼパさん!!」と叫びながら離れていく杉元さんの背中へ呼びかけて、尾形さんからの手厳しい一言を背中に受けながら牛山さんに続いて外に出た。
コタンのあちこちから湧き出てきた男たちは、殆どが杉元さんを殺そうと躍起になって向かっている。それを容易くねじ伏せていく杉元さんの手並みは思わず見入ってしまいたくなるほど鮮やかだけど、無理矢理思考を切り替える。

先程の脅しの内容からすると、アシㇼパさんはこのコタンから連れ出されたわけではなさそうだ。一刻も早く合流するために、杉元さんとは別行動を取ることにした。


***


人目を避けつつ失礼は承知の上で窓からチセの中を確認しながら進んでいると、進行方向の少し先にあるチセから女性が一人飛び出してきたのが見えた。

走り出てすぐに足を取られて地面に倒れ込んでしまい、それでも腰を抜かしたままチセを振り返り後ずさる彼女に続いて、アイヌの恰好をした男が手斧を片手にフラフラと入り口から出てきた。女性を凄まじい形相で睨み付けながら近付いていく男の背中には鎌が突き刺さっていて、見つめ合う二人がこちらに気付く様子はない。

少しずつ縮まっていく二人の距離から目を離さずに短刀を鞘へと戻し、矢筒から矢を選び出して番えた弓を弾き絞る。男が女性の目の前で立ち止まり腕を振り上げる素振りを見せた瞬間放った矢は、その横頬を右から左へと貫いた。
激痛に呻きよろめく間に駆け寄り弓を離した手でこちらを向かせて下顎に掌底を思い切り打ち込めば、そのままのけ反り背後へと倒れていく。地面に触れる前に背中から外れた鎌が、カラカラと音を立てた。

男が動き出さないことを確認してから、改めて女性へと振り向く。
ざっと見た限り怪我はなさそうで、強張った表情でこちらを凝視する彼女が少しでも落ち着けたらと思って「エカアトゥナシカ(あなたを助けます)」と伝えれば、その目は大きく見開かれた。

本当はもっと時間をかけて安心させるべきだけど、今はそんなことも言っていられない。
アシㇼパさんの居場所を知りたくてなけなしの語彙を引っ張り出そうとしていると、腕を掴まれて必死の顔で捲し立てられた。
とてもじゃないけど聞き取れなくて「アイヌイタㇰ クイェ カエアイカㇷ゚(私はアイヌの言葉を話せません)」と伝えれば、一瞬泣き出しそうなくらい顔を歪ませた彼女。それでもぐっと堪えて、もう一度口を開いた。
今度はゆっくりと短い言葉で、意味が分からず私が首を振れば別の言葉に換えて伝えようとしてくる彼女の声に、じっと耳を傾ける。


夫 大人の男性 みんな 死んだ みんな いない 子供 赤ちゃん 助けて


聞き取った言葉を繋ぎ合わせて理解した瞬間、すっと頭の中が冷たくなっていった。
視界が、音が、感覚が、急に曖昧なものに変わっていく。

「ウンカ オピウキ ヤン…ッ!」

今日だけで何度も聞いた助けを求める言葉を震える声で繰り返した彼女は、ふと私の背後に視線を向けて怒りに満ちた表情を浮かべた。
振り返れば先程倒れた男が呻きながら何かを振り払うように顔と手を動かして、正気を取り戻そうともがいていた。舌でも噛んだのか、口から赤い涎を垂らしている。

「…ヘカチ フナㇰ タ アン(子供はどこですか)」

女性に向けてそう問いかければ、彼女は少し先に屋根だけが見えているチセを指さした。その間に男の闇雲に動かしていた手がそばに落ちていた手斧の持ち手に偶然触れて、どこまで意識が戻っているのか指先で手繰り寄せる動きへと変わった。

短刀を抜きながら近付き指先で触れていた手斧を蹴り飛ばしてから顔の横にしゃがみ込んで、片手で顎を押し上げてむき出しになった喉を耳の下左右にかけて深く切り裂く。血と空気と咳を吐き出す音を聞きながら立ち上がり、事の成り行きを見守っていた女性へ弓を拾いながら声をかけようとしたけど、いい言葉が思いつかなくて「すぐに死にます」と日本語で伝えてから、教わったチセへと歩き出した。背後から数度、何かを叩きつけるような音がした。


チセに向かって真っすぐ進んでいく。周囲に見張りのいる気配はなくてそのまま近付こうとすると、別方向から怒声が聞こえてきた。
視線を向ければまたしてもアイヌの恰好をした男がタシロを片手にこちらへと走り寄ってきている。

弓を手放し男に近付く。何か喚いているけどよくわからない。知りたいとも思わない。
真っすぐ突き出されたタシロを避けて側面に回りながら、背丈は杉元さんと同じくらいだと思いついた。でも同じなのはそこだけで、動きの洗練さは比べるまでもない。

抵抗できない相手をいたぶることに慣れちゃったのかなあ。と頭の隅っこでぼんやり考えながら、膝裏を蹴りつけ体勢を崩した頭を鷲掴んで無理矢理曝け出した首筋と鎖骨の隙間へ短刀を刺し抜けば、穴から勢いよく血が溢れる。
最後の足掻きに振り回されるタシロを避けて背後から蹴りつけると、倒れたまま蹲り両手で傷口を覆いながらしばらく荒い息と音を口から吐き出した後、男の体から力が抜けた。
地面に広がっていく赤の大きさを確認してから、また歩き出した。



辿り着いたチセの前に立って耳をすませば、小さな息遣いが聞こえてくる。そのまま静かに待っていると少しして女の子が一人顔を出した。
私を見て怯えと警戒を混ぜ込んだ表情を浮かべるその子にへらりと笑顔を返しながら、しゃがみ込んでなるだけ視線を合わせる。

「言葉、分かるかな?」

アシㇼパさんよりいくらか歳下に見える彼女にそう問いかけると、じっと私を見つめてそれからちょっとだけ考え込んだ後、恐る恐るチセから出てきた。
二つが三つくらいの幼い子を背負ったその子が、周囲を緊張した様子で確認するのを静かに待っていれば、もう一度私と目を合わせて頷いてくれた。

「チセの中に怖い人はいる?」

そう尋ねると、今度は首を横に振る。

「知らない女の子を見なかった?」

もう一度横に。

そんなやり取りをしている間に、チセの奥からチラチラとさらに何人かが顔を出した。見える限り男の子は、十にもならないような年頃ばかり。それ以上の子達がどうなったのかは、今は考えたくなかった。

「もうすぐお母上たちが来るからね。もう少し待っててね」

そう言ってアシㇼパさんを探すために立ち上がりかけたところで、くい、と横から袖を引っ張られた。
顔を向けると、オソマくらいの年頃の男の子がすぐそばにいた。身に付けている着物の文様がなんとなく、先程出会った女性のそれと重なる。

中腰だった腰をもう一度落として私が口を開くより先に、小さな体でぎゅっとしがみ付いてきた。
泣き出すこともなく肩に顔をうずめているその子を、短刀を置いて空いた手で抱きしめる。

「大丈夫、もう大丈夫だよ」

とん、とん、と背中を叩いているとその子の体温がじんわり伝わってきて、霞がかっていた全てが少しずつ元に戻り始めた。


ただ家族で寄り添って生きていただけなのに。
身勝手な理由で突然奪われたそれまでの日々は、もう何があっても帰ってこない。

──でも、この子がなくしたのは全部じゃなかった。

「大丈夫。ひとりじゃないからね」


そのままみんなで一緒に、コタンに響く怒声と叫び声が静まるのを待った。


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