女性たちに見送られてコタンを旅立ち数日。あれから私と杉元さんの間の空気は何だかぎこちないものになってしまっていた。
勿論必要な話はするしお互いいつも通りになるように接しているけど、どこか距離を感じる上に前のように他愛もない会話をする機会は殆どなくなって、気まずさから杉元さんとは距離を取って歩くようにしていた。


「よし、少し早いが今日はこの辺りで休憩しよう。川も近いしさっき鹿や狸を見かけたから、この時間から探せば獲物にも困らないだろう」

アシㇼパさんの一言で山の中、開けた場所が今夜の宿になった。この調子で進めば明日の明るい時分には月形に着くはずだという続く言葉に耳を傾けながら、薪を集めるためにひとまず荷物を地面へ下ろす。

「いっ」
「おい」
「……はい」

下を向いたことで引っ張られる頭皮。もう完全に声より先に手が出ていてこちらとして思うことは山のようにあるけど、ここまでくるともう諦めたほうが早い。
大人しく返事をして振り返ればそこには案の定、杉元さんとの会話が減った代わりに少しだけ会話が増えた人。猫ちゃ……じゃなくて尾形さんがいた。

「お前、銃は扱えるのか」
「えっ……うーん…」

珍しくこちらへ回答を求める言葉。唐突な質問の内容に疑問は残るものの、それよりもパッと頭に出てきた返答を口にしてもいいものか迷っていたら、藪の向こうを顎で指された。

「ついてこい、撃ち方くらい覚えておけ」
「え」

結局答えを待たずに言うだけ言って、スタスタと先に歩き出してしまった尾形さん。意図を理解しきる前にとりあえずついて行かなければと慌てて歩き出してすぐ、背後から腕を引かれた。

「おい」

声でわかっていたことだけど、振り返れば怖い顔をした杉元さんが尾形さんを睨んでいた。尾形さんには髪を引っ張られるけど、杉元さんにもよく腕を引かれるなあとどうでもいいことを思いついてしまった私をよそに、二人の会話は進んでいく。

「なまえさんは俺とアシㇼパさんと一緒に行動する。お前は一人でどっか行ってろよ」
「やめておけ。お前が教えたところで弾と時間の無駄だ」
「教えねえよ。知る必要なんかない」
「殺す手段は多い方がいいだろうが」

ああそういうことか。尾形さんの言葉に、さっきの流れをようやく理解した。
どうやら先日のコタンでの騒動で、私は尾形さんからそこそこの評価を頂戴していたらしい。

それで最近移動の合間に急に双眼鏡押し付けられて使い方のダメ出しされたり、短刀の手入れをしいる時に横からダメ出しされたりしてたのか。お腹が空いて機嫌が悪いのかと思ってた。
とはいえ多少方法が荒っぽくても、人を相手取る戦いの知識は軽く三百年前で止まっている身としては、今の知識を学べるのは願ったり叶ったりで大変ありがたかった。

「……なまえさんが人を殺すことは今後一切ねえよ」
「おいおい、寝言は寝て言えよ。せっかく逃げ回るしか能がなかった奴がまあまあ役に立ちそうなんだ。今のうちに多少でも使えるようにせんでどうする」
「なまえさんは自分の身を守れたらそれでいいんだよ。あとは俺がやる」
「…ははっ。これはこれは、不死身の杉元が小僧一人に随分とご執心だなあ?」
「……」
「ヒェッ、杉元さん落ち着いて!冗談、冗談ですから!!」

急に黙り込んで尾形さんに向かって歩き出した杉元さんの腕を掴んで慌てて引き止める。すごいこの腕びくともしない!

「お前らしばらく離れてろよ。俺は一々止めに入る気はないぞ」

夕張を出てから何度目かの揉め事の気配に嫌気が差したのか、一人息を切らせている鈴川のそばに腰掛けていた牛山さんから至極面倒そうな声が飛んでくる。
それでも両者視線を逸らさず不穏な空気が続く中、その淀みを断ち切ってくれたのは愛らしく透き通った声だった。

「杉元、行くぞ。なまえは鍋と火の用意をしておいてくれ。私が戻って来るまで薪集めと水汲み以外で動くんじゃないぞ。尾形は一人が寂しいなら今日はチンポ先生と鈴川の見張りだ」
「……」
「は、はい」
「……ふん」

私が返事をしている間に杉元さんは無言でアシㇼパさんのそばに、尾形さんは鼻をひとつ鳴らして一人で藪の奥に消えて行ってしまった。


暫くして戻って来たアシㇼパさんと杉元さんは狸を、尾形さんは兎を仕留めていた。明日の分まで食糧が確保できたと喜ぶアシㇼパさんに急かされて二人で一緒に夕食の支度に取り掛かりながらも、少し離れた場所で静かに何か考え込んでいる様子の杉元さんが少し気になった。


***


殺しきれない嗚咽を必死に抑える。

どこかとても遠くから、たくさんの悲鳴が聞こえてくる夜。藪の隙間から覗いたぼんやりと暖かな光が差す草むらで、地面に倒れた女に男が覆いかぶさり着物を剥ぎ取っている。

首に掛かる男の手を掴み懸命にもがいていた女は徐々に動かなくなり、やがて力の抜けた腕がゆるやかに落ちていく。
白く細い首に男の両手が絡まり一際二人の体が近付いた時、地面に落ちた手がこちらに縋るように伸ばされた。

いやだ。母さんに酷いことしないで。

両手を固く握りしめたまま、言いつけを破り薮から飛び出す。

そして男にぶつかった瞬間、全てが真っ黒になった。



重い瞼を上げると、先ほどまでと同じゆらめく光に照らされた草木が視界に広がる。
一瞬夢の続きかと身構えて呑み込んだ息は、それが今晩目を閉じる前に見ていた光景だと理解すると同時にゆっくりと吐き出された。それでも消えない息苦しさから逃れたくて、もう一度大きく息を吸って、吐き出す。

「嫌な夢でも見た?」
「っ」

突然背後から聞こえてきた低い声に、もう一度息が止まる。でもすぐにそれが聴き慣れた声だと気付いて寝返りを打つと、斜め向かい、少し離れた隣で上半身を起こして木に寄りかかっている杉元さんと目が合った。
焚火に照らされた顔は最後に見た時よりもどこか疲れているように見えて、なんとなく、思ったことを口にする。

「…杉元さんもですか?」
「……ちょっとだけ」

杉元さんの返答にそれ以上続く言葉を思いつけなくて、無言のまま私も体を起こして近くにあった幹に背中を預けた。いつもより肌寒く感じる今夜の空気に、頭巾替わりにしていた襟巻きを深く被り直して、ずり落ちた毛皮を肩まで掛け直しながらぐるりと周囲を見渡す。
大の字に寝転んで大きな鼾をかいている牛山さんの上で、すやすやと眠っているアシㇼパさん。連日の山越えは相当酷だったようで、逃走防止に杉元さんと手首を縄で繋がれた鈴川も、杉元さんの向こう側でいつも通り鼾をかきながら泥のように眠っている。焚火を挟んだ先には、銃を抱えて横たわる尾形さんの丸まった背中が見えた。

疲れていないわけじゃない。どうせいつもと同じ時間に起きてしまうのだから早く眠るべきなのにすっかり目は覚めてしまっていて、どうしたものかと膝を立てて両足を抱える。少し視線を動かすと視界の端に入る杉元さんにも横になる素振りはなくて、パチパチと燃える薪の音と合間に聞こえる二つの鼾を聞きながら、揺らめく火を眺めていた。


「……なまえさんは、
……ごめん。なんでもない」

名前を呼ばれて顔を上げるよりも早く、言葉を取り消す杉元さん。でも続けようとしていた言葉が何だったのか何故か確信があって、視線を落として少しだけ考えてから、ゆっくり口を開いた。

「……十くらいの頃、住んでいたむ…家が、うーん……賊?の類に襲われまして。一緒に隠れていた母が見つかって殺されそうになった時、咄嗟に──。
……それが、最初に人を殺した時です」

「結局、母も他の家族も助かりませんでした」と続けて、足を抱える腕に少しだけ力を込める。
狼藉を免れようと村中からお金を集めて取り交わしていた約束があっけなく無下にされて、村のあった領地の城と戦をしていた敵方の城の兵に襲われたのだと知った頃には、村はもう人の住める場所ではなくなっていた。

「あんまり、治安のいい場所じゃなくて。その後も、生きるために、生きてもらうために、別の命を奪うことがありました」

二度目はそれから数年後。本当に運が悪かったとしか言えない、学園の外での出来事だった。
全てが終わった後、泣きながら何度も何度も私に謝り続ける後輩を抱きしめながら、今度こそ誰かを守れたことが嬉しくて、私も一緒に泣き続けた。

「……アシㇼパさんも知ってるって言っていたのは、その話をしたからかい?」
「……いいえ」

アシㇼパさんに伝えてあるのは、家族は昔全員死んでしまったことだけ。もしかしたら聡いあの子は何かに気付いているのかもしれないけど、間違いないきっかけだったあの日を思い出す。

「アシㇼパさんに猟を教わっていた時に、追い剥ぎに出くわしたことがあったんです。
子供二人だと思ってか油断しきった二人組だったので返り討ちにしてその場に縛り付けたんですけど、警察を呼ぶために山を降りようとしたら『顔は憶えた、アイヌの村片っ端から襲ってでも二人とも見つけ出して殺してやる』ってそいつらが言い出して。
ただの虚勢だったんでしょうけど、どうしてももしものことを考えてしまって──何だかんだ理由をつけて警察にはアシㇼパさんと付き添いでマカナックルさんに行ってもらって、その間に一人で戻って殺しました。
警察は仲間割れの末…って結論付けてくれましたけど、アシㇼパさんはどこかで気付いてたみたいです。マカナックルさんは……うーん、バレてないと思うんですけどねえ…」


苦笑しながら言い終えて、それから少し考える。
杉元さんの疑問には、十分すぎるくらい答えたと思う。余計なことを言い出す前に、本当ならさっさと話を切り上げるべきなんだろう。
でも、杉元さんには知っていて欲しかった。

顔を上げればいつからこちらを見ていたのか、炎を反射して揺れる瞳と視線が交わった。

「杉元さんは優しいから、きっと色々と思われることがあると思います。でも、これは私が自分で選んだことです。
あの時私がもっと早く駆け出していれば、母は死なずに済んで、私はひとりにならなかった。
……あんな思い、もうしたくも見たくもないんです」



「……わかった」

どのくらい時間が経ったのか。私の言葉が途切れてからしばらく、ゆっくりと一つ瞬きをした杉元さんが、もう一度私を見据えた。

「それならなまえさんは、なるだけ俺とアシㇼパさんのそばにいてくれ。
なまえさんの旅の目的は、金塊じゃなくてアシㇼパさんを守ることだろう?一緒にいる間、金塊に関わることで手を汚すのは俺がやる。なまえさんは本当に守りたいものを守ればいい」

そう言って眉尻を垂れる杉元さんに、私を否定されなかったことへの嬉しさ半分、それでも以前とはまた違う形で守られようとしていることに気づいて、胸の真ん中あたりが少しだけ重くなった。

アシㇼパさんと少しだけ先に出会っていて、女だからということだけで、杉元さんはこんなにも私を気遣ってくれているんだろう。それに返せるようなものを、私は何も持っていないのに。

それでも守られようとしているのは私のはずなのに、どこか縋り付く様な眼差しを見ているとどんな形でもその提案を否定する言葉が出てこなくて、無言で頷くことしかできなかった。


***


「尾形さん」

木漏れ日の心地良い中、いつも通りわいわいと朝食を作っている杉元さんたちには聞こえないように、一人離れて岩に腰掛けていた目的の人物へ近付いて声をかけた。案の定返事なんてないけど、黒眼がこちらに向けられただけでもよしとする。

「もし気が変わっていなければ、後で銃について教えてください。できたら杉元さんには内緒で」

用件を伝えると、一緒だけ眉が顰められた。それからちらりと賑やかな集団へ視線を向けて、すっと口角を持ち上げる。

「……いいのか?せっかく汚い仕事はしなくていいって、赤ん坊みたいに甘やかしてくれる奴がいるんだぜ?」
「はい。杉元さんの厚意に甘えてばかりいるわけにもいきませんし、目的はとかく、使える手段が多い方がいいのは確かですから」

昨夜の会話で私が銃を触ることへの問題は無くなったとはいえ、杉元さんではなく尾形さんに教わることへの若干の後ろめたさからちらりと杉元さんを盗み見る。大丈夫、お鍋掻き混ぜてる。

「扱いきる筋肉も火薬の購入許可もありませんし、火薬の匂いを付けたくないので普段から触るつもりはありませんが」と付け足せば少し私の顔を観察した後、もう興味はないと言わんばかりに視界から外された。結局銃についての返答はなかったけど、あとはこの人の気分次第なんだろう。

話が終わりなら調理の手伝いに入らないと、と背中を向けて歩き出そうとした瞬間、はっと勘付いて素早く後ろを振り向けば、やや体をこちらへ傾けた尾形さんの右手が私と彼の間で空を掴んだ。

勝った。
にやける顔を抑えきれない私と目が合うと、尾形さんは無表情のまま黙って尻の汚れを払い立ち上がり、次の瞬間目と口を三日月型に歪めた。

「ギャンッ!?」
「あ゛!?おい尾形テメエ今何したゴルァ!!」
「うるさい。図に乗ったこいつが悪い」

咄嗟に逃げ出すより先に額を拳で突かれてのけ反り、そのまま額と項の痛みに蹲り悶える私の頭上で繰り広げられる騒々しい雑音を瞬時に掻き消したのは、お腹を空かせたアシリパさんの一喝だった。


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