辿り着いた月形は、久々に間近に目にする和服や洋装姿の人たちが往来を行き交っていて、初めて小樽の街並みを見た時の奇妙な感覚を少しだけ思い出した。
「しかし拍子抜けだぜ。網走の脱獄囚にもこんなザコがいたんだな」
なんだかんだありながらも無事目的地に到着して多少緊張の糸が緩んだのか、尾形さんが道中殆ど会話のなかった鈴川へ挑発的な言葉を投げた。それに対して臆することなく、自分は頭を使って犯罪を繰り返してきたのだと言い返す鈴川。便乗して茶々を入れていた杉元さんも、コタンでは変装や肩書によって見事に騙されていたことを指摘されるとぐっと言葉を呑み込んだ。
忍者の使う術は盗賊の術に近く、ゆえに分けるのは正しい心である。
得意げに語られる話を流し聞きながら、昔学んだ言葉を思い出す。この男の持つ人を欺く術は確かに見事なものだけど、結局それは他人を陥れて私利私欲を満たすためにしか使われなかった。
私のやっていることも、とどのつまりこの男と同じなのかもしれない。
ふと思いついたそんな考えは、すぐに頭の外に追い出した。たとえそうだったとしても、この旅の最中にそれを恥じ入っていられるほどの余裕は私にない。
「最初に上手く思い込ませることさえできれば、後は騙されたやつが勝手に自分にとって都合の良いように解釈してくれるのさ。そっちの“お兄さん”はよく分かってるんじゃないかい?」
呼ばれた気がして焦点を戻すと薄笑いを浮かべた顔がこちらを見ていて、黙って見返しているとその顔が生えた肩に横から逞しい腕が回された。
「余計な話はもう十分だよ。あんたの処遇が決まるのはこれからなんだから、精々大人しくしときな」
杉元さんの重く低い声に自分の現状を思い出したのか、今度は鈴川がひっと小さく悲鳴を上げて言葉を呑み込んだ。その様子を眺めながら襟巻を持ち上げて、喉と口元を覆い直す。
コタンで血を洗い流した時に上着と鉢巻は文様のある表へ着直していて、鈴川の言葉はこの上着を指しているようにも、もっと根本的なことに自分は気付いていると言っているようにも受け取れた。後者なら取引の材料になるだなんて下手な勘違いでもされると面倒なので、どちらにせよ今後はなるだけ鈴川には近づかないようにしよう、と心の中で結論付けた。
そのまま向かった集合場所の宿で私たちを迎えてくれたのは、永倉さんと家永さんだけだった。
互いに何故か相手が熊岸長庵の死を知っていることに驚愕したのち、鶴見中尉の率いる隊とは別の第七師団に捕まった白石さんをキロランケさんと土方さんが救出中というまさかの事態を告げられて、落ち着く間もなく全員で急ぎ旭川により近い深川村まで移動することになった。
***
「なまえ」
「アシㇼパさん、おかえりなさい。毛皮は売れましたか?」
開け放たれた窓から入る風が心地よい昼八つ時。宿の部屋で一人荷物の整理中、外から戻って来たアシㇼパさんに声を掛けられて顔を上げる。
まだ到着していないキロランケさんたちを深川村で待つ間、夕張からの道中でいくつか手に入った毛皮をアシㇼパさんと杉元さんは二人で売りに行っていた。
本来なら参加するべき鈴川の見張りにも呼び出されることのなかった私は、大人しく私たち三人に割り当てられた部屋で荷物と一緒に二人の帰りを待っていた。暗に永倉さん側から役に立たないと判断されたわけだけど、こちらとしても出来る限り鈴川とは関わり合いを持ちたくないので大人しく受け入れることにした。
「んふふふ…」
「……アシㇼパさん?」
私の質問に答えることなく、したり顔で部屋に入ってきたアシㇼパさんの様子に小首をかしげる。なんだかとても機嫌がいい。毛皮が高く売れたんだろうか。
「あ、杉元さんもおかえりなさい」
「う、うん」
大した根拠もなく思いついた予想は、アシㇼパさんに続いて部屋に入ってきた杉元さんの態度を見るにどうもはずれのようだった。こちらは妙にそわそわと視線を泳がせている。
そのまま何故か私の前で横並びになった二人に釣られて、状況を把握できないままなんとなくこちらも立ち上がった。
「ほら、杉元」
「……ホントに俺が渡すの?」
「金を払ったのは杉元だろう。いいからさっさと渡せ」
目の前でこそこそと話し合う様子を黙って見守っていると、やがて落ち着かない様子のまま杉元さんが一歩前へ出て、二人で向き合う。
「えっと、なまえさんこれ……さっきアシㇼパさんと歩いてた時に見つけたんだ。アシㇼパさんと一緒に買ったんだけど、その、もしよかったら……」
そんな口上と共に伸びてきた腕に、反射的に胸の前で開いた両手に置かれたのは、子供の拳ほどの大きさの包みだった。
中身について一切察しがつかず「開けてもいいですか?」と尋ねれば頷かれて、捩じり留められていた紙を広げると同時に中から顔を覗かせたものを見て、息を呑む。
「俺はもうちょっと落ち着いたものが」とか「アシㇼパさんが俺は分かってないって」とか正面からぶつぶつと何やら流れてくるけど、それを聴き取るための思考は全て手のひらの中に奪われてしまっていた。
「かわいいっ…!!」
白い紙の中から溢れ出たのは、小さな色の欠片だった。
全体にツノの生えた大豆くらいの大きさの、色取り取りの粒たち。穴が開く程見つめていると、ふと焦点の合った白い一粒が記憶の中にあった砂糖菓子と結びつく。
「こ、これ、これもしかしてコンフェイトですか?」
「え、あ、うん、金平糖…」
「こんぺいとう!」
すごい!名前までかわいくなってる!!
昔、家が裕福な後輩が一粒分けてくれたコンフェイト。口の中に広がった砂糖だけの純粋な甘さは、本当に衝撃的だった。こちらに来てから何度か飴ちゃんを口にする機会はあったけど、初めて食べたあの南蛮菓子の感動は特別記憶に残っている。
桃に菜の花、若葉に雪。僅かに手首を動かすと四色それぞれがチラチラと光を反射する様に、ほう、とため息がこぼれる。
「ちっちゃい…かわいい…きれい……手の中に春があるみたい…」
幼気な生き物に感じる愛らしさや、アシㇼパさんに込み上げる愛おしさとはまた違うときめきが胸を締め付ける。
どれだけ見ていても飽きない光景をうっとりと眺めていたら、いつの間にか部屋の中が静まり返っていることに気付いて顔を上げた。
最初に目が合ったのは、満足気に笑みを浮かべるアシㇼパさん。そこからゆっくりと視線を上げると、口元を両手で覆いこちらを見ている杉元さんがいた。いつもより少しだけ中央に寄った眉の下にある見開かれた目と見つめ合ううちに、じわじわと正気が戻ってくる。
私、今、何してた?
そうして自分の醜態を完全に理解した途端、ボッと燃え上がるように顔が熱くなった。
「あ、あああの、違くて、すごくかわいくって、じゃない、きれいで、」
「うん」
「その、白一色のものしか知らなくて、こんなにきらきらしてるの初めて見たから思わず口走っちゃって、えっと、その…ううっ……!」
「うん」
支離滅裂な言い訳にもならない言い訳を吐き出すも、こちらを凝視したままカクカクと頷くだけの杉元さんの態度にどんどん羞恥心は膨れ上がって、ついにはばちんと弾けた。苫小牧で子供っぽい言動には気をつけようと決意したのに、結局二月程度しかもたなかった。
「……大変失礼しました。いい年して子供みたいにはしゃいで、本当にお恥ずかしい……以後慎みます」
「えっ」
「えっ」
予想外の返答に俯いていた顔を上げると、隠すものがなくなった顔は何故か驚いた表情を浮かべていて、こちらも同じ顔を返す。
再び互いに見つめ合った後、先に視線を逸らした杉元さんは少しばかり目を泳がせてから、意を決したようにこちらに向き直った。
「い、いいと思う」
「……え?」
「別に、無理に取り繕わなくてもいいよ。今のだってなまえさんの本心なんだろ?だったら、俺もそういうのす、良いと思う気持ちもわかるし、なまえさんさえよければ、俺の前でもアシㇼパさんといる時みたいにしてくれてかまわないっていうか……」
「……みっともないって思いませんか?」
「絶対に思わない」
しどろもどろといった様子で話される内容の全ての意図を汲み取れた気はしなかったけど、また私の気持ちを尊重してくれようとしている杉元さんの優しさは十分に伝わってきた。最後にきっぱりと言い切られた言葉に込み上げたくすぐったい気持ちは決して不快ではなくて、自然と顔が綻んだ。
「えへへ……ありがとうございます」
「ふん」
「あぁッ」
「ええ?」
お礼を言った直後、目の前にいた杉元さんを真顔で押しのけたアシㇼパさんが入れ替わり私の前に立った。目が合えば再びしたり顔を浮かべて、下から覗き込むように見上げてくる。
「なまえ、気に入ったか?金を払ったのは杉元だが選んだのは私だ」
「とっても!さすがアシㇼパさん!」
「そうだろうそうだろう、お前は昔から花とかガラス玉を眺めるのが好きだったからな。なくなったら私に言うんだぞ?今度こそ私が買ってやるからな」
「うっ、だからごめんってばぁ……」
「知らない」
なにやら私の与り知らぬところで一悶着あったらしい様子の二人の微笑ましいやり取りを眺めてから、改めて自分の手の中に視線を落とす。
「でもこんなに素敵なもの、食べるのが勿体なく思えちゃいますねえ…」
「まったく、それだと荷物になるだけじゃないか」
やれやれと鼻息を溢しつつも口元には笑みを浮かべて、私の持っていた包みから桃色の欠片をひとつ取り出すアシㇼパさん。その行先を察して腰を曲げてあ、と口を開けば、ぽいっと中に放り込まれた。唇を結んで少し待てばじんわりと口内に広がる甘さに、勝手に頬が緩んでいく。
この幸せをアシㇼパさんにも伝えたくて、三粒ほど手にして何も言わずとも開かれた小さな口の中に一粒ずつ放り込めば、口を閉じてジャリジャリと大胆な音を響かせてから表情を少し曇らせた。
「……甘いけど腹に溜まらない」
「ふふ、砂糖菓子ですからねえ」
「やっぱり私のやつのほうがいいな!」
そう言ってサラニㇷ゚を肩から外す姿に「あれ、アシㇼパさんも金平糖買ってもらったんじゃないんですか?」と尋ねれば「違う、もっといいものだ」と返ってくる。
“もっといいもの”に心惹かれて、うきうきとした様子で私の物より大きな包みを取り出すアシㇼパさんの手元をわくわくしながら見守る。
「なまえ、見てみろ……甘いオソマだ」
得意げなアシㇼパさんの両手には、焦茶色の棒状の塊がいくつも乗っていた。こちらもなんとなく見覚えのある姿。これも確か南蛮菓子の……輪っかになってる……だめだ、名前が出てこない。
「コス…コスなんとか……」
「ほら、口を開けろ」
思い出せずにもやもやしながら言われた通りにすると、存外奥まで突っ込まれた塊。顎に力を入れればボリボリと小気味良い音と一緒に独特な甘さと香ばしさが広がる。
「ヒンナか?ヒンナか?」
「ンぐ、ふごくヒンナです」
「そうか!」
「この大きさだとカスペキラ(エゾテン)くらいだな!」とキラキラとした年相応のはしゃぎ顔で自分もボリボリと頬張るアシㇼパさんに「お夕飯のお腹空けておいてくださいね」と声をかけてから、横で気まずそうに頬を掻く杉元さんを見る。
「駄菓子屋のおばあちゃんに一つもらったら気に入っちゃって……」
「なるほど……」
納得の経緯に二人で力なく笑い合って、そうだと思い出してもう三粒取り出す。
「はい、杉元さん。口開けてください」
「え、俺はいいよ。アシㇼパさんにも少しもらったし」
「きっと、美味しい物を一緒に食べたかったんだと思うんです。私も同じ気持ちです」
そう言って持ち上げていた手を少しだけ動かせば、やや躊躇った後、襟巻を少しだけ指で下げながら開かれる口。先程と同じように放り込めばもごもごと顎を動かしてから、ゆっくりと目尻を下げた。
「…甘いね」
「はい」
***
翌日、キロランケさんと土方さんが合流した。でもそこに白石さんの姿はなくて、訝しがる面々に伝えられたのはまさかの救出作戦の失敗だった。正直キロランケさんの手助けがあれば機転の利く白石さんが移動中の集団から逃げ出すことなんて容易だと思っていただけに、動揺が隠せない。
おそらくは既に旭川へ到着しているであろう白石さんの自力での脱出を待っている暇はないと言い放つ土方さんの言葉に、永倉さんや家永さんからも諦めをほのめかす言葉が続く。もともと追われている尾形さんは勿論、実は以前第七師団にいたらしいキロランケさんさえも迂闊に近づける状況ではないことが分かり、厄介な状況になってしまったと額に手を当てる。
金塊だけが目的である土方さん方からすれば、白石さんがいなくても刺青人皮さえ集まれば問題はない。でもアシㇼパさんの一番の目的は、のっぺらぼうに直接会うことだ。そのためには数々の監獄から脱獄した経験を持つ白石さんの力が必要で、今後の流れによっては土方さん方との協力関係に綻びが生じてしまうかもしれない。
私たち四人で彼らを説得しないといけないのだと気持ちを引き締め直して顔を上げると、そこには既に白石さんを過去の人として扱う気満々の表情をしている面々がいた。
土方さん方と……まあ、旅立ちは一緒でも金塊の行く末を見守る立場であるキロランケさんが白石さんを諦めるのは分かる。
アシㇼパさん、なんでのっぺらぼうに会いたいあなたまでそんな吹っ切れた表情をしてるんですか。
……あれ?白石さんって実は本人が言ってたほど重要人物じゃなかった?
「いや……俺は助けたい」
そんなほぼ満場一致で決まりかけた流れを変えてくれたのは、やっぱり杉元さんだった。
人目を引かないように隣にいた鈴川の頭に優しく手を添え拘束して「この詐欺師を使おう」と呟かれた言葉に、当の本人は表情を硬くして青ざめた。
← /
top /
→
home