「なまえ、と言ったか」
「……はい」
「ふ…何、そう身構える必要はない」
旭川の街中で人目につくことを避けるため、私たち一行はアシㇼパさんとキロランケさんの口利きと土方さんの金銭的支援により、近くのコタンに滞在していた。
寝食のお世話になっているチセで全員揃っての朝食後、他の人たちより少し遅れてもう一軒の場所をお借りしているチセへ移動中に、正面から歩いてきた土方さんに声をかけられ正対する。
背筋を正して強張った声を返した私に、精悍な顔を崩すことなく口元に笑みを浮かべた土方さん。とはいえ今朝のやり取りの直後では素直に頷くこともできなくて、視線を泳がせた。
「その、何かご用でしょうか?」
「ああ。すまないが、使いを頼まれてはくれないか」
「…お使い、ですか?」
「今回の計画で使う道具の調達だ。永倉に同行し旭川の街で揃えてもらいたい」
その言葉に、昨夕の出来事を思い出す。
第七師団の本部から白石さんを救い出すため杉元さんに生かされた鈴川が提案したのは、網走監獄の監獄長──典獄の犬童四郎助を騙ることだった。
土方さんの言う“道具”が、その場で犬童と面識のある面々が息を呑むほどの変姿の片鱗を見せた鈴川が言っていた“必要な準備”のことだと理解した上で、戸惑いから眉根を寄せる。
「それは、お役に立ちたいのは山々なのですが……その、本当に私でよろしいのでしょうか?恥ずかしながら世情に疎いもので、ちょっとした荷物持ち程度にしかお役に立てそうにもないのですが…」
「複雑な品は永倉に任せてある。回る店は多いが、帰りの荷物も大した量にはならんだろう」
「……わかりました。では杉元さんたちに伝えてきます」
同時に改めて思い出した今朝の出来事に躊躇いは残るものの、いまだ協力関係にある以上、アシㇼパさんたちの助けに繋がるのであれば断る理由はない。
ろくな案も出せずに計画が練られていくのをただ眺めているよりかは役に立てそうだと思って了承の旨を伝えれば、土方さんはひとつ頷いて再び口を開いた。
「それを終えたら、出立前に家永に声をかけてやってくれ」
「家永さん…?」
「街へ行くのであれば頼み事があるそうだ。そちらが寝泊まりしている家で待っている」
「……承知いたしました」
どうして永倉さんに頼まないんだろう、と湧き出た疑問は本人に聞くことにして頷いた私に、再び微かに口角を上げた土方さん。老いの概念を覆す力強い眼差しに見られていると思うとなんとなく心がざわついてしまって、早めに視線を進行方向へ移動させてひとまずは宣言通り杉元さんたちへ報告に向かった。
永倉さんと二人で外出することを伝えると、今朝と変わらず近寄り難い空気を纏ったまましばし私を見た後、「……気をつけて」と呟いた杉元さんに少し緊張しながら頷いて戻ったチセには、手鏡を覗き込んでいる家永さんだけがいた。
「家永さん、失礼します。土方さんから街へのお使いを頼まれたのですが、家永さんからも私に何かご用事があると伺いました」
「はい。わざわざありがとうございます」
艶然とした笑みを浮かべてそばに座るように促され、色んな意味でどきりとしながらそれに従う。大丈夫。まだ敵になったわけじゃないから大丈夫。多分。
「実は、白粉を買ってきていただきたいのです」
「…おしろい」
「はい。肌に合う物が大きな町でないと取り扱いのない品なのですが、もうすぐ持ち合わせが尽きてしまいそうで。本来なら自分で出向くべきなのですが街中までそれなりに距離がありますから、差し支えなければなまえさんにお願いしたいのです」
「永倉様にお願いしたら『何もかもがわからん』と一蹴されてしまって」と残念そうに目を伏せる家永さん。ホテルの女将を騙る必要がなくなった今でも家永さんがその姿を続けている理由を、私は知らない。でも決して楽ではないはずなのだから、家永さんにとっては重要なことで、白粉も必要な物なんだろう。
もちろん、そのくらいお安い御用ですよ。
……と快諾したいところだけど、大きな問題がひとつ。買うべき品に対する私の知識は、軽く数百年前で止まっていた。
「あの、お役に立ちたいのは山々なのですが、私そういう類の物とは縁が薄くて……」
「白粉の入れ物をお渡ししますから、それを店の方に見せていただければ問題ないはずです。
とはいえそのお姿ではご不便も多いでしょうから、よろしければこちらお使いください」
この流れを見越していたかのようにそんな言葉と一緒にすっと目の前に差し出されたのは、風呂敷に包まれた何か。そのまま家永さんの手により広げられた中には、着物や帯の和服一揃えがあった。
始めはまったく意味が分からなかったものの、その帯が私が普段使っている物と幅も作りも違うことに気付いた瞬間、胃がきゅっと縮んだような感覚に襲われた。
平静を装う余裕もなく咄嗟に次の行動を思案するけど、さ迷わせた視線の先にあった至極穏やかな眼差しからは既に揺るがぬ確信を持っているのだと伝わってきて、それでも無駄な抵抗をひとつふたつ考えてから、結局最後は力なく笑い返した。
察しが悪いなあ私。白粉の件で気付いてよかったのに。
「……いつからご存知で?」
「札幌のホテルでお会いした時から」
「わあー」
最初からじゃないか。
どこか愉しげな家永さんの返事に、声と一緒に肩の力まで抜けていく。
「長年人を観察していると、わずかな違いも目に留まるようになるものでして。なまえさんのように意図的に特徴を隠していらしても、肌質や動作に影響する骨の形でおおよその年齢や性別はわかりますよ」
「すっご…」
驚きで言葉が出ない私に「それにほら、私たち似た者同士ですから」と笑いかける家永さん。なるほどそうかとちょっと納得しかけたところで、同時に家永さんがその審美眼を培うまでの経緯をうっすらと思い出しかけて静かに頭を振った。
「あの、ちなみにそちらの方々はみなさんご存知で……?」
「土方様と永倉様は初めからお気付きでした。どんな形であれ、あのお二人を出し抜くのは簡単なことではありませんよ。
後のお二人は……恐らくあの様子ではご存知ないかと」
つまりは相手方の半分以上に初対面から隠し事を見抜かれていたわけだ。
一切気付かなかった自分への恥ずかしさと、それなりに実績のあった姿を一瞬で見破った三人への感服と用心を覚えつつ、数か月一緒に行動した結果何故か残念な方向へ画策を始めた白石さんの顔を同時に思い出してしまって、気持ちのままに表情筋を動かした。
そんな私へ家永さんの手が伸びてきて、膝の上に置いていた手の甲にそっと触れる。一瞬体を硬くしてしまったけど、札幌や夕張の時のような距離を置きたくなる感じはしなかった。
「今までどうされていたのか存じ上げませんが、大手を振って女性として振る舞えないのでは何かと不便もおありでしょう。
『今日は残りの全員で終日鈴川の計画を練ることになるだろうから、その気があるのならば永倉の手伝いついでに自分の用事を済ませてきなさい』と、土方様からのご伝言です」
「おわぁ…」
その言葉で先程別れ際に土方さんが見せた笑みの意味を理解できた気がして、押し寄せた感情に歪んで熱を持ち始めた顔を両手で隠す。
勿論協力関係にある上での打算的な善意だと分かっているけど、それでも今まで必要に駆られた時くらいしか会話のなかった私にまでこんな風に気を回してもらえるとは思わなかった。
そしてこの申し出、正直なところものすごくありがたい。
小樽を出てほぼふた月、家永さんにとっての白粉のように、私も気に入って使い続けている品のいくつかが、補充や交換の時期になっていた。
勿論買い物くらい一人でできるけど、中には女性が使うことを前提に売り出されている品もあって、小樽にいた頃は必要とあれば店主からの誤解をきちんと解いて買い続けていたそれらも、敵の本拠地である旭川の街中で計画実行前に悪目立ちしながら買い求めることは避けたかった。
利用できる物は何でも利用すると教わってきた身として何が何でも買い求めるようなものではないけど、やっぱり使い続けているにはそれなりの理由がある。
こんなことなら夕張や深川で買える物だけでも買っておくんだったと少し後悔していただけに、家永さんからのお話は願ったり叶ったりで、少し考えた後すっと背筋を伸ばした。
「……お言葉に甘えます」
「はい。そうして頂けるとこちらも助かります」
「ただ、その……すみません。私、女性用の着物の着方がわからないんです」
せっかく伸ばした背中をすぐに丸めてそう白状すると、家永さんは大きく見を見開いて「おや」と口元に手を添えた。
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