「鯉登少尉…!!」

日に焼けたように健康的な肌色に、凛々しく鋭い顔つき。こちらを睨み付けながら刀を持って枠組みをよじ登り現れたのは、間違いなく先日街中で出会った将校様だった。
いつの間にか横にいた尾形さんから小声で「奴か?」と尋ねられて、鉢巻を下げながら小さく頷く。世間は狭い。

「銃剣よこせ、俺がやる」
「自顕流を使うぞ、2発撃たれた状態で勝てる相手じゃない」

そういいながらも杉元さんに持っていた武器を渡す尾形さん。私が行くべきだろうかと盗み見ようとした顔がこちらを見ていて、バッチリ目が合った。バレたかな、と思ったけどどうも違うようで、「ゲホッ…こんわろがぁ…!」と私を先日の比ではない険しさで睨む目は真っ赤に充血して潤んでおり、顔から出る汁を大抵覗かせながら咳き込んでいる原因はここまで全力疾走したからだけではなさそうだ。

「さっきお前が投げてたアレが原因か?」

そういえばもっぱんを投げた時、遥か後方にあの服の色が見えた気がしないでもない。とはいえ屋外での使用だったこともあって、大した被害はなさそうだ。

「…多分」
「ははっ、良い仕事したじゃないか」

何がそこまでお気に召したのか、いたく上機嫌な様子で頭に手を置かれてぎょっとする。色々怖いし目の前からの敵意が一段と鋭く突き刺さってくるので止めて頂きたい。

でもその息苦しい時間は長くは続かなかった。私の頭を掴んでぐらぐら揺らしつつ外套の頭巾から顔を出した尾形さんを見た瞬間、鯉登少尉の顔が今までになく歪んだ。

「ゴホッ…尾形百之助貴様ッ……!

よくも鶴見中尉どんを○▼※△☆▲※◎うらぎったな!!まえからワイノコトハワッゼェスカンカッタ!オイガコツボンブホッ、ボン△☆▲※◎★ッセー!!○×△☆♯♭●□▲★※▲☆=¥!>♂×&◎♯£!!オ゛ェッ…!!」
「…なんて?」
「相変わらず何を言ってるかサッパリ分からんですな鯉登少尉殿。興奮すると早口の薩摩弁になりモスから。いやはやそれにしても今日は一段と流暢でいらっしゃる」

咳き込みながらも一気に捲し立ててえづく男に思わず声が漏れる。それに答えるような相手を小馬鹿にした台詞に、二人の関係をなんとなく察して隣の愉しげな顔を横目で見た。少なくともあなたに怒ってることはわかりますよ尾形さん。

「◎△$♪×¥●&%#ッ!!」

明らかに今の台詞をきっかけにして、何か言い放ちながら鯉登少尉が一気に距離を縮めて一番近くにいた杉元さんに向けて刀を振り上げた。
「受けるなッ!」と言う尾形さんの台詞と同時に振り下ろされた一撃は、それを防ごうと掲げられた銃剣ごと杉元さんの頭にめり込んだ。そのまま同じ重さで繰り出される一刀一刀が、確実に杉元さんに浴びせられていく。

だめだ。やっぱり今の杉元さん一人じゃ出来ることが限られてしまう。
そう思い立ち勝算もないまま相手の背後に回ろうと張り巡らされた足場を移動するために木材を蹴った足は、次の瞬間上着を後ろに引かれたことで空中で急停止し即座に重力に従った。

「ひょぇっ」
「おっと」

咄嗟に体を引っ掛けるものを求めて広げた腕の下から別の腕が生えてきて、そのまま腹を圧迫されたことでガクンと落下が止まった。

「やめておけ、お前じゃあ力負けして突き落とされるのが目に見えてる」

耳元で聞こえる尾形さんの声と放り出された足越しに見える地上までの遠さに、いろんな場所で風通しの良さを感じながらこくこくと何度も頭を上下に振る。足元に広がる木々は運が良ければクッションになってくれるだろうけど、運が悪ければ柔らかい場所をぶすりと突き破るだろう。

軽々と私を支える片腕はがっしりと体を抱え込んでくれていて、下手に動いてバランスを崩すよりもそのまま引き上げてもらった方が良さそうだと大人しく待機するものの、一行に上にも下にも動く気配はない。

「……尾形さん?」
「……」

背後にいるはずの彼の名前を呼ぶと、返事の代わりに腹に回された腕の力が強くなった。その圧迫感で気付く。

この姿を始めた頃からずっと、誤解を招きやすいように胸は晒し布である程度均すようにしていた。特にこの旅に付いていくと決めてからは、誰かと密着しても誤魔化せるように念入りに。
でも、上着で隠れるくびれは何もしてこなかった。

果たして私の腹囲と腹筋は、少年として主張できるだけの代物だったろうか。

「……」
「…お前、」

その時、小気味よい音がして顔を上げると、鯉登少尉のそばの柱に矢が突き刺さっていた。見慣れた形状に飛んできた地面を見ようとした瞬間、「なまえちゃん引き上げるの頼んだぜ」と頭上から聞こえてきた声の主を仰ぎ見ると、宙に浮いた白石さんが私の上を通り過ぎて行った。


そのまま鯉登少尉の胸に白石さんの全体重を乗せた一撃が入り、二人の体が枠組みの外に飛び出す。あっと息を呑んだのも束の間、白石さんの体は胴体に巻き付いていた縄によって途中で落下を止めて、ブラブラと大きく揺れ始めた。一方刀片手に放り出された鯉登少尉は、重力に逆らう事なく何か叫びながら木々の中に消えていく。

「あはははッ、あばよ鯉登ちゃん!」と陽気に下を見ておちょくっていた白石さんも、「シライシ木に突っ込むぞぉ!」という杉元さんの言葉の直後に一際大きな木の中に消えた。
茂みの中から聞こえる悲鳴に生存を確認しつつ見守る中、再び姿を表した白石さんには凛々しいアシㇼパさんが乗っていて、「アシㇼパさん!」と弾む声を杉元さんと同時に上げる。

それから慌てて自力で足場によじ登って腹に回っていた腕を引き剥がし、カラクリ近くの木材に縛り付けられていた白石さんとアシㇼパさんの命綱を引き上げにかかった。

「ぐ、重っ…!
いや杉元さんはそこで休んでてください!尾形さんは見てないで手伝ってください!!」
「……チッ」


***


「肩の銃弾は貫通してるが左胸にはまだ弾が入ってる。後で取り出さないと」

杉元さんの頭に軍帽を乗せるアシㇼパさんの言葉を聞きながら、杉元さんが脱いだ着物を直すのを手伝う。

二人を引き上げようやくひと段落したところで確認した杉元さんの怪我は、出血の量からして内臓や重要な血管は無事なようだ。人並み外れた回復力のお陰で先程よりいくらか体力も戻り始めている様子だけど、変わらず出血は続いているし、早く安定した場所で手当てをしたい。

「こんな危険を冒してまで俺を取り戻しに来るなんで……俺は脱獄王だぜ?自分で逃げられたのに……」

その様子を見ていた白石さんが、茶化すように言葉を発する。でも声はどんどん弱々しくなっていって、この状況への戸惑いが滲み出ているようだった。
その予想は間違いではなかったようで、「みんな白石は諦めようと言った。でも助けに行こうと言ったのは杉元だけだ」とのアシㇼパさんの言葉に「ほんと?」と返す声は喜びの色が隠しきれていなくて、襟巻きに隠れた口元が緩みそうになる。

「網走では白石が必ず俺たちの役に立ってくれる。お前を信じてたから助けに行こうと決めた」

そんな白石さんへ今度は杉元さんが声を掛けて、それをこそばゆげな表情で聞いている本人。
けれど、杉元さんの声は淡々と続く。

「でも思い出したんだよ……シライシ。鰊番屋で出会った変なジジイのことを……。

お前……土方と内通してたな?ずっと土方にこっちの情報を流していたんだろ……」

その言葉を聞いた瞬間、白石さんは生唾を呑むと覚悟を決めた顔で地上に飛び降りる素振りを見せた。その背中を杉元さんが引き止めて、例の油紙を取り出す。そしてそれを、何のためらいもなく空へ投げ捨てた。

コタンで土方さんが見せてきた刺青人皮の写しは、全くのデタラメだった。

「白石は俺たちを裏切ってなかった」と続けた杉元さんの顔は薄く笑みを浮かべていて、「そうッ、その通り!!」と応える白石さんの声は今度こそいきいきと弾んでいた。

「でも牛山がこの場にいなくて良かったな。旭川製の特大ストゥで白石の肛門を破壊するって言ってたぞ」
「やだあッ」

心底嫌がる白石さんを見て笑うアシㇼパさんと杉元さん。夕張以来の穏やかな空気を纏う三人を眺めながら、ずっと見たかったその光景を前に、今度こそ感情のままに口元を緩ませた。

白石さん、旭川のストゥの大きさ知らないんだろうな。



「……で、結局なんで浮いてるんですかこれ?」

粗方やるべきことが落ち着いてくると、それまで意識の外に追いやっていたことが改めて気になり始めてしまった。杉元さんの怪我を確認した流れでカラクリ周辺に張られた床に腰を下ろしたまま、手頃な柱に両手を運びながら恐る恐る下を覗く。

「ん?ああ、ガスだよ。上の袋に空気より軽いもんが入ってんの」
「はー」

杉元さんが返してくれた言葉に、三百年もあると人はそんなものまで操るようになるのかあ……と途方もない進歩に現実味が湧かないまま頭上の袋を眺めていたら、横からチクチクとした視線を感じた。なんだなんだと見れば白石さんの平たい目と目が合って、首を傾げる。

「どうしました?」
「べっつにぃ〜?ただ、正直アシㇼパちゃんは予想通りだったけどお、なまえちゃんも俺の事助けようって言ってくれなかったんだなぁーって思って」
「それはまあ、金塊に関して私はとやかく言える立場じゃありませんから」
「そうだろうけどさあ……あんだけ『白石さん白石さん』って頼ってきてたじゃん」

冗談半分本気半分といった様子で頬を膨らませる白石さんに笑いながら返して、それから慣れ親しんでいた感覚に目を細める。

「……でも、家永さんが皮を剥がされてるんじゃないかって言い出した時はすごく心配でした。それに白石さんがアシㇼパさんたちを裏切ってなかったって分かった時、とっても嬉しかったです」
「…ほんとぉ?」
「ほんとほんと」

変わらず半目ながらも、ちょっと機嫌の治りかけた声音ににこにこと頷く。
それから小樽で初めて彼に会った時を、クチャに一緒に入って来た三人の姿と一緒に思い出した。

「白石さん、おかえりなさい。また一緒に旅ができて本当に嬉しいです」
「なまえちゃん……」
「ところで話変わるんですけど白石さんって天丼作れます?」
「俺の需要飯炊き係かよ!!」


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