翌日、アシㇼパさんと杉元さんは再び出かけて行った。今日の獲物はカワウソだそうだ。
私は山で手に入れた資材の整理や装備の手入れと補充をするために、今日は一日コタンにいることにした。

「マカナックルさん。これ、少ないですけど必要な人で使ってください。肉は燻していないので、煙干しするか早めに使い切ってくださいね」
「おお、いつもすまないな」

狩りで手に入れた鹿の毛皮と干し肉を渡す。この五年間のご恩を考えれば微々たるお返しなのに、コタンの人たちはいつも喜んでくれる。

「それから、矢の材料に鹿の骨と梟の羽も獲りました。私は数本補充できればいいので、残りと他の必要な材料を交換していただいてもいいですか?」
「ああ、構わない。それにしてもすっかりたくましくなったなぁ」
「えへへ、皆さんに良くしていただいたお陰です」

のんびり矢を作りつつ、マカナックルさんや遊んでいた子どもたちに時折り話に付き合ってもらっていると、アシㇼパさんと杉元さんが戻ってきた。獲れたカワウソをこれから調理するそうで、「なまえさんも一緒にどうだい?」と声をかけてもらった。
一度は遠慮したけど、「なまえ、お前も食べろ。どうせ干し肉でも齧って済ませる気だろう」とアシㇼパさんに図星をつかれてしまい大人しくついて行くことにした。昨晩の話もあってか杉元さんの生暖かい視線がなんだかこそばゆいけど、気付かないフリをする。

少しだけクセのあるカワウソの肉は、行者にんにくやニリンソウと一緒に煮込むことで美味しく食べることができた。こういう時、料理の奥深さを実感する。アシㇼパさんとっておきのカワウソの頭の丸煮に苦戦する杉元さんに思わず笑っていたら、「なまえすまない、カワウソは一匹しか獲れなかったんだ。次はなまえに頭やるからな」と優しい眼差しで諭された。どうしてか物欲しげに見えたらしい。同じような表情でカワウソの頭を差し出してきた杉元さんには、丁重に辞退を伝えた。

「……そういえば、アシㇼパさんと杉元さんは山で何をしてるんですか?」

食事もひと段落したところで、昨日から聞こうと思い忘れていたことを思い出す。
この二日間二人は猟をしているようだけど、帰ってくる時間や獲物の量からしてそれ自体が目的とは思えなかった。
杉元さんの恰好も、狩猟目的の和人とは程遠い。どちらかといえば町で見かける日本に仕える兵たちに似たものを感じていた。
そんなわけで何の気なしに聞いてみたのだけど、あまり気軽にしていい話題ではなかったらしい。満足気に子熊と戯れていた杉元さんの口角が僅かに引き締まったのが見えた。

「……秘密だ」
「……そうですか」

アシㇼパさんからそう言われてしまっては、もう私に知る権利はない。賢いアシㇼパさんのことだから納得した上で行動しているのだろうけど、秘密の共有をしてもらえなかったことに、少しの心配と寂しい気持ちを感じた。

フチさんの食事の片づけを手伝ってから外に出ると、他の子どもたちの面倒を見ながら一緒に遊ぶアシㇼパさんを見つけた。微笑ましい光景を眺めていたら、ふと杉元さんが視界に入った。アシㇼパさんを見つめるその顔はどこか遠くを見ているようで、なんだか少しだけ気になった。


その日の晩。アシㇼパさんとオソマが一緒の布団ですやすやと穏やかな寝息を立てる中、杉元さんとマカナックルさんと談笑していると、遠くで狼の遠吠えが聞こえた。自然とレタㇻのことを思い出していたら、杉元さんの話からレタラがここ最近もアシリパさんの前に現れていることを知り、勝手ながら嬉しい気持ちになる。
そしてマカナックルさんは、杉元さんにアシㇼパさんとレタㇻの関係を伝えた。レタㇻがアシㇼパさんの傍から離れたのは、私がまだコタンで女性たちに仕事を教わっていた頃だった。一人俯き帰ってきたあの日のアシㇼパさんの姿は、今でも思い出すたびに胸が苦しくなる。

「そんなことがあってからアシㇼパは笑顔を見せなくなった。なまえと一緒に山に入っていた時期もあったが、なまえが一人立ちしてからはまた山に一人で篭るようになってな。それが最近は明るくなった。杉元さんと一緒にいるのが楽しいんだろう」

そういってマカナックルさんはオソマを連れて帰って行った。

「スギモト ニㇱパ」

フチさんが杉元さんにアイヌ語で声をかける。それはアシㇼパさんを大切に思う気持ちが込められていて、正確に伝えられない私が杉元さんに伝えていいのかためらっていると、杉元さんが口を開いた。

「わかったよお婆ちゃん。アシㇼパさんはお婆ちゃんに愛されてるんだな。村のみんなにも」

フチさんの気持ちを直接受け取った杉元さんの言葉に、胸の中に温もりと苦しさが広がる。
ああ、この人なら、アシㇼパさんへ私ができないことをしてくれるかもしれない。

それでも、昼に見た杉元さんのあの顔がどうしても気になった。

***

どのくらい眠ったのか、夜中に人の動く気配がして目が覚めた。
頭からすっぽりと毛皮にくるまったまま体の向きを変えると、身支度を整えた杉元さんの見開かれた目と目が合う。
──そうか、この人も。

「……悪い、起こしたか」
「いえ、昔から眠りが浅くて。……何も言わずに行かれるんですか?」
「……ああ。悪いが、見なかったことにしてくれないか?」

決意の固い眼差しを見つめながら少し考えて、静かに頷いた。

「…杉元さんがアシㇼパさんの事を考えて、一番良いと思った結果なんでしょうから」

そう伝えると杉元さんはふっと笑って、それから何も言わずにチセを出て行った。

杉元さんの足音が聞こえなくなった頃、起き上がってアシㇼパさんのそばに腰を下ろして、すやすやと寝入る彼女の髪をそっと撫で梳く。
杉元さんがアシㇼパさんのためを思って離れるというなら、私は止めないし、止められない。目的は違えど、結果として私は彼と同じ行動を取った。

でも、杉元さんは勘違いしている。

確かにアシㇼパさんの本質は、普通の女の子だと思う。同じ年頃の子どもたちと遊べば笑みを浮かべるし、大切な存在との別れに傷付き涙を流す。マカナックルさんの言葉に間違いはない。
でも、この人はただ守られることを望む幼い子どもじゃない。マカナックルさんをはじめコタンの人々にとっては当たり前のことだけど、杉元さんはまだそれを知らないらしい。

二人がどうして一緒にいるのか分からないけど、こんな一方的な結果ではアシㇼパさんは相当不本意なはずだ。

アシㇼパさんが動きやすいように、明日は晴れるといいな。
もう一度横になり毛皮をしっかり手繰り寄せて、再び目を閉じた。

***

「杉元のやつ許せん…黙って出て行くなんて勝手すぎる。私にも理由があるから行動してたのに」

翌日、案の定彼女は大変ご立腹だった。

てっきり一人で出かけると思っていたアシㇼパさんに「なまえ、ついてこい」といわれて二つ返事で一緒に山に入り、何箇所かある狩猟小屋が全て使われた形跡がないことを確認した頃には、ストゥで頭を殴るなどと物騒なことを言い出し始めた。
「ストゥの乱用は決して許されていない」と昔私に教えてくれたのは彼女だったはずなんだけど。
……そういえばその説明を受けたのは、ストゥで尻を叩かれた時だったっけ。

思い出とお尻の痛みを懐かしみながら視線を下ろせば、いつの間にかアシㇼパさんからじっとりとした目で睨まれていた。

「えーっと…どうかしました?」
「…お前は昔から眠りが浅い。杉元が出て行く音にも気づいたんじゃないか?」
「あー…」

内緒にしろとは言われたけど、普通にばれそうだなあと思っていたら案の定。咄嗟に否定できず首を傾げたら、大きなため息が帰ってきた。

「まったく。次からは私を起こせ!それか杉元を止めろ!」
「うーん、でもあれは杉元さんがアシㇼパさんのことを考えた結果だから……」

色良い返事をしなかったせいでさらに吊り上がった青い瞳を、じっと見返す。

「だから、私の気持ちで杉元さんを止める資格はないですけど……アシㇼパさんが納得できないなら、杉元さんには申し訳ないですが戻ってきてもらいましょう。私にはアシㇼパさんの気持ちの方が大事ですから」

本心からそう伝えたら、白い眉間に皺を寄せたままアシㇼパさんが視線をそらした。

「…なまえは私に甘すぎだ」
「え、そうですか?」

むしろもうちょっと甘やかす隙を作ってもらいたいなぁと余計な台詞は心の中でだけ呟けば、相変わらず不機嫌そうだけど持ち上げていたストゥを下ろしてもらえた。良かった。あれホント痛いんだもん。


それから「ここで待っていろ」と私に言って、アシㇼパさんは姿を消した。少ししてアシㇼパさんの消えた方角から鹿笛の音が聞こえてきて、さらにもう少しだけ経った頃、茂みを大きく揺らしながら白い毛並みが私の前に現れた。

「……レタㇻ、久しぶりだね」

昔見かけた時よりずっと立派な体格になった彼に話しかけながら、トリカブトの匂いがする矢筒を肩から外して地面に置く。じっと動かず私を見ていたレタㇻは、「レタㇻ、なまえだ。お前は賢いから憶えているだろう?」というアシㇼパさんの声にすっと近づいてきて、フンフンと全身の匂いを嗅いでから、興味を失くしたようにそっぽを向いてしまった。少なくとも、自分とアシㇼパさんの敵ではないことを憶えていてくれたらしい。

それから二人と一匹で夜を待って、杉元さんの良く言えばものすごく物持ちの良い靴下の匂いからレタㇻが居場所を探ることになった。

「なまえはクチャで待っていてくれ」
「えっ?」

レタㇻに跨るアシㇼパさんの言葉に、すっかりついて行くつもりで準備運動していたものだから間の抜けた声が出る。

「杉元は私が連れ戻す。これは私と杉元の問題なんだ」
「…分かりました。」

そういえば、結局杉元さんとアシㇼパさんの目的は知らないままだ。
自分から離れていったのに勝手に寂しく思いつつ、アシㇼパさんが決めたことなので素直に従うことにした。

……あれ?それならなんで私ここまで連れて来てもらったんだ?

「……杉元を連れ戻したら、なまえに聞いてほしいことがある。コタンではない場所で話しかった。だからここで待っていてくれ」

それは多分、杉元さんと行動している理由についてなんだろう。

「はい。……気をつけてくださいね。何かあれば合図をください」
「ああ」

頷いた白い背中は、雪原の中を町へ向かって走り去っていった。


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