「何か俺に言うことがあるんじゃないのか?おい。ん?」
いやに愉しげな声が、私の耳にねっとりと吹き込まれる。ぞわぞわと背中を這い上がってきた何かを消したくて、無駄な足掻きと知りつつ毛皮を手繰り寄せるついでに耳の位置を少しばかり変えてみる。
「……いやあ、特にこれといってなぁああ゛うーそうそウソ嘘ですっ!!すみません女だってこと隠してましたぁッ!!」
「さっさとそう言え。余計な手間かけさせやがって」
腰から腹へと這い上がってきた手をありったけの力で押し返しながら白状すれば、いつもの声色で吐かれた暴言と離れていった手の感覚に大きく安堵の溜め息が漏れた。「刀をどけろ邪魔だ」と続く文句に大人しく従い細帯ごと短刀を前に移動させつつ、ちょっとだけ芽生えた反抗心で言葉を返す。
「で、でも尾形さん、既に気付かれてましたよね?少なくとも旭川にいた間には」
第七師団の敷地で見たあの目を思い出しながらそう問いかければ、ふん、と鼻息だけが返ってきた。どうやら当たりだったらしい。
だいたいこの人の目を欺き続けるなんて、私には荷が重すぎたんだ。
「ちなみにいつからお気付きでしたか?」
「……きっかけは月形だな」
「あ、なんだぁ結構最きお゛わーっ!?」
「確かにこれで男はないな」
予想外の好成績に思わず声を弾ませた途端、色欲の欠片も感じさせない握力でガシガシと尻を揉みしだかれて野太い悲鳴が喉から飛び出す。
さすがに握り締めた拳を尻の周辺に叩きつけようとしたら、それより早く「邪魔だから動くな」と短刀と腹の隙間に入り込んだ腕に引き寄せられて、背面全体に毛皮や着物がグッと貼り付いた。お陰で今まで以上に身動きが取れなくなった上、尻はとかく自分の腹と短刀を一緒に思い切りぶん殴るのは些か躊躇われて、しばらく悩んでから結局は持ち上げていた手を胸の前に戻す。
「……尾形さんにはいつ気付かれてもおかしくないと思ってました」
「そこまでお前に興味がなかった」
「…なるほど」
大変納得のいく返答に、それ以外の言葉が見つからない。
「ただ、月形に着いた時の鈴川の台詞が妙に引っかかった。その後お前を見ていたら、背丈と着ている物以外に男だと判断する根拠が何もなかったことに気付いた」
やっぱりあの時か、と含みのある笑みを浮かべてこちらを見ていた鈴川の顔を思い出す。
決意通り必要最低限にしか関わってこなかったから、彼の死に対して込み上げてくるものは特にない。それよりも、先程の小さな背中が気にかかった。
アシㇼパさんは今、この暗闇の中で何を考えているんだろう。命を尊ぶ彼女は、あの詐欺師の死にさえ向き合おうとしていた。
あんな奴のために、アシㇼパさんが心を乱す必要なんかないんですよ。
そうかけたかった言葉は、結局口には出さずじまいだった。そこから続く私の詭弁に、聡明な彼女が納得するとはとても思えなかったから。
そういえばあの時、杉元さんもアシㇼパさんを見ていた。もしかしたら今頃、二人でそのことを話をしているのかもしれない。
「で、結局お前が杉元の女なわけか?」
「……は?」
一人物思いにふける私に、また尾形さんから声がかかった。でもその内容があまりに突拍子もなくて、うまく頭に入ってこない。
「……私に言ってます?」
「他にここに誰がいるんだ」
当然の返答をされる間になんとか意味を理解しきったものの、その発想に尾形さんが辿り着いた経緯はさっぱり分からず脳内にクエスチョンマークが浮かび続ける中、とりあえず事実を口にする。
「私と杉元さん、そんな関係じゃありません。ただの旅の同行者です。もしそう見えたなら、杉元さんは私のこの事情を知って気を遣ってくださっているだけですよ」
「……お前、杉元と知り合ったのはいつだ」
「…なぜ?」
「いいから答えろ」
なんだか今日の尾形さんはよく喋るなあと頭の隅で思いつつ、別に隠し立てすることでもないので大人しく記憶を辿る。
「…四か月くらい前ですかね。半年ぶりにコタンに戻ったらちょうど杉元さんとアシㇼパさんがいて、そこで初めて会いました」
そう伝えると会話は途切れた。よく分からないけど満足したのかなと思いかけたところで、また声が降ってくる。
「だったらお前も他と変わらず金が目的か。惚れた男に貢ぎでもするのか?」
「なんでそういう話に持っていくんですか。私はアシㇼパさんと一緒にいて恩返しがしたいだけです」
「…恩返し?」
尾形さんの怪訝そうな声に、少し話し過ぎたことに気付いた。とはいえ別に知られて後ろめたいことではないし、今みたいな変な勘違いに繋がるよりは素直に言ってしまってもいいだろう。
「……アシㇼパさんは、私の恩人なんです。そばにいて何かの役に立ちたくて、この旅に同行させてもらっています。…まあ、実際にお役に立てているのかどうかはビミョーなところですけど。
なのでもしそちらと金塊の取り分で揉めるような事があれば、私の分は結構です。アシㇼパさんが無事に旅を終えることができれば、私はそれで十分ですから」
揉めるほど貰う予定もないけどと思いつつ、言葉を選びながら伝えられる範囲の情報を伝えれば、先程よりも長い沈黙が返された。私の考えにどんな感想を抱こうとそれは尾形さんの自由なので、この話はここでおしまいなんだろうと判断したところで忘れかけていたことを思い出す。
「あの、私が隠していたこと、できればこのまま内密にしていただけるとありがたいのですが」
「…他に誰が知ってる」
「え?うーんと……白石さんと牛山さん以外全員ですね。…いだだだだだッ!!なんですか!?」
改めて認識した隠し事の周知具合に、いっそのこともう二人にも言ってしまっていいのでは?なんて思っていたら、相変わらず腹に巻き付いていた腕に骨のない位置をギチギチに締め上げられた。引き剥がそうとしながら声を荒らげれば「別に」と返されすぐに痛みは引いたけど、「別に」で人の内臓を押し潰そうとしないでほしい。
そして締め付けは緩まったものの、こちらがいくら力を込めても一向に腕が腹から剥がれない。少し頑張ってみたけど、すぐに時間と体力の無駄だと気付いてやめた。
「……言っておきますけど、脅しの材料になるほど隠し通す気はありませんからね」
「勝手にしろ。一々騒ぎ立てたところで俺になんの得がある」
「…ありがとうございます」
案外あっさりと引き出せた了承と取れる言葉に一応お礼を伝えるけど、もちろん返事はない。
さっきはもういいかななんて思ったけど、残りの二人──特に牛山さんにバレてもし色眼鏡で見られるようになってしまった時の厄介さを考えたら、やっぱりこの件はなるだけ先延ばしにしておきたくなってしまった。世の中いろんな趣味の人がいる。
ともあれ、私の話はこれでおしまいだ。尾形さんも無言のままだし、後はお互い思い思いに天候の回復を待つことになるんだろう。
時折少しだけ入り込んでくる外気を誤魔化すために襟巻きを目元まで持ち上げて、湿った暖かさと嗅ぎなれた匂いを肺いっぱいに吸い込みながら、まずはぼんやりと過ぎる時間を楽しむことにした。
……が、いくらかして結い上げてある髷を押し潰されるような感覚。特に気に止めずにいたら、間を置かずに頭皮の一部にほんのわずかな熱を感じてギョッとする。
「ちょ、ちょっと、なにやってるんですか?」
「くせえ」
「くっ…!?」
発せられた一言に絶句。すぐに我に返ってカッと込み上がってきた羞恥心と熱に流されるまま、だったらさっさと顔を離せばいいじゃないですか!と怒号を放ちかけたけど、すぐにここが満足に動けない狭い空間であることを思い出して慌てて胸元の紐に手を伸ばす。
「す、すみません汗臭かったですね。待ってください今毛皮被りますから……!!」
「違う、この中が獣くせぇんだよ。あと動くな。さっきも言っただろうが」
「あ、そ、そういう……」
想像もしたくないほど尾形さんに申し訳が立たない展開を免れたことで一気に肩の力が抜けたけど、私が今日第七師団の敷地内を必死に走り抜けた事実は変わらないし、今の騒動で変に顔周りの体温も上がってしまった。尾形さんも鼻を押し付けるなら私の髪より、ある程度獣臭も抜けていてそれなりに手入れをしている毛皮の方がずっとマシだろう。
「とりあえず毛皮被りますね」
「別にこのままでいいだろ、減るもんでもあるまいし」
「いや今この瞬間にも私の何かが減り続けてます」
「引っ張らなければいいって言っただろ」
「え?……あ、え?それとこれとは話が違うのでは…?」
「知るか」
「知らなくてもいいですからせめて毛」
「外に出たいなら手伝ってやるよ」
「すみません出たくないですッ…!」
ゴソゴソと不穏な動きを背中に感じて、腹から離れかけた腕に急いでしがみつく。今更ながらこの鹿の中にいる間、尾形さんが私をいつでも外に放り出せる絶対的立場であることに気付いてしまった。最初に何としてでも背後を取っておくべきだった。
こうなるともう私にできる抵抗はほぼない。少し暴れたお陰で頭皮に温かさを感じることはなくなったし、昨夜湯屋に行っておいてよかったと心底思いながら、せめてと項や耳の裏を襟巻きで覆う。
恐ろしい唸り声と、互いの小さな呼吸だけが聞こえる空間。慣れとは恐ろしいもので、時間が経過するにつれて腹や背中に感じる圧迫感に不思議と心地良さを覚えてくる。
釣られて徐々に重くなってきた瞼を閉じてみても、見える景色は変わらなかった。
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