お世話になったキラウㇱさん方に別れを告げて到着した釧路町は、道東の拠点と聞くに相応しい大きな街だった。

アシㇼパさんと杉元さんと尾形さん、それからアシㇼパさんをフチさんのもとへ無事に連れ帰るために同行してくれることになった谷垣さんと一緒に市街地に向かって歩いていると、進む先に見知った姿の三人を見つけた。声をかけるより先に向こうも私達に気付いたようで、三つの顔がこちらを向く。

「谷垣ニㇱパ!」

真っ先に駆けつけて来たのは美しい葡萄色だった。
そんなにも大きな瞳を持っていたのかと思わずにはいられないぱっと晴れやかな笑みを浮かべて谷垣さんのそばへ寄ると、一転してその柳眉を曇らせる。

「ケガはないですか?ずっと心配してました」

そう言って労わるように谷垣さんの体に触れるインカㇻマッさん。「おれは大丈夫だ」と返された言葉を聞いて緊張の和らいだ目に、私たちの姿は一切移っていない。
そんな彼女が谷垣さんへ特別な感情を向けているのは一目瞭然で。

「え?おえ?」
「あれあれ?どういうこと?」

さっそく冷やかし始めた杉元さんと白石さんに続いて「オイおまえら…結婚しろッ!」
と指さすアシㇼパさん。そんな三人の言動に困惑の表情を浮かべながらも、決して否定の言葉は口にしない二人の姿に衝撃が走る。


インカㇻマッさんが。
谷垣さんの。
ガールフレンド。


呆然と目の前のやり取りを眺めている最中、上着の裾を引かれて顔を動かせばこちらを見上げるチカパシと目が合った。
頭が働かないまま無言でそのどんぐり眼を見つめ返していたら、私のお腹にぎゅっと抱き付いて顔をうずめるチカパシ。その光景と圧迫感に、少しずつ思考が再開していく。

……そういえば谷垣さんと一緒だったとは言え、チカパシも小樽からここまで自分の足で歩いて来たんだなあ。

小樽から出たことがないはずの彼にとってこの数か月は、ある意味ではこの場にいる誰よりも目まぐるしい日々だったことだろう。

「チカパシ、ここまでよくがんばったね」

心からの言葉と一緒に真下にある頭へそっと手を添えたら、ちらりと私を見上げた丸がすんっと半月に変わった。

「トカㇷ゚がなぃ…」
「そうね」

心底がっかりした声音で呟かれたセリフに投げ遣りに返事をして、ついでに懐から取り出した手拭いで顔の汚れを落としにかかる。久しぶりに触れる頬は以前よりもさらにふっくらとして、背もいくらか伸びたように思う。

今年の春先に小樽のコタンで飛びついてきた体を受け止めた直後、「なまえオッパイまたしぼんだね…」と上着を引っ張り私の胸の輪郭を浮かばせて落胆していたチカパシを思い出す。それからすぐに運び込まれて来た谷垣さんに私が付きっきりになってしまいあまり接する機会が無いまま旅に出てしまっていたけど、少し早熟な気がしつつも健やかに成長し続ける少年は相変わらず異性の胸部に関心を寄せているらしい。

結局頑固な汚れは乾いた布ではきれいさっぱりとはいかず、妥協点を見つけて手拭いをしまう。
三日前に再会した時から考えていたことだけど、チカパシに秘密の共有をお願いするのは難しいかもしれない。まだまだ正直さが美点として輝く年頃だし、隠すことと嘘を吐くことの境界が曖昧であろうこの子に私のために後ろめたい思いをさせたくない。

これを機会に、このもはや隠れていない隠し事を一度清算するべきだろうか。
白石さんとの付き合いもそこそこの月日となった今、ここまで来たらもう私の性別がどうだろうが見る目はさして変わらないんじゃないかという気もしてきたし、谷垣さんも多少の動揺はあったとしても相手の性別で態度を変えるような人ではないはずだ。インカㇻマッさんに関してはまったく予想できないけど、まあ大きな問題にはなるまい。

そうこう考えを整理している間に谷垣さんとインカㇻマッさんをからかうことに飽きた面々の話題は既に今日の予定に移っており、各々の用事のためにまずは全員で市街地にある郵便局を目指すことになった。



「ねえねえなまえ」
「なあに?チカパシ」

いつも通り最後尾を少し離れて歩く尾形さんの前を歩いていたら、再びチカパシが私の横に並んで話しかけてきた。相槌を打てばキョロキョロと前後を確認した後、口元に手を添えてこちらを見上げるので少しだけ上半身を傾けて耳を近付ける。

「大丈夫、オッパイのことは心配しなくていいからね」
「……なにかあったの?」

予想もしていなかったセリフに優しさと胸騒ぎを同時に覚えて訳を尋ねた私へ、さらに顔を寄せようとして足がもつれたチカパシを抱き留めてその場に屈む。近付いてきた尾形さんに「先に行ってください」と声をかけ一瞥だけをこちらに返して通り過ぎていった背中を見送っていたら、今度はチカパシが腰を曲げて私の耳にこしょこしょとささやき声を吹き込んだ。

「あのね、昨日の夜インカㇻマッにどうしたらなまえのオッパイが元に戻るか聞いたらね」
「へぁっ」
「一番大切なのはなまえの気持ちだから、何も気にしないで待ってればいいって。それになまえはオッパイがなくなっちゃったこと他の人には知られたくないのかもしれないってインカㇻマッが言うから、二人でみんなには内緒にしようって決めたんだ」

小樽からの旅路の中で、チカパシは彼女にかなり心を開いていたらしい。最後まで聞き終えてちらりと離れていく集団へ視線を投げたら、偶然同じタイミングでこちらへ振り返ったインカㇻマッさんと目が合いにっこりと笑みを返された。
色々と考えないといけないことは増えたけど、とりあえずインカㇻマッさんとは近いうちに二人きりで話をしたほうがよさそうだ。

「…うん、そうしてくれたらとっても助かるな。ありがとう、チカパシはやっぱり優しいね」

でも今は純粋に私のことを気にかけてくれていたのであろう目の前の彼に心からの感謝を伝えれば、照れくさそうに頬を掻くときりりと顔を引き締めてその手を私の肩へと乗せた。

「元気出しなよ。オッパイがなくてもなまえはなまえだからさ」
「そうね」
「元に戻ったら触ってもいい?」
「考えとく」


幣舞橋を渡り到着した郵便局で、谷垣さんはマカナックルさんに電報を送るとのことだった。アシㇼパさんと合流できたら一度連絡を入れる手筈になっていたらしい。

「内容は俺が決めてしまっていいのか?」
「ああ。フチに私もなまえも元気だと伝えてくれるようアチャポに頼んでくれ。なまえもそれでいいな?」
「はい」

多少昔とは違うけど読むだけならあまり苦労しない文字も、形式を整えて書くとなれば話は別だ。墓穴を掘らないようアシㇼパさんに便乗するためしかと頷く。

「さて、その間に俺は鉄砲店だな。ここに来る途中で見つけた店にとりあえず行ってみるか。でも修理は今日中には終わらないかもな」
「その時は私たちが昨日までいた宿に泊まりましょう。先ほど合流した場所から一番近い宿です。今朝出た時にはまだ部屋に空きがありました」
「私は持ってる毛皮を売りたい」
「それなら鉄砲店に銃を預けたら毛皮を売りに行こうか。白石、また安く買い叩かれそうになったら一芝居打つぞ」
「えぇ〜?また俺殴られ役かよぉ」
「あ、なら私も前みたいに食料品の買い出しをしておきます」

夕張で熊の胆を売った時の流れをなぞる会話に乗り遅れないようさっと手を挙げて、他にもお使いがないか確認する。

「では昼時に幣舞橋を渡った先で、都合が悪ければ宿で落ち合おう」
「あの部屋の広さなら追加でもう一室かな。俺布団なまえちゃんのとーなりっ!」
「シライシお前尾形と二人部屋な」
「言うと思った!」

「いーじゃんたまには!なまえちゃん一緒に眠くなるまでお話ししようよぉ!!」と杉元さんに半纏の襟を掴まれ連れ行かれながらも駄々をこねる白石さんに、先日尾形さんと二人きりにさせてしまった時の気まずそうな姿を思い出す。
とはいえ隠し事について決めかねている今、せっかくのお風呂に入れる機会を逃すわけにはいかない。二人のコミュニケーションツールに寝酒を渡すことを約束して白石さんを宥め、幣舞橋付近で一人別れた。


旭川程ではなくとも多くの人々が行き交う大通りは、商店や露店の呼び込みと利用客の声で賑わっている。久々に味わう活気のある空気に弾む気持ちを抑えきれないまま、足は止めずに買うべきものを頭の中で書き出していく。

米と酒は重いから店の位置だけ確認して、まずは塩や乾物と一緒に自分の消耗品を買おうかな。そう段取りをつけて通りの両側に並ぶ店に目を配るけど、朝から何も食べていないからやたらと食べ物の名前が書かれた看板にばかり目移りしてしまう。


──それにしても、まさか谷垣さんとインカㇻマッさんが特別な関係になっていたとはなあ。
ふと先程の光景が頭に浮かぶ。

冷静になった今振り返れば、二人の態度はまだ互いに自分や相手の気持ちを測りかねているように見えた。経験豊富な先輩後輩たちが“そういう時期が一番楽しい”と言っていたことを何となく思い出す。

今もさっきの二人のことを考えると少しばかり胸がソワソワして落ち着かなくなるけど、谷垣さんというそれなりに知っているつもりでいた人の知らない面を見たからでは?と自問すればすとんと納得できた。もし私に兄弟や幼馴染がいたとして、予想もしていなかった相手と仲睦まじげにいる場に出くわしたら今と同じような気持ちになったのかもしれない。


足を動かし続けながらそんなことを考えていたら、視界の端にちらりと入り込んだ店先に目当ての品を見た気がした。確認しようと大きく後ろを振り返った途端、ここにあるはずのない見慣れた砂色の布を自分の斜め後ろに見つけぎょっとして立ち止まる。そんな私に一拍ずれて足を止めた姿が私の真横に並び、眉一つ動かすことなくその双眸をこちらへ向けた。

互いに無言の時間が過ぎていく。結局沈黙に耐え切れず、恐る恐る口を開いたのは当然の如く私であった。

「……なにか?」
「別に」

途端にこちらへの興味をなくした様子で顔を正面に戻し、すっかり見慣れた動作で前髪を撫で付けながらそう言い返してきた尾形さん。アシㇼパさんたちと別れた時には少し離れた場所にいたから、そのまま三人について行ったんだろうと思っていた。ずっと一緒にいたんだろうか。ぜんっぜん気が付かなかった。
たまたま同じ方向に来ていたのかもとパッと頭に浮かんだ思い付きは、互いに見つめあうこの時間で瞬く間に消えた。

尾形さんの返答から私が理解出来ることはなかったけど、まあ今に始まったことではない。追加で解説が入る気配もないのでとりあえず自分の用事を済ませようと先程見つけた乾物屋に足を向けると、外套は視界から消えたもののすぐ斜め後ろに革靴の足音が付いてきた。何故。
耐えきれずもう一度口を開く。

「あの、どうしてこちらに…?」
「どこにいようが俺の勝手だろうが」
「勿論そうですけど、てっきり杉元さんと一緒に鉄砲店に向かわれると思っていました。弾の補充とか、手入れとか」
「どうしてあいつと仲良しこよしで同じ店に向かわにゃならん」
「同じ店で一度に買えば安く済むのでは?」
「俺は弾に出し惜しみするほど金に困ってない」

"俺は”にあからさまなトゲを感じるけど、本人がそうしたいのであれば特に私が言うことはない。一応は疑問が解けたところで店先に並んでいた品々の中からいくつか目星を付けて店内に入り店番の男性に声をかけ、代金と食料を交換する。
その間尾形さんは店の前で暇そうに商品を眺めていて、戻った私が何となく「お待たせしました」と声を掛けると近付いてきて再び一緒に歩きだした。やっぱり付いてくるらしい。

とはいえ杉元さんと一緒に買い物がしたくないだけなら、今のこの時間はただの暇潰しのはず。そのうち飽きるか別の鉄砲店を見つけたら離れていくだろう。

そう思いながら何気なく横を見て、ふと尾形さんが私の隣を歩いていることに気付く。

木々が生い茂る山の中でも人々の行き交う街中でも、いつだって尾形さんは私たちの最後尾を一人少しだけ離れてついて来ていた。
そんな尾形さんが今、当然のように私の横にいる。

数ヶ月朝から晩まで行動を共にした中での初めての現象にまじまじとその貴重なアングルからの横顔を眺めていたら、バッチリ本人と目が合った。咄嗟に身構える私を一目して、すっと視線が前に戻る。
確証はない。けどなんとなく、今の尾形さんはいつもよりちょっとだけ機嫌が良さそうに見えた。


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