「ただいま戻りました」
「おつかれなまえさん。困ったことはなかったかい?」
「はい、迷惑をかけたからって干し肉までいただいてしまいました。アシㇼパさん今分けますね」
「ああ」

出立の準備を進めるアシㇼパさんのそばに腰を下ろして、安く譲ってもらった山菜と干し肉を分け合う。昨日大いにお酒を楽しんでいたコタンの人たちは既にチセを出ていて、今中にいるのは杉元さんとアシㇼパさんと尾形さんと私だけ。谷垣さんの姿が見当たらないものの、荷物は残っているので少し席を外しているだけらしい。

釧路の街にいるはずの白石さんについてアシㇼパさんが話しているのを聞きながら荷物を整理していたら、杉元さんが「銃も壊れたし修理に出さないとな」と呟くのが聞こえた。昨晩就寝前にいつも以上に銃を気にする素振りを見せていた彼にどうしたのか尋ねたら、谷地眼に落ちた時に咄嗟にヒグマを撃とうとして水圧で壊れてしまったのだと教えてくれた。
「尾形には内緒だからね」と小声で念を押されて頷いたけど、その杉元さんの背後で尾形さんがこちらをじっと見ていたことを彼は知らない。大丈夫大丈夫。きっと聞こえてなかった。


「銃身に水が入った状態で撃つとはな…軍隊で何を教わって来たのか」

残念、聞こえていたみたい。

視線は手に持った本に落としたまま、でも明らかに特定の誰かに向けてため息混じりに発言した尾形さんの背中をキッと睨みつける杉元さん。因みに尾形さんが読んでいるのは私の料理本である。先ほど私が外に出る前に「本。よこせ」と言ってきたのでお貸しした。今度はちゃんと言えて偉いと思う。

そんな尾形さんへ、いつものようにチクチクした態度で杉元さんが喰ってかかる。どうやら尾形さんが抱えている銃は旭川で飛行船に乗る前に杉元さんがその場にいた兵士から奪った銃で、杉元さんの持っている銃よりも新しく性能が良いものだそう。それに対してやっぱり一言多い尾形さんの話を勉強がてらふむふむと聞いていたら、不意に待てよこれはチャンスでは?と頭に思い浮かんだ。

思い立ったが吉日。口を閉じたサラニㇷ゚を壁際に寄せて、すす…と杉元さんのそばに移動する。

「杉元さーん…」
「ん?ど、うしたの…?」

昨日の杉元さんを真似て襷掛けされた着物の袂を摘まみ、じっとその顔を見上げる。こちらへと向けられた優しげな目が一瞬大きく見開かれた。

基本的に杉元さんは私に優しい。というか甘い。それは私が女で杉元さんよりも弱くてアシㇼパさんと親しくさせてもらっていて、おまけでほんのちょっぴりこの旅で私という人間を知ってもらったからな訳で、つまりは杉元さんのご厚意だ。
最近の怪我で拍車を掛けていたその優しさを分け与えてもらうばかりじゃなくて返していきたいと本人に表明したのは、つい先日のこと。でも、今回はまた甘えさせてもらおうと思う。

「私、杉元さんにお願いがあって…他の人には頼めなくて……」
「あえっ…な、なあに……?」

谷垣さんが戻ってくる気配はまだない。今更の取り繕いではあるけど勢いに流されてくれることを期待して、できるだけ己の弱さを強調して見せようと試みる。ゆるく握った拳で口元を隠し俯きがちに逸らした目でもう一度杉元さんを見上げれば、揺らいで、泳いで、再び私へと戻る視線。

行けっ私!元くのタマの底力を見せる時だ!


「銃、触らせてほしいなあ…?」
「……なんでぇ?危ないよぉ?」

ぐぬ、ダメか。
…いやまだだ。諦めるにはまだ早いぞ私。

私のお願いを聞いた途端、ワガママを言う子供をあやすように唇を突き出してこちらを見下ろした杉元さんに釣られて口を尖らせながら、負けじと目が大きく見えるように眉を少し上げてその顔を見上げる。

「だってだって、今は壊れてるから弾も込めてないし危なくないですよね?ね?」
「そうだけどぉ、別に触る必要はないだろ?」
「扱えなくても、構え方くらいは知っておきたいなって思っていたんです。旭川の時みたいに敵に囲まれた時、実際には使わなくても奪えばけん制にはなりますから」
「いいんだよなまえさんとアシㇼパさんはお……ぐ……で、でもでも〜、やっぱり危ないよぉ。アシㇼパさんもそう思うでしょ?」

あっそれは困る。
ぱっと私から顔を逸らしてアシㇼパさんへ声をかける杉元さん。その声にアシㇼパさんはサラニㇷ゚の口を閉めて顔を上げた。

「何を言うんだ杉元。なまえが自分の成長に役立つと思うなら何を学ぶのも悪いことじゃない。それに隠れて一人で触る方がよっぽど危ないじゃないか」
「ぐぅッ…!」
「アシㇼパさぁん…!」

さも当然と言ったふうに返してくれたアシㇼパさんの言葉に唸ることしか出来ない様子の杉元さん。そんな杉元さんへ、アシㇼパさんは余裕の笑みを浮かべる。

「心配するな杉元。なまえは昔から弓矢の扱いに慣れていたし、私と一緒に猟をしてきた。きっと銃より弓矢の方が自分に合っているとすぐに理解するはずだ」
「俺が気にしてるのはそこじゃねえから」

ちょっとばかり勘違いをしている様子のアシㇼパさんだけど、間違ったことは言ってない。大きく頷いて同意を示してから、畳み掛けるように小首を傾げて杉元さんの顔を覗き込んだ。

「杉元さんお願いします。ちょっとだけ、ちょっとだけで十分ですから……」
「…ん゛ぇ〜?……」

旭川での潜伏中、尾形さんは短い期間の中で銃の撃ち方や扱い方を教えてくれたけど、結局一度も実物を触らせてはくれなかった。
それでも優秀なスナイパーから教わった貴重な知識。変わらず持ち歩くつもりは一切無いけど、せっかく授かったものなのだからきちんと修めておきたい。

私から視線を外して手にした銃を見る杉元さんの表情は、明らかに首を縦に振ることを渋っている。それでも次にいつ来るかわからないチャンスを逃したくなくてじっと見つめ続けていたら、やがて瞼を閉じてひとつ深呼吸した。


「……ちょっとだけだからね?」
「はいっ!ありがとうございます!」

胸の内でガッツポーズしながら差し出された銃を両手で受け取る。記憶より少し軽い気がするけど、何せ五年も前なものだから定かではない。
水圧で弾を込める部分の底が外れてしまってはいるものの、触れる場所は変わりない。尾形さんの説明と見せてもらった動作を思い出しながらゆっくりとボルトを移動させれば、少しぎこちなくも弾倉の中を確認することができた。そっとボルトの位置を元に戻す。これだけで弾込めが完了するというのだから、技術の進歩に驚くばかりだ。

「…なまえさん、もしかして誰かに扱い方教えてもらったことある?」
「……以前マカナックルさんにすこーしだけ触らせてもらったことがあって…」
「ふーん…?」

嘘はついていない。昔アシㇼパさんと一緒に山に入るとマカナックルさんに伝えた時、必要か?と試しに猟銃を触らせてもらったことがあった。でも結局その時はついて行くアシㇼパさんが弓矢を使っていたことや私もそちらの方が扱い慣れていたことが大きく、詳しい説明を聞くことなくマカナックルさんへ返してしまっていた。

せっかくの機会だから色々と試してみたくなって、左膝を立てて誰もいないチセの壁に銃口を向けて構える。
撃ち方は昔とあまり変わらないんだなと思いながら見聞きしていたけど、弓を引くように肘を開いて銃床に頬を当てると懐かしさを感じる反面、どうにもしっくりこなくて眉間に皺が寄る。銃床が大きい所為で銃尾が肩に当たり、それがとても気になるのだ。あとやっぱり私の筋力ではこの姿勢で照準を長時間定め続けられそうにない。

「ふふっ。なまえさんってば見よう見まねって感じ〜」

本当にちょっと触らせてもらっただけだったんだねえ。と笑う明るく柔らかな声になんだか恥ずかしさを覚え、腕を下ろして俯く。やっぱり私には合わないらしい。

もういいや。大人しく杉元さんに銃を返そう。そう思って杉元さんへ声を掛けようとした直後、ふといつだか遠く自分たちより低い位置にいる獲物を狙う時に尾形さんがしていた構え方を思い出した。今まで一度も目にしたことがなかったその姿は深い意味もなくかっこいいと思ったし、長時間構えていても負担が少なそうだった。

物のついでだ、恥を覚悟でやってみよう。
再び体勢を変えて尻と曲げた右脚の外側を床につける。左膝は立てたまま左腕を曲げて膝の上に乗せ、さらにその上に銃を乗せて左手で引き金に指をかけた右腕を掴む。次の行動に移るのに時間はかかるし後傾姿勢に少し不安は覚えるものの、背もたれさえあれば狙って撃つという動作に関してはとても安定しているように思えた。

あっ、これいいかも。
そう思った瞬間、背後の窓から注いでいた光が陰った。

「違うよ」

硬い低音と同時に視界の左右から伸びてきた腕が私の両手を掴む。

「足、さっきの状態に戻して。右腕ちゃんと開いて、左手は前に添えて」
「え、あ」

言いながら強めの力で左腕が引きはがされ、私の左手ごと大きな手が銃床を支える。背中を包み込む他人の身体と、耳元で聞こえる杉元さんの声。それについてどうこう考える暇もなく、言われるがままに体勢を変える。

「左腕だけで支えようとしないで、ちゃんと肩の付け根に当てて。二か所で支えればかなり安定するから」
「…あっ、ほんとだ……!」

最後にぐっと力を込めて抑え込まれた後、離れていった二つの手。自分の身体だけで支える銃は確かに先ほどよりもずっと重さを負担に感じなくて、銃床の進化の意図をようやく理解した。
なるほど素晴らしい!これなら確かに私でも少しは扱えそうだ。

「杉元さんありがとうございます!これならいざという時にも何とかなりそうです!」
「…実際に脅しで構えるなら立射だろうから、その時はまっすぐ立って肩幅に足を開いてね。まあ、腰だめで十分だと思うけど」
「はい、状況をよく見て判断するようにします」

杉元さんに返事をして、返す前に最後にもう一度よく見ておこうと銃を観察する。
先目当てや元目当ては今でも残ってるんだなあ。

「……あれ?これなんでしたっけ?」
「前にも言っただろ、安全子だ。その状態じゃすぐにハッタリだと気付かれるぞ」
「あっ、そうでしたそうでした。左側に倒しておかないと引き金が引けないんでしたよね」
「なまえさん?」
「はぁー、銃が重くて腕が疲れちゃったあ」
「んも〜っ、慣れない物なんか持つからからダヨォ」

差し出した銃を受け取りながら頬を膨らませた杉元さんに、眉尻を下げて「ごめんなさぁい」と返す。満足気に頷いているアシㇼパさんが奥に見える。
鼻で笑う声と紙を捲る音が視界の外から聞こえた。


/ top /
home