前回のあらすじ。
白石さんに女だってばれた。
現実逃避に頭に浮かんだ文字を心の中で読み上げていたら、背後から名前を呼ばれる。振り返ればいつの間にか杉元さんがすぐ後ろに立っていた。
「怪我は?」
「ありません」
「ホント?菱の実刺さってたりしない?」
「えーっと……はい、なんとも」
「…それは?」
「え?……ああ、私のではありません」
言葉だけの確認に正確に答えようと、自分では見えない場所も両手でざっと確認する。最後にこちらへ向けられた指先を辿り顎を引けば視界の端っこに赤色が見えて、何ともないと胸元についていたそれを指の腹で拭ってみせた。本当、何から何まで運が良かったと思う。
そのまま手首を返せば外へと視線を向けていた杉元さんがチラリと指先とそれまで血の付いていた場所を確認して、すぐさま軍帽の庇を下げて俯いた。
「待ってて、着る物探してくる」
「あ、いえお構いなく」
再び屋内へと戻ろうとする背中に声を掛けたら一度は立ち止まってくれたものの、次には頭に乗せていた軍帽を何故か手に取った杉元さん。そのまま目前に差し出されたそれを咄嗟に受け取る。
「とりあえずこれで隠してて」
「でも、」
「いいから」
そう言って一方的に話を切り上げると、杉元さんは再び薄暗い部屋の中へと入って行ってしまった。ああ、私のせいで杉元さんがとうとう全裸に。せめてこの優しさを無駄にはするまいと思うけど、隠すべきところが多すぎてどこに使えばいいのやら。
とりあえず一番近かった胸元に当てて再び前を向けば、今一度白石さんと目が合い一瞬だけ後回しにしていた現実と向き合うことになった。気まずさからつい視線は外れ、なんとなく空いた手で項に触れる。
とはいえ、焦る気持ちはあまりなかった。何故なら昨晩から蓄積した疲労で若干頭が鈍っているのはもちろんのこと、いつか来るこの日については以前から時折考えていたから。
たしかに大雪山で尾形さんと話をした時にはばれないに越したことはないと思っていたし、これからも今の関係が続くメリットはそれなりにある。でも旭川で再開してまた一緒に旅をする中で、もういいんじゃないかなという気持ちも十分に育っていた。
出会った頃の白石さんはお金や女性にルーズな印象が強すぎて、とにかく深くは関わるまいと思っていた。だけど和人として物を知らなすぎる私になんだかんだ言いながらもいろんな知識を与えてくれたり、意外と周りの人たちをよく見ていてさりげなく気を配ってくれていると分かったり、何より杉元さんとアシㇼパさんを裏切らないでいてくれたと判明したことでそんな気持ちはかなり薄まって、身勝手にも気付けばどんどん白石さんへ心を許している自分がいた。それはもう、最近の態度に一丁前に傷付くくらいには。
打ち明けてどんな反応をされるか、実際のところは全く分からない。あー騙された!なんて笑って許してくれたら何よりだけど、ここ最近の白石さんの言動を思い返すとあまり楽観的にもなれなくて、あのやんわりと拒絶するように私から視線を逸らす光景を思い出すと少しだけ胸が苦しくなる。でも白石さんを騙し続けてきたのは事実なのだから、私にとって残念な結果になったとしても受け入れて謝り続けるしかない。
……それでも。この旅の中で私が知った白石さんなら、いつかはありのままの私も受け入れてくれるような気がした。
そうであってほしいと思わずにはいられなかった。
だからどんな反応をされても受け入れる覚悟を決めて、まずは話を聞いてもらおうと真っ直ぐ前を向いた。
「…白石さん、今まで隠していて申し訳ありませんでした。
ご覧の通り私、」
だけど吐き出し始めた謝罪と弁明の言葉は、たっぷりの水分を湛えてゆらゆらと揺れる瞳によってプツリと途切れることになった。
衝撃で一瞬思考が止まる。
……あ、え?もしかして白石さん、泣きそうになってる……?
…いーやいやいや、まさかそんなわけ──。
「グスッ…」
泣いちゃう!!
鼻を啜る白石さんにその場の視線がすべて集まり、誰も何も言わないまま妙な緊張感が走る。大きく見開いた目で白石さんを凝視していたチカパシと尾形さんの顔が同じタイミングでこちらに向けられてビクッと肩が跳ねる。え、ウソやだこれ私が泣かせたことになってる?
無言の圧力に急かされている気がして、どうしたらいいのかわからないままとりあえず建物から離れて白石さんへ小走りに近付く。
なんで?どうしてそんなに傷付いてるの?ずっと騙し続けていたから?
いやでもあれだけ一緒にいたのに半年以上も気付かなかった方にも問題はあるのではなかろうか。っていうかそもそもの話、私が女だろうが男だろうが白石さんに大きな問題なんてな
「俺がっ!ズリネタにしたのはッ!女の子だったッッ!!」
「ずりねた?」
「チカパシこっちに来るか耳塞いでて」
感情と唾を込めて吐き出された言葉に首を傾げるチカパシへその場に立ち止まり手招きするけど、初めて聞く単語を前に好奇心旺盛な少年の耳には届かなかったらしい。
一瞬で凪いだ気持ちを持て余したまま再び白石さんへ視線を向ければ、こちらに気付いた途端慌てて顔と手をぶんぶんと激しく振り出した。
「ち、違う違う!まだ一回だけだからッ!!ほら、この前海で番屋に立てこもってた時、なんでかみょ〜になまえちゃんが艶っぽく見えてさあ!その後たまたま井戸で洗濯してたなまえちゃん見つけて生足とうなじを見てたらなんかこう、無性に我慢できなくなって便所でセンズ」
「あ゛〜〜〜〜」
必死な様子で捲し立てられる言葉を遮るため両手を両耳に強く押し付ける。しかし悲しいかな、塞ぎ忘れた視界に映り続ける口はおおよそ察していた通りに動ききってしまった。チカパシ、守れなくてごめん。その言葉即刻忘れていいよ。
何が違うのかとかまだ一回だけってなんだとか、引っかかるところは色々ある。だけど釧路の海辺で一悶着あったあの朝、戻ったコタンの井戸で砂だらけになった靴下を脱いで洗った記憶はある。ずっと下を見続ける作業には不向きだし近くに人もいなかったから、途中から襟巻きも外していた。
でも、本当にそれだけだったのに。あれでアレしたのか。できたのか。頭がズンと重くなったように感じるのは、きっと疲労だけが原因じゃないと思う。
確かに月形で第七師団に捕まってからここまで、女の人にお世話になる暇もお金もなかっただろうけどさあ。やりようは色々あったでしょう。何を考えたら男のはずの私をオカズにしようと思うんだ。後からそんなに辛い思いをするなら、始めから別のオカズにしておけば良かったのに。
どうして始める前によく考えなかったのか…。
そうすれば後悔せずに済んだのに…。
「それでキロちゃんあん時……ってかだから杉元はあの頃から妙に……あー、全部納得いったわ……」
腕を持ち上げていることすら面倒になって耳から手を離しぶつぶつと呟いている白石さんの様子を眺めていたら、ふと思いつく。
「…もしかして、最近私にちょっと素っ気なかったのって……?」
「いやだってよりにもよって男でしごいた上に余裕でイケたとか自分でもマジでありえ……アッ、身体はちゃんと別の女の子で想像してたから!!一番体格が似てそうでオッパイすっごく柔らかかった子!!使ったの顔と手と足と声だけだから!!」
「心底どうでもいいですし聞きたくもなかったです」
全てが億劫になって視線を下げたら話題の中心になっているソレに注目する形になって、気付いた白石さんに「やあん…」と前屈みになって両手で隠された。別に今更隠さなくてもいいのに。私疲れてるし。薄目で見れば比較的目にも優しい。いけるいける。
さっきまで胸を占めていた不安がいとも容易く吹き飛ばされてしまって、これからどうしたらいいのかもう分からない。このベクトルの覚悟は決めてなかった。
それでもくすん、と先程の名残で小さく鼻を鳴らす白石さんを見ていたら、なんだか脱力していた身体の内側がさらにふっと解れて軽くなった感覚がした。
「…ともかく、ここまで騙す形になってしまいすみませんでした。勘違いされていた方が都合が良くて、打ち明ける機会もないままズルズルと……」
「そもそもここまで何の疑問も持たなかった方が俺には理解できん」
唐突に横槍を入れてきた尾形さんに咎める目を向けたけど、チラッと視線を向けられて終わった。何とも思っていないのがよくわかる。
「まあそうなんだけどさぁ…そもそも最近じゃなまえちゃんのこと特別野郎として意識する機会なんて殆どなかったし。逆に前から女の子みたいって思うことはよくあったから、実際膝貸してもらったりはしたけどさ。
あの時は冗談半分だから大丈夫って思うようにしてたけど、そっか……あれほんとに女の子の膝だったんだあ…」
「よかった……ほんとによかった……」とまた泣き出しかねない様子で繰り返す白石さんの姿を見ていたら、あれだけくよくよ悩んでいたここ数日の自分がなんだか物凄くくだらなく思えて、同時に私までちょっとだけ泣きそうな気持ちになった。
結局は全部私の要らぬ心配で、白石さんはずっといつもと同じ白石さんだったんだ。嬉しさに勝手に口元が綻ぶ。
「……よかった。白石さんに嫌われたのかもしれないって、ちょっと落ち込んじゃってました」
「なまえちゃん……。
これからもナニかとよろしくネっ…!」
「私がその手を握り返すと……?」
股間を離れそっと差し出された手に再び心が凪ぐ。
チラチラとこちらを盗み見る常に首から下に向かう視線に、改めて安心した。
うん。本当によかった。
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