「それにしてもなあ〜、なまえちゃんが女の子かあ〜……」
「またかよ。お前さっきからそれしか言ってねえじゃねえか」
「何べんでも言うわ。谷垣はともかく、小樽から一緒に出発した顔ぶれで知らなかったの俺だけだったんだろ?いつの間にか尾形ちゃんまで気付いてるしさァ。二人とも俺がなまえちゃんの事坊っちゃん扱いしてるの見てどう思ってたんだよ。ったく、どうせ俺はちっとも気付いてませんでしたよぉーだ」
「だからどうもこうも思ってねえよ。なまえもそれを望んでたからお前に懐いたんだろ」
日もとっぷりと暮れて糸のように細い月が浮かぶ夜。
夕膳が下げられた客室でゴロリと横たわり酔ってくだを巻く白石を、同じく旅館の主人から差し入れられた酒を呑む杉元とキロランケが面倒そうに見下ろす。先程から何度も繰り返されているやりとりに呆れながらもキロランケが辛抱強くかけた慰めの言葉に、白石は突き出した唇を震わせてぶーと鳴いた。不毛である。
アシㇼパとなまえは今頃この旅館での最後の入浴を楽しんでいるはずだ。「今日はお酢使いませんからっ!!」と懸命に主張するなまえにまったく仕方ないなあ…と大きくため息をついて同行を了承したアシㇼパが、なまえに背を向けて準備をしている間ほんのり口元を緩めていたことは、静かに二人を見守っていた杉元だけが知っている。
二人が部屋を出て間もなく、代わりにやってきたのは白石だった。宿からの差し入れの体を取りつつも自らせがみ手に入れた貧乏徳利を片手に、障子にはめ込まれたガラスの向こうからこちらを覗く下心丸出しの顔に当てが外れたことを伝えてやれば、風呂場の方へと真顔を向ける男。その襟首を無言で掴み抗議の声を無視して連行した白石とキロランケの部屋にて、現在白石の見張りを兼ねた酒飲みが行われていた。
とはいえ杉元としてはあくまで酔っ払いへの一時的措置であり、なまえへの邪な考えに関して白石のことを継続して警戒するつもりはあまりない。今回のように行き過ぎた言動で本人に迷惑をかけるようであれば勿論阻止するが、なまえも以前から白石へは比較的はっきりと物を言うし、いざとなれば自衛できるだけの知恵と力もあるはずだ。
それに何より。こうして酒の勢いでなんだかんだと言ってはいても、歳の割には些か世情に疎いところのあるなまえの面倒を進んで見てやっている白石の姿を見てきた杉元には、白石がこれまでのなまえとの関係をそれなりに気に入っていたように思えた。
そんな杉元の胸の内など露知らず。目的を何一つ達成できなかった白石の繰り言が簡単に収まる筈もなく、畳の上で肘枕をつき目の前の湯呑茶碗に行儀もくそもなく酒を注ぎながら、恨みがましく話を続ける。同室だったはずの尾形の姿はない。雇い主と合流したことでさっさと別室に移動したのかもしれないが、それを一々気にする人間はここにはいなかった。
「そうは言うけどさぁ、キロちゃんは最初からなまえちゃんが女の子だって知ってたんだろ?」
「まあな。昔コタンで初めて会った時には女の恰好だったからな」
「ふーん。んで、杉元はあれだろ。気付いた時期。日高で牧場から戻った後」
「…なんでそう思うんだよ」
「あれからしばらく変になまえちゃんによそよそしかったもんな」
「ブフォッ」
「喧嘩でもしたのかと思ったけどなまえちゃんは平気そうだし、キロちゃんに聞いてもはぐらかされたから放っておいたけど、なるほどそういうことだったわけねェ〜」
せっかくの酒を噴き出し咽せる杉元を眺めながらケタケタ笑う白石。そんな二人の様子を眺めながら、キロランケは当時を思い出して静かに笑う。この顔ぶれで酒を呑むのもその頃以来だろうか。
「あーあ。どうせならもっと色々触っとけばよかったぜ」
「お前な……そういうこと言ってるから最後まで打ち明けてもらえなかったとか思わねえのかよ」
「それはそれでこれはこれですぅ〜。そんで?真面目で紳士な杉元くんは今夜もなまえちゃんと同じ部屋で寝るワケ?いいねえ役得だねえ」
「…あ、いだに衝立置いてるし。アシㇼパさんもいること忘れてんのかよ」
「好きなだけ寝顔見られるじゃん」
「見ねえよ。お前と一緒にすんな」
「なまえちゃん布団の上だと意外と寝癖悪かったりしない?あられもない寝姿になっちゃったりしない?」
「話聞けよ」
たかが酔っ払いの戯言にやけに杉元が食い下がる中、豆腐に鎹牛に経文、白石は小指で耳の穴をほじくりながら何もない空間を見上げる。
「膝枕してもらった時から分かってたけどさぁ、やっぱりなまえちゃん細身だったなあ。まああれはあれで収まりが良さそうでなかなか…」
「やめろ想像すんなバカ」
「ぶべっ」
目には見えない何かを抱きしめながらにやつく顔に、尻に敷いていた座布団を引き抜いて投げつける杉元。ようやく大人しくなった口に満足しかけたところですかさず横から「おいおい聞き捨てならんぞシライシィ」とねっとりした声が聞こえてきて、ずるりと首の力が抜けた。そう、この部屋にいる酔っ払いは二人だけではなかった。
めんどくせえ…と当初の目的を放棄してこの部屋から抜け出す算段を始めそうになる杉元をよそに、四つん這いで白石に近付いたキロランケが座布団を捲り下から現れた気の抜けた顔に話しかける。
「ふくよかな女はいいぞぉシライシ。女は抱き心地だ。どこを掴んでも溢れて骨の存在を感じないくらいがいい」
「わかるけどぉー。おっぱいもお尻もおっきいほうがいいけどォー」
「……いい加減他の話に移れよ」
「なんだスギモト、お前華奢な女が好みか。若いなぁ、豊満な肉体は生きる力だぞ」
「別にいいとも悪いとも言ってねえだろ。話題変えようぜって言ってんだよ」
なまえに関する猥談には乗り気ではないキロランケも、女体の神秘についての語らいとなれば話は違ってくるらしい。かくいう杉元もその手の話題には一切興味がないのかと問われれば答えは沈黙であるが、このまま二人の会話に耳を傾け続けようものなら絶対に自分が特定の人物を前提に置いてしまうことが目に見えている。本当はさっさと新しい話の種でも撒くべきなのだが、酒のせいかどうにもさっきから上手く頭が回らず二人が興味を持ちそうな話題を思いつけないでいる。そんな杉元の苦悩を知ってか知らずか、白石とキロランケの話はまだまだ尽きる気配がない。
「あー、なまえちゃん今から二の腕だけでも触らせてくんねえかなー」
「にのうでぇ?あれだけ言っておいて随分ささやかな願いだな」
もういい、放っておこう。話題が切り替わるまで二人の酒の取り分を減らし続けることを決めて、茶碗に残っていた残りの酒を一気に呷った。視界の外からどうでもいいはずなのに何故だか気を逸らすことができない会話が耳に届く。
「だって二の腕とオッパイの感触って似てんじゃん」
「あぁ?」
「……」
唐突な白石の発言にキロランケが訝しげにな声を上げる。杉元が徳利に伸ばしかけていた手をピタリと止めて錆びついた機械のようなぎこちない動きで顔を上げたことには誰も気が付かないまま、キロランケは一つや二つではなさそうな何かを思い出すようにじっくりと時間をかけて天井を見つめた後、やがて静寂に満たされた部屋で徐に口を開いた。
「……まあ、分からんでもないな」
「でしょでしょぉ〜?」
両手の親指と人差し指を立ててキロランケへと向けながら、したり顔で白石が返す。とはいえ全面的な同意というわけではなさそうで、それを見返すキロランケの表情はいまいち晴れない。
「でもありゃ人によるだろ。それこそ相当肉付きのいい女でもないと別物じゃねえか?」
「だよなッ!?」
「うわっ、びっくりしたなんだよ急に…」
突然キロランケの肩越しに会話に割り込んできた杉元の必死な形相に、白石の肩がびくりと跳ねる。
だが杉元はそれどころではなかった。今すぐこの坊主頭のふざけた持論を無に帰さなければ、己はとんでもない事態と向き合わなければならないのだ。今朝方の光景と併せて指先の記憶を勝手に再現しようとする脳ミソを何とか誤魔化しつつ、全力でキロランケを支持する。
しかしそんな事情を白石が知る由もない。どの辺りが琴線に触れたのか定かではないが、ようやくこのちゃっかり一人だけ美味しい思いをしていた男の紳士ヅラが剝がれる時が来たらしいと勘付いて、内心せせら笑いながら何食わぬ顔を装って二人へ語りかける。
「そりゃなまえちゃんは全体的にムッチリってわけにはいかないだろうけどさぁ……でも内側の一番柔らかいところなら話は変わってくるんじゃない?場所も近いし、肌の肌理とか力を入れてない時の柔らかさは他と比べてかなり近いと思うワケよ」
「う゛ーん…?」
白石が求めているのは真実なんていう無慈悲な代物ではない。それを理解はしていても色良い返事をしかねているキロランケをよそに、己の言葉に導かれて白石は思い出す。眩しい朝日の下に大胆に曝け出された、引き締まりながらも女人特有の肉感と淫猥さは隠せない白い手脚。それに大きいに越したことはないとは思うが、布を押し上げる上下のまろみはその柔らかさを堪能するのに申し分なさそうな質量を主張していた。特に上の方では時折うっすらと頂らしきものが浮かび上がり、その位置は既に何度も反芻し記憶に刻み込んである。
そして杉元も思い出す。あの時真正面から見下ろしたなまえの身体。大きく開いた鎖骨の周辺は朝日を反射し驚くほど無防備にその白さを際立たせていて、すぐ下にある二つのふくらみは布越しでも自分ものとはまるで違って見えた。
それから、その横からすらりと伸びた上腕を握る自分の手。夜風で冷えきった脂肪とその下にある筋肉の存在を手のひら全体で感じながら、指先は内側のさらに薄い皮膚に沈み込む。
「へへっ、なまえちゃんのオッパ、じゃなくて二の腕はどんな触り心地かなぁ〜?ふわふわ?もちもち?それともぷりぷり?どっちの方が柔らかいのかなぁー?」
ぢっと手を見る。指の腹に感じた繊細で驚くほど滑らかな肌の感触が、杉元の頭の中に甦る。
薄く餅とり粉をまぶした大福みたいにしっとりスベスベしていて、それで、それでふ、む、ふ──。
「まっ、俺に言わせりゃ二の腕なんてオッパイの一部ぶぃい゛だだだだッ!?」
「これは白石のケツこれは白石のケツこれは白石のケツ……」
「いででで揉むな揉むな潰れるッ!!」
「これは白石のケツ!!」
「そうだよ!!」
伝わる感触に全神経を集中させて、閉じた瞼の裏側を白石の顔でいっぱいにする。指先に感じる当て布の感触も地味にちょっと柔らかい弾力も持ち主のお陰で苦痛でしかないが、お陰で直前まで頭から離れなかったものが全て上書きされていく。
知らない。俺は何も知らない。白石の尻の柔らかさしか知らない。
「やだ何こいつ怖い!!おいやめろ何が楽しくて男にケツ揉みしだかれなきゃいけねえんだよ!!」
「うるせえ!!さっきからテメーが余計なことばっか言ってるからだろうがッ!!」
「はあっ!?途中まで乗り気だったクセに!!」
ギャーギャーと騒ぎ暴れる二人の男たち。巻き込まれる前にそこからそっと離れたキロランケは、同じく難を逃れたいつの間にやら随分と軽くなった徳利を手に取る。のたうち回る白石と意地でもその尻を掴んで離さない杉元をニヤニヤと眺めながら、湯呑茶碗に最後の一滴まで酒を注ぎきった。
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