「困りますよお客さんこんなところで寝られちゃあ…!」
「……?」

町中で土方さんたちが選ぶ宿は、部屋数が多く数名に分かれて個室が確保できる大きめの建物が多い。夕食後遅めの時間にお借りしたお風呂を済ませて廊下に出たら、玄関の方向から耳慣れない声が聞こえてきた。
あれは確か、帳場に座っていた従業員さんのものではなかっただろうか。焦りを滲ませる声音とセリフに何かあったのかと帰路のついでに向かってみれば。

「……何してるんですか白石さん」
「んあ〜?」

廊下に大の字に横たわっている姿へ呆れを隠さず声を掛けたら、こちらに返したつもりかもわからない気の抜けた声が上がる。
長靴を履いたままの足を土間に放り出して気持ちよさげに目を閉じているのは、昼食後いつの間にか石川さんと一緒にいなくなっていた白石さんだった。
見るからにべろんべろんに泥酔したその両肩を従業員の男性が揺すり起こそうとしている光景に、咄嗟に頭の中に「他人のフリ」という言葉が浮かび上がったものの、今しがた彼の名前を口にしてしまったことを思い出す。
何よりいつからこの酔っ払いの相手をし続けていたのか定かではない従業員さんの助けを求める視線にその選択肢はすぐに消え去って、申し訳なく思っていることが伝わるように眉尻と頭を軽く下げる。

「すみません、連れです…今移動しますので少しお時間をください」
「え、ええもちろん!」

あからさまにほっとした顔で後ろに下がった従業員さんに代わって、白石さんの横に膝をつく。無意味とわかりつつ「ほら、白石さん起きてください」と声を掛けてみたものの、案の定瞼は動かず、ほにゃほにゃと言葉になっていない音を発してまた夢路を歩もうとする白石さん。とても幸せそうである。

……よくよく考えたらこの人、私が写真館で大変な思いをしている間から大好きなお酒と女性たちに囲まれてお楽しみだったんだよな。
そう思ったらなんだかミョーにイライラしてきて、八つ当たりと分かりつつ軽くほっぺを摘んで引っ張ると、眉と眉の間に皺が寄ってうっすらと瞼が開いた。

「んん゛っ、あにすんだよほっと……へ?」
「おはようございます白石さん」
「……あ、え、なまえ、ちゃん…?」
「はいそうです。お酒随分楽しまれたみたいですね」

ようやく私を認識したらしい眦の垂れた目が大きく開かれこちらを見上げる光景に、イライラが少しだけ納まる。続けて今度こそ覚醒したであろう意識に部屋に戻るよう伝えようとした矢先、力の抜けていた眉が今度はへにゃりと八の字に変わって、眩しそうに目を細めながら両手でそっと口元を隠した。

「え……なにその格好すっごくイイ…ほぼ女の子じゃん…」
「ほぼ」

酔っ払いの戯言と分かってはいても引っ掛かりを覚える私をよそに、合っていた目線を下げ特定の場所を中心にジロジロ舐めるように観察した後、「あー最高、良い夢見られそう…」と満足気に寝返りを打った白石さんを「だめだめ」と肩を掴んで三半規管に影響が出ない程度に揺する。今粗相をされたら片付けはほぼ間違いなく私がすることになってしまう。

「白石さん寝ないでください。お一人で戻られたんですか?石川さんは?」
「え〜?そこにいるでしょお〜?」

そう言って持ち上げられたブレまくりの指先を辿って見た土間には、脱ぎ散らかされた草履。なるほどここで一方的な解散となったらしい。
まあいい大人同士なのだから何も問題はないし、むしろここまで白石さんを連れて戻ってきてもらえたことを幸いに思いながら、酒に呑まれた目の前のいい大人を本格的に起こしにかかる。羽織を忘れてしまって少し肌寒いので早く部屋に戻りたい。白石さんだってしっかり休んでおかないと明日が辛くなってしまうだろう。

「ほら白石さん起きてくださーい。今夜は冷えるからここで眠ったら風邪ひいちゃいますよー」
「膝枕してくれたら起きるぅ…」
「寝る気満々じゃないですか」
「なまえちゃん一緒に寝よぉ?お布団の中で温め合えば寒くないからさぁ〜」
「ちょっとほんとにしっかりしてくださいってば……!」

人の話を聞かずに抱きつこうとしてくる両腕からさっと上半身を反らす。白石さんは気にも留めていないだろうが、私の背後にはまだこちらの様子を見守っている従業員さんがいるはずなのだ。軍や警察にはほぼ面が割れていないはずの私はともかく、これ以上彼の記憶に白石さんを刻まないよう立ち振る舞わなければ。
そもそも白石さんももっと脱獄囚としての自覚を持って行動してほしい。これだから全国津々浦々何度も捕まることになるんじゃなかろうか。

さらに数度声を掛けてみたものの結果は梨のつぶてで、これ以上白石さんの自主性に任せていていても埒が明かないと結論付ける。
小脇に抱えていた荷物を床に置くと石川さんの草履を拝借して土間に下り、息を止めながら投げ出された白石さんの足から長靴を脱がせる。向かい合うように立って「ほーらー」と放り出された片腕をこちらに引けば、「んぇえ〜」と不満そうな声を上げつつものっそりのっそり上半身が起き上がった。

「ご気分は?一人で歩けますか?」
「んん〜?んー、へーきへーき…」

土間から上がって草履と長靴を端に揃えながら訊ねるも、前向きな返事が行動に反映される気配はなく、上り框に腰掛けたまま前後左右にぐらぐらと揺れる姿は実に信憑性に欠ける。だからもう一度片腕を抱えて立ち上がるよう促すと、自分の荷物を持ち直し杜若色の脇の下に体を潜り込ませてふらつく身体を支えた。途端、密着した身体から酒と香油と汗とその他諸々を混ぜ合わせた臭気を吸い込んでしまいぐっと息が詰まる。
白石さんの匂いだけなら別に構わない。独特な体臭には始めこそ鼻を顰めていたけど、今ではすっかり嗅ぎ慣れてしまった。臭木の葉の匂いに少し似ていて、私はそんなに苦手じゃない。
……余計な匂いが混ざってさえいなければ。

仕方なしに呼吸を再開し体勢が整ったところでずっとこちらの様子を見守っていた従業員さんへ今一度申し訳なさそうに会釈すれば、戸惑いの混じった笑みを返されてしまった。



ようやく玄関を後にして、客室から漏れる灯りがかろうじて進路を教えてくれる暗い廊下を、白石さんと歩く。
大人二人が並ぶにはやや手狭な通路で互いの身体が壁にぶつからないよう支える腰にさらに身を寄せれば、肩へ回されていた腕の重みがほんの少し増して、薄い浴衣に染み込む秋の夜の寒さが気持ちばかり和らいだ気がした。
こんな格好で白石さんと並んで歩く日が来るとはなあ…としみじみとした気持ちを抱きながら、やや調子の外れた鼻歌を口ずさむ横顔をちらりと見遣る。闇に溶けかけた表情は読み取れない。

「よっぽど楽しかったんですね」
「へへっ、ナニかとご無沙汰だったもんでさぁ〜。店は多くなかったけど一番でかいところで豪遊させていただきましたっ!」
「ふーん」

話を振っておきながら自分でもどうかと思うほど冷めた返事をしてしまった。そんなに楽しいものなのか……といまいちピンと来ないのは、性別の違い故か私の浅見さ故か。大抵の利用客が最終的に致すことは分かるけども、遊郭とやらがどんな場所なのか詳しくは知らない。所謂遊女屋や売春宿とやらとは何が違うんだろうか。そこまで考えてふと思い出す。

「あ……そういえば白石さん、前にいつか私をお店に連れて行ってくれるって仰ってましたよね。私と白石さんが初めて会った日。憶えてますか?」
「…んまぁ〜なまえちゃんってば誘い方が大胆なんだからっ!
でも俺、そんな積極的な子も大歓迎だぜ…?」
「……さては本当にそれほど酔ってませんね」
「頭がクラクラするぅー。なまえちゃん介抱してぇ〜ん」

前半とは打って変わって気取った調子で囁かれた言葉に思ったままを返せば、途端に猫撫で声でしなだれかかってきた。おまけにどさくさに紛れてさわさわと二の腕の辺りを這い回り始めた手を掴んで「んもー」と持ち上げれば、「ちえー」と不満げな声を上げつつも組んでいた腕をするりと外して歩き始める。
足取りに多少の不安定さは残りつつも玄関の時のように今にも倒れそうな気配はなくて、どうりで細身とはいえ成人男性を私一人で支え続けられていたわけだと納得。お仕置きのつもりで半歩後ろに下がってがら空きの脇腹を軽く指でつつけば、「やぁーん」と大袈裟に身を捩って反応するものだからちょっと楽しくなってしまう。

時々ふと、「私、年上である白石さんに対してさすがに馴れ馴れしすぎるのでは?」と我に返る時がある。その度に少しは改めようと試みるものの、そうすると遅かれ早かれ必ず白石さんがいつも以上にしつこく絡んでくるものだから、それをあしらっているうちに結局またこの関係に収まってしまう。
つまるところ、私は白石さんにも散々甘やかされているのだ。お礼はまだ言えていない。


「ふわーぁっ……んじゃ、俺用事あるから」
「え?いやいやいや」

戯れがひと段落したところで大きな欠伸をした白石さん。そのままふらりと聞いていた部屋とは別方向に向かおうとする腕をさっと掴んで引き止める。そっちは土方さんや尾形さんたちの部屋だ。あと厠。

「部屋までお送りします」
「へーきへーき」
「平気じゃありません。かなりの量呑まれたのは確かでしょう?」

存外しっかりしているとはいえ、素面の時の足運びとは明らかに違う。何かの弾みで転んで受身も取れずに大きな怪我をしてもまったく不思議じゃない。
それに私と白石さんが知り合いだということは先程宿の方に知られているのだ。ここで解散してもし白石さんが再び誰かに迷惑をかけでもしたら、連れである私を通して芋づる式にアシㇼパさんや杉元さんのことまでもが人々の記憶に強く残ってしまうかもしれない。
ここまできたらもうしばらくお節介を焼かせてもらうぞ、と握力を少しだけ強める。

「白石さんが部屋で水を飲むのを見届けたら戻ります。厠か土方さん方へのご用なら、済むまで離れて廊下にいます。お風呂は……どうしても入りたいのであれば付き添いますけど、できれば明日宿の方にお湯をもらってください」

白石さんの同室はいつもと同じキロランケさんだから、送り届けさえすればあとはなんとかしてくれるだろう。
目的が土方さん達の部屋なら用事の内容がまったく気にならないわけではないけど、飛行船でのことを思い出せばここで詮索はしないことにした。もしアシㇼパさんか杉元さんに遅かった理由を聞かれたら、事実だけ伝えよう。

そう決めてじっと次の動向を窺っていれば、暗がりの中で僅かに光を反射していた目玉がついとこちらから逸らされたのがわかった。それから私より少し背の高いシルエットはどこか居心地が悪そうに頭を掻き、小さく息を吐いてみせた。

「……ったく、しょーがねえなあ」
「む」

しょうがないとはなにさ。まるで私が駄々をこねているみたいな言いように頬を膨らませたら、見返していた片目の光がばちんと消えた。

「面倒見のいいなまえちゃんには特別に、俺の秘密をひとつ教えてあげちゃうぞっ」
「いや部屋に戻って寝ましょうよ」
「一緒に?」
「まーだおっしゃるか」


/ top /
home