「写真撮ろうぜ」
屈斜路湖からさらに北上し辿り着いた北見の町。土方さんが手配してくださっていた宿で待っていた石川さんという新聞記者の男性を紹介され近くの食堂で昼食を食べ終えた後、いつの間にか先に外に出ていた土方さんと永倉さんと一緒に戻ってきた杉元さんが全員に向かって放った言葉を、私はすぐに理解することができなかった。
しゃしんとろうぜ……捨身徒労攻……?頭の中にクエスチョンマークを描いたまま土方さんに導かれ到着したのは、『廣瀬寫真館』と看板が掲げられた異国風の建物。その文字に嫌な胸騒ぎを感じながら階段を上がった先には、いくつかの上等な作りの椅子や家具、それに白い衝立のようなものが置かれた部屋があった。部屋の中央には頭に布を被せたカラクリらしきものが二つ並んでいて、奥の壁から床にかけて垂らされた大きな厚紙の上には品のある椅子が一脚置かれている。巨大な磨り硝子がはめ込まれた屋根からは外の晴れやかな日差しが柔らかく降り注ぎ、部屋全体が屋内とは思えないくらいに明るい。
部屋で私たちを迎えてくれた翁──田本さんについては、杉元さんが教えてくれた。なんでもフチさんにアシㇼパさんの元気な姿を見せたいと考えた杉元さんの話を聞いた土方さんが、古いお知り合いである写真師の彼にお声をかけてくださったらしい。
「せっかくだから思い出にみんなで撮影会しようぜ」と椅子に腰かけた姿が絵になる杉元さんの言葉に、肩に掛けたサラニㇷ゚の背負い紐を握りしめた。
提案を特に断る理由のない人たちが、順不同で次々と背景となる厚紙の上へと立つ。田本さんの指示に従い6つ数える間ピタリと停止して、そして再び声をかけられると何事もない様子で戻ってくる。その光景をそわそわはらはら落ち着かない気持ちで見ている中、キラキラと好奇心に輝く瞳のチカパシが誇らしげな顔で写真を撮り終えたことを確認した杉元さんが、私の隣で撮影会を眺めていたアシㇼパさんへ声をかけた。
「アシㇼパさん、まずは一緒に撮ろうか」
「うん」
「あ…」
思わず発した声と共に伸ばした手が、離れようとしたアシㇼパさんのアットゥシを掴んだ。いつも通り海のような空のような澄んだ瞳が、振り返り私を見上げる。
「どうした?なまえ」
「……その……」
フチさんに元気なアシㇼパさんの姿を見せたいという杉元さんの気持ちには、大いに共感する。もしかしたら崩れた体調も快方に向かってくれるかもしれない。
だけど変わらず不安がぐるぐると渦巻き続ける私の心は、指先の力を緩めない。思い付くまま「行かないで」と発しそうなった口をぐっと噤む。
「……いえ、なんでもないです」
「…ん」
杉元さんがアシㇼパさんを危険な目に合わせる訳がない。そう自分に言い聞かせてようやく手を離せば、アシㇼパさんは変わらず真っすぐな目で私を少しの間見続け、それから杉元さんに続いて”写真機”なる例のカラクリの前へと立った。
指示に従いいつも以上に凛々しい佇まいで並んだ二人を確認すると、田本さんはカラクリの本体である箱の正面から伸びた筒の蓋を外し、掛けられていた布の中に潜り込んで箱の大分部を占めるふいごのような蛇腹をわずかに動かす。それから布を外し蓋を閉じ、箱の中を覗き込める窓に板を嵌め込んで最後に二人に声をかけると、もう一度筒の蓋を外した。
息を吞んでその様子を見守る。やがて今日一番長く感じる6つを数え終えると、田本さんは素早く筒に蓋をして、二人にもう結構ですよと声をかけた。
見栄えを良くするために入れていた力を抜いた二人はその場で少し言葉を交わすと、田本さんに近付いて話しかける。会話の内容は聞き取れずにただそれを眺めていたらぱちっとアシㇼパさんと目が合って、私の前へと小走りで戻ってきた。少しばかり上がった口角からは初めての体験がアシㇼパさんにとってそれほど悪いものではなかったことが伝わってきて、愛らしさに全身を強張らせていた緊張が少しだけ緩む。
「なまえ、次は一緒に撮ろうっ。その後は杉元も入れて三人でだ」
「え…」
言葉に詰まってしまった。咄嗟に顔を向けた先では田本さんが流石の手際の良さで次の撮影の準備を進めていて、アシㇼパさんの言葉と合わさり自分があの場に立つ瞬間が着々と迫ってきていることを認識して心臓がバクバクと大きく脈打つ。
泳いだ目が田本さんのそばで待機していた杉元さんとぶつかると、杉元さんは浮かべていた微笑みを消してこちらへ近寄ってきた。逃げるように下げた視線の先にいたアシㇼパさんの表情からはさっきまでの弾んだ気配が消えていて、後ろめたさから顔を背ける。
どうしよう、どうしよう。本当は今すぐにでも首を横に振って断りたい。でもそれは私のただの身勝手な我儘でしかなくて、せっかくアシㇼパさんが誘ってくれたのにそんなことをしてしまっていいんだろうか。でも、でも。
どちらに転ぶこともできないまま本能と理性の狭間で反復横跳びを繰り返していたら、不意に「なまえ」と耳に馴染んだ声と右手に触れた温もりに現実へと引き戻された。私の手を優しく包み込む両手を辿った先にあったアシㇼパさんの顔を見つめ返す。
「私だってなまえのことを全てわかるわけじゃない。どれだけ一緒に過ごしたって、言葉にしないと伝わらないことは沢山あるんだ」
その言葉に胸が詰まった。アシㇼパさんの言う通りだ。こうして黙り込んだままうだうだ悩んでいても何も解決しない。ただ徒にみんなの時間を浪費して困らせるだけじゃないか。
優しい言葉と新たに生まれた罪悪感に後押しされて、ようやく小さく口を開いた。
「……写真、どうしても撮らなきゃダメですか?」
「…なまえさん、どうかしたのかい?」
「…すみません」
アシㇼパさんの背後に立った杉元さんの問いかけについ謝罪の言葉を口にすれば、杉元さんは小さく頭を振る。
「そうじゃなくて、何か理由があるんだろう?勿論無理に撮らなくていいし理由だって言う必要はないけど、もしかしたら何か力になれるかもしれないと思ってさ」
そう言って柔らかく細められた明るい色素の眩しさに、先ほど見た青と同じように心を揺り動かされる。
いまだ躊躇いは残ったまま。それでもこの不安な気持ちを無性に二人に打ち明けたくなって、アシㇼパさんの暖かな手をぎゅっと握り返しながらもう一度喉を震わせた。
「……わたし…私、前に聞いちゃったんです。
写真を撮ると、魂を抜かれる、って……」
ぶっ
こらえ切れずと言わんばかりに聞こえてきた音はひとつじゃなかった。耳を頼りにちらりと目を向けた先にいたキロランケさんも夏太郎さんもこちらから顔を逸らして肩を震わせているし、アシㇼパさんの後ろに立つ杉元さんだって吹き出しこそしなかったけど、やや弧を描いた口を引き結んだまま眉尻を下げて私を見ている。
他にもいろんな方向から漏れ出た吐息や生ぬるい視線を感じて羞恥心でかっと顔と頭が熱くなる。こうなる気がしていたから言いたくなかったのだ。やっぱり言うんじゃなかった……!
「……そうなのか?」
「ん゛んっ…違うよアシㇼパさん。
なまえさん聞いて?あのね、それはむかーし言われてた迷信なんだよ。あんまりにもそっくりに写るからとかそんな理由だったと思うけど、今どき写真撮っただけで一々死んでたらキリがないから。平気平気」
「でもっ、」
無知な幼子に言い聞かせるようにうんと優しい声と表情で語りかけてくる杉元さんと、きょとんとした顔でこちらを見上げるアシㇼパさんを交互に見交わしながら訴える。
理屈ではわかっているのだ。ここ北見以外にも小樽や旭川にだって当然のように写真館はあったし、お知り合いということはきっと過去に写真を撮ってもらったことがあるであろう土方さんがこうしてとんでもなく元気にご活躍されているのだから、この話にはきっと事実と大きく異なる部分があるのだと。
だけど。だけどだけどだけど。
「チヨさんの旦那さんは写真に写ったせいで亡くなられたって!」
「チヨさん?」
「小樽でよくお世話になっていた銭湯の三代前の奥様です。白寿のお祝いで写真を撮った半年後に、玄孫さんたちに囲まれて眠るように息を引き取られたと……」
「写真関係ないよねそれ。他人の俺が言うべきじゃないけどかなりの大往生だと思うよ」
「チ、チヨさんのお父上が若い頃にお付き合いで撮られた時にも、危うく命を吸い取られそうになったと言っていたって…!」
「昔は写真を撮るためにかかる時間が今よりずっと長かったですからねえ。銀板写真なんてものだと焼き付くまで数分同じ姿勢のまま動けませんでしたから、一枚撮るだけでもかなり体力を使ったようですよ」
「ううっ…!」
間髪入れずに正論を返してくる杉元さんと田本さんに返す言葉が見つからなくなり押し黙る。言われてみれば確かにチヨさんはちょっとだけ思い込みが強い人だったし、色々と誤解があったのかもしれない。それは分かった。
分かったけど、なら大丈夫かなんてすぐに切り替えることはできない。忍者は恐怖を抱くべからずと再三教わってきたけど、怖いものは怖いのだ。
「そうか……。いや、いいんだ。誰だって苦手なことはある。なまえはたまたまそれが写真だっただけだ。こんなことで無理をしてまで私たちに付き合う必要はない」
「あっ……」
理屈もなく駄々を捏ねていることを承知の上で様々な方面への言い訳を探していたら、緩く握り込んだままでいた小さな手がするりと離れた。喪失感に持ち主へと縋る思いで視線を向ければ、どこか力のない笑みを返される。
「フチはきっとなまえのことも心配している。だからアチャポに手紙を読んでもらいながら私たち二人が一緒に写っている写真を見れば、フチも安心して元気になるかもしれないと思ったんだ」
そっと伏せられた長い睫毛が白くきめ細やかな頬に影を作る。儚いその表情を彼女にさせているのが他でもない私自身なのだと思うと、また胸が締め付けられていく。
「次は私一人で撮るんだ。まだ少し慣れないから、おかしなところがあったら教えてほしい。なまえも同じくらい元気でいるって手紙に書いてもらおうな」
「アシㇼパさん……」
「絶対、ぜッッたい手は離さないでくださいねアシㇼパさん…!」
「んもーっ!!ほんっとーにしょうがないなあなまえはもぉ〜っ!!」
差し出されたアシㇼパさんの手を強く握り返し、両手を引かれて厚紙の上に立つ。嫌々ながら片手を離してゆっくりと身体の向きを変えれば、こちらに向けられた筒の中にぽっかりと空いた穴が視界に入って素早く目を逸らす。磨き上げられたまん丸な硝子の奥に広がる真っ暗闇のさらに奥深くから、得体のしれない何かにこちらを覗き込まれているような気がしてならない。本当は何もないのかもしれないし、本当に何かあるのかもしれないけど、分からないし知りたいとも思わない。
ああ、それに比べれば尾形さんのなんと分かりやすいことか。いやまだ分からないことだらけだけど、少なくとも気に入ったり気に入らなかったりは態度や表情で示してくれていると思う。意志の存在を感じる。
「では先ほどと同じ位置に立ってこちらを見てください。顔に影がかからないように鉢巻と襟巻を整えて。手を繋いだまま撮影するのであれば、二人とも弓を外側の手に持って対称性のある構図にしましょうか」
「なまえ、足はそことそこだ。弓は左手に持て。背筋を伸ばして顎を引くんだぞ」
「臨兵闘者皆陣烈在前臨兵闘者皆陣烈在前…!」
「……本当にこのまま撮るんですか?今時ここまで怯える方も珍しい」
「それだけの覚悟で本人が決めたことだ、よろしく頼む」
視界の外から田本さんと土方さんの声が聞こえてくるけど、言われたことをこなすのに必死で意味を理解する余裕なんてない。迷信だと思っていない人の魂だけ引っこ抜く仕組みだったらどうしよう…!
「ほらなまえ、こっちだこっち。そんな顔よりいつもみたいに笑ってる方がずっと良いぞ」
「なまえさ〜ん?見て見てェ、この花なんて名前か分かるー?」
名前を呼ばれて顔を上げれば、いつの間にか田本さんと写真機を間に挟んで立つキロランケさんと杉元さんがいた。キロランケさんは蓋で隠れた例の穴の横でヒラヒラとこちらに手を振っていて、杉元さんは部屋の隅にあった花差しから引き抜いてきた造花を穴の下で揺らして見せつけてくる。「光が遮られてしまうので屈んでください」と田本さんに注意されて立派な体躯の男性二人が小さくなろうとする姿は普段なら微笑ましいくらいの光景だけど、人が生きるか死ぬかの瀬戸際にいるというのにニコニコ笑っている二人を見ていたらどんどん腹立たしく思えてきた。こっちの!気持ちも!知らないでさあ!!
「レンズを見たまま6秒動かないでください。途中で動くとやり直しですから気をつけてくださいね」
「なまえ、手汗がぬるぬるして気持ち悪い。一回離していいか?」
「やだぁっ!!」
「アシㇼパさんもう少しがんばってあげて!なまえさんほらお花見ててお花!」
「嫌なことはさっさと済ませましょう、三つ数えたら蓋を取りますよ。いち、」
「!?」
「にの、」
アシㇼパさんのため。フチさんのため。そして何より己のため。
プロに徹する情け容赦ない田本さんのカウンドダウンに急かされて、ようやく私は腹を括ったのだった。
← /
top /
→
home