「はい、これがなまえさんの分ね」

「上手に写れてるね」と杉元さんが差し出すソレを薄く開いた瞼の隙間から覗き見る。が、すぐに想像していたものと異なると気付いて、恐る恐る受け取ったソレを見下ろした。

「……ブロマイドだ…」
「え、なに?」
「いえ、ありがとうございます」

思わず口から零れ落ちた独り言を拾った杉元さんに頭を振って返し、もう一度自分の手元を食い入るように見つめる。縦6寸横4寸ほどの厚紙の中には、鏡に写したようにそっくりそのままものすごく小さくなった私とアシㇼパさんがいた。白と黒だけの色味はここに来てから見かけるようになったものだけど、間違いなくかつてお世話になった学園を作った大恩人が事ある度にご褒美と称して配っていたブロマイドと同じものだ。ここでようやく、私の中で写真とブロマイドがイコールで結びつく。

以前チヨさんが見せてくださったご家族の写真は、それぞれ金属と硝子の板でできていた。別の機会に小間物屋で見かけたブロマイドは絵葉書と呼ばれていたけれど、そうか、ブロマイドも絵葉書も写真の一種だったんだ。
……ということは、あのお方も毎回あんな大変な思いをしながらブロマイドを作っていたのか。そうと知っていればもう少しあのブロマイドの数々に対する考えも変わっていたかもしれない。欲しいかどうかは別として。


写真に関する知識が深まったところで、改めて手の中の己を遠慮なく観察する。田本さんとアシㇼパさんのご指導のおかげで立ち姿こそ立派なものだが、やや口角を上げた口は固く引き結ばれ、身開いた目の中にある瞳はよくよく見れば焦点が定まっていない。我ながら見れば見るほど情けない顔ではあるものの、あの状況を思い返せば私にしてはよくやった方だと褒めてやろう。
それに比べて隣に立つアシㇼパさんのなんと凛々しいことか。濃い青に碧が散らばる美しい瞳の色が分からないのはとても残念と言わざるを得ないけど、あれだけの枚数を一日で現像するには色々と制限があったのかもしれない。

「へへへ…」

なんだかんだ言っても、いつでもどこでも好きな時にアシㇼパさんの姿をじっくりと眺められるだなんて、とんでもなく素晴らしい一品を手に入れてしまった。それに目的の網走監獄がある地へと足を踏み入れた今、夕張や旭川の時のように敵を撒くために別行動を取る機会が今後絶対にないとは限らない。もし私がアシㇼパさんとはぐれることがあったとしても、この写真があればアシㇼパさんの人相も伝えられるし、私とアシㇼパさんが知り合いだという証拠にもなる。きっと合流する難易度はグッと下がるに違いない。

大事に大事にしまっておかなければ…!とにんまり表情を崩しながらお日様に向けて掲げた写真は、次の瞬間、ぱっと両手の中から消え去った。


「……え?」

何が起こったのか分からなかった。

固まった思考のまま横を通り過ぎた気配に視線だけを運んだ先で、他に見間違いようのない特徴的な後頭部の持ち主が何やら外套の中を見下ろしながらもぞもぞと動いており、そして再び前を向いた。その間も彼の足が止まることはなく、未だ状況を飲み込みきれないながらもどんどん離れていく後ろ姿に辛うじて足を動かし追い付いて横に並ぶ。

「お、尾形さん…?」
「……」

戸惑いながらかけた声に応じる音はなく、覗き込んだ横顔はまっすぐ正面を見たまま動かない。私の存在なんてまるで気付いていないかのように、他の人たちから少し離れた場所にある木の下へと向かっていく尾形さん。その手が奪い取っていったはずの写真が返ってくる気配はない。

「あの、ちょっと、今私の写真取りましたよね?」
「……」
「取りましたよね。返してください」
「……」
「尾形さん聞こえてますよね?写真返してくださいってば」
「……」
「…………、」
「めくるなスケベ女」
「でっ!」

埒が開かないと写真を追って外套の端を持ち上げて中を覗き込もうとしたら、素早くその手を叩き落された。立ち止まった私を尾形さんが気にかけることはなく、辿り着いた木の幹を背にしゃがみ込むとそのまま動かなくなってしまった彼を、痛む手をさすりながらようやくふつふつと湧き上がってきた怒りを込めて睨みつける。

今回は尾形さんの魂胆もすぐに予想が付いた。きっと私と同じで、いざという時のためにアシㇼパさんの写真が欲しかったのだ。
昨日写真館でアシㇼパさんに自分とも一緒に撮って欲しいと言えばよかったのに、土方さんに自分もアシㇼパさんの写真が欲しいと言えばよかったのに、多分杉元さんと揉めるのが嫌だったとかそんな理由で私の写真を取り上げることにしたのだろう。私なら力でねじ伏せられるから。理不尽な思いをしても、大事になるのを避けて泣き寝入りするだろうから。どこまでも舐められたものだし、概ねあってる事が余計に腹立たしい。

「……っ」

だがここで諦めるわけにはいかない。尊敬することも多いけど私は尾形さんの子分になったつもりはないし、簡単には譲れない事だってある。
そうですかそうですか、そっちがその気ならこっちだって奥の手に出ますからね!ともう一度キッと尾形さんを睨み付けて踵を返し、少し離れた場所にいた目的の人物へと小走りに駆け寄って後ろからそっとその袖を引いた。


「アシㇼパさぁん…」
「ん?どうしたなまえオソマか?宿を出る前に済ませておけってあれほど言ったじゃないか」
「違うんです。アシㇼパさんあのね、尾形さんがねっ…」

数歩先で土方さんと話し込んでいる杉元さんには聞こえないように、膝を曲げてコソコソとアシㇼパさんに耳打ちする。
杉元さんに言えば確実に取り返してくれそうだけど、最近以前にも増して私が尾形さんにちょっかいをかけられている気がすると主張して気にかけてくれる正義感の強い彼に、尾形さんに写真を返してもらえないなんて告げ口なんてしようものなら尾形さんの態度と次第によっては血を見ることになりかねない。何より万が一にも取っ組み合いにでもなってあの写真が汚れたり破れでもしたら最後、私はずっとそれを後悔し続けるだろう。絶対にだ。

とはいえアシㇼパさんとのツーショット写真の貴重さはそんじょそこらの料理本とは訳が違う。簡単に諦められるような代物じゃない。
尾形さんに二人で撮った写真を取られてしまったこと、返してほしいのに話を聞いてもらえないことを改めて己の情けなさを実感しつつも訴えれば、呆れたように大きく鼻息を漏らしたアシㇼパさん。それでも次いで「やれやれ、まったく仕方ないなあ」と口角を少し上げてぼやきながら歩き始めてくれたその後に続く。

「はぁ。お〜が〜たぁ〜?」
「……」

いつもよりかなり下にある顔を覗き込んだアシㇼパさんからその顔を背けつつ、私を咎めるように睨み上げる尾形さん。黒目が端に寄りすぎてかなり凄みがある視線に内心やや気圧されながらも、アシㇼパさんの後ろで笑みを返して受けて立つ。
尾形さんはアシㇼパさんを絶対に乱暴には扱わないし、アシㇼパさんの発言に対して時折少々の不満を口にはしても大抵最後には大人しく従うことは、この数ヶ月で既に把握済みなのだ。こうしてアシㇼパさんに言われたのであれば、渋々ながらも写真を返してくれるに違いない。

「尾形ァ、どうしてなまえから写真を取り上げたりなんかしたんだ?なまえが困ってるじゃないか」
「……」
「返したくない訳があるならまずは言ってみろ。ん?」
「……」

言い聞かせつつ耳を傾けようとする強く優しいアシㇼパさんの問いかけに、無表情だけどどことなく居心地悪そうに視線を逸らしたまま無言を貫く尾形さん。小銃の負い革を握る手と反対側の手が一房垂れた前髪を後頭部へと撫で付けるも、別の位置の束が代わってほつれ落ちる。

「おが──」
「アシㇼパさん!なまえさん!」

両手を腰に当ててアシㇼパさんがもう一度口を開いたところで、背後から名前を呼ばれた。振り返れば予想通り杉元さんがこちらに向けて片手を上げていて、アシㇼパさんへと視線を戻せば彼女も同じ方向を見つめている。澄んだ瞳が杉元さんから尾形さんへ、私へ、それからもう一度尾形さんへと向けられて、小さなため息とともに伏せられた。

「……気が済んだらちゃんとなまえに返すんだぞ。
なまえ、写真は少しの間尾形に貸してやれ」
「えっ」
「きっと昨日自分も撮りたいって言い出せなかった八つ当たりだろう。ちゃんと返すように言ったから、本人の気が済んだら戻ってくるさ」
「え…?え…?」

あっさり言い渡された結論に言葉を失う私の手を引いて、杉元さんの元へと向かうアシㇼパさん。わざわざ手間をかけてくれた上にこれ以上大事にならないよう配慮してくれたアシㇼパさんの判断に異議を唱えることはできずともどうにもまだ諦めきれない中、はっとひらめいて翠の黒髪に顔を近づける。

「じゃ、じゃあ尾形さんが私の写真を返してくださるまで、アシㇼパさんの分を貸していただけませんか?アシㇼパさんと一緒に撮った写真もっと見たいんです」
「あれは私の分だからダメだ。私一人で撮ったやつなら貸してやってもいいけど、尾形に取られたやつが欲しいなら自分で取り返してこい」
「はい…」
「一緒に見るならいいぞ」
「ありがとうございます…」

至極当然の言葉と付け足された優しさに俯くことしかできない間に、二人で杉元さんのもとへと辿り着く。

「なにかあった?」
「尾形が拗ねてる」
「なんで」
「写真撮りたいって言えなかったから」
「そんなワケ分かんないやつのことなんかほっときなさいよ。そろそろ出発するから近くにいてね」
「チンポ先生にも写真見せてくるっ」
「んも〜」

杉元さんのセリフに被せるように宣言して駆け去って行ったアシㇼパさんに困り笑いを溢す杉元さん。その声を聞きながらゆっくりと首を捻れば今だ一人離れた木陰に佇む尾形さんと目が合って、顎を上げてにんまりと唇を歪ませた彼の小鼻が膨らむのが見えた。反対側に首を捻れば、「ん?」と目で語る杉元さんに笑いかけられる。

言いつけたい。頼もしい彼に甘えて頼ってしまいたい。きっとなんとかしてくれる。
でも言えない。私の我儘で面倒事を起こすわけにはいかない。写真を失うわけにはいかない。
悲しみや喪失感で塗り替えられかけていた怒りが、悔しさと掛け合わさって沸々と込み上がってきた。

「ぐぬぬっ…!」
「えっやだなまえさんどうしたの?お腹すいた?便所借りる?」

お腹は空いていないし厠も済ませているのである!!


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