君と、友達になりたい
僕は誓った。
けして彼女から離れないと。
もう二度と、彼女の手を離さないと。
彼女の傍にずっと居続けようと。
「…っゲホ!」
薬の副作用で苦しそうに嘔吐する彼女の背中を優しく擦る。
僕にはこれくらいしかできない。
僕がここに来る前に薬を飲んでいたらしく、今その副作用がきているらしい。涙を流して胃の中のものを吐く彼女を見るのはとても辛かった。
でも、一番辛いのは彼女自身だから…僕は彼女の隣で支えになるように傍にずっといたい。
「ゆっくり息して、firstさん。大丈夫だから」
「ゲホ!…ッはぁ…はっ…」
「落ち着いて息して」
トントン、とテンポよく優しい手つきで背中を叩くと咳き込みながらも荒い息を整えようと肩を上下している。
僕はそんな彼女にずっと声を掛け続けた。
暫くすると落ち着きを取り戻し始めたfirstさんに一安心する。
「もう大丈夫?」
「…っん、ありが、と…はぁ」
まだ苦しいだろうに、無理に笑う彼女。
そんな彼女の頭を撫でて呟く。
「無理に笑わないで」
「っ」
「苦しいなら笑う必要ないよ」
落ち着いてほしくて、心から笑う彼女を見たくて、僕は君の頭を撫で続けた。
「緑谷くん…ありがとう」
真っ白な肌を見てなんだか自棄に寒気がした。
この寒気の正体はなんだろうか、知りたくもなかった。
だって彼女は生きてる。
ちゃんと目の前にいるんだから。
寒気がする理由に知らないフリをして、僕は彼女のぬくもりを確める。
「firstさん」
「ん?」
彼女の小さな掌を握る。冷たい掌を暖めるように包む。
「…あの、さ」
彼女に、伝えたい。
やっと気付いた僕の気持ちを。
しかし彼女の顔を見ると、何だか恐怖を感じた。何に対する恐怖かわからない。
もしかしたら告白する勇気がなくて怖じ気づいたのかもしれない。
「……早く元気になって、みんなと遊ぼうね!」
「うん!」
僕は臆病者だ。
肝心な時に一歩を踏み出せない僕は弱虫だと、我ながら自嘲したくなった。
アカデミーに通いながら、僕は毎日firstさんのいる病室に行った。
以前のように毎日会えるわけじゃなかったけれど、毎日通った。
具合が悪い日は面会すら許されずその日1日は心配で何も出来なくなる。でも次の日に現れると、何事もないように顔色のいい彼女を見ていつもホッとする。
大丈夫、彼女は生きてる。不安なんてどこにもないんだ。
そう、自分に言い聞かせる。
でも顔色がいいのは裏腹に、痩せた体を見ていつも目を閉じたくなる。
食べているけど吐いてしまうのだと、彼女は苦笑いしていた。いくら口に含んでも胃が受け付けないらしくすぐ嘔吐してしまうと。
それを聞くたびに不安になる僕は最低だろう。いつも辛くて不安なのは彼女自身だというのに。僕は不安で仕方ない。
もしも彼女の容態がこのままの流れで悪化したら……なんて、マイナスに物事を考えている。彼女は生きるために苦しんでるというのに。
「nameちゃん、調子はどーだい?」
「俊典おじさん!大丈夫だよ」
時々現れるオールマイトは、相変わらずfirstさんの親代わりみたいだ。
僕にはそのことで気掛かりが一つある。
彼女の親は、彼女の顔を見に来ないのだろうか…。
いくら育ての親でも、実の親でなくても、見舞いくらい来ればいいのに。
僕がその領域に入り込んでいいものか、今も悩んでいる状態だ。オールマイトは何も言わない。彼女も、何も言わなかった。
だから僕からなんて当然言い出せるわけない。
「ちょっと失礼。先生に話を聞いてくるよ」
考え事をしていると、オールマイトが立ち上がった。考え事をしていた脳ミソを無理矢理現実に戻して目線でオールマイトを追う。
部屋を出たのを確認すると、僕も立ち上がった。
「ごめんfirstさん、ちょっと僕も離れるね」
「うん、わかった」
笑って頷いてくれた彼女に微笑みを残し、僕は部屋を出て静かに扉を閉めた。
「何か用かい?緑谷少年」
「え?オ、オールマイト!?」
部屋の外で僕が来るのを待っていたように立っているオールマイトにびっくりした。
「君があまりにも神妙な顔で悩んでいたからね」
「え…じゃあ、先生のところに行くっていうのは」
「もう彼女のところへ来る前に聞いてるから、大丈夫だね」
オールマイトにはわかっていたのか、と思わず苦笑いが漏れた。
病院にある休憩所のソファに座っていると、目の前に缶ジュースを差し出された。
「はい、これ」
「あ、ありがとうございます」
オールマイトからそれを受け取り、頭を下げる。両手で包むように持って自分の太腿の上に置く。
オールマイトは僕の隣に座って缶を開け、さっそく口に飲み物を入れた。
「緑谷少年、どーしたんだい?」
普段のあの逞しい姿のないガリガリの姿の彼が、僕を見下ろし返事を待つ。
これは、第三者の僕が訊いてもいいことなのだろうか、僕の中にはまだ迷いがあった。
「…正直、悩んでます」
「?」
「僕が、こんなこと…訊いてもいいのか」
「私が答えられる範囲なら答えるさ」
きっと僕が訊こうとしていることは、範囲内には入らないことだろうなと思った。
それでも口を開こうとしたのは、ただ純粋に知りたいと思ったから。
「firstさんの…お母さんは……なぜお見舞いに来ないんですか」
「……」
訊いてからわかった。やはり訊いてはいけなかったのだと。
でも、今さら後戻りできない。
「きっとfirstさんも、会いたがってる。こんな時だからこそ、一番近くにいてほしいはずだし」
「そーだね。私も思うよ」
オールマイトの言い方だと、彼女の母親について知らないということなのだろうか。
オールマイトは何も知らないのか?
「オールマイトは、firstさんのお母さんと話してないんですか?」
「話したよ。しかし彼女は来れないと、言っていた」
「なんで…」
いくら実の子でなくとも、育ててきたなら我が子も同然なはず。
なのになぜ来れないんだ。
「彼女の家庭は、そんなに裕福じゃない」
「!」
「朝から晩まで働いているんだ。nameちゃんの医療費を稼ぐために」
「私も力になっているが、それでも足らずを補わなければいけないからだろう」と言われ、何も言えなくなる。
来れないわけじゃない。来たいけど、行けないんだ。
「nameちゃんの調子が悪いことももちろん告げたよ。とても心配そうだった」
「…」
「近くにいてあげたい、と…言っていた」
僕は、無性に自分が無力に感じた。
何もできない。力になりたいのに、何もできない。こんなに悔しいことはない。
──いつだってそうだ。
firstさんのために何かしてあげたいのに、空回りばかりでうまく物事が運ばれたことなんて一度だってない。
彼女の望むものを与えたい。
でも、オールマイトは僕に言った。
「君は神様じゃない」と。
まったくその通りだと僕は思う。
僕が神様なら、彼女の病気を治してあげるのに。
僕が神様なら、彼女に自由を与えるのに。
僕が…神様ならっ……、
「…緑谷少年」
firstさんのためなら、ヒーローにだって、神様にだってなってあげたいのに、彼女を笑顔にしてあげたいのに。
いつだって…僕は、無力で……っ、好きな女の子を笑顔にできない。
たった一人の女の子を幸せしてあげることができない僕は無力だ。
「僕は…無能ですね」
他人が作った橋を渡る僕。
一人じゃ何もできない僕。
好きな女の子を守る力の無い僕。
ああ…僕は、本当に無能人間。
「馬鹿者!」
「っ」
ボーッとする僕の頭に衝撃が走った。
脳が揺れる程の衝撃後、暫くして感じる痛み。オールマイトを見ると、握り拳を握っていた。あの腕にどうやら殴られたらしい。
「自分を蔑むのも大概にしろ!」
オールマイトの怒鳴り声が揺れる脳に響く。
「君には、君にしかできないことがあるだろう!?」
僕にしか、できないこと…?
そんなもの…ありませんよオールマイト。
それに、僕が何かしても結局彼女を苦しめてしまう。
「nameちゃんは、友達ができたんだと…私に嬉しそうに話してくれた」
「!」
「君は、nameちゃんの何なんだ?」
その言葉が、胸に響く。
そう…だったね。
僕は、firstさんに言ったんだ。
『firstさんは、大切な友達だ』と。
友達に囲まれる彼女の笑顔を思い出した。
あの時が、最高の笑顔だった気がした。
…そっか……、彼女が望むものが、わかったよ。
「オールマイト」
「?」
「ありがとうございます!目が覚めました!」
僕は神様じゃない。
神様には成りきれない。
ヒーローにも、成りきれなかった不甲斐ない僕。だけど、僕にもなれるものを見付けたよ。
それはね?
──君の、友達であり続けること。
君の……、
firstさんのっ…
「…緑谷少年?」
頬を流れる水がうざったく感じた。
オールマイトに見られないように拭って笑う。
さあ、戻ろう。彼女の元へ…