君と、進みたいのに

オールマイトと話しが終わり、缶に残ってる残りをすべて飲み干してゴミ箱へ入れる。


「僕、戻ります」
「少年…」


オールマイトに涙を見られてしまっただろうか。でも僕には強がることしかできなくて、下手な誤魔化しを続けた。
そんな僕達に近寄ってきた影が一つ。


「あの、すみません。nameちゃんのご家族様ですよね?」
「あ、はい。彼女の親の代理なんですけど…」
「事情は伺っております。少し、お時間宜しいでしょうか?先生がお呼びなので」
「もちろん」
「…」


立ち上がったオールマイトを目で追う。
呼び出されるって……firstさんについて何か言われるという意味なはず。
何を言われるんだろうか、僕は不安な面持ちでオールマイトを見上げる。彼はそんな僕に気付いて優しく微笑んだ。


「悪いが少年、先にnameちゃんの元へ行っていてあげないか?」
「…はい」
「大丈夫。心配いらないよ」


そう言い残し、看護婦と共にその場を離れたオールマイト。「心配いらないよ」と言われても僕の心に残るモヤはまったく晴れなくて、こーいう時の僕は、願うことしかできなくて。

足取りが重くなる。
彼女のいる病室まで遠く感じた。

最悪を告げられたらどーしよう。
僕はどーすればいい?
傍にいたい。ずっと、firstさんの隣にいたい。firstさんが遠くへ行ってしまったらどーしよう。
考えれば考える程、歪んでいく視界。
こんなんじゃfirstさんに会えないよっ…、


重い足取りで、やっと辿り着いた彼女の病室。しかし、目の前の扉を開けられなかった。
彼女に会って、笑っていられる自信がなかった。彼女の前では泣きたくないから。
でも、そう思うのに涙は止まらなくて、扉をなかなか開けられない。

僕はどーしたんだろうか。
何故ここまで不安になるんだろうか。
プラスに考えて、良い方に考えていれば少しは心が落ち着くはずなのに。
それができないなんて、どーかしてる。
こんな……、こんな気持ちじゃ、firstさんに顔向けできるわけない!こんな自分に嫌気がさした。耐えられなくなった。
僕は、彼女の病室に入らずに…逃げ出した。





彼女の病室に顔を出せなかったその日。
僕は自分の部屋のベッドに入り込んで不安を消し去りたい一心で踞りながら、意識が途切れるのを待った。


我ながら最低な人間に成り下がったもんだ、と嘲笑いたい気分だ。
あの場から勝手に逃げ出しただけではなく、不安に包まれたこの心から逃げようとしている。ひねくれ過ぎにも程がある。
この不安を寝て忘れようとしている。そして明日、何事もなかったようにあの病室へ行こうとしている最低な人間だ。

明日になればこの不安はもう無い。
笑顔でまたfirstさんに会える。
彼女の前で泣かなくて済むんだ。モヤが晴れないのは何故だろう。
オールマイトやfirstさんに何も言わず帰ってしまったから?オールマイトは怒るだろうか、……僕は何を言っているんだろう。
自分でもそのモヤの正体が何なのかよくわかってた。


firstさんに悪いことしてしまった。もう離れないと誓ったはずなのに、僕は容易く彼女から離れてしまった。
一時的に感じた負の感情に負けて、僕は逃げ出した。


「…っ」


眠れるわけなかった。彼女への罪悪感でどーにかなりそうだ。
僕は何をやってるんだ?今どこにいる?僕はなぜ部屋にいるんだ?


「う……うぁっ…」


視界がグニャリと歪む。彼女から逃げた僕が、また明日何食わぬ顔でまた彼女に会うだと?自分の浅はかな考えに反吐が出る。
僕は彼女を裏切ったんだ。


看護婦さんが現れた時、途端に不安が僕を押し潰した。儚い彼女の存在に恐怖を感じた。
命という存在を間近に感じて逃げ出したくなった。

僕には重すぎたんだ。だから逃げ出したんだろ?
裏切った訳じゃない、仕方ないことなんだ。だって、僕は無力だ。
何も出来ないんだ。

悪魔のような囁きが頭に響いて頭痛がする。
違う、仕方ないことなんかじゃない。
僕はっ……firstさんと、

無力な僕に、彼女を護る資格なんて無いだろ?


「っ!」


耳を押さえてもはっきりと聞こえる囁きに、押し潰されそうだった。



結局、なかなか寝付けず彼女への罪悪感が晴れないまま夜明けを迎えた。
どんな顔して彼女に会えばいいのかわからなくなった。一度逃げ出してしまった僕に、彼女に会う資格なんてない気がして、でも会いたくて、そんな矛盾の中で葛藤を続けて。
我ながら滑稽に思える。

起き上がって窓を開けた。僕の心境とは裏腹に空は晴れ渡っていて雲一つない青空だった。何をするにも体が重くて、憂鬱で、食欲すらなくて、母さんに心配をかけてしまった。

学校に行くのが、こんなに憂鬱に感じたことは今までに一度としてなかったのに、今日は、たまらなく憂鬱だった。
病院の前を通るのが怖くて、でも気になる気持ちもあって、曖昧な気持ちで頭がぐちゃぐちゃで。
ボーッとしながら道を歩いていたら、僕の足はいつの間にか病院を通る道を歩いていて。


「緑谷くぅーーん!」


不意に聞こえた僕を呼ぶ声に、引き返そうとしていた足が止まる。
この声は聞き覚えがある。一番聞きたい声でもあり、一番聞きたくない声でもあった。
鼻の奥がツンと痛む。


「緑谷、くぅん!」


必死に声を張り上げるその声に顔を上げた。細く痩せ細った小さな腕を大きく振りながら、僕を呼ぶ元気な声。
なんでっ…なんで僕の名前を呼ぶんだよ。


「緑谷くーーん!」


僕は…っ、君から逃げ出したんだよ?
なのになんで、

病室の窓から手を振るその小さな存在。もっと近くで見たくて、触れたくて駆け寄る。
彼女は僕と初めて知り合った以前の病室の窓から顔を出していた。


「firstさんっ…なんで、僕は……」
「おはよう!」


何も知らないように笑って挨拶する彼女。


「昨日は…勝手に帰ったんだよ、僕」
「うん」
「なんで」
「友達だから」


「友達だから許す!」と無邪気に笑った。
ずるいよ、firstさん…、許さないでよ。
約束したのに、君を一人にしないって誓ったのに、僕は逃げ出したのに。


「緑谷くんを、信じてたから」
「っ」


君はいつも、僕を弱くする。強くなりたいのに、君が相手だと弱くなる。
カッコ悪いところばかり見せてる。なのに君はそれすら許してくれる。
やっぱり、ずるいよfirstさんは…。

歪む視界の中に彼女を写し、痩せ細った掌を強く握った。彼女の手は、こんなにも小さくて弱々しいのに…温かくて強くて、勇気を貰える。


「っ…firstさん」
「ん?」
「ごめんねっ」


僕はいつだって、君の優しさに守られてる。
君の強さに生かされてる。君のぬくもりに救われてる。
僕はいつだって無力だというのに……、


「緑谷くん」
「?」
「私ね、病気治るかもしれないんだって」


その言葉に目を見開いた。
瞬きすら忘れて彼女を見る。
firstさんは下手くそな笑顔を僕に向けて、僕の掌を握り返した。


「私の症状に覚えがあるって先生が見付かったの」

「ほん、とに…?」

「うん。昨日、そう言われた」


視界が更に歪む、もう彼女が認識できない程視界は溺れた。涙で前が見えない。
笑いたいのに涙が止まらなくて、僕はどーすればいいのかわからず唇を震わせた。


「ぁ…ぁあ……」

「だ、大丈夫?緑谷く…っ」


心配そうに顔を覗いてきた彼女の細い体を、思わず抱き締めた。
目一杯、力強く抱き締めた。


「…っくるしいよ、緑谷くん」

「ごめんっ…もう少しだけ……」


嬉しいのに、それを言葉にできない。
どーすればいいのかわからなくて、彼女が苦しそうなのに、僕の腕の力は緩められなかった。
良かった、その一言すら簡単に言えなかった。言葉が出なくて、息をするのがやっとで。
目の前の彼女は助かる。まだ、生きられる。彼女、普通になれる。
そう思えば思うほど涙が止まらなくて、僕は彼女の体を抱き締めたまま静かに泣いた。


「みどりや、くん…弱虫だなぁっ…」


頭を優しく撫でる彼女の掌。すべてに安心した。これはきっと、今まで頑張った彼女へ神様からのご褒美なんだ。
僕まで喜ばせてしまうなんて…神様、太っ腹すぎる。一度は彼女を裏切ってしまったというのに、神様…本当にありがとう。
僕は今、世界中の誰よりも…幸せです。


「…っ…私のために泣いてくれて、ありがとう」


彼女は、泣きながら笑ってた。
彼女のその曖昧な表情がおかしくてつい笑ってしまった。彼女の涙を優しく拭い、僕は幸せを噛み締める。
もう、何もいらない。
僕は今…この瞬間、報われた気がした。

すぐに泣いてしまう僕はやはりカッコ悪いだろうか。目の前で下手くそに笑って綺麗な涙を流す彼女を見て思うんだ。
本当に、良かったと。心からそう思う。
それ以上の言葉が見つからない。誠心誠意、今の気持ちを伝えたいけど何と言えばいいのか本当にわからない。
嬉しい、という言葉では言い表せない。


「ほんとに、…ッよかった」


やっとの思いで絞り出した言葉はとてもちっぽけで。firstさんは、自分も泣いてるくせに僕の頬を流れる涙を小さな掌で拭ってくれた。そのぬくもりに、その優しさに…僕はまた泣きそうになった。


「緑谷くんに、はやく伝えたくて…」


「ずっとここで、待ってたんだ」と笑う彼女。ああ、本当に…なんて愛らしいんだろう。このまま彼女に愛を注ぎたい。
でも、今は…医療に専念してほしいから。
伸ばしかけた掌を握って、耐える。

彼女が望む関係を、僕も望むから。
だから僕は、彼女の笑顔が一番輝いていた時の関係を取り持つように笑う。友達として、親友として。


「ありがとう、……firstさん」
「ねえ、緑谷くん」


名前を呼ばれて彼女を見ると、優しい表情で微笑んでいた。


「……名前で、…呼んでいいかな…?」
「っ…」


僕は、こんなに幸せでいいのかな…?
許されるのかな?


「…いい、の?」
「当たり前だよ!…私も、出久くんって…呼んでいい?」


心配そうにこちらを見つめてくる彼女に、僕は精一杯頷く。
いいに決まってる、呼んでほしい。
彼女に名前を呼ばれたい。


「ありがとう…出久くん」
「っ」


ああ…やばい。本当に幸せだ。
なんだか夢みたいだ。


「name、ちゃん」
「なあに?」
「ッ…」


僕も呼んでみたくて、彼女を呼ぶ。
すると返事を返してくれたnameちゃん。
それだけのことなのに嬉しくて、恥ずかしくて。頬に集まる熱を感じながら、僕はにやけそうになる口元を腕で隠した。
こんなカッコ悪いところ見せたくない。


「?どーしたの出久くん」
「な、なにもないよ!」
「フフ、変なの」


可笑しそうにクスクス笑った彼女。
ああ、この笑顔だ。僕は彼女のこの笑顔が大好きなんだ。
久しぶりに、彼女の笑顔を見た気がして、また嬉しくなった。
今が幸せ過ぎて、どーにかなりそうだ。


この一時がずっと、続いてほしかった。
でも、やはり神様は意地悪のようだ。
nameちゃんは、困ったように微笑みながら僕に告げた。


「出久くんとは、もう会えないかもしれない」

「ぇ…」


俯いてしまった彼女の言葉が、うまく聞き取れなかった。否、聞き取れてはいた。
しかし、信じたくなくて僕は彼女にもう一度訊ねる。


「ぇっと…nameちゃん…?今、なんて」
「外国なの」
「え」
「私の病気が治せるかもって言ってくれた先生が、外国にいるらしいんだ」


頭の中が真っ白になる。
うそでしょ……?外国ってなに?
日本じゃ、治せないの?


「それも…成功する確率は……五人に一人、だって」
「ッ…」


うそだ。そんなの、酷いじゃないか。
さっきまでの幸せな気持ちが、嘘みたいに奈落の底へ突き落とされたような絶望を味わう。
絶対に治るならまだしも、結果がわからないなんて。それも、五人に一人なんて……そんなのあんまりだ。


「そんなの…あんまりだよ!」
「出久くん……」


駄々っ子のように叫ぶ僕。


「絶対に治る保証もないのに、会えなくなるなんてッ……」


馬鹿なことを言ってるのは自分でもよくわかってるつもりだった。駄々をこねるのも格好悪いと思う。
だけど、せっかくのチャンスがそんなにも一か八かの賭けになるんだ。
彼女は今までたくさん我慢して、たくさん頑張ってきたというのに。
やはり、神様は意地悪だ。簡単にハッピーエンドにしてくれない神様は、とても残酷で意地悪で、卑怯だと思った。


「出久くん」


僕の頬に触れる彼女の掌を包む様に掴む。
小さな掌は、簡単に僕の掌に収まって、か弱くて切なくなる。


「私ね、出久くんに会う前までは…生きててもつらいだけだって思ってた」


その言葉に、顔を上げる。彼女はとても綺麗に微笑みながら、僕を見ている。


「ある時は、もう死んだっていいとすら……そー思ってたんだ」


彼女の想いが言葉になる。その言葉に、視界が歪む。


「でもね、今は違う。」


真っ直ぐと、迷いのない眼が僕を貫く。
強い敵を目の前にしても、迷いなく立ち向かうヒーローのように強い眼差しだった。


「生きたい。生きて、出久くんと笑いたい」


「だから、一パーセントでも確率があるなら…行きたいんだ。外国に」彼女の迷いを感じない台詞は、まるで主人公の様で…格好よかった。

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