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 …独りポツンと部屋に残されたオレは、彼女の指示通りに刺された傷口を抑えながら、ただジッと天井を見上げ続ける。
 ああ、オレの命もここまでか…なんて思ったものだが、まさか思わぬ所で思わぬ人物に救われる事になるとはな。
 しかも、傷まで治してくれるっていうじゃないか。まさか、医学の心得もあるとは思わなかった。見たところ、彼女は信頼に値する人間のようだし、暫くは安心して過ごす事が出来そうだ。
 
「追い払ったわよ、警官」
 
 ふと、耳元で声がする。まだ、室内に彼女は居ない。と、言う事はつまり…。

 ガチャ──と、ドアが開いた。顔を向けると、彼女は俺が取り付けた盗聴器をつまみながら、手をヒラヒラとさせてこちらに歩んできた。…何やら、不機嫌そうだ。
 
「…あの時、付けたんでしょ?」
「はて、何のことやら…」
「とぼけないで。これは…名付けるとするならば盗聴器。しかもこんな高性能な物、まだこの世界の何処にも無い。あの時…手首を掴んだ瞬間、貴方が付けてきたとしか、考えられないの」
 
 そう言う彼女の表情は、心無しか悲しそうに見えた。…が、すぐ不機嫌の色に戻り、ああだこうだとプリプリ怒り始めた。
 …なるほど。どうやら噂通りの人物らしい。絶世の美女だが、気が強くて唯我独尊。どんな相手にも屈せず、冷淡で有無を言わせないタイプの…
 
「…ねぇ、聞いてる?私の事、何だと思ってんの?」
「ハイハイ、ちゃんと聞いてますし…貴女の事は知ってますよ。マキシア・ティアード女史」
「!…それも、盗聴器で?」
「いいや、前から知っていましたよ。10歳で博士号を取得し、同年に王室科学技術賞を獲得した…天才女性科学者。寧ろ、アンタの事を知らない人を見つける方が、難しい気がしますがね」
 
 少し皮肉混じりに答えてやると、彼女は複雑そうな表情でオレから目を逸らした。
 …意外だな。あのマキシア・ティアードが、こんな表情をするなんて。もっと冷淡な女性だと思っていたのだが、彼女は思っていたよりも、感受性豊かなようだ。
 
「…そう言う貴方だって、十分有名よ、イーノック・ドレッバーさん」
「おや?貴女程の方が、オレなんかの事を知ってくれてるなんてね」
「ええ。科学者の中で、貴方は有名人だから…今は、科学の心得がある詐欺師、なんだっけ?」
 
 と、またもや複雑そうな表情でオレに問いかけてきた。
 オレの悪名も、もうここまで広がっているのか。オレの技術も、捨てたもんじゃないってか。
 …これは、迂闊に動けないな。
 
「まぁ、正確に言えば手品師であり、技師なんですがね。こう見えて腕は良いんですよ、オレ」
「そうね…この盗聴器を見れば、貴方がどんなに優秀な人間か、すぐに分かるもの。こんなに繊細な技術で、誰も作れない物を発明できて…本当に、勿体無い」
 
 彼女は苦しそうな表情で盗聴器を置き、何やら器具を弄り始める。その様子は、オレが科学を踏みにじる道を歩んでいる事を、心から残念がってくれているようだった。

 そう言われても、大学を追い出され、将来を強制的に絶たれたオレには、どうしようも無いんですが。
 
「…アンタがどう思ってくれてるのか知りませんが、オレはもう戻れないんですよ。将来の希望に満ちた、あの頃にはね。何もかも恵まれてる、アンタとは違って」
「わかってる。私に、貴方の生き方をとやかく言う資格は無い。…まぁせめて、しぶとく生きて頂戴」
 
 と、彼女はオレの皮肉混じりの言葉に返すや否や、何やら怪しげな液体が入った注射器をオレに向けてきた。
 …えっ。何だそれは。そんな薬品、見た事が無いぞ。まさか、普通の薬品では無いんじゃ…?

 なんてオレの不安を他所に、彼女は注射器の針を、傷口付近に突き刺そうと…
 
「ちょ、ちょっと待っ…イッ、痛ェェェエエエッ!!」
「きゃぁっ!?ちょ、ちょっとアンタ!そんな突然起き上がったら、痛いに決まってんでしょ!?バカじゃないの!?」
「こ、これが起き上がらずにはいられるかッ!な、何だその、注射器の中身!そんなモノ、見た事が無い!」
「あぁ、これ?そりゃそうよ。だって、私が開発した部分麻酔薬なんだから」
「ぶ…部分麻酔薬…?」
 
 部分麻酔…主流なのは、笑気ガスを吸わせて全身に麻酔をかけるもんだろ?こんな、患部周辺にだけ投与して、都合良く部分的に感覚を無くすなんて事、可能なのか?
 
「…あっ。これ、信用してないって顔じゃん。もう、大丈夫だってば。だって、私自身が身をもって証明してるから、この薬の効き目!」
「…へ?」
 
 み、身をもって…証明?
 この女、自分自身まで実験台にしたっていうのか?コイツは、思っていた以上にマッドサイエンティストかも知れない。
 …他人の事、何も言えないが。
 
「…サンプルは?」
「ん?」
「他に、サンプルは?他の人間…いや、もはやマウスでも良い。試したんだろ?それ…」
「いや?それは、これからやろうとしてたのだけど。まぁ、私が生き残れたんだし、貴方が生き残れる確率は、もっと高いでしょ。この子のサンプリングにも丁度良いし、ご協力宜しくね」
 
 彼女は満面の笑みで恐ろしい事を言い放ち、改めてオレの傷口付近にその針を突き刺そうとしてくる。

 …いやいやいやいや!オレを助けたのって、そういう事だったのか!?こんなの、
 
「じょ、冗談じゃねぇ…ッ!」
「んー?そんな無闇に動くと、ますます出血酷くなるだけだよ。これより酷くなると、流石に輸血が必要になっちゃう…仕方ないなぁ」
 
 出血で上手く動かせないながら、何とか抵抗しようとするオレを後目に、彼女はその辺にあったボタンをにこやかに押した。
 ──驚くべき事に、手術台からゴツいアームが伸びてきて、オレの身体を無理矢理後ろに倒してきた。その力は余りにも強く、ただでさえ非力なオレでは、到底敵うものでは無かった。
 
「…私、本当に貴方を助けたいの。お願いだから、動かないで。でも、この私を信じられないってんなら…もう一度言うけど、神に祈りなさいね。それじゃ」
「ヒァッ…や、やだ、や、やめ、ろ…、あ、アア…ッ!」
 
 必死に懇願するオレの言葉等、これっぽちも聞こえていないというようなフリをしながら、彼女は美しく、無慈悲に注射を打ち込んだ。

 うぐっ…薬品が体内に入っていくこの感じ、本当に気持ち悪い…クソッ!神に祈るのも癪だ。どうせなら、彼女に祈ってやる。もう、どうにでもなれ!

 観念して目を閉じ、自身の経過を静かに観察する。…どれだけ待っても、オレの感覚に変わりは無いように思う。脈も安定し、思考もハッキリしている。
 …い、生きてる…。恐ろしい事に、訳の分からない薬品を投与されながらも、生きてるぞ…。
 
「…良かった。じゃ、ちょっと傷口触るからね。ちょっとでも痛かったり、違和感があったら直ぐに言って」
「えっ…?あ…」
 
 オレの様子を見てホッした表情を浮かべた彼女は、オレの傷口付近を触り始めた──ようだった。というのも、その感覚が全く無かったのだ。まるで、触られていないかのように。
 
「…あの、本当に触ってんですか?」
「あらっ、見たいの?流石、貴方も好きねぇ」
「いや、そういう事じゃ無いんですがねぇ…って、ウワッ!」
 
 すると、今度は手術台自体が動き、少しだけオレの上体を起こした。
 な、何だこのベッドは…オレを腕で掴んだり、動かしたり…まるで、生きているようだ。
 
「ふふっ、この子良いでしょ?名付けて、『ストレッチャー君』!すっごく便利なの。寝心地悪いのが、玉に瑕なんだけど。…あ、傷口縫合しにくくなるから、ここまでで我慢して」
「いや、結構です…」
 
 かの天才も、どうもネーミングセンスは皆無らしい。そんなしょうも無い事を考える余裕がある程、痛みなんて全く感じなかった。さっき傷口の状態を見られた時は、声を押し殺さなきゃならない程痛かったというのに。

 意識はハッキリしていて、しかも痛みの感覚は消え失せる…オマケに、範囲外の箇所の感覚はあるときた。不思議なもんだ。
 一体、どんな魔法を使えばこんな事が出来るんだ?ハハッ。とんでもない天才の考える事はいつも先を行っていて、全く分からないな。
 
「うん、範囲外も異常無しね。それじゃ、処置してくから…痛くなったら、直ぐに言って。止めるから」
「…ああ。お願いしますよ」
 
 痛みが無い事にすっかり安心して、彼女の手つきを観察し始める。『ストレッチャー君』を倒す事を提案されたが、研究者の端くれだった名残か、結局経過を見たくなって断った。イギリスで一二を争う天才科学者の手で怪我が修復されるなど、一生に一度も無いことだろうから。
 思った通り、彼女の手つきには一切の無駄が無かった。流石に医学の心得は無いが、それでも分かることは、彼女の一挙一動はとても繊細で丁寧で、美しいという事だった。

 傷口への処置が終わり、縫われていく。そして細かく丁寧な指使いで、斜めにスパッと切られていた傷口が閉じられる。
 …上手い。これなら、あまり痕も残らないだろう。
 

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