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「…よし、出来たっ!はい、お疲れ様〜」
 
 と、彼女は至極満足そうな表情で、『ストレッチャー君』を倒しながら鼻歌を歌い、完全に倒れた後も傷口に触れたり、様々な角度から見つめ、得意気に鼻を鳴らしてオレを見下ろしてくる。
 はぁ、物凄く上機嫌な事で。心無しか、ドヤ…とかいう効果音が聞こえてきそうだ。
 
「いやぁ、感心しましたよ…アンタの手捌き、見事でした。有難うございます」
「ふふん♪私の手にかかれば、こんなもんよ。私も楽しかった!有難う…えーっと」
 
 楽しかったとは…?と疑問を抱きつつ、オレの呼び方を決めかねているらしい彼女に「何でも良いですよ、呼び方なんて」と言ってやる。
 どうせ、今日これ限りの関係だ。何だって良い。
 
「じゃあ、普通にドレッバーで良いよね。有難う、ドレッバー♪」
「あ…あぁ、ええ。どういたしまして…」
 
 呼び方が馴れ馴れしい…いや、これが普通か。オレに耐性が無いだけで。彼女は、誰も彼も呼び捨てにするタイプの人間なのかも知れない。
 そう言うオレも、大抵の人間は適当に呼んでるしな。全く覚えてないくらいに。
 
「あっ。苗字で呼んでおいて申し訳無いんだけど、私を呼ぶならファーストネームでよろしくね」
「えっ?ああ、それは構いませんけど…何故です?世間は、散々アンタの事『ティアード女史』って呼んでますけど」
「…どうせ、彼らは私じゃなくて、『ティアード家の優秀な女性科学者』としか見てないからね。それが、本当に嫌なの。そういう訳で、苗字じゃなければ『アンタ』でも『マキシア』でも『マキシア様』でも、何でも良いからね」
「…ハイ」
 
 …敢えて、『マキシア様』には触れないでおくとして。

 ティアード家と言えば、優秀な学者を数多く輩出している、超が付くほどの上流貴族だ。特に科学に於いて目覚ましい発展に貢献しており、この国でもかなりの権力を持っている。彼女はその末娘で、所謂華麗なる一族の一人。そんな華々しい一族の歴史の中で、マキシアは群を抜いて優秀で…飛び切り美しいと評判だ。

 事実、彼女は非常に美しく、どんな研究者にも負けない程に優秀である事は間違い無い。これまで正しいとされてきた論文を見事論破し、それが彼女の知名度を上げる大きなきっかけとなった事からも明らかだ。当時、彼女はまだ9歳。王室科学技術賞を授賞する、一年前の事だった。

 …まぁ、確かに。世間一般では、彼女はあの『ティアード家の人間』で、『華麗なる一族が生み出した、天才女性科学者』としてでしか見ていない人間が大半だろう。元来、多くの人間と関わる事を好まない性格で有名な彼女は、内面を知られる機会も少ない事だろうし。オレだって、今日彼女に会うまで、『マキシア・ティアード』の外側の事しか、知らなかったのだから。
 
「…なかなか面白い人ですね」
「面白い?私が?」
「ええ。オレはてっきり、アンタはひたすら冷淡で、冗談が通じない石頭だと思ってましたからね。実際話したアンタは、冗談だらけの滅茶苦茶な人間だったわけです。やっぱり、他聞を信用するもんじゃありませんね。オレの中で、アンタの印象が大分変わりましたよ」
「ふふっ。それ、褒めてるの?」
「ええ。オレにとっては、これと無い褒め言葉ですよ。アンタは、思っていたよりも随分、内面が可愛い人だったって事なんで」
「ふーん、そう……えっ?か、かわ、可愛い?な、内面、可愛…?」
 
 物は言いようだな…なんて思いながら告げると、彼女はその真っ白い陶器のような頬を真っ赤にし、口をパクパクさせ始め、思い切り目を泳がせた。
 …何だ?「可愛い」の一つや二つ、もう飽きる程言われているだろうに。
 
「何顔を赤くしてんですか。何も、これまで言われた事が無い訳でも無いでしょう?」
「…あっ。いや…言われた事、無いの。そんな風に、『可愛い』…だなんて」
 
 もはや耳まで赤くしながら、困った様にアタフタし始めたかと思うと、その辺に置いてあったらしい複雑な知恵の輪を弄り回し、解除しては元に戻しを繰り返し始める。普段の彼女の落ち着かせ方なのかも知れないが、それでは物足りなかったのか、知恵の輪を放り投げ、「うううう〜っ!」と唸りながら顔を隠してしまった。

 ハハッ。これは、オレが思った以上に可愛い人なんじゃ無いだろうか?全く、からかいがいのある…
 …いや、何を馬鹿なことを。
 
「オレなんかに、可愛いって言われたところで仕方ないでしょ。そんな、生娘でもあるまいし」
「!!!…う、ううううう〜…っ!!!!」
「ははあ…さては、図星ですか?なるほど。通りでそんな真っ赤になるわけですか。可愛い可愛い、『マキシアちゃん』」
「ゔ〜〜〜〜っ!!バカッ!!バカバカバカバカッ!!!」
「痛ッ!?アイタタタタタッ!!?」
 
 面白可笑しくからかってやると、突然両頬を思い切り抓られ、横に引き伸ばされた。
 いや、痛い!流石に千切れる!揶揄ったオレも大概だが、普通初対面の怪我人に、こんな事しないだろ!?

 これ以上傷を増やさない為に、ベッドを叩いてギブアップを告げると、彼女は興奮冷めやらぬまま、渋々手を離した。
 …痛い。怒る気にもなれない。
 
「うう…っ!意地悪な人なんて、やだ!嫌い!ムカつく!バカッ!」
「いやいや、意地悪したつもりはありませんが…気分を悪くしたんなら、謝りますよ。すいません」
「うううううう!!謝罪に心が篭ってない!もっと、ちゃんと謝って!」
「いや、オレ元々こういう話し方なんで…アイタタタタッ。…ごめんなさい」
 
 ポコポコ殴られ──これは痛く無かったのだが、敢えてやられているフリをしながら──仕方なく平謝りをした。それで気が済んだのか、彼女はプイッとそっぽを向いて車椅子を取り出し、鼻歌を歌い始めていた。

 …前言撤回。この天才女性科学者は、傲慢不遜と言うよりも、至極単純な性格のようだ。
 バカにされる事を嫌い、怒ると子供のように爆発し、次の瞬間には上機嫌になっている。
 まるで、感情のジェットコースターだな。オレとは大違い。
 
「はい。まだ動きにくいかも知れないけど、ここ乗って」
「えっ…いや、オレ帰りますよ」
「ダメ。縫合跡を消毒したり、経過を見て抜糸しなきゃいけないし、万が一傷口が開いたら大変だもの。私が治療したんだから、最後まで私が責任持つ」
「い、いや…良いですって、そんな…」
 
 動かしにくい身体を起こし、彼女に訴えかけるも──彼女の顔は、一瞬にして不満そうな表情に変わっていた。頬を風船のように膨らましながらオレを睨みつけ、今度はそどこに隠していたのか分からない洗濯バサミを両手に構えてくる。
 …断らせる気は無い。と、訴えかけてきているようだ。
 
「…どのくらいですかね」
「んー…少なくとも、1ヶ月は見てもらわなきゃ」
「い、いや…それは流石に申し訳無いですよ。淑女の家に、こんな…」
 
 なるほど。最もらしい口実じゃないか。と、自分に感心したのも束の間。彼女はそんな事は気にも留めていないという様子で、オレにこう告げた。
 
「良いの良いの。うち、やたらと部屋数は多いの。丁度良いゲストルームがあるから、そこ使って」
 
 なるほど。この家は、工房を抜きにしてもやたらと大きい。部屋も、普通の家よりは沢山あるという事か。住み分けてしまえば、そんなモノは気にならない程に。流石、貴族の気まぐれな一人暮らしと言ったところだな。
 それを加味しても、彼女は無防備だと思うが。
 
「本当に良いんですか?ひとつ屋根の下で、男女が二人…アンタ、回復したオレに襲われるとは思わないんですか?」
「…?」
 
 おい。何言ってんだって言いたそうに、キョトンとしてるぞ。まさかこの人、その危険性を全く考えて無かったのか?こんな警戒心の無さで、よく一人で生きていられるな。
 尤も、オレには関係の無い事のはずだが、何故かそう思わずにはいられなかった。
 
「アンタ、少しも考えて無かったんですか?」
「ええ。だって、そんな事するような人じゃないでしょ」
「…どうして、そう言いきれるんです?」
「どうしてって…そうね…」
 
 すると、彼女は思い切りオレの顔の目の前──互いの唇が触れてしまいそうな距離まで、顔を近付けてきた。
 彼女の青みがかった黄緑色の、宝石のように美しい瞳。そこには、ただオレの姿が映し出されている。

 …なんだか、吸い込まれそうだ。そんな錯覚に陥りそうな程、彼女の瞳は魅力的で――『ファム・ファタール』、そんな言葉が脳裏を過ぎった。
 
「…目を見ればわかる」
「……は?」
「大抵はね、目を見ればわかるのよ。相手が、どんな人か。貴方は、そんな酷い事は出来ない人。乱暴な事は勿論…虫を殺すことすら、ままならないんじゃない?」
 
 と、何故か得意気に胸を張り、ふふんと喉を鳴らして微笑んでくる。
 無気力なオレの目を見て、何がわかるというんだ…結局、根拠は無いんじゃないか。
 
「…全く、科学的ではありませんね。それにオレ、虫程度なら殺せますし、詐欺師の時点で酷い事してますよ」
「ふふっ、細かい事は気にしないの。実際、暴力的な事は出来ないでしょ?なんでそんな傷を負ったのか知らないけど、どうせ返り討ちにでもされたんでしょ、取り引き相手に。それで被害者面されて警察を呼ばれて、追われてたってところ?」
「ゔっ…まぁ、その通りです」
「ふふーん♪やっぱりね!私の勘は、よく当たるんだから。名探偵になれちゃうくらい!ほら、さっさとこっちに移って。麻酔が切れて、痛みで動けなくなる前に」
 
 やっぱり、麻酔切れると痛いんだな。それも、動けなくなる程に…仕方無い。ここは適当に合わせて、ある程度回復したら勝手に出ていこう。オレの為にも…それに彼女の為にも、それが良い。
 しかし、この傷の事を丸っきり当てられるとは思わなかった。勘とやらはよく分からないが、彼女の勘に関してはバカに出来ないかもしれない。
 
「わかりましたよ…はぁ」
「ため息つかない!…ふふっ。じゃあ、お部屋までご案内しまーす♪」
 
 何がそんなに楽しいんだ?というくらい上機嫌に鼻歌を歌う彼女に根負けし、大人しく車椅子に座った瞬間、勢い良く発車された。
 …もう、どうにでもなれ。


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