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◇◇
 
「ん…んん…」

 暗闇に堕ちていた意識が戻り、目を開ける。いつから寝ていたのだろうか?窓の外は、もう夕焼けに染まっていた。
 また、記憶が抜け落ちている。部屋に戻って、薬を塗ってもらい、それから?
 …それからの記憶が、無い。まだ朝だったのに、寝落ちたのか?オレ、普段どれだけ寝てないんだよ。いや、実際全然寝てないんだが。

 コンコンコン、と軽やかなノックに応答すると、ゆっくりドアが開かれ、二人分の夕飯を持ってきた彼女が入ってきた。
 
「やっと、起きた!良かった…おはよ、ドレッバー」
「ああ、おはようって時間でもありませんがね。おはようございます」
 
 この場合、「こんばんは」になるよな…と思いつつ、要らないことを言うと抓られそうなので、素直に「おはよう」と返しておく。二日目にして、完全に彼女のペースだな…。

 ガシャガシャン!と、大袈裟な音を立てながらベッドのテーブルが姿を現し、彼女はそこに料理を並べてくれたかと思うと、自分の分を適当なテーブルに置き、ベッド横まで移動してきた。
 
「ここで食べるんですか?」
「うん。一人より、二人の方が良いでしょ?貴方の身体の様子も、見たいしね。さ、食べよ!」
 
 と、料理をムシャムシャ食べては「おいひいおいひい」とニコニコし始めた。それに続いてオレも食べて、「美味しい」と伝えると、彼女はキャッキャと喜んだ。その様子はまるで、親に褒められた子供みたいだ。

 …本当に、どこまでも聞いていた話と違う人だ。
 
「ねぇねぇ。その薬塗ると、眠くなっちゃうの?」
「エッ?…ええ、まぁ。記憶飛ぶくらいには」
「うーん、やっぱりそうなんだ…配合、ちょっと変えるべきかもしれないなぁ」
 
 そう言った彼女は、あくまでも軽い口調で、明後日の方向を向きながら考え込み始めた。
 …えっ?やっぱりって?薬の副作用知らなかったのか?
 
「臨床試験とか、してないんですか?」
「いや、してるよ?でも、患者の体格によって、副作用の出方が違ってて。標準体型やふくよかな人は出にくいんだけど、痩身の人には、強烈な眠気が出やすいみたい。特にドレッバーは、身長に対してかなり細いから、普通よりも副作用強く出ちゃうのかも。全部変えるんじゃ無くて、体格別で成分の分量変えても良さそう…ふふっ、ありがとう」
 
 彼女は一旦食事を中断し、白衣の胸ポケットから手帳を取り出して、目を輝かせながら何やら書き始めた。

 コイツ…やっぱりオレの事、体の良いサンプルだとしか思ってないんじゃないのか?ここに居て、本当に大丈夫なんだろうか?実験体にされるんじゃ…?
 と言っても、オレはこの奇人に頼る他無いのだが。その時は…その時、か。
 
 ──互いに料理を完食し、彼女が片付けを始めた。何だか申し訳無いので手伝いを申し出るも、「怪我人は、大人しく寝てれば良いから」と、流されてしまった。寝過ぎて、寝られそうも無いのだが。
 
「ねぇねぇ、ひとつ聞きたいんだけど」
「はぁ、何ですか?」
「ドレッバーって、さ。恋人とか、いるの?」
「…えっ?は?」
 
 突然の質問に面食らっていると、彼女は真剣な――しかし不安そうな顔で、オレの顔をジッと見つめ続けている。何も、そんな顔をしなくても良いのに。
 …恋人、ね。最後に居たのなんて、一体いつだったか。あの夜の事がバレた後、振られたような気もするな。至極当然か。
 
「居ませんよ。もう、随分と」
「ほ…ほんと?」
「ええ。そんなしょうもない嘘ついたって、仕方ないでしょ?」
「そっか。良かったぁ。だって、恋人いるのに私の家に居させてたら、なんだか失礼でしょ?相手に」
 
 オレの答えを聞いた彼女は、とても機嫌が良さそうに鼻歌を歌い始めた。
 …なるほど、そういう事か。その辺も、一応気を遣ってるわけか。
 と言っても、それは彼女にも言える事なのだが。
 
「アンタこそ、いないんですか?恋人。アンタ程の人なら、引く手数多でしょうに」
「いないよ、そんなの。なんか、他人に興味持てないの。言い寄ってくる男だって、私よりうんと雑魚だし。さてと、お皿洗ってくるね!」
 
 そして彼女は、二人分の食器を持って部屋を後にした。
 「私よりうんと雑魚」…そんな事言ったら、世の中の大多数の男が雑魚の部類に入ってしまうのでは無いだろうか。これまで彼女にアタックした男は勿論、これからアタックする予定の男たちも、ご愁傷様としか言いようが無い。
 まぁ、他人に興味が無いというのは、オレにもわかる。興味を持ったところで、何かが返ってくる訳でも無い。寧ろ、興味を持ってしまったが故に、失うものだってあるのだから。そんなのは、もううんざりだ。

 ふぅ…と一つ息を吐き、そのままベッドに倒れ込む。柔らかい枕がポフッと音を立ててオレの頭を包み込み、このまま目を閉じれば、意識が遠のいていくのではないかという錯覚を覚えた。流石に、まだ眠れないが。
 あっという間に、二日が過ぎた。たった二日間…しかし、何故か何日も―いや、何年もこの家に居たような気持ちになる。それは、この家の居心地が良いからだろうか?互いの事なんて、まだ何も知らないはずなんだが。

 マキシア・ティアードという人間は、きっと善良なんだと思う。見ず知らずの人間を匿う時点で善良な人間なんだろうと思うし(警戒心の無さは、不安になるが)、オレを無意識に実験体にしてるのは…まぁ…科学者の性として。今のところは少し乱暴で、我儘なくらい。それもまぁ、オレにとっては可愛らしいもんだ。
 …あくまでも、今のところは。

 しかし、『仕事』以外誰とも深く関わらないようになってから、もう長い。…早いものだな。
 
「ドレッバー、身体拭こうね〜♪」
「…拭きますよ、自分で」
 
 濡れタオルと着替えを持ってきて、唐突に入ってきた彼女に適当に返事をすると、無理矢理起こされて有無を言わさずシャツを脱がされた。オレの意思は無視か…。
 しかし、彼女の手つきは優しくて…正直、自分で拭くよりもかなり気持ち良い。こんな若い子に身体を拭いてもらえるって…怒られやしないだろうか、世間に。
 
「ドレッバー…肌、すっごく白いねぇ」
「あー、普段滅多に外出ないんで」
「それに、細い」
「食べるの、面倒なんですよ。製作で、金飛ぶし」
「体毛、薄いねぇ」
「それは知りませんよ…体質じゃないですか?」
「ふーん…ふふっ、綺麗で良いね」
「いやいや。ただの、貧相な身体でしょ?」
「そんな事無いよ。とっても綺麗…まるで、雪みたい」
 
 彼女はそう言いながら、無邪気に笑った。陶器のように美しく、くすみも濁りも無い真っ白な肌を持つ彼女にそう言われると、なんだかむず痒くなる。オレなんか、ただ不健康なだけなんだが。

 オレが悶々と考えている間に、上半身を拭き終えた彼女は、濡れタオルを手渡してきた。後は、自分でやれって事だろう。
 
「私、お風呂行ってくる。拭き終わったら、着替えた服と一緒に洗面所のカゴに入れといてね」
「わかりました。ありがとうございます、拭いてくれて」
「ううん。これくらいしないと、ね。それじゃ!」
 
 と、彼女は颯爽と部屋を去っていった。
 


「はぁ…ドキドキしたぁ…」
 
 まだ温まりきっていないシャワーを頭から被って、自分の思考を正常に戻していく。昨日はそれどころじゃなくて気にしてなかったけど、余裕がある状態で彼の身体を拭いていたら、なんだか心臓が煩くて敵わなかった。
 男の人の身体をまじまじ見たのなんて、生まれて始めてだった。細いのに…いや、細いからこそよく分かる、男性特有の骨格。背が高い分、靱やかで長い腕。そして青みがかった真っ白い肌は、本当に雪のようだと思った。

 …いや、何考えてんの。シャワーが温かくなった途端、こんな。ああ、もう!落ち着かない!

 この乱れた思考をかき消すように、髪や身体を隅々まで一心不乱に洗い、お湯を張ったバスタブに頭まで浸かった。
 彼が来て、まだ二日しか経ってない。それなのに、もう何日も…何年も一緒にいる気がする。おかしいな…まだお互いの事、それ程知らないはずなのに。何だか、居心地が良いの。そう思ってるのは、私だけなのかもしれないけど。

 あーあ、変な私。こんなこと、今まで無かったのにな。きっと、彼が来たばかりだから。滅多に他人を入れないこの家に、親友以外の他人を入れてしまったから。それで思考と感情が、ぐるぐる回転するんだ。
 こんな状態も、一ヶ月もすれば落ち着くんだ。うん、そうに違いない。
 
「…ぷはっ」
 
 息苦しくなって水面から顔を出し、バスタブに背を預けて天井を見上げた。なんてことは無い、真っ白な天井と照明があるだけ。でも、こうしてると落ち着くの。余計な物が全て、お湯の中に溶けていくようで。
 …ああ、でも。今の私、なんだか「人間してる」って感じがして、結構嫌いじゃないな。
 何て形容したら良いのか分からない感情に振り回されるのも、悪く無い。

 ふと、脳内に彼の名前が浮かび上がった。『イーノック』…『ひたむきな人』。かつての彼は、きっと名前の通りだったのかも知れない。ひたむきに勉学に励んで、科学を追求して、未来を考えて。
 美しい名前。私の名前よりも、よっぽど。
 だからかな。貴方を呼ぶ時、私の心が少し弾むのは。
 
「…イーノック…」
「呼びましたか?」
「ぴゃぁぁあああっ!!??え、エッ!?」
 
 突然彼からの返事が聞こえて、咄嗟にお湯をひっかけた。でも、ちゃんと見ると誰もいない。
 やだ、幻聴?なんて思ってると、コンコンとノックの音がして、「どうしました?虫でもいましたか?」なんて声が聞こえてきた。

 なぁんだ。着替えとタオルを、洗面所に持ってきただけなんだ。
 …って、もう!
 
「驚かさないでよ!」
「いやいや、何かオレの名前が聞こえてきたんで。もしや超能力でも身に付けたのかと思ったのですが、偶然でしたか。しかしアンタ、全然色気も可愛げも、何も無い叫び声出すんですね」
「うるさいなぁ!あっ、ドレッバー笑ってるでしょ?もう!ムカつく!後で覚えときなさいよ!」
 
 その辺にあった石鹸を思い切りドアに投げ付けると、彼はクツクツ喉を鳴らしながら去っていった。
 あーーーーーもう!!!ムカつく!ムカつくムカつくムカつく!!!
 この私が!笑われるなんて!あっちゃいけないのに!何なのよ、もう!
 …でも、身体見られなくて良かった。別に、恥ずかしいからとか、そんなんじゃなくて。
 嫌われたら、嫌だもの。
 
「…はぁ」
 
 私はひとつため息をついて、入浴を終える事にした。


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