これからの戦に備えて誂えた、隊士たちの洋装である。
「これが平ちゃんの分ね。左之さんのはこっちで、新八さんのはこっち。斎藤さんのはこっちです」
「へえ、これが洋装か」
「西洋式ねえ…たしかに動きやすそうだけどな」
木箱の中に収められている洋装を確認して、割り当てられている通りに渡していく。
洋装に対する皆の反応は様々だった。
「不備がないか確認の為にも、今すぐ着てみて下さいね。何かあったら私に言って下さい」
そう言いながら、最後に残った木箱を開けて中身に目を通す。
そこに入っているのは、沖田さんの分の洋装。
鮮やかな明るい黄の生地に手を這わせ、千駄ヶ谷で療養する人を思い出す。
彼の今の状態では、戦に出るなど言語道断。
絶対に安静にしていなければいけない。
でも、土方さんは躊躇うことなく沖田さんの分も仕立てさせた。
きっと、出立前に届けに行くことになるだろう。
土方さんの思いと沖田さんが見せるであろう反応を考えると、少しだけ胸が痛んだ。
気を取り直して顔を上げると、皆それぞれ着替え終えたようだった。
いつの間にか千鶴ちゃんも来ていたようで、興味津々に洋装になった皆を眺めている。
「平助、掴むところがなくなっちまったな!」
「うるせえよしんぱっつぁん!」
私のすぐ傍では、新八さんが髪の短くなった平ちゃんをからかって遊んでいる。
その姿だけなら微笑ましいのだけれど、生憎この部屋の中は空になった木箱が散乱していて散らかっている。
ここでじゃれあわれると危ないし、何より私が危ない。
「二人とも、こんなところで遊んだら危ないですよ」
「あ、すまねえな、なまえ」
沖田さんの洋装を抱えて立ち上がってそう言うと、新八さんが平ちゃんの頭を掴んだままこちらを向いた。
「平助の髪、お前が切ってやったんだってな!髪結いにもなれるんじゃねえか?」
「今更転職する気なんてありませんよ。はい、ちょっと通して下さいね」
二人の横を通り抜けると、奥で土方さんの洋装の前で立ち尽くしている千鶴ちゃんの後姿を見つける。
歩み寄ると、千鶴ちゃんは髪を短くした土方さんに驚きを隠せない様子だった。
「髪を切ったんですね…」
「ああ」
「と、とってもお似合いです…」
俯きがちにそう言う千鶴ちゃんに、思わず笑みを浮かべてしまう。
「全く、髪を切らされるこっちの身にもなって欲しかったですよ」
わざとらしくそう言うと、土方さんは呆れたような表情を見せた。
千鶴ちゃんは驚いたように私を見ている。
「まだそんなこと言ってんのか…いい加減聞き飽きたぜ」
「なまえちゃんが切ったの?すごい!髪結いさんになれるよ!」
「あんなに綺麗な髪を切らなきゃいけないなら、髪結いになんてなりたくないよ…」
目を輝かせながら新八さんと同じようなことを言う千鶴ちゃんに、嬉しいけど複雑な気持ちになった。
土方さんの髪は女の私でも羨むほどだったから、それを切れと言われたときは耳を疑った。
ただでさえ平ちゃんの髪を切った後で残念に思っていたときだったから、尚更だったのだろうけれど。
「仕方ねえだろ。わざわざ屯所を空けるわけにもいかねえし、お前に切ってもらった方が手っ取り早いからな」
「次からは、自分で切って下さいね」
もうこりごりだと言わんばかりにそう言うと、部屋の襖が開いて近藤さんが姿を現した。
椅子に座っていた土方さんも、立ち上がって近藤さんに向き直る。
近藤さんは部屋にいる皆を見渡して、口を開いた。
「皆、準備はできたか?」
「あれ…近藤さんは洋装じゃないんですね」
袴のままの近藤さんを見て、千鶴ちゃんが意外そうな声をあげた。
その言葉に、近藤さんは苦笑を浮かべて首に手をやる。
「ああ、いや…どうも異国の服は窮屈そうでな…やはり武士と言うのは、袴に刀を差していないと締まらん気がしてなあ」
「あんたはそのままでいいんだ。陣中にどっしり構えてくれりゃあいい。あんたの存在自体が、隊士にとって支えになるんだからな」
「そうか?」
土方さんの言葉に、近藤さんは照れたような笑みを浮かべた。
その様子を眺めていると、不意に手元に視線を感じる。
誰だろうと思って視線を移すと、千鶴ちゃんが私の手の中にある洋装をじっと眺めていた。
「これは、沖田さんのだよ。いつ戻ってきてもすぐに戦えるように、誂えたの」
「そうなんだ…沖田さん、きっと似合うだろうね」
沖田さんがこれを見に着けた姿を思い浮かべたのか、千鶴ちゃんは柔らかく笑みを浮かべる。
「うん、そうだね」
沖田さんがこれを着る機会はある。
なんとなくそう感じた私は、腕の中の洋装を抱え直した。
「甲州へ?近藤さんも一緒なんですか?」
洋装を届けると共に甲州行きのことを沖田さんに告げると、案の定彼は土方さんに非難の声をあげた。
「ああ。途中、日野にも立ち寄る予定だ」
「あんな大怪我した近藤さんを、また戦場へ連れ出すつもりですか!」
「沖田さん、身体に障りますから…」
身を乗り出す沖田さんを落ち着かせようと背中をさするけれど、彼はそんなこと関係なしに土方さんを睨む。
「近藤さん自身が望んだことだ」
「…僕も行きます」
沖田さんは枕元の刀に手を伸ばして、立ち上がろうとする。
本当は怒ってでも止めなくてはいけないはずなのに、彼の思いを知っているせいか、私は本気で止めることができずにいた。
「僕が、近藤さんを守らなきゃ…」
そう言いかけて、立ち上がりかけていた沖田さんは屈みこんで咳き込む。
「沖田さん…!」
やっぱり、彼の病は良くなっていない。
その証拠に、目の前の顔は心配になるほど青白かった。
そんな沖田さんの様子を見つめ、土方さんは立ち上がる。
「今のお前では、近藤さんの足手まといだ」
土方さんの言葉に、沖田さんは目を見開いて口を閉ざした。
黙ったままの沖田さんに、土方さんは手元にあった洋装を差し出す。
「まずは身体を治せ……待ってるぞ」
そう言って、土方さんは部屋を出て行ってしまう。
土方さんが部屋を後にしてから、沖田さんは目の前の洋装に手を伸ばした。
黙ったままそれを手に取って、じっと見つめる。
「沖田さん」
少しの沈黙の後、私の声に沖田さんは無言でこちらを向いた。
その目が揺らいでいるのに、胸が痛む。
「私も、待っています。しっかり休んで、身体を治して…それで、追いついてください。私たちは先に行っていますから」
励ますようにそう言うと、沖田さんはぎこちなく笑みを浮かべただけだった。
慶応四年、三月。
鳥羽伏見の戦から二月を経て、私たちは甲陽鎮撫隊として甲府へ向かう途中、多摩群の日野に立ち寄っていた。
土方さんと、そして今は亡き井上さんが生まれ育った、彼らの故郷。
近藤さんの家に引き取られてから、私も何度か訪れたことがある。
懐かしい風景に心が躍るのを感じる反面、あの頃とは変わってしまった私たちの状況に虚しさを覚えた。
日野に私たちが到着するなり、近藤さんのまわりには多くの人だかりができた。
あの近藤さんがと感心する人もあれば、近藤先生と呼んで入隊を希望する若い人もいる。
初めこそは近藤さんも驚いた表情だったけれど、次第に誇らしげな態度でまわりと接していた。
その後、私たちは一日だけ日野に逗留し、近藤さんを残したまま発つことになった。
日野に到着してから近藤さんは熱烈な歓迎を受けていたため、ひとまず私たちは先に進むべきだ、との判断が下ったのである
そんな近藤さんに良い顔をしない人も少なからずいたけれど、そのおかげで、私たちに連なる隊士は三百人以上にまで膨れ上がっていた。
「近藤さん、まだ追いついてこねえな。ったく、今回の甲府行きを、旅行かなんかと勘違いしてるんじゃねえのか?」
甲府へ行く途中で休憩をしていると、新八さんが立ち上がったまま背後を見やって言い放った。
その言葉に棘があるのを隠そうともしない様子から、苛立ちが募っているのが分かる。
「そう言ってやるなって。日野は故郷みてえなもんだろ。錦を飾りてえんだろうよ」
「俺は、時と場合を考えてくれって言ってるんだ」
新八さんを見かねたように左之さんもとりなすけれど、それでも新八さんは納得しきれない様子だ。
「近藤さんも、ただ酒をかっ食らってるわけじゃねえよ。集まった入隊希望者の見聞も兼ねてるんだ」
土方さんも静かにそう答えるけれど、その声音にはどことなく疲労が滲んでいる。
「きっとそのうち、近藤さんもすぐに追いつくでしょうから……」
「貴様、もう一度言ってみろ!」
「新入りがでかい顔するなって言ってんだ!」
新八さんの苛立ちを収めようと口を開くと、突然離れた場所から言い争う声があがって思わず口を閉ざす。
視線を向けると、入隊して日の浅い隊士と古参の隊士が衝突している姿があった。
島田さんが牽制に入ろうとするけれど、彼らは言い合いを止めない。
こういった言い争いは、これが初めてではない。
道中で何度も見かけて来たその光景に、思わずため息をついた。
助け船を出そうと立ち上がりかけると、隣にいた左之さんが肩に手を置いて私を留める。
「俺が行ってくるから、お前はここで大人しくしてろ。まったく、仕方ねえ奴らだ」
そう言いながら、左之さんは喧嘩を止めるべく立ち上がって彼らの方へと歩いて行った。
同じように立ち上がった新八さんは、さらに険しい表情を浮かべる。
「ったく…大将が浮ついてると、こうやってどんどん隊の箍が緩んできちまうぜ」
そう言って新八さんは土方さんを見たけれど、彼は何も答えなかった。
無言の土方さんに新八さんは顔を歪め、踵を返して未だ怒りの静まらない隊士たちの元へ行ってしまった。
「副長。率直にお聞きします」
新八さんたちが行った後、それまで無言を貫いていた斎藤さんが口を開く。
「なんだ」
「今回の戦、勝てるとお思いですか」
正直、私も気になっていたことだった。
一足先に甲府へ物見を行かせているけれど、その隊士からの連絡はまだない。
「城に籠もることができれば、戦い様もあるだろうが…真正面から向き合ったら難しいだろうな。幕府のお偉いさんから武器や大砲は預かってきたが、敵は外国から新型の武器を買い入れてやがる。その上、鳥羽伏見で見せた士気や練度の高さ…今のままじゃ、敵わねえ」
土方さんの言葉に、私は無言のまま拳を握りしめる。
私は新政府軍と直接刃を交えたわけじゃないから、彼らがどんな戦い方をしているのかを知らない。
でも、地を揺らすような大砲の音が響く中で治療した隊士たちのことは鮮明に覚えているし、傷の様子や負傷者の数を見れば、差は明らかだった。
「では、今回は負け戦になると?」
「もちろん、そうならねえように努力はするさ。近藤さんには、負け戦なんて経験して欲しくねえからな」
斎藤さんの問いに、土方さんは困ったような笑みを浮かべる。
「こんな話、新八や原田に聞かせるわけにはいかねえだろ」
「お察しします」
ひとつ溜息をつくと、土方さんは思い出したように私を見た。
「そういや、甲府に様子を見に行かせた奴から何か報せはあったか?」
「いえ、まだ何も」
首を横に振ると、土方さんは視線を下げて考え込むような素振りを見せる。
「そうか…分かった」
そしてこの日の夜、甲府に様子を見に行かせていた隊士の一人が持ってきた報せに、私たちはさらに窮地に立たさされるのとになったのである。
「甲府城に敵が入っているだと…!?」
「本当か?そりゃ」
夜闇の中、既に甲府城に敵が入っているという情報を受けた私たちは、松明の火を頼りに甲府城付近の地図を囲んでいた。
土方さんと新八さんの声に、直接情報を受け取った島田さんが頷いて地図を指し示す。
「はい。敵将は、甲斐武田の流れを汲む者らしく、地元部隊を味方につけて進軍の準備を整えている模様です」
ということは、私たちは甲府城には入れない。
私たちの戦の要となるはずだった、城に籠もって応戦するという戦略は不可能だ。
昼間の土方さんの言葉を思い出して、息を飲む。
「戦うにせよ退くにせよ、ここはまずい。街道沿いに移動して陣を張る。島田」
「はっ」
「すぐに近藤さんに伝令を出せ」
土方さんの言葉を受けた島田さんは、すぐに立ち上がって伝令を出すべくその場を後にした。
「言わんこっちゃねえ…」
足元に広げた地図を眺めながら、新八さんが悔しそうに顔を歪めた。
「日野でぐずぐずしてなけりゃ、敵に先手を打たれることはなかったんだ」
「よせよ。今更、後の祭りだ」
左之さんのとりなしに、新八さんは舌打ちをして口を閉ざす。
「隊士たちを起こしてくる」
「私も行きます」
立ち上がった斎藤さんに続いて私も立ち上がり、隊士たちが休んでいる場所へと向かった。
でも、私たちが隊士たちの元へ行ったとき、彼らは既に目を覚ましていた。
中には、周囲を気にするようにきょろきょろとまわりと見渡しながら、どこかへ行こうとする者たちもいる。
「あなたたち、どこへ行くつもりですか?」
思わず尋ねると、彼らはびくりと身体を震わせてこちらを振り返った。
その表情に怯えの色が浮かんでいるのに気付いて、私は彼らが何をしようとしていたのかを察する。
「脱走、ですか」
確かめるように呟くと、彼らは顔を見合わせて訴えるような声をあげる。
「籠もるはずだった城に敵が入ってちゃ、戦い様がないじゃないですか!」
「負け戦になるんだったら…俺は戦いたくない!」
そう訴える彼らの表情に浮かんでいるのは、怯えと恐怖。
彼らだけではない、ここにいる隊士のほとんどが、同じ感情を抱いている。
当たり前だ。
城を抑えられなければ、私たちの勝算はぐっと下がる。
「死にたくないと思うことを、私は責めるつもりはありません」
生きたいと思うことは、誰だってあることだ。
増して、戦で勝って功績を残したいと志願した彼らにとって、甲府城を抑えられたという事実は絶望的なものだろう。
それでも、勝手に夢を見て、理想と違うからと弱腰になって夜闇に紛れて逃げ出そうとする彼らに、一抹の怒りを感じて拳を握りしめる。
「逃げたいなら、逃げればいい。弱腰の人間がいても、足手まといになるだけですから」
「なんだと…!?」
私の言葉に怒りを感じたのか、彼らのうちの一人が刀に手をかけた。
それをじっと見据えて、私は静かに言葉を発する。
「言ったでしょう?私はあなたたちを責めるつもりはない。けれど、あなたたちは脱走したという恥を一生背負って生きて行くでしょう。敵を目前にして弱気になって、一度志願した隊から脱走したという事実は、決して消えない」
「さっきから聞いていれば、女風情が…!」
月明かりに照らされて、相手の顔が怒りで赤く染まっているのが見えた。
人というのは、相手が激昂するほど自分は冷静になるというものだから、不思議なものだ。
共に脱走しようとした者に抑えられてはいるが、刀の柄を強く握りしめているのが分かる。
「私のことは、どうとでも好きなように言って構いません。逃げるのなら早く行きなさい。ただし、くれぐれも私たちの邪魔をしないで」
そこまで言って踵を返そうと振り返ると、共に隊士たちを起こしていた斎藤さんが佇んでいた。
「斎藤さん…」
「珍しいな、あんたがそこまで言うとは」
いつもの調子で告げる斎藤さんに、肩を竦めて見せる。
「私だって、言うときは言いますから」
適当にそう言って、斎藤さんの隣をすり抜けて他の隊士たちの様子を見に向かう。
私だって、自分の口からあんな言葉が出るとは思わなかった。
でも、彼らの行動が、言葉が、お前たちのやっていることは無駄だと言っているようで悔しかった。
「無駄じゃない。私たちのしていることは、無駄なんかじゃない」
未だに残る悔しさに、私は歩みを進めながら人知れずに小さく呟いた。
結局、甲府城を先に抑えられたと聞いて夜のうちに脱走した隊士は、全体のおよそ半数。
私が声をかけた彼らのような者が他にもそんなにいたのかと思うと、怒りや悔しさよりも呆れを感じてしまう。
半分に減ってしまった隊士を引き連れて、私たちは街道沿いに移動して陣を張った。
そして夜が明けてからようやく、報せを受けた近藤さんが合流したのだった。
本陣で軍議が開かれている間、私は戦の最前線となるであろう場所に佇んで、じっと敵のいる方向を見つめていた。
おそらく、新八さんや左之さんは撤退を勧めるだろう。
近藤さんはそれを断固として受け入れないだろうけれど。
風が吹いて、ひとつに束ねた私の髪を揺らした。
鳥羽伏見の戦から、二月。
あの人が私の前からいなくなってから、初めての戦が始まろうとしている。
もう、不安を感じる私に励ましの言葉をかけてくれる存在は、いなくなってしまった。
それを哀しいと思うことはあるけれど、私は土方さんを信じるしかないのだろう。
あの人が、私にそう言ったように。
私が本陣へ戻ったとき、既に軍議は終わっていた。
左之さんや新八さんの表情からするに、やはり撤退はしないことになったのだろう。
「なまえ」
名を呼ばれて振り返ると、少し離れた場所に土方さんが佇んでいた。
その表情は、どことなく険しい。
「撤退は、しないんですね」
「ああ…俺はこれから、増援を呼びに江戸に行ってくる」
そう言うと、土方さんは私へと歩み寄って声を潜めた。
「千鶴のことだが、戦が始まる前に安全な場所へ逃げ延びるように俺から言っておく。だからお前は、あいつが安全な場所まで行けるようついて行っちゃくれねえか?」
内容が内容だけに、左程驚くことはなかった。
まわりからいくら鬼と呼ばれていても、この人は本来とても優しい人なのだ。
そこまで言って、土方さんは苦笑を浮かべる。
「本当はお前にも逃げ延びろと言いてえところだが…どうせ聞き入れちゃくれねえんだろ?」
「さすが土方さん、その通りですよ」
思わず笑いながらそう言って、土方さんを見据える。
「もし千鶴ちゃんが戦場を離れるときは、私が責任を持って連れて行きます。まぁ、あの子が逃げると言うとは思いませんけど」
「かと言って、こんなところで死なせるわけにはいかねえだろう」
「土方さんは私のことは分かってても、あの子についてはまだまだですね。千鶴ちゃんは、土方さんが思ってるよりずっと強い子なんですよ」
たしかに、千鶴ちゃんは戦う術を持っていない。
多少の心得はあっても、あくまで護身用だ。
けれど、彼女は誰にも負けないくらいの真っ直ぐな思いと信念を持っている。
ここにいる私や土方さんと同じように、守りたいものを守ろうとする意志がある。
それだけでも、彼女は強いと私は思っている。
「土方さん、馬の準備が整ったそうです」
土方さんが何か言いかけようと口を開いた瞬間、千鶴ちゃんが準備が整ったことを知らせに来てくれた。
「それじゃ、土方さん。どうかお気をつけて。増援頼みましたよ」
「…ああ、行ってくる」
千鶴ちゃんと一緒に歩いていく土方さんの背中を見つめながら、私は少しでも早い増援の到着を願った。
でもその数刻の後には、私の祈りも虚しく戦の火蓋が切って落とされる。
じりじりと迫る新政府軍に対し、入隊したばかりの隊士が発砲したことが開戦の発端だった。
「千鶴ちゃん、近藤さんをお願い」
「うん。気を付けてね、なまえちゃん」
「ありがとう。行ってきます」
結局土方さんの言葉を断固として聞かずに残ることになった千鶴ちゃんに笑みを向けて、それまで控えていた本陣を離れる。
戦況は明らかに、こちらが不利だ。
負傷した隊士が本陣まで戻ってこれないほど、激しい戦闘になっている。
一人でも多くの隊士を助けるため、私自身も戦場へと赴くことにしたのだ。
轟音と共に地面を揺らす大砲。
時折向こうで土煙があがるのは、弾が落ちた場所だからだろう。
「新八さん!」
粉塵が舞い上がる中に、負傷者を抱えた新八さんの姿を見つける。
土埃を掻き分けて駆け寄ると、彼は驚いたような表情を見せながらもすぐに理解を示した。
「なまえ、こいつを頼む。足をやられたみてえだ」
「分かりました。他に負傷者は?」
「この状況だ、こいつを抱えるだけで精一杯だった。気を付けろよ!」
怪我をした隊士を受け取って、片腕を私の肩にまわさせる。
片足を負傷しているものの、意識はあるから肩を貸せば歩けるだろう。
新八さんは私に負傷者を預けると、再び戦火の中へと走って行く。
「とりあえず、もう少しここを離れましょう。それまで頑張って」
励ますようにそう言うと、彼は声を出さないものの頷いてくれた。
その後も私は負傷者の手当てに走り回ったけれど、あきらかに死者の方が多いという現実を目の当たりにせざるを得なかった。
声をかけても反応のない者、反応があってもすぐに事切れてしまう者。
いつの間にか、私の手や衣は血で真っ赤に染まってしまっていた。
私の血ではない、戦の中で負傷したり、死んでいった隊士たちの血だ。
その血ももう固まってしまっていて、手を開く度に突っ張るような嫌な感触がした。
絶え間なく鳴り続ける大砲の音が、鼓膜を震わせる。
戦闘をしていないとは言え、降り注ぐ大砲を避けながら怪我人を探すという行為は、着実に私の体力と気力を蝕んでいた。
周囲を見渡せば、舞い上がる土埃と、その中で弾かれるように舞う人影。
ああ、また死んでしまう。
行かなければと思うのに、身体が動かなかった。
「なまえ!」
背後から聞こえてきた怒鳴り声に、びくりと肩を震わせて振り返る。
そこには、驚いた顔をした左之さんがいた。
「左之さん……」
「馬鹿野郎!こんなところに突っ立ってんじゃねえ!」
そう言って、左之さんは私の腕を掴んで走り出した。
よろけながらも、私は腕を引かれるままに足を動かしていく。
「近藤さんのところに戻って、退くように説得するぞ。これ以上戦ったって、徒に死人を増やすだけだ」
左之さんの悔しげな声に、私は必死に意識を奮い立たせる。
なんとかして近藤さんを説得しないと、私たちはそれこそ全滅してしまう。
こんなところで全滅だなんて御免だ。
死んでいってしまった隊士の為にも。
もつれそうになっていた足取りが、次第にしっかりとしてくる。
まずは、近藤さんを説得しよう。
それで土方さんの到着を待って、また建て直せばいい。
土方さんを信じるしかないと、あの人も言っていたのだから。
戦火の中へ
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